限りなく狂愛に近い恋 ヤンデレ短編

しみずりつ

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藍に蝕まれよ、その虫 貴族ヤンデレ×天涯孤独なあの子 続編

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静まり返った夜の森を彷徨っている。
辺りにあるのは月明かりも乏しく感じさせるほど欝蒼と繁った木々と暗闇。
怖くて怖くてたまらない。
でも、あんな場所よりずっと良いと思えた。

今思い返してもぞっとする。

初めて会った男に突然捕まり、馬車に乗せられたあげく言われた言葉。

「僕を抱いて」と。

身売りでも何でもない、酒場の給仕の私にあの男はそう言った。
仕立ての良い軍服を着て、平民が持つことを許されない武器を携えて、見たこともない立派な馬車に当たり前のように乗って。

それだけで私と住んでいる世界が違うことは明白だった。
炎天下で働くことなど知らないような白い肌。
宝石でも埋め込んでいるのだろうかと錯覚するほど冴えた碧色をした眼。
作り物ように美しいあの男は貴族か軍人だと思う。

「一夜と言わず、死が二人を別つまで傍にいたい」と男は言っていた。
そんなのは女の気を引き、その気にさせる戯れ言だ。
どうせ、物のように手酷く扱われて捨てられるか、最悪口封じに殺されるかもしれない。
何より私は母と身売りはするなと約束をした。
男の思うままになるなんて絶対に嫌だった。
だから、馬車から降りる男の一瞬の隙をついて私は脱兎の如くこの森へ逃げこんだ。
「待って!」と後ろで叫ぶ男の声なんて無視して。





「母さん…」

亡き母に助けを求める私の声は、苔と土の匂いのする暗闇にただ空しく消えていく。
疲労と寒さと空腹、孤独と恐怖はあったが、足は絶対に止めなかった。
あれからどのくらい歩いたかも覚えていないが、もうさすがに逃げおおせたと思う。
一夜の相手が居なくなったくらいで、夜の森にわざわざ危険をおかして入る金持ちなどいない。
どうせ私は森で死んだと思っているだろう。
空が僅かながらも白み始めてきている。朝が来ればこちらのものだ。
大丈夫。大丈夫だから、と自分に言い聞かせた。


「見つけた」

背後からする声に背筋が凍る。

「ひっ…!」

振り反ることもせず、逃れるために走り出す。

嘘だ。なんで、なんで。
見なくても分かる。あの男だ。
こんな深い夜の森まで生きているかも分からない私を追って?
今度こそ捕まれば、確実に殺される。

必死に逃げる私の耳に、追ってくる男の足音が聞こえる。

「逃がさないよ」

その言葉がすぐ真後ろから聞こえた。
直後、肩を掴まれ身体を後ろに引かれる。
身体に巻き付くようにまわってくる男の腕。

「はなして…っ!」

がぶりとそれに思い切り噛みつく。
捕まれた時はされるがまままで何もできなかったが、今は違う。
この男は敵だ。
容赦などするものか。

「っ…!」

痛みに堪えるような声が頭上からするが、一向に腕の力は弱まらない。
腕をはなせと恨みを込めてさらに強く噛めば、ふふっ、と息が漏れるような笑い声がした。

「良いよ、噛んで?」

背後にいるため顔は見えないが、確実に男は笑っている。

「あなたのつける傷や痛みならいくらでも欲しいよ」

耳元に掛かる男の息に乗って入ってきたその言葉。
息を切らして肩を揺らす私に反して、男は息一つ乱していない。
一瞬で恐怖に体が固まり力が入らなくなる。

計ったかのように、緩んだ口許に男の腕が強く押し当てられる。
まるで、「更に噛め」と言わんばかりに。

「う…っ…!」

苦しくて声が漏れる。口が塞がれる。
なぜ私がこんな目にあわなければならないのか理解できない。

こんな報いを受けるほど悪いことなんてしてこなかった。
貧しくても母の言うことを守ってきた。
働く場所だってあるし、友人だっている。
慎ましながらも生活できていたはずなのに。

口にあたる異物感と恐怖、悔しさで勝手に涙が出ていた。
ぼたぼたと溢れる涙が男の軍服にシミをつけていく。

「泣かないで、ひどいことはしたくないんだ。あなたであれば指の一つや二つ食い千切られたって僕は構わないよ」

こんなことをしておいて、どの口がそれを言うのか。
男によって羽交い締めにされ、口許を腕で覆われ息がうまくできない。
苦しくて苦しくてただ泣きながら首を振って精一杯抵抗し続ける。

「あぁ、でも薬指だけは見逃してほしいな。あなたとの指輪が嵌められなくなってしまうのは惜しいからね」

一体なんなんだ、この男は。
この男は何を言っているのか。
その言葉に吐き戻しそうになる。
疲れ切っている身体には力が入らず、立っているのさえつらい。
呼吸ができない苦しさに意識が持っていかれそうになる。
男の胸に寄り掛かるように倒れてしまった自分の無力さを心底憎んだ。

それを受け入れたと勝手に解釈した男は気を良くしたのか、くすりと笑い掬うように私を横抱きにした。

いやだ、やめて。
家にかえして。

声も出せず、ぼんやりと男の顔を見る。

薄暗い森の中にいるのに、男の眼は自ら光を放つ星のようにはっきりと見えた。
微笑みをたたえながら私の頭を撫でる男は、恥じらいながらに宣う。

「僕も初めてなんだ。だから……優しくしてもらえると嬉しいな」

恋に焦がれる少女のように頬を赤らめる美しい男。
それなのに碧の双眼は欲を覚えた男のそれだ。

あぁ、母さん。どうか今すぐ私をそちらへ連れていって。

暗闇に意識がのまれる瞬間そう思った。
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