カリスマ主婦の息子、異世界で王様を餌付けする。

織緒こん

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パン屋の倅が知らない話。

《閑話》パン屋の倅が知らない話。①

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 宰相府は王国の舵取りをする重要な機関である。元老院、代議院の議会とも連携を取って、まつりごとを円滑に押し進めるのは心労をともなうが、とてもやりがいのある職場だ。

 宰相補佐官を務めるランバートは、甘く煮たアズキとホイップクリームを挟んだコッペパンの甘さに痺れながら、忙しかった四ヶ月を思った。疲れた脳味噌に糖分が嬉しい。

 差し入れが始まった最初のころはウインナーやチーズの入ったものばかりだったが、甘味が欲しいと誰かが呟いたら翌日から甘いものが挟まれたパンが混じるようになった。豆を甘く煮るなんて考えた事もなかったが、一度食べたら病みつきになった。このパンには紅茶より珈琲が合う。

 差し入れの量は日に日に増え、宰相府の文官に優先権はあるが、余った分は運んでくれた侍従や陛下を守る近衛騎士にも分配される。ランバートたちが食べきれなかった分なので、やはり全員には行き渡らず、彼らはしばしば小さな勝負ゲームをしていた。

 この魅惑的な差し入れの主は、エルフィン様と言う。この殺人的な忙しさの原因⋯⋯ではないが、当事者のひとりだ。



 前王陛下の崩御からひと月後の国葬まで、目の回る忙しさだった。終わってようやく眠れると思った矢先、とんでもない話しが宰相府に持ち込まれた。

 日和見主義で有名なアッカラン男爵が王太后に詰問されて、前王の放蕩を白状したのがきっかけだったらしい。

 王太后はリュシフォード陛下の母君で、隣国スニャータから嫁いできた王女である。夫の尻を叩いて仕事をさせた手腕は大したもので、ひとり息子は夫の馬鹿が感染らないよう、社交界デビューとともに、さっさとスニャータに留学させた。

 元々丈夫な人ではなかったが、夫の愚策のフォローに疲れ果て、病を得たのが七年前。それから一年間の療養に入り、その間に羽根を伸ばしまくったのが前王であった。

 前王が崩御した後、王太后は夫の日記を見つけた。彼女が離宮で療養していた一年間の、まるで歌劇のように目眩めくるめく愛の日々が美しい言葉で書き綴られていて、最初は日記だとは思わなかったらしい。読むほどに、多くの男女が登場してきて、王太后は目眩めまいがした。

 王太后はすぐさま息子を呼び、日記を渡して言ったのだと言う。

『愚かな父親のごうは子に背負わせるものではない。したが其方は王じゃ。王族の長として、この愚かな男の尻を拭わねばならぬ』

 前王が愚かな男だったのは、妻であった王太后がいちばんよくわかっている。女性に『嫌』と言われれば『恥ずかしがっている』と思い、『嫌いではない』と言われれば『愛されている』と思う。おめでたい頭の持ち主だったのだ。

 それならきちんと手順を踏んで、側妃にでも愛妾にでも迎えれば良い。しかし、王太后の悋気を恐れてコソコソした結果である。

 王太后としては、完全に政略結婚であったうえ、夫がこの通りの男なので、悋気もなにもない。夫の死を嘆くどころでなく、アッカラン男爵から聞き出した悪行に頭を抱えて呻き声をあげたという。

 宰相府は、即位したばかりのリュシフォード陛下から調査の依頼を受け、日記(ランバートが読む限り、これはポエムだ)を頼りに相手を探す日々が始まった。日記に度々登場したアッカラン男爵は、放蕩の際の宿代わりに屋敷を提供していたらしい。

 アッカラン男爵は高位貴族のピヒナ侯爵に逆えずに、彼と連れのお忍びの男を逗留させたが、連れの男が国王だと言うのはすぐに分かった。侯爵より身分のある者はあまりいないからだ。

 城下町に出掛けるための拠点を必要としたのは、はじめに城で高位貴族の令嬢に粉をかけてその父親に咎められたからだ。その後、酒を出す店の女給やストリッパー、高級男娼といった、所謂納得済みの大人に目を向けたのだった。この辺りの人々は前王を太客のひとりと認識していたので、そっとしておくことにした。のぼせていたのは前王だけだった。

 ランバートは前王陛下は馬鹿なりに(不敬? 思うだけなら自由だ)相手を選んでいたらしいことにわずかな安堵を覚えたが、日記の最後に近い部分⋯⋯そろそろ王太后が回復して離宮から戻って来るという時期に、熱烈にひとりの少女を貪る描写を見つけて絶句した。

「いや、阿呆だろ。なにが『消えてしまったあの娘は、一夜の夢だったのだろうか。いや、華の精だったのに違いない』だ」

 ランバートは日記を暖炉に焚べたい衝動に駆られた。大事な証拠品なのでそれも叶わなかったが。

 宰相上司に報告してアッカラン男爵を呼び寄せて詰問すると、女中として奉公に上がっていた平民の娘を召し上げたことがあったと白状した。男爵は娘に充分な手当てを与えて里に返したと言った。その後、定期的に人をやって見張っているらしい。

 宰相はランバートに命じて、娘の実家を訪ねさせた。ランバートはまず、客に混じって店内に入り、娘ーーもう大人の女性だろうかーーを探したが、成人に満たない少年と幼い子どもの姿しか見えなかった。涙ぐみながら買い物をする客の声に耳を傾けると、どうやら二親を喪ったばかりらしい。

 若すぎる店主はランバートが購入したパンを紙袋に詰め、歳の離れた弟(と、その時は思った)に渡した。弟はトテトテと運んできて、お礼を言って手渡してきた。

「お手伝いかい? 偉いね」

 屈んで頭を撫でながらなんとなく顔を覗き込んで⋯⋯ランバートは叫び声を上げなかった自分を褒めた。

 緑がかった茶色の瞳、所謂榛色の虹彩に、斑に散る黄金の星。

 金銀の高貴なる方が、パン屋で看板息子になっていた。

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