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鼠の反逆
しおりを挟むどんなにつらくても朝は来る。
目に染みるような朝日を浴びて、私は出社した。
どうせ寝ないのなら、仕事をしていた方がましかもしれない。
あんなに嫌だった残業も今は眠らない良い作業になると感じた。
なんとも皮肉で端から見たら滑稽なのだろうと思う。
だから今日も今日とて残って仕事をしていた。
珍しく隣のデスクの同期の田嶋さんも残って仕事をしていた。
どうやら手落ちがあったらしくやり直しを命じられたようだ。
私と彼女しかいないフロアで、あからさまに不機嫌を呈している。
こういう時は話しかけない方が良い。
下手に話しかければ仕事を押し付けられかねない。
同期とはいえ、彼女のことはあまり好きじゃない。
できるだけ仕事以外で関わらないようにしてきた。
「ねぇ、そっちは終わりそう?」
沈黙を破ったのは田嶋さんだった。
「まだ、かかりそうかな」
目を合わすのが嫌で、モニターに目を向けたまま返事をする。
「そっち締め切りいつだっけぇ?」
「明後日の朝までだよ。でも誤字脱字のチェックしないとだから今日までにある程度形にしておきたくて」
だから、悪いけどそちらの仕事は手伝えないという意味で言ったつもりだった。
けれど
「なんだぁ、だったらこっち手伝ってくれない?代わりに明日それ手伝うからさ!」
嘘だ。
今までそれで手伝ってもらったことなど一度もない。「ごめん、別の仕事があってぇ」と断られてきた。
完全に彼女の手は止まった。
私に押し付けて自分は帰るつもりなのだろう。
寝たくないから残業はしていたいが、彼女に良いように使われるのは嫌だな…
寝不足で回らない頭を必死に動かして断りの言葉を探す。
彼女はもう私に押し付けるつもり満々で、帰る準備まではじめた。
何か言わなければ。
待って、と口にしようとした瞬間。
「お前がやれよ」
私と田嶋さんしかいなかったフロアに別の声がした。
びくりとして声のした方を見る。
「国塚くん…!」
すでに人のいないデスクに腰かけて、呆れたようにこちらを見る彼がいた。
「それ、お前の仕事だろ?なんでこいつにやらせんだよ」
彼も残業で残っていたのだろうか。彼はこちらへ歩きながら言ってくる。
いつも優しいのに、今はあからさまに不機嫌になっている。
眉間に皺が寄って、声も低い。
不機嫌の矛先は田嶋さんへ向いている。
「なによ、部署の違うあんたに関係ないでしょ。こっちは外せない約束があって…!」
「どうせ合コンかなんかだろ。お前の話こっちの部署まで聞こえてくんぞ」
それを国塚くんに言われて、田嶋さんはうっと言葉に詰まった。
「好き勝手するのは良いけどよ、
いい加減こいつ巻き込むのやめろ」
地を這うような低い声。
こんな彼の声初めて聞いた。
「巻き込むって…あたしはただ仕事頼んだだけだし!」
心外だと言わんばかりに、田嶋さんは立ち上がって国塚くんに食って掛かる。
「なんでこいつばっかに頼むんだよ。他に頼める人いねーのかよ」
この場に彼女を守る人は誰もいない。
いつも彼女はまわりの男の人に頼んで、その男の人たちが私に声を掛けるのだ。
どうせ、彼氏も居ないし独り暮らしなんだから暇だろ、と。
その横で田嶋さんはにやにや笑っていたっけ。
若さと美貌は最大の武器。
そう彼女は言っていた。
己の持ち得るものを使うのは賢いことだといつも思っていた。
けれど違う。
私、なんで今までこんな子の言うことを聞いていたのだろう。
「やってくれるから頼んだだけよ!何が悪いの」
断れない空気を作っておいて。私に「嫌だ」と言わせないようにしておいて。
まるで私がすすんで仕事を彼女から引き受けてきたみたいに言うのはやめて。
ふつふつと怒りが沸き上がってくる。
彼女は何を言っているのだろう。
「だから、これも頼んでいいよね?」
急な猫なで声で私に言ってくる。
一瞬彼女が本当にメス猫に見えた。
「嫌」
気付けば声に出ていた。
「は?」
「田嶋さんには悪いけど、私もまだ仕事があるから」
ポカンとした後、彼女はばっちりメイクされた目を吊り上げる。
自分の鞄を引っ付かんでデスクを蹴った。
「やれって頼んでんの!いつもみたいにやってくれればいいじゃん!」
今まで良いように返事をしてきた私が逆らうようになったせいか、彼女は見たことのない怒り狂った表情をしている。
彼女は勢いよく私の腕を掴んできた。彼女の綺麗なネイルが施された爪が私の腕を引っ掻いた。
それはまるで本当の猫のようだと痛む腕を見ながらぼんやりと思う。
「お前やめろ!」
国塚くんがあわてて田嶋さんをとめる。
「お前もう帰れ!合コンでもナンパでも好きなことしてろ!」
怒鳴って彼は私から田嶋さんを引き離すと、彼女の背中をドンっと押した。
つんのめるようにしながら田嶋さんは「なんであたしばっかり!死ね!」と怒声を上げる。
書類もパソコンもそのままに、激しい音を立ててフロアのドアを閉めて出ていってしまった。
ほんの数十秒の出来事なのに、心臓を持っていかれたような感覚になる。
ドクドクと心臓が鳴っている。
思わず胸を抑えた。
「死ね」
彼女が言った言葉を思い出す。
その言葉で本当に人が死なないから、あんなに簡単に死ねなんて言えてしまうのだな。
今の私には彼女の言葉が抉るように心に刺さった。
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