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2章「証拠」
5 R話
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全てを話し終えた。
嘘、偽りもなく、包み隠さず全てを話した。
自分の過去を話すのはとても辛かった。
すごく辛かったけれど、自分の過去から逃げない為に、向き合うことが出来るために私の事を全てあつしくん知っていてもらいたかった。
「し・・・・知らなかったです・・・・・瞬さんに、そんな過去が・・・・彼女が・・・瞬さんに・・・彼女がいたなんて・・・・・」
事実を知ったとたんあつしくんはガクっっと床に崩れ手を付き、どうしてだかかなりシヨックを受けている様子だった。
私に彼女がいたのは事実であるけれど、付き合っていたのは三年間だけ。
小説家になる前から付き合っていたけれど、私が小説家になっても関係は続いていたが、いつまでも私の名が大きく売れないとか、私の書く小説が面白くないと散々文句を言い、こんな私とは付き合ってられないとか言って一方的な理由で私は振られた。
私は彼女の事が好きだった。好きだったから、その分ショックも大きかったけれど、このことが原因で私が小野筍爛というもう一つの名で小説を書くとは思わなかった。
「あんた、何をショック受けとんや?そんなに先生に彼女がいたことにそんなショックやったんか?」
「姉貴は、その・・・・瞬さんの彼女に、会ったことあるのか?」
「ああ、あるよ。すっごい美人やったけど、先生には向いてないと思うたわ」
美人だったのは確かだった。
こんな私と付き合っていていいのだろうかと思ったことも会ったけど、今のなればそれはもう過去の事で、どうでもいいと思っているけれど、小野筍爛としての私を生む機会を与えてくれた事は感謝をしている。
が、今は私に彼女がいたかという問題ではなく、せっかく、辛い過去と向き合って、話した他と言うのに、聞いて欲しいと思ったことにもっと耳を傾けて欲しかった。
「聞いていますよ瞬さん。すごく、辛かったんですよね・・・・すいません俺・・・どうしても、辛そうに話してくれる瞬さんの見ているのが辛くて・・・・・」
「・・・・・・ありがとう・・・あつしくん・・・・・」
彼の顔に手をやると、ポタっと何か冷たいものが落ちてきた。
涙だ。
泣いている。彼は泣いていた。
以前付き合っていた彼女の話を持ち出したのは、少しでも私の気が紛れるのではないかという彼が私に対する思いやりからだというのが、よく分かった。すごく分かった。
「敦美さん、言っていましたよね。もう一度私は小説を書くことが出来ると・・・できれば教えてもらえませんか?」
もう、逃げないために私はここにきた。向き合えるものに向き合いたかった。
でも、聞くのが怖いという気持ちはすごくあるけれど、もう一度小説を書きたいという気持ちもあった。
「大丈夫・・・・大丈夫です瞬さん・・・・・何があっても俺はずっと瞬さんの側にいます・・・だから大丈夫です」
まだ怖いけれど、彼の声を聞くとどうしてだか、すごく安心する事が出来る。
「あ・・・・ありがとうあつしくん」
もう大丈夫。私の隣には彼がいる。彼がいてくれる。
「・・・・うち、調べたんや。先生の目が見えなくなったあの後からずっと・・・・編集長に何を言われようが、うちは諦めんかった。どうすれば先生がもう一度小説を書くことができんのかって・・・・・・」
入院中のことだ。編集長がわざわざ遠くから入院している私に会いに来た事があった。
お見舞いはただの口実だった。編集長が私のもとに来た本当の理由は小説家としての人生を諦めてほしいという事を言いに来たのだった。
その日から私は全て失った。もう、何かをするという気も失せてしまい、暴れる気も、死のうという気もなくなった。
「見つけたんや。ようやくうちは見つけた。二年という時間は掛かったけど、もう一度先生に小説を書いてもらえる方法を・・・せやけど、うちがその方法を言ったところで、最終的にきめんのは先生や。今のうちでは方法を言うだけで精一杯や」
「教えてもらえるだけでも十分です。私は、どうすればいいのですか?」
どういった方法で小説を書けるのかは分からないけど、聞いてみる価値はあると思う。
「ゆう前に、先生にこれだけ聞いてもええですか?」
「何ですか?私に答えられることでしたら、聞いていただいても構いませんよ?」
「先生は今でも、パソコンを触りたいと思っとりますか?」
目が見えていた頃はずっとパソコンを使って小説を書いていたので、今でも字を打つだけなら打てるとは思うけれど、それ以外は出来ない。
触りたいと思う以前にパソコンで字を打っていても誤字といった間違いが生じても今の自分にはその間違いが分からないし、それ以外のことでパソコンを触るとしても、目で見ないと分からない事が多すぎて、今の私では触りたいと思っても触る事など出来るはずがない。
「もし、うちが触れると言ったらどうしますか?」
「姉貴、それってまさか・・・・・・・」
「なんやあつし、あんた知ってるんか?」
敦美さんだけではなく、あつしくんも何だか知っている様子だ。
「知ってるというか、前に姉貴が家に帰って来たとき、俺の机の上にパンフレットみないなの忘れていかなかったか?」
「あちゃー・・・うっかり忘れてたわ!おかんに置いててといったままにしとったままやったわ」
相変わらずだった。
何でも完璧そうに見える敦美さんだけど、実は物忘れが酷かったりする。
過去に私も何度か酷い目に合わされたことがある。
原稿を取りに来たはずなのに、持って帰るのを忘れたり、小説を書くのに必要な資料が欲しくて持ってきてもらおうと頼んだら手ぶらでやって来る。挙句の果て何をしに来たのか忘れていることもある。
中でも一番困ったのは、日程の伝え忘れ。
原稿の締め切り日を言い伝え忘れたり、予定していた打ち合わせをすっぽかされた時だった。
「姉貴って不思議だと思いませんか瞬さん。どうしてこんな姉貴が副編集長になることが出来たのか・・・・・」
ボソッと彼が呟いた言葉に私は耳を疑った。
「あ・・・・敦美さんが・・・・副・・・・編集長・・・・・?」
幸いあつしくんの言ったことは敦美さんには聞こえていないみたいだけど、私としては敦美さんをよく知る人物としてこの事は非常に驚きだった。驚きを隠せなかった。
