それは底無しの沼よりも深く

きっせつ

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居たい場所②

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「お願い、シグリ。少しだけ。少しだけこうさせて。」

一瞬、抵抗しようと思ったが、あまりにも切実なその声と抱き締める手が震えていたので、肩に入った力を抜き、ポンポンッとクラヴィスの背を叩いた。

「どうしたんすか? クラヴィス。」

原因は見てたから分かってる。
聖騎士長と、父親と何かあったのだろう。

クラヴィスの僕を抱く腕にギュッと力が入る。
頭を撫でてやるとフゥーッと長く息を吐き、僕の肩に頭を乗せた。

「聖騎士長は…、俺の血の繋がった父親なんだ。」

まだ少し興奮しているが段々と落ち着いてきた様子。まだまだ僕を抱き締める腕には力が入っていて少し痛いが。

「そうなんすか。お父さんなんだ。」

「はい。一応、父親なんだ、あの人。」

そう吐き捨てるように言うクラヴィス。
相当お父さんを嫌っている様子。

ー お父さん…か。

僕の知る僕のトトは何時も後ろ姿だ。
父と喋った記憶もない。だからあんな風に喧嘩した記憶も勿論ない。

「あの人は…一番居て欲しい時に、母さんが病気で死に掛けていたのに、仕事を取ったんだ。」

「うん。」

「…母さんの病気は治ったけど、あの人に嫌気が差して出て行ってしまったんだよ。それなのに、あの人は追いかけもしなかった。」

「うん。」

「……俺はあの人みたいになりたくなくて家を出て騎士になったんだ。騎士は十二歳から働けるから。」

何時もと違い、クラヴィスが幼く感じる。

大変だったね、辛かったね、と優しく声を掛け、黒く艶やかな髪を梳くように撫でると目を細めて、安心し切った顔を浮かべた。自然と腕に入っていた力も緩んでいく。

「お父さんに会いたくなかった? 」

「…会いたくなかった。久々に会った瞬間、怒りが込み上がったよ。その上、聖騎士にならないかって言うものだから。怒ってた筈なのに凄く悲しくなったんだ。…母さんが居なくなった後も仕事ばかりで家に帰ってこなかった癖に。俺が家を出ても探しにも来なかった癖に。家族として俺はいらなかった癖に…。」

ポタポタと肩に雨が降る。
その雨は降りしきり、大雨へと変わっていく。

「勝手だよ…。息子としてはいらなかったのに、聖騎士長として腕が立つ者が欲しいってさ…。」

そのクラヴィスの悲哀の混じった言葉に、クラヴィスは聖騎士に、父親に、息子として必要として欲しかったんだなと感じた。
それは嫌気が差して家を出てからもずっと…。

例え、嫌いでもなんでもやっぱり、子供にとって父親は父親。

自分を認めて欲しい存在。
見ていて欲しい存在。


『私には追う資格がないのです。』

伸ばそうとして下ろされた手。
悲しげな笑みでそう去っていく息子を見送る父の姿。


「本当に腕が立つ人間が欲しかっただけっすかね? 」

あの手がクラヴィスに伸びていたら、あの手がクラヴィスを掴んでいたら、あの人はなんと声を掛けたのだろうか?

「クラヴィスを追い掛ける資格がないって言ってたっすよ。それは…父親としてじゃない? 」

マリスが父親かと聞いた時、「私は父親などではない。」と聖騎士長は答えた。あれは父親の資格がないからそう言ったのではないだろうか。

「クラヴィス。今じゃなくていいから、何時かまだ会える内にきちんとお父さんと話してみてはどうっすかね? 」

「あの人は…母さんを。俺を…。」

何故、あんな人と…と、苦々しげな表情を浮かべるクラヴィスの頰を撫でるように両手で包んだ。

「別に許せなんて言ってないっすよ。それは許さなくても良い事っす。許す必要はない。でも……。」

何時だって別れは急にやって来る。
大好きだった人とも大嫌いだった人ともサヨナラを言えずに、唐突に会えなくなる時だってこの世界にはある。

そして会えなくなってから、言いたかった事はいっぱい頭に浮かんでくるんだ。

『ありがとう。』、『大好きだった。』、『僕の事好きだった? 』、『僕の事どう思っていてくれた? 』

きっともう二度と会えないトトに。
もう二度と会えなくなってしまったネネに。

言いたい事は後からいっぱい浮かんでくるのに言いたかった相手はもういない。もうその言葉を掛ける事は出来ない。

「話せずに後悔する事だってある。後悔してからじゃ遅いんすよ。……何時かでいい。今じゃなくていいから。」

きっとクラヴィスもその気持ちを言えなかったら後悔する。
だってクラヴィスは父親に家族として、息子として、必要とされたかったかのだから。

頰を包む手をクラヴィスの手がギュッと握る。

「もし、その何時かに俺があの人と話したらシグリは褒めてくれる? シグリはあの人と話した話を聞いてくれる? 」

「勿論。友達っすからね。」

「そう…か。」

フッと何処か切なげな笑みを浮かべて、僕の腕に口付けを落とし、そっと隷属の首輪に触れた。

「狡いな。やっぱり俺はアイツが嫌いだ。」

隷属の首輪に触れた手は次は僕の頰に触れようとしたが、スッと降りた。

「ありがとう、シグリ。話を聞いてくれて。ちょっと心が軽くなったよ。」

そう去っていくクラヴィスが何だか寂しそうに見えて、追うか考えたが、追ってはいけない気がした。追えばクラヴィスの気持ちに応えなければいけない気がして。

ー 僕は…。

首に嵌められている隷属の首輪に触れる。
この首輪が首に嵌っていると、ここにいて良いんだとホッとする。

僕はやっぱり、アルトワルトが好きで、隣に居たいから。
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