116 / 128
北部侯爵の影
しおりを挟む私は、本を読み、考察を手紙にまとめた。
推論を文字に落とすたび、思考が整理されていく。曖昧だった仮説が輪郭を持ち、散らばっていた事実が、一本の線に繋がっていくのが分かる。
そうして書き上げた手紙を、ソフィアの住む公国へと伝聞鳥に託した。
羽ばたく背を見送った瞬間、胸の奥にわずかな空白が生まれる。
やるべきことは、やった。
そう自分に言い聞かせるように、深く息を吐く。
その安心感と引き換えに、徹夜の疲労が一気に押し寄せた。
瞼が重い。思考が、ゆっくりと沈んでいく。
ベッドに横になり、ほんの少しだけ目を閉じる。
――そのまま、意識は沈んだ。
トントン、と扉を叩く音。
はっと目を開けると、日はすでに高く昇っていた。窓から差し込む光が、部屋の輪郭をはっきりと浮かび上がらせている。
「リリカ、いつまで寝てるんだ。出かけよう!」
クルミの声だ。
妙に弾んでいる。嫌な予感が、目覚めより先に胸を掠めた。
「うん……お腹も減ったし、出かける」
体を起こした瞬間、待っていましたと言わんばかりにエマが飛び込んできた。
「準備しますね!」
いつもなら、強引に起こしに来るはずなのに。
「エマが起こしに来ないなんて珍しいわね。何してたの?」
「へへへ。リラと、リラの従魔と遊んでたんですけど。途中でコヨリに連れてかれて」
着替えを終え、執務室を覗く。
リラは机に座り、露骨につまらなそうな顔で事務書類を睨んでいた。
隣には、当然のようにコヨリが立っている。立ち姿一つ取っても、逃げ場を与えない圧がある。
「まあ……これが領主の勤めだしね」
自分に言い聞かせるような呟きだった。
責任という言葉を、軽く扱わないための声だ。
外に出ると、私はドノバンの馬に乗り、クルミはエマを後ろに乗せた。
二頭の馬で郊外へ向かう。
「綺麗な湖ね」
木々の合間に、水面が陽光を反射している。風に揺れる光が、穏やかな錯覚を与えていた。
「どこに行くの?」
私が尋ねると、クルミは口元を歪めた。
この表情は、だいたい碌なことにならない。経験が、そう告げている。
「シャルル軍の冒険者に、黒牙蛇の“巣”がある鉱山を聞いた」
聞いた、という言葉に、力はない。
すでに裏を取り終えた者の言い方だ。
「図鑑には、巣を作るなんて書いてなかったけど」
「正確には巣じゃない。養殖してたらしい」
それで、あの異常な数の毒の謎が解けた。偶然ではない。意図的だ。
「そんな面倒なことを?」
「シャルルの商人の依頼。かなり高額だったみたい」
クルミは楽しげに続ける。
声の調子だけ聞けば、世間話と変わらない。
「もちろん、冒険者ギルドを通さない闇仕事よ」
嫌な話だ。
胃の奥が、わずかに重くなる。
「賠償金は請求した。最低でも、貯金は全没収。武器も防具も取り上げた」
淡々とした口調が、かえって重い。
感情を挟まない裁定は、逃げ場がない。
「その上で、高額な借金。生き延びられても、二度と立ち直れない」
冒険者にとって、それは事実上の終わりだ。自業自得だ。だが彼女に殺されなかっただけましだ。
「問題は、指示した商人の方だ。口が固くてね」
クルミは思い出し笑いを浮かべた。
「どうせ、聞いたんでしょ。早く話しなさい」
冒険者が蛇の養殖知識を持つはずがない。つまり、教えた者がいる。
「黒蛇の毒をばら撒く作戦を考えたのは、商人仲間の一人だと分かった」
「捕まえたの?」
「ううん。そいつの逃げ足が速くてね。でも、北部侯爵領に本部を置く商人だってことは掴めた」
「じゃあ、北部の侯爵が影でシャルルを支援してる?」
「そう。影でね」
答え合わせをしているみたいな声音だ。
「理由も、たぶんすぐ分かるわ」
そう言って、馬を止めた。
森の奥。
巧妙に隠された道の先に、廃坑が姿を現す。人の気配を拒むような、乾いた静けさがあった。
「いかにも、黒牙蛇が好きそうな場所ね。それと……冒険者が立ってる」
「昨日の今日で、まだ情報が回ってないのかも」
クルミは馬を木につなぎ、軽く肩を回した。戦う前の癖だ。無意識に身体が戦闘を思い出している。