確かに敦美さんは編集能力もすごいと思うし、人の上にたって指示をして引っ張っていくことが出来る人で、いつか副編集長や編集長にでもなれるのではないかと思ってはいたけれど、ただ、あの物忘れの酷さではどうにか直さない限り無理だと思っていた。それなのに、いまだ物忘れの酷さは健在だというのに、副編集長になったと知ったとき、よけいに驚いてしまった。
「あれ?どないしたんですか先生。何や知りませんけど、何かあったんですか?」
「い・・・いや・・・・何もないよ敦美さん・・・・そ・・・それより、パソコンがどうとか・・・・・」
悟られては駄目だと思い、この話は敦美さんが帰った後、ゆっくりあつしくんから聞くことにし、どうにか誤魔化しつつ脱線しかけていた話を戻した。
「なんて言ったらええんやろ・・・・簡単にゆうと、今の先生でも扱えるパソコンがあるということや」
「今の、私に扱えるパソコン?」
どういうことなのかよく分からなかった。
目の見えなくなった私でも扱う事が出来るパソコンがあるなど私は知らない。
だからそんなものがあるなど信じられなかった。信じられるはずがなかった。
「何て顔をしているのですか?信じてもらえないかと思いますが、姉貴の言っていることは本当です。俺もその・・・パソコンの資料を見ただけなので、よくは知りませんが、あるのは確かです」
信じられなかった。まさか、本当にそんなものがあったなど信じられなかった。
もっとそのパソコンの事を知りたい。本当にあるのだと言う事を知ったら、急にそのパソコンの事を知りたくなったけれど、本当に扱えるのだろうかという心配もあった。
少し考えたい。考えてからどうしたいのかという事を決めようと思った。
「・・・・先生、今日の所はうち帰らせていただきます。もし、パソコンの事を知りたいとおもおたら、そこにいる愚弟にでもゆってください。それまでに先生が分かる資料を作ってまっとります」
付き合いが長いためなのか、敦美さんは今の私にどうしたらいいのかという事を雰囲気で悟ってくれる。
いまだ副編集長になったことに信じられないけれど、分かって欲しいと思うときに思ってしてくれるという行動はそれなりの経験を積まないとできない事。物忘れが酷いという事を除けばやっぱり副編集長に昇格できたことに納得がいく。
「あつし、車まで送ってくれるか?まだうちはあんたにぎょうさんいわなあかんことあるし、ほら、いくで!」
半強制的に連れて行っているように思えるけれど、連れて帰るという気はなさそうだ。
「しゅ・・・・瞬さん・・・・・」
助けを求められているのであろうけど、助けてしまったら敦美さんが何のためにここに来たのかという意味がなくなってしまうので、助けるつもりはない。
「敦美さんはあつしくんに会いにここに来たのだから、送らないと駄目でしょ?それに姉弟なんだから、私に遠慮する事ないよ。さぁ、送ってあげて。ね?あつしくん」
「うー・・・・・わ、分かりました・・・・瞬さんがそう言うなら・・・・・」
「では先生、うちはこれでおいとまさせていただきます。あと迷惑かと思いますが、もうしばらく愚弟の事お願いします。いつか連れて帰りますんで」
「迷惑だなんて、一度も思ったことないですよ敦美さん。むしろ、私のほうがあつしくんに迷惑を掛けている状態なので・・・・」
ずっと私の側にいて欲しいと思うのは我ままなのだろうか。いつまでもあつしくんがここにいたいと思う限りここに住んで欲しい。それが私の願いだけど、口に出して言う事ができない。言ってしまえばあつしくんに今以上迷惑をかけることになる。そういうのがすごく嫌だから言えない。
「俺はいつまでもここにいます。たとえ姉貴に無理矢理、家に連れて帰られようが、すぐに瞬さんの元に戻ってきます」
不思議と思うぐらい、どうして私の思うこと、考えている、分かってほしいと思う事がこの姉弟に筒抜けとなってしまうのだろう。
「・・・・・見送りはもうええわ。言いたいこといっぱいあったけど、待ってられへんわ。見てるこっちが恥ずかしくなる。言いたいことはまた今度ゆうけど、これだけはゆっておくで!絶対に締め切り遅れるんやないで。原稿できたら、郵送でもかまわんから、アシスタントに送るか、自分で仕上て担当に送るかし!あと、先生に迷惑かけんやないで。迷惑かけるような事あったら、即連れて帰るからな!分かったか?」
「ああ、分かったよ。言いつけは絶対に守る。だから俺は絶対瞬さんの側にいる!」
見抜かれている。完全私の気持ちを二人に見抜かれている気がする。
「では先生、長々とすんませんでした。うちは帰ります。何かあつしが迷惑をかけるようなことがあったら遠慮なく言ってください。そして、ここに居らしていただいている間幾らでもこき使ってやってください。では失礼します」
そう言って早々と敦美さんは車を走らせ帰って行った。
嵐みたいな一日だった。
今日一日で自分の情けない姿や恥ずかしい姿をあつしくんに見せる事になってしまい、今も情けないのか恥ずかしいのか分からない状態だった。
「・・・・・・・・しゅん・・・・・・さん・・・・・」
「ん?何、あつしくん」
埃まみれになっている部屋を出て、居間に腰を落ち着かせ、あつしくんの淹れたお茶を飲んでいた。
「すいません・・・・・本当に、すいません・・・・・」
彼が私に謝っているのは敦美さんのことなのだろうか、それともあの部屋の鍵のことなのだろうか。
「どうして、謝るの?別にあつしくんは何も悪い事など、していないよ?」
たとえどっちのことであろうと、責めるつもりはない。彼は私の事を思って取った行動だという事を分かる事ができたから。
「でも俺・・・・・・・」
「もういいよ。どうしてあつしくんはそうやって自分を責めようとするの?あつしくんは正しい行動をしたと私は思うよ」
顔を見ることは出来ないけれど、彼の顔をジッと見つめた。
私の事で自分を責めて欲しくない。明るい子どもみたいないつものあつしくんでいて欲しい。
「すごく怖かった。敦美さんに会ったときも、あつしくんがあの部屋の鍵を持っていたこと、そしてあの部屋に行くことがすごく怖かった。でも、あつしくんが私の側にいてくれたから怖いという気持ちを押し切って逃げ出す事せずに向き合おうと思えた。だから、あつしくんが悪いわけじゃない。だから自分を責めないで」
あつしくんがいれば乗り切れる。逃げたいと思った過去と向き合い、その過去を盾に乗り越えられると思った。だから、敦美さんと会うことも出来たし、あの部屋に行く事も出来た、全てはあつしくんがいてくれたおかげ。
伝えたい。今思っている気持ちをあつしくんに伝えなければならない。
