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第1章 P勇者誕生の日

第2話 過労死寸前の男 アブラハム

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 大陸にて王国と大地を二分にするヒマラーヤ帝国。
 その帝都にて威容を誇る居城で、時の魔王、アブラハムは会議を行っていた。