「それじゃ、一狩りするわ」
目が、僅かに輝く。
「ドノバン競争よ。久しぶりに、ちゃんと体を動かせそう」
「卑怯だぞ!」
ドノも颯爽と飛び降りて走る。
「もう危ない、ドノ!」
馬から落ちそうになり、思わず声が出た。
戦闘は、一瞬で終わった。
クルミは、あえて距離を詰める。
冒険者の剣が振られる瞬間、その反応を確かめるように身を躱す。
次の瞬間、首筋への一撃。
力は最低限――意識を刈り取るに足るだけ。
冒険者たちは、何が起きたのか理解する前に地面へ崩れ落ちた。
全員、完全に意識を失って地面に倒れる。
「……強い奴がいない」
少しだけ、不満そうだ。
基準が、最初から違う。
「もっと強く縛っていいよ!」
「はーい!」
エマが楽しそうに縄を締め上げていく。手際が良すぎる。
「洞窟に入るの、危険ね」
「えー?」
クルミは心底残念そうな顔をした。
「蛇ごときに遅れを取るつもりはないんだけど」
「ううん。でも命大事に」
私が言うと、クルミは肩をすくめた。
「はいはい。リリカが言うなら」
私はエマに洞窟の様子を探らせる。
「人はいません。出てこないと死にますよ~。はい、警告完了です。物音も匂いもしないので問題なしでーす」
「ありがとう、エマ」
私は息を吸い、魔力を解放した。
躊躇はない。
「じゃあ……一気に終わらせるわ」
全力の炎魔術。
坑道の奥まで逃げ場を残さず焼き尽くす。続けて土魔術で出口を封じた。
冒険者たちも、土の檻に閉じ込める。
「あとで、捕まえに来させるわ」
クルミは名残惜しそうに廃坑を振り返った。
「欲張らないの」
「はいはい」
私たちは、何事もなかったように馬へ戻った。
「美味しい店を教えてもらったのよ」
さらに北に向かう路。
果樹園のそばに立つ一軒家。地元料理の店。
私たちが満足して、食事を終える頃、北の街道から軍馬の音が聞こえてきた。
規則正しい蹄音が、空気を震わせる。
「あれは?」
店員と客が、窓から見て答えた。
「アンリと北部侯爵の旗です!」
旗が風を切り、隊列が道を埋めている。
数は多く、動きに迷いがない。
「これで理由がわかるわ。行きましょう。エマはここで待ってて」
「はーい。デザートがまだなので」
私たちは、進軍してくる路を封鎖した。
たった二頭の馬で。
0
あなたにおすすめの小説
【完結】悪役令嬢に転生したけど、王太子妃にならない方が幸せじゃない?
みちこ
ファンタジー
12歳の時に前世の記憶を思い出し、自分が悪役令嬢なのに気が付いた主人公。
ずっと王太子に片思いしていて、将来は王太子妃になることしか頭になかった主人公だけど、前世の記憶を思い出したことで、王太子の何が良かったのか疑問に思うようになる
色々としがらみがある王太子妃になるより、このまま公爵家の娘として暮らす方が幸せだと気が付く
政治家の娘が悪役令嬢転生 ~前パパの教えで異世界政治をぶっ壊させていただきますわ~
巫叶月良成
ファンタジー
政治家の娘として生まれ、父から様々なことを学んだ少女が異世界の悪徳政治をぶった切る!?
////////////////////////////////////////////////////
悪役令嬢に転生させられた琴音は政治家の娘。
しかしテンプレも何もわからないまま放り出された悪役令嬢の世界で、しかもすでに婚約破棄から令嬢が暗殺された後のお話。
琴音は前世の父親の教えをもとに、口先と策謀で相手を騙し、男を篭絡しながら自分を陥れた相手に復讐し、歪んだ王国の政治ゲームを支配しようという一大謀略劇!
※魔法とかゲーム的要素はありません。恋愛要素、バトル要素も薄め……?
※注意:作者が悪役令嬢知識ほぼゼロで書いてます。こんなの悪役令嬢ものじゃねぇという内容かもしれませんが、ご留意ください。
※あくまでこの物語はフィクションです。政治家が全部そういう思考回路とかいうわけではないのでこちらもご留意を。
隔日くらいに更新出来たらいいな、の更新です。のんびりお楽しみください。
オバサンが転生しましたが何も持ってないので何もできません!