「好きだよ・・・・あつしくんが好き」
あの時あつしくんの気持ちを受け取ることが出来なかったけど、今なら受け取ることが出来る。
「ずっと・・・・私の側にいて・・・・あつしくん・・・・・ん・・・」
「ん・・・・・います・・・・ずっと、瞬さんの側に・・・います・・・・・何があっても、瞬さんの側を離れません・・・・・・」
これが私の気持ちだった。
彼が私の側にいてくれるなら、何でもできそうな気がする。やっていける気がする。
ずっといて欲しい。いつまでもいつまでも私の側に彼がいて欲しい。
離れたくない、離したくない。
「ん・・・・・んん・・・・・・・」
軽いキスのつもりだったのに、離れたくないという一心からか、深く、激しい口づけへと変わっていった。
何度も気持ちを確かめるため繰り返した。
「ん・・・・・ん・・・・ふっ・・・・・・」
「好きです瞬さん・・・・・・ん・・・・・・・」
恋愛に男同士など関係ない。愛があれば何でも乗りきることが出来る。
それを教えてくれたのはあつしくんだった。
私はあつしくんの為に何かをしたい。だから、読者のためではなく、彼の為に小説を書きたいと思った。書きたい。彼の為に、彼と一緒に小説を書きたい。
そう思っていたら、ずっと忘れていた感覚が甦ってきた感じがする。
ペンを持ちたい。ペンを持って、何かを書きたい。
「・・・・どうぞ、ここに書いてください。読めなくてもいいです。書きたいという気持ちが今の瞬さんに大切な事です」
素早い行動。私がこうしたいと思う事を分かっていたのか、彼はこれを待っていましたというばかりに紙とペンを一緒にして私に渡してくれた。
やはり不思議な事に私たちにはきっと見えない何かが通じている。
何が通じているのかまではわからないけど、目が見えない私が彼の顔が手に取るように見えるように、彼には私の心が通じている。絆かもしれないし、愛かもしれないがそれを知るのは私たちではなく、きっと神様なのだろう。
私達が出会ったのもきっと神様の導きなのかも知れない。
「あつしくん、あつしくんの判断でいい。もし私が無理だと思ったら、止めて欲しい」
「瞬さんなら大丈夫だと思いますが、わかりました」
ペンをギュッと握り締め、紙に自分の思う事を、思い浮かんだ事を書いた。
読める字が書けているのか判らないけれど、たとえ読めなくても思う事を書きたい。
思えば思うほど頭の中に文字が浮かんでくる。
ペンが次々と進む。
二年ぶりの感覚。ずっと忘れていた感覚だ。すごく懐かしい、この感覚。
「瞬さん、紙を換えるのでちょっとだけ手を止めてくれますか?」
手を止まった瞬間を見て、紙を交換する。
「もういいですよ、やっぱり瞬さんすごいです。俺とは全然違います」
紙が変わったとたんまたペンを走らせた。
幾ら書いても終わらない。終わりが見えない。
どれ位書いたのだろう。本当に書けているのだろうかと思ったけれど、書くことに集中していた。
「すっげーおもしれー・・・・」
興奮して言葉遣いが変わっている。本人は気がついていないみたいだ。
あつしくんが読んでいるという事は、ある程度読むことが出来る字がかけているのかもしれない。
まだまだ書くことが出来る。思いついた事を書いているだけなので、プロットとは言えないけれど、それに近い状態になっているのかも知れない。
「・・・・・・・できた・・・・・」
「え?もう、できたのですか?書き始めてからまだ二時間ほどしか時間、経っていないですよ?」
何時に書き始めて何時に書き終わったのかは判らないけど、敦美さんが来たのが三時ぐらいだったのでとっくに夜になっていると思う。
「ど・・・・どうかな?」
反応を知りたかった。
思い浮かんだのが、ハッピーエンドで終わる恋愛話。
ずっと悲劇恋愛を書いていたので、喜劇で終わる恋愛は初めての挑戦だった。
「こんなの初めてです。悲しいと思えば、楽しくなって、嬉しくなる。何だか愛されているのだなって思う、そういった話で、すっごく面白いです。字もちゃんと読めるので問題はありません。これ、俺、清書していいですか?」
「そうしてくれるとありがたいけど・・・・その前に、あつしくん」
「何ですか?」
「お腹・・・・空いちゃった」
気を抜いた瞬間、お腹がグーっと鳴ってしまった。
「あ・・・え?ああ!す・・・・すいません瞬さん、俺、全然気がつかなくて、今すぐ夕食の準備しますのでちょっとだけ待っていてください!」
時間を見て驚いたのか、慌ててキッチンに走っていった。
本当に今何時なのだろう。敦美さんが来てからドタバタとしていて、時計など見る余裕もなかったと思いながら、音声で時刻を知らせてくれる置き時計で時間を聞くと、既に九時を回っていた。
どうりでお腹が空くと思った。でも、集中してしまうとお腹が減っている事にも気がつかないので、誰が悪いなどとは言えない。常に多忙な仕事をする者にとって、こういうことは当たり前となってしまう。
また、小説を書く事になれば、こういうことが当たり前の生活となってしまうのだろうかと思ったけれど、あつしくんは多分こういうことが当たり前になる生活は好きではないのかも知れない。どうしてなのかは分からないけどそう思う。
ただ、締め切りに追われるとそうなってしまうかも知れないけれど、それ以外は大丈夫だと思う。私もそうならないように努力しよう。そして、あつしくんもそうならないように私と一緒に努力してもらえると嬉しい。
規則正しい食事、生活は何よりも自分や相手の心身に一番いいのではないか彼と出会ってそう思えたから、なるべくそうしたい。
「お待たせしました。時間が時間だったので、消化に良い物がいいだろうと思い、うどんにしたのですが、簡単なものですいません・・・・」
ダシのいい香りがする。カツオに昆布、その他にもいりこか煮干といった何か入っていそうな匂いがする。すごく美味しそうな匂い。一からダシを取っているのがよく分かる。
手の込んだ料理も好きだけど、こういった簡単そうに見えて、簡単ではないような料理も好きだったりする。
「・・・・おいしい・・・・ダシ味もしっかりしていて、すごく美味しい」
何度食べても彼の作る料理は美味しい。
「味、濃くないですか?」
「全然濃くないよ。ちょうどいい。私好みの味だよ」
濃いわけでもなく、薄いわけでもない。バランスの取れた丁度いい具合の味だった。きっと何かが欠けるとこういう味は出すことが出来ないと思う。これはあつしくんの味。あつしくんだからこそ出せる味だと私は思った。
「瞬さん、頬にねぎが付いていますよ」
「え?どこ?ここかな・・・それとも・・・」
「ここ、ですよ瞬さん・・・・・・・・・ご馳走様です」
食べている際に付いたのかも知れないと思い、どこにねぎが付いているのか分からないので、適当に払っていれば取れるだろうと思い、払おうとしたら、あつしくんが払おうとした手を掴み、私の頬に付いたねぎを嘗めるように食べた。
その時は何をされたのか理解できなかったけれど、何をされたのか理解しようとしたら顔が赤くなった。
「何をそんなに赤くなっているのですか?俺はただ、瞬さんの頬に付いたねぎを取っただけですよ。口でですけど」
よくそんな恥ずかしい行動が平気で出来るのかと言いたかったけれど、どこか満足気な様子でいるあつしくんといると、そんなこと、どうでもよくなってしまった。こういう事をするのは、私を好きでいてくれるあつしくんにしか出来ないから。恥ずかしいけれど、嬉しいと思った。
「・・・・・ねぇ、あつしくん、あの部屋、あつしくんの好きにしていいよ」
あの部屋というのは仕事部屋のこと。
二年間閉めたきりにしていたので、掃除をしなければ埃だらけの部屋だけど、古い型になるけれど、かつて私が使っていたパソコンが置いてある。
インターネットの回線が届いていないような田舎かと思うかもしれないけれど、実はインターネットの回線は通っているし、契約を解除した覚えがないので、使おうと思えば使えると思う。
あつしくんがノートパソコンとか持ってきていれば問題はないと思うけど、私が使っていたパソコンをもし使うのであれば、問題があった。
ずっと触っていなかったので、ちゃんと動いてくれるのかという問題だった。
もしあつしくんがパソコンを使うのなら、ちゃんと触る前に一度起動して動くかどうか確かめなければならないと思う。
「掃除、しないと駄目ですね。俺、張り切って掃除しますね!」
「うん、そうだね。掃除する時は私も手伝うよ。あの時のままだから、捨てないと駄目なものもいっぱいあるし・・・・」
掃除しなければならないのは埃だけではない。捨てようと思っていたメモ書きといったゴミもたくさん床の上に散らばっている。それにゴミだけではなく、捨てようと思っていたものも幾つか捨てることなくそのままとなっている。
「伸びてしまいますよ、うどん。瞬さんが食べないのなら、俺が食べちゃいますよ」
「だーめ。これは私のだから、あつしくんにはあげないよ。食べたければ、自分のを食べてね」
とっくに食べ終えているはずなのに、まだ食べたりないのだろうか。
「ちぇ、せっかく食べさせてくれるかなって思って言ったのに・・・・・」
食べたりないのではなく、私が食べているものを食べさせてくれるのだろうと期待していたのだろう、この落ち込み方は。
食べさせてあげるつもりはない。彼が作った料理は最後の最後まで美味しく食べたい。だから私に食べさせて欲しいのであれば、自分の分を持ってきて欲しい。そうしてくれれば多分、食べさせてあげるかもしれない。
「ご馳走様でした。とっても美味しかったよ。また作ってくれる?」
「はい!瞬さんがお望みであればいつでも作らせて頂きます!」
「ふふ・・・ありがとうあつしくん」
まだ食べられるけれど、時間を考えると今ぐらいが丁度良いかも知れない。
「あっ、そうだ瞬さん、確かあの部屋に、パソコンありましたよね?」
食べ終わった食器を片付けて、テーブルを拭いている時に何かを思い出したように言ってきた。
パソコンの事を言ってくるということは、パソコンを持っていないのかもしれない。
漫画家は小説家と違って、あまりパソコンを使わない。
使うとしても表紙といったイラストを手描きで表せない事をしたいと思うときに使ったりするぐらいだと聞いたことがある。
「あれ、使ってもいいですか?」
「いいけど、動くか分からないよ。ずっと使ってなかったから・・・・」
使ってもいいけれど、本当に動くのかは分からない。
「それでもいいです。一度動くか確かめてから考えます。もし動かないようでしたら俺が分かる範囲で、どうにかしますし、出来ない範囲でしたら、姉貴に電話をして俺のノートパソコンを持ってきてもらいます」
動くか分からないものを使うより、敦美さんに頼んであつしくんのノートパソコンを持って来てもらうほうがいいと私は思ったけれど、あつしくんのことだから、私のパソコンにデーターとして入っている小説を読みたいのかも知れない。
既に世に出回っている小説のデーターも入っているけど、もしパソコンに入っているデーターが消えてもバックアップを取っているので大丈夫ではあるけれど、一応見せるつもりで書き上げたけれど見せていないもの、書きかけていたものはバックアップを取っていない。だからそういうのを読みたいのかも知れない。
「瞬さん、これ、清書したら姉貴に見せていいですか?きっと姉貴も見たいと思うんです」
「・・・・・・・・・」
喜ぶかも知れないけれど、見せてもいいのだろうか。
もう敦美さんは私の担当ではない。今は副編集長となって編集長の下に立って人を指示する側の人となって、いつまでもこんな私に付き合ってもらえるような身分ではない。
「大丈夫ですよ姉貴なら。瞬さんに小説を書いてもらえるなら、たとえ編集長になったとしても、瞬さんの担当をするかもしれませんよ」
そういうだろうと思った。私にもう一度小説を書いて欲しいと願っているのは敦美さんやあつしくんだけではない。
私の目が見えなくなったと分かった時、私の小説を出版してくれている他の出版社の方がお見舞いに来てくれたとき、私にこう言っていた。
『もし叶うならもう一度先生の小説をこの目で見ることが出来るのであれば、何処でもかけつけます』
出版社の人にとって私の事は大きなショックだったのかも知れない。
この時は叶うはずがない願いをいつか書いてもらえると信じて願っていた。
もしあつしくんと出会わなければ、私はこうして小説を書きたいとおも分かっただろう。もう絶対に小説を書くことが出来ないと思っていたから。
感謝をするのはあつしくんだけではない。捨てたはずの仕事部屋の鍵を拾ってくれた敦美さんにも感謝をしなければならない。敦美さんが鍵を拾ってくれなければあつしくんと会うことが出来なかっただろうし、もう一度小説を書くことができる道があるのだということも知ることが出来なかった。
「好きだよあつしくん。大好き・・・・・」
好き。言葉では言い表せないほどあつしくんのことが好き。大好き。
「・・・・俺を瞬さんのこと好きです。すっごく好きです・・・・・」
口づけを交わした。何度も何度も交わしたけれど、その日はキス以上のことはしなかった。
嘘、偽りもなく、包み隠さず全てを話した。
自分の過去を話すのはとても辛かった。
すごく辛かったけれど、自分の過去から逃げない為に、向き合うことが出来るために私の事を全てあつしくん知っていてもらいたかった。
「し・・・・知らなかったです・・・・・瞬さんに、そんな過去が・・・・彼女が・・・瞬さんに・・・彼女がいたなんて・・・・・」
事実を知ったとたんあつしくんはガクっっと床に崩れ手を付き、どうしてだかかなりシヨックを受けている様子だった。
私に彼女がいたのは事実であるけれど、付き合っていたのは三年間だけ。
小説家になる前から付き合っていたけれど、私が小説家になっても関係は続いていたが、いつまでも私の名が大きく売れないとか、私の書く小説が面白くないと散々文句を言い、こんな私とは付き合ってられないとか言って一方的な理由で私は振られた。
私は彼女の事が好きだった。好きだったから、その分ショックも大きかったけれど、このことが原因で私が小野筍爛というもう一つの名で小説を書くとは思わなかった。
「あんた、何をショック受けとんや?そんなに先生に彼女がいたことにそんなショックやったんか?」
「姉貴は、その・・・・瞬さんの彼女に、会ったことあるのか?」
「ああ、あるよ。すっごい美人やったけど、先生には向いてないと思うたわ」
美人だったのは確かだった。
こんな私と付き合っていていいのだろうかと思ったことも会ったけど、今のなればそれはもう過去の事で、どうでもいいと思っているけれど、小野筍爛としての私を生む機会を与えてくれた事は感謝をしている。
が、今は私に彼女がいたかという問題ではなく、せっかく、辛い過去と向き合って、話した他と言うのに、聞いて欲しいと思ったことにもっと耳を傾けて欲しかった。
「聞いていますよ瞬さん。すごく、辛かったんですよね・・・・すいません俺・・・どうしても、辛そうに話してくれる瞬さんの見ているのが辛くて・・・・・」
「・・・・・・ありがとう・・・あつしくん・・・・・」
彼の顔に手をやると、ポタっと何か冷たいものが落ちてきた。
涙だ。
泣いている。彼は泣いていた。
以前付き合っていた彼女の話を持ち出したのは、少しでも私の気が紛れるのではないかという彼が私に対する思いやりからだというのが、よく分かった。すごく分かった。
「敦美さん、言っていましたよね。もう一度私は小説を書くことが出来ると・・・できれば教えてもらえませんか?」
もう、逃げないために私はここにきた。向き合えるものに向き合いたかった。
でも、聞くのが怖いという気持ちはすごくあるけれど、もう一度小説を書きたいという気持ちもあった。
「大丈夫・・・・大丈夫です瞬さん・・・・・何があっても俺はずっと瞬さんの側にいます・・・だから大丈夫です」
まだ怖いけれど、彼の声を聞くとどうしてだか、すごく安心する事が出来る。
「あ・・・・ありがとうあつしくん」
もう大丈夫。私の隣には彼がいる。彼がいてくれる。
「・・・・うち、調べたんや。先生の目が見えなくなったあの後からずっと・・・・編集長に何を言われようが、うちは諦めんかった。どうすれば先生がもう一度小説を書くことができんのかって・・・・・・」
入院中のことだ。編集長がわざわざ遠くから入院している私に会いに来た事があった。
お見舞いはただの口実だった。編集長が私のもとに来た本当の理由は小説家としての人生を諦めてほしいという事を言いに来たのだった。
その日から私は全て失った。もう、何かをするという気も失せてしまい、暴れる気も、死のうという気もなくなった。
「見つけたんや。ようやくうちは見つけた。二年という時間は掛かったけど、もう一度先生に小説を書いてもらえる方法を・・・せやけど、うちがその方法を言ったところで、最終的にきめんのは先生や。今のうちでは方法を言うだけで精一杯や」
「教えてもらえるだけでも十分です。私は、どうすればいいのですか?」
どういった方法で小説を書けるのかは分からないけど、聞いてみる価値はあると思う。
「ゆう前に、先生にこれだけ聞いてもええですか?」
「何ですか?私に答えられることでしたら、聞いていただいても構いませんよ?」
「先生は今でも、パソコンを触りたいと思っとりますか?」
目が見えていた頃はずっとパソコンを使って小説を書いていたので、今でも字を打つだけなら打てるとは思うけれど、それ以外は出来ない。
触りたいと思う以前にパソコンで字を打っていても誤字といった間違いが生じても今の自分にはその間違いが分からないし、それ以外のことでパソコンを触るとしても、目で見ないと分からない事が多すぎて、今の私では触りたいと思っても触る事など出来るはずがない。
「もし、うちが触れると言ったらどうしますか?」
「姉貴、それってまさか・・・・・・・」
「なんやあつし、あんた知ってるんか?」
敦美さんだけではなく、あつしくんも何だか知っている様子だ。
「知ってるというか、前に姉貴が家に帰って来たとき、俺の机の上にパンフレットみないなの忘れていかなかったか?」
「あちゃー・・・うっかり忘れてたわ!おかんに置いててといったままにしとったままやったわ」
相変わらずだった。
何でも完璧そうに見える敦美さんだけど、実は物忘れが酷かったりする。
過去に私も何度か酷い目に合わされたことがある。
原稿を取りに来たはずなのに、持って帰るのを忘れたり、小説を書くのに必要な資料が欲しくて持ってきてもらおうと頼んだら手ぶらでやって来る。挙句の果て何をしに来たのか忘れていることもある。
中でも一番困ったのは、日程の伝え忘れ。
原稿の締め切り日を言い伝え忘れたり、予定していた打ち合わせをすっぽかされた時だった。
「姉貴って不思議だと思いませんか瞬さん。どうしてこんな姉貴が副編集長になることが出来たのか・・・・・」
ボソッと彼が呟いた言葉に私は耳を疑った。
「あ・・・・敦美さんが・・・・副・・・・編集長・・・・・?」
幸いあつしくんの言ったことは敦美さんには聞こえていないみたいだけど、私としては敦美さんをよく知る人物としてこの事は非常に驚きだった。驚きを隠せなかった。
確かに敦美さんは編集能力もすごいと思うし、人の上にたって指示をして引っ張っていくことが出来る人で、いつか副編集長や編集長にでもなれるのではないかと思ってはいたけれど、ただ、あの物忘れの酷さではどうにか直さない限り無理だと思っていた。それなのに、いまだ物忘れの酷さは健在だというのに、副編集長になったと知ったとき、よけいに驚いてしまった。
「あれ?どないしたんですか先生。何や知りませんけど、何かあったんですか?」
「い・・・いや・・・・何もないよ敦美さん・・・・そ・・・それより、パソコンがどうとか・・・・・」
悟られては駄目だと思い、この話は敦美さんが帰った後、ゆっくりあつしくんから聞くことにし、どうにか誤魔化しつつ脱線しかけていた話を戻した。
「なんて言ったらええんやろ・・・・簡単にゆうと、今の先生でも扱えるパソコンがあるということや」
「今の、私に扱えるパソコン?」
どういうことなのかよく分からなかった。
目の見えなくなった私でも扱う事が出来るパソコンがあるなど私は知らない。
だからそんなものがあるなど信じられなかった。信じられるはずがなかった。
「何て顔をしているのですか?信じてもらえないかと思いますが、姉貴の言っていることは本当です。俺もその・・・パソコンの資料を見ただけなので、よくは知りませんが、あるのは確かです」
信じられなかった。まさか、本当にそんなものがあったなど信じられなかった。
もっとそのパソコンの事を知りたい。本当にあるのだと言う事を知ったら、急にそのパソコンの事を知りたくなったけれど、本当に扱えるのだろうかという心配もあった。
少し考えたい。考えてからどうしたいのかという事を決めようと思った。
「・・・・先生、今日の所はうち帰らせていただきます。もし、パソコンの事を知りたいとおもおたら、そこにいる愚弟にでもゆってください。それまでに先生が分かる資料を作ってまっとります」
付き合いが長いためなのか、敦美さんは今の私にどうしたらいいのかという事を雰囲気で悟ってくれる。
いまだ副編集長になったことに信じられないけれど、分かって欲しいと思うときに思ってしてくれるという行動はそれなりの経験を積まないとできない事。物忘れが酷いという事を除けばやっぱり副編集長に昇格できたことに納得がいく。
「あつし、車まで送ってくれるか?まだうちはあんたにぎょうさんいわなあかんことあるし、ほら、いくで!」
半強制的に連れて行っているように思えるけれど、連れて帰るという気はなさそうだ。
「しゅ・・・・瞬さん・・・・・」
助けを求められているのであろうけど、助けてしまったら敦美さんが何のためにここに来たのかという意味がなくなってしまうので、助けるつもりはない。
「敦美さんはあつしくんに会いにここに来たのだから、送らないと駄目でしょ?それに姉弟なんだから、私に遠慮する事ないよ。さぁ、送ってあげて。ね?あつしくん」
「うー・・・・・わ、分かりました・・・・瞬さんがそう言うなら・・・・・」
「では先生、うちはこれでおいとまさせていただきます。あと迷惑かと思いますが、もうしばらく愚弟の事お願いします。いつか連れて帰りますんで」
「迷惑だなんて、一度も思ったことないですよ敦美さん。むしろ、私のほうがあつしくんに迷惑を掛けている状態なので・・・・」
ずっと私の側にいて欲しいと思うのは我ままなのだろうか。いつまでもあつしくんがここにいたいと思う限りここに住んで欲しい。それが私の願いだけど、口に出して言う事ができない。言ってしまえばあつしくんに今以上迷惑をかけることになる。そういうのがすごく嫌だから言えない。
「俺はいつまでもここにいます。たとえ姉貴に無理矢理、家に連れて帰られようが、すぐに瞬さんの元に戻ってきます」
不思議と思うぐらい、どうして私の思うこと、考えている、分かってほしいと思う事がこの姉弟に筒抜けとなってしまうのだろう。
「・・・・・見送りはもうええわ。言いたいこといっぱいあったけど、待ってられへんわ。見てるこっちが恥ずかしくなる。言いたいことはまた今度ゆうけど、これだけはゆっておくで!絶対に締め切り遅れるんやないで。原稿できたら、郵送でもかまわんから、アシスタントに送るか、自分で仕上て担当に送るかし!あと、先生に迷惑かけんやないで。迷惑かけるような事あったら、即連れて帰るからな!分かったか?」
「ああ、分かったよ。言いつけは絶対に守る。だから俺は絶対瞬さんの側にいる!」
見抜かれている。完全私の気持ちを二人に見抜かれている気がする。
「では先生、長々とすんませんでした。うちは帰ります。何かあつしが迷惑をかけるようなことがあったら遠慮なく言ってください。そして、ここに居らしていただいている間幾らでもこき使ってやってください。では失礼します」
そう言って早々と敦美さんは車を走らせ帰って行った。
嵐みたいな一日だった。
今日一日で自分の情けない姿や恥ずかしい姿をあつしくんに見せる事になってしまい、今も情けないのか恥ずかしいのか分からない状態だった。
「・・・・・・・・しゅん・・・・・・さん・・・・・」
「ん?何、あつしくん」
埃まみれになっている部屋を出て、居間に腰を落ち着かせ、あつしくんの淹れたお茶を飲んでいた。
「すいません・・・・・本当に、すいません・・・・・」
彼が私に謝っているのは敦美さんのことなのだろうか、それともあの部屋の鍵のことなのだろうか。
「どうして、謝るの?別にあつしくんは何も悪い事など、していないよ?」
たとえどっちのことであろうと、責めるつもりはない。彼は私の事を思って取った行動だという事を分かる事ができたから。
「でも俺・・・・・・・」
「もういいよ。どうしてあつしくんはそうやって自分を責めようとするの?あつしくんは正しい行動をしたと私は思うよ」
顔を見ることは出来ないけれど、彼の顔をジッと見つめた。
私の事で自分を責めて欲しくない。明るい子どもみたいないつものあつしくんでいて欲しい。
「すごく怖かった。敦美さんに会ったときも、あつしくんがあの部屋の鍵を持っていたこと、そしてあの部屋に行くことがすごく怖かった。でも、あつしくんが私の側にいてくれたから怖いという気持ちを押し切って逃げ出す事せずに向き合おうと思えた。だから、あつしくんが悪いわけじゃない。だから自分を責めないで」
あつしくんがいれば乗り切れる。逃げたいと思った過去と向き合い、その過去を盾に乗り越えられると思った。だから、敦美さんと会うことも出来たし、あの部屋に行く事も出来た、全てはあつしくんがいてくれたおかげ。
伝えたい。今思っている気持ちをあつしくんに伝えなければならない。
「好きだよ・・・・あつしくんが好き」
あの時あつしくんの気持ちを受け取ることが出来なかったけど、今なら受け取ることが出来る。
「ずっと・・・・私の側にいて・・・・あつしくん・・・・・ん・・・」
「ん・・・・・います・・・・ずっと、瞬さんの側に・・・います・・・・・何があっても、瞬さんの側を離れません・・・・・・」
これが私の気持ちだった。
彼が私の側にいてくれるなら、何でもできそうな気がする。やっていける気がする。
ずっといて欲しい。いつまでもいつまでも私の側に彼がいて欲しい。
離れたくない、離したくない。
「ん・・・・・んん・・・・・・・」
軽いキスのつもりだったのに、離れたくないという一心からか、深く、激しい口づけへと変わっていった。
何度も気持ちを確かめるため繰り返した。
「ん・・・・・ん・・・・ふっ・・・・・・」
「好きです瞬さん・・・・・・ん・・・・・・・」
恋愛に男同士など関係ない。愛があれば何でも乗りきることが出来る。
それを教えてくれたのはあつしくんだった。
私はあつしくんの為に何かをしたい。だから、読者のためではなく、彼の為に小説を書きたいと思った。書きたい。彼の為に、彼と一緒に小説を書きたい。
そう思っていたら、ずっと忘れていた感覚が甦ってきた感じがする。
ペンを持ちたい。ペンを持って、何かを書きたい。
「・・・・どうぞ、ここに書いてください。読めなくてもいいです。書きたいという気持ちが今の瞬さんに大切な事です」
素早い行動。私がこうしたいと思う事を分かっていたのか、彼はこれを待っていましたというばかりに紙とペンを一緒にして私に渡してくれた。
やはり不思議な事に私たちにはきっと見えない何かが通じている。
何が通じているのかまではわからないけど、目が見えない私が彼の顔が手に取るように見えるように、彼には私の心が通じている。絆かもしれないし、愛かもしれないがそれを知るのは私たちではなく、きっと神様なのだろう。
私達が出会ったのもきっと神様の導きなのかも知れない。
「あつしくん、あつしくんの判断でいい。もし私が無理だと思ったら、止めて欲しい」
「瞬さんなら大丈夫だと思いますが、わかりました」
ペンをギュッと握り締め、紙に自分の思う事を、思い浮かんだ事を書いた。
読める字が書けているのか判らないけれど、たとえ読めなくても思う事を書きたい。
思えば思うほど頭の中に文字が浮かんでくる。
ペンが次々と進む。
二年ぶりの感覚。ずっと忘れていた感覚だ。すごく懐かしい、この感覚。
「瞬さん、紙を換えるのでちょっとだけ手を止めてくれますか?」
手を止まった瞬間を見て、紙を交換する。
「もういいですよ、やっぱり瞬さんすごいです。俺とは全然違います」
紙が変わったとたんまたペンを走らせた。
幾ら書いても終わらない。終わりが見えない。
どれ位書いたのだろう。本当に書けているのだろうかと思ったけれど、書くことに集中していた。
「すっげーおもしれー・・・・」
興奮して言葉遣いが変わっている。本人は気がついていないみたいだ。
あつしくんが読んでいるという事は、ある程度読むことが出来る字がかけているのかもしれない。
まだまだ書くことが出来る。思いついた事を書いているだけなので、プロットとは言えないけれど、それに近い状態になっているのかも知れない。
「・・・・・・・できた・・・・・」
「え?もう、できたのですか?書き始めてからまだ二時間ほどしか時間、経っていないですよ?」
何時に書き始めて何時に書き終わったのかは判らないけど、敦美さんが来たのが三時ぐらいだったのでとっくに夜になっていると思う。
「ど・・・・どうかな?」
反応を知りたかった。
思い浮かんだのが、ハッピーエンドで終わる恋愛話。
ずっと悲劇恋愛を書いていたので、喜劇で終わる恋愛は初めての挑戦だった。
「こんなの初めてです。悲しいと思えば、楽しくなって、嬉しくなる。何だか愛されているのだなって思う、そういった話で、すっごく面白いです。字もちゃんと読めるので問題はありません。これ、俺、清書していいですか?」
「そうしてくれるとありがたいけど・・・・その前に、あつしくん」
「何ですか?」
「お腹・・・・空いちゃった」
気を抜いた瞬間、お腹がグーっと鳴ってしまった。
「あ・・・え?ああ!す・・・・すいません瞬さん、俺、全然気がつかなくて、今すぐ夕食の準備しますのでちょっとだけ待っていてください!」
時間を見て驚いたのか、慌ててキッチンに走っていった。
本当に今何時なのだろう。敦美さんが来てからドタバタとしていて、時計など見る余裕もなかったと思いながら、音声で時刻を知らせてくれる置き時計で時間を聞くと、既に九時を回っていた。
どうりでお腹が空くと思った。でも、集中してしまうとお腹が減っている事にも気がつかないので、誰が悪いなどとは言えない。常に多忙な仕事をする者にとって、こういうことは当たり前となってしまう。
また、小説を書く事になれば、こういうことが当たり前の生活となってしまうのだろうかと思ったけれど、あつしくんは多分こういうことが当たり前になる生活は好きではないのかも知れない。どうしてなのかは分からないけどそう思う。
ただ、締め切りに追われるとそうなってしまうかも知れないけれど、それ以外は大丈夫だと思う。私もそうならないように努力しよう。そして、あつしくんもそうならないように私と一緒に努力してもらえると嬉しい。
規則正しい食事、生活は何よりも自分や相手の心身に一番いいのではないか彼と出会ってそう思えたから、なるべくそうしたい。
「お待たせしました。時間が時間だったので、消化に良い物がいいだろうと思い、うどんにしたのですが、簡単なものですいません・・・・」
ダシのいい香りがする。カツオに昆布、その他にもいりこか煮干といった何か入っていそうな匂いがする。すごく美味しそうな匂い。一からダシを取っているのがよく分かる。
手の込んだ料理も好きだけど、こういった簡単そうに見えて、簡単ではないような料理も好きだったりする。
「・・・・おいしい・・・・ダシ味もしっかりしていて、すごく美味しい」
何度食べても彼の作る料理は美味しい。
「味、濃くないですか?」
「全然濃くないよ。ちょうどいい。私好みの味だよ」
濃いわけでもなく、薄いわけでもない。バランスの取れた丁度いい具合の味だった。きっと何かが欠けるとこういう味は出すことが出来ないと思う。これはあつしくんの味。あつしくんだからこそ出せる味だと私は思った。
「瞬さん、頬にねぎが付いていますよ」
「え?どこ?ここかな・・・それとも・・・」
「ここ、ですよ瞬さん・・・・・・・・・ご馳走様です」
食べている際に付いたのかも知れないと思い、どこにねぎが付いているのか分からないので、適当に払っていれば取れるだろうと思い、払おうとしたら、あつしくんが払おうとした手を掴み、私の頬に付いたねぎを嘗めるように食べた。
その時は何をされたのか理解できなかったけれど、何をされたのか理解しようとしたら顔が赤くなった。
「何をそんなに赤くなっているのですか?俺はただ、瞬さんの頬に付いたねぎを取っただけですよ。口でですけど」
よくそんな恥ずかしい行動が平気で出来るのかと言いたかったけれど、どこか満足気な様子でいるあつしくんといると、そんなこと、どうでもよくなってしまった。こういう事をするのは、私を好きでいてくれるあつしくんにしか出来ないから。恥ずかしいけれど、嬉しいと思った。
「・・・・・ねぇ、あつしくん、あの部屋、あつしくんの好きにしていいよ」
あの部屋というのは仕事部屋のこと。
二年間閉めたきりにしていたので、掃除をしなければ埃だらけの部屋だけど、古い型になるけれど、かつて私が使っていたパソコンが置いてある。
インターネットの回線が届いていないような田舎かと思うかもしれないけれど、実はインターネットの回線は通っているし、契約を解除した覚えがないので、使おうと思えば使えると思う。
あつしくんがノートパソコンとか持ってきていれば問題はないと思うけど、私が使っていたパソコンをもし使うのであれば、問題があった。
ずっと触っていなかったので、ちゃんと動いてくれるのかという問題だった。
もしあつしくんがパソコンを使うのなら、ちゃんと触る前に一度起動して動くかどうか確かめなければならないと思う。
「掃除、しないと駄目ですね。俺、張り切って掃除しますね!」
「うん、そうだね。掃除する時は私も手伝うよ。あの時のままだから、捨てないと駄目なものもいっぱいあるし・・・・」
掃除しなければならないのは埃だけではない。捨てようと思っていたメモ書きといったゴミもたくさん床の上に散らばっている。それにゴミだけではなく、捨てようと思っていたものも幾つか捨てることなくそのままとなっている。
「伸びてしまいますよ、うどん。瞬さんが食べないのなら、俺が食べちゃいますよ」
「だーめ。これは私のだから、あつしくんにはあげないよ。食べたければ、自分のを食べてね」
とっくに食べ終えているはずなのに、まだ食べたりないのだろうか。
「ちぇ、せっかく食べさせてくれるかなって思って言ったのに・・・・・」
食べたりないのではなく、私が食べているものを食べさせてくれるのだろうと期待していたのだろう、この落ち込み方は。
食べさせてあげるつもりはない。彼が作った料理は最後の最後まで美味しく食べたい。だから私に食べさせて欲しいのであれば、自分の分を持ってきて欲しい。そうしてくれれば多分、食べさせてあげるかもしれない。
「ご馳走様でした。とっても美味しかったよ。また作ってくれる?」
「はい!瞬さんがお望みであればいつでも作らせて頂きます!」
「ふふ・・・ありがとうあつしくん」
まだ食べられるけれど、時間を考えると今ぐらいが丁度良いかも知れない。
「あっ、そうだ瞬さん、確かあの部屋に、パソコンありましたよね?」
食べ終わった食器を片付けて、テーブルを拭いている時に何かを思い出したように言ってきた。
パソコンの事を言ってくるということは、パソコンを持っていないのかもしれない。
漫画家は小説家と違って、あまりパソコンを使わない。
使うとしても表紙といったイラストを手描きで表せない事をしたいと思うときに使ったりするぐらいだと聞いたことがある。
「あれ、使ってもいいですか?」
「いいけど、動くか分からないよ。ずっと使ってなかったから・・・・」
使ってもいいけれど、本当に動くのかは分からない。
「それでもいいです。一度動くか確かめてから考えます。もし動かないようでしたら俺が分かる範囲で、どうにかしますし、出来ない範囲でしたら、姉貴に電話をして俺のノートパソコンを持ってきてもらいます」
動くか分からないものを使うより、敦美さんに頼んであつしくんのノートパソコンを持って来てもらうほうがいいと私は思ったけれど、あつしくんのことだから、私のパソコンにデーターとして入っている小説を読みたいのかも知れない。
既に世に出回っている小説のデーターも入っているけど、もしパソコンに入っているデーターが消えてもバックアップを取っているので大丈夫ではあるけれど、一応見せるつもりで書き上げたけれど見せていないもの、書きかけていたものはバックアップを取っていない。だからそういうのを読みたいのかも知れない。
「瞬さん、これ、清書したら姉貴に見せていいですか?きっと姉貴も見たいと思うんです」
「・・・・・・・・・」
喜ぶかも知れないけれど、見せてもいいのだろうか。
もう敦美さんは私の担当ではない。今は副編集長となって編集長の下に立って人を指示する側の人となって、いつまでもこんな私に付き合ってもらえるような身分ではない。
「大丈夫ですよ姉貴なら。瞬さんに小説を書いてもらえるなら、たとえ編集長になったとしても、瞬さんの担当をするかもしれませんよ」
そういうだろうと思った。私にもう一度小説を書いて欲しいと願っているのは敦美さんやあつしくんだけではない。
私の目が見えなくなったと分かった時、私の小説を出版してくれている他の出版社の方がお見舞いに来てくれたとき、私にこう言っていた。
『もし叶うならもう一度先生の小説をこの目で見ることが出来るのであれば、何処でもかけつけます』
出版社の人にとって私の事は大きなショックだったのかも知れない。
この時は叶うはずがない願いをいつか書いてもらえると信じて願っていた。
もしあつしくんと出会わなければ、私はこうして小説を書きたいとおも分かっただろう。もう絶対に小説を書くことが出来ないと思っていたから。
感謝をするのはあつしくんだけではない。捨てたはずの仕事部屋の鍵を拾ってくれた敦美さんにも感謝をしなければならない。敦美さんが鍵を拾ってくれなければあつしくんと会うことが出来なかっただろうし、もう一度小説を書くことができる道があるのだということも知ることが出来なかった。
「好きだよあつしくん。大好き・・・・・」
好き。言葉では言い表せないほどあつしくんのことが好き。大好き。
「・・・・俺を瞬さんのこと好きです。すっごく好きです・・・・・」
口づけを交わした。何度も何度も交わしたけれど、その日はキス以上のことはしなかった。
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