みさちぃ
恋愛
50歳近くのおばさんが異世界転生した!
転生したら普通チートじゃない?何もありませんがっ!!
前世で苦しい思いをしたのでもう一人で生きて行こうかと思います。
とにかく目指すは自由気ままなスローライフ。
森で調合師して暮らすこと!
ひとまず読み漁った小説に沿って悪役令嬢から国外追放を目指しますが…
無理そうです……
更に隣で笑う幼なじみが気になります…
完結済みです。
なろう様にも掲載しています。
副題に*がついているものはアルファポリス様のみになります。
エピローグで完結です。
番外編になります。
※完結設定してしまい新しい話が追加できませんので、以後番外編載せる場合は別に設けるかなろう様のみになります。
ぽっちゃり令嬢の異世界カフェ巡り~太っているからと婚約破棄されましたが番のモフモフ獣人がいるので貴方のことはどうでもいいです~
翡翠蓮
ファンタジー
幼い頃から王太子殿下の婚約者であることが決められ、厳しい教育を施されていたアイリス。王太子のアルヴィーンに初めて会ったとき、この世界が自分の読んでいた恋愛小説の中で、自分は主人公をいじめる悪役令嬢だということに気づく。自分が追放されないようにアルヴィーンと愛を育もうとするが、殿下のことを好きになれず、さらに自宅の料理長が作る料理が大量で、残さず食べろと両親に言われているうちにぶくぶくと太ってしまう。その上、両親はアルヴィーン以外の情報をアイリスに入れてほしくないがために、アイリスが学園以外の外を歩くことを禁止していた。そして十八歳の冬、小説と同じ時期に婚約破棄される。婚約破棄の理由は、アルヴィーンの『運命の番』である兎獣人、ミリアと出会ったから、そして……豚のように太っているから。「豚のような女と婚約するつもりはない」そう言われ学園を追い出され家も追い出されたが、アイリスは内心大喜びだった。これで……一人で外に出ることができて、異世界のカフェを巡ることができる!?しかも、泣きながらやっていた王太子妃教育もない!?カフェ巡りを繰り返しているうちに、『運命の番』である狼獣人の騎士団副団長に出会って……
異世界リナトリオン〜平凡な田舎娘だと思った私、実は転生者でした?!〜
青山喜太
ファンタジー
ある日、母が死んだ
孤独に暮らす少女、エイダは今日も1人分の食器を片付ける、1人で食べる朝食も慣れたものだ。
そしてそれは母が死んでからいつもと変わらない日常だった、ドアがノックされるその時までは。
これは1人の少女が世界を巻き込む巨大な秘密に立ち向かうお話。
小説家になろう様からの転載です!
【完結】追放された子爵令嬢は実力で這い上がる〜家に帰ってこい?いえ、そんなのお断りです〜
Nekoyama
ファンタジー
魔法が優れた強い者が家督を継ぐ。そんな実力主義の子爵家の養女に入って4年、マリーナは魔法もマナーも勉学も頑張り、貴族令嬢にふさわしい教養を身に付けた。来年に魔法学園への入学をひかえ、期待に胸を膨らませていた矢先、家を追放されてしまう。放り出されたマリーナは怒りを胸に立ち上がり、幸せを掴んでいく。
魔法が使えない令嬢は住んでいた小屋が燃えたので家出します
怠惰るウェイブ
ファンタジー
グレイの世界は狭く暗く何よりも灰色だった。
本来なら領主令嬢となるはずの彼女は領主邸で住むことを許されず、ボロ小屋で暮らしていた。
彼女はある日、棚から落ちてきた一冊の本によって人生が変わることになる。
世界が色づき始めた頃、ある事件をきっかけに少女は旅をすることにした。
喋ることのできないグレイは旅を通して自身の世界を色付けていく。
ヒロインですが、舞台にも上がれなかったので田舎暮らしをします
未羊
ファンタジー
レイチェル・ウィルソンは公爵令嬢
十二歳の時に王都にある魔法学園の入学試験を受けたものの、なんと不合格になってしまう
好きなヒロインとの交流を進める恋愛ゲームのヒロインの一人なのに、なんとその舞台に上がれることもできずに退場となってしまったのだ
傷つきはしたものの、公爵の治める領地へと移り住むことになったことをきっかけに、レイチェルは前世の夢を叶えることを計画する
今日もレイチェルは、公爵領の片隅で畑を耕したり、お店をしたりと気ままに暮らすのだった
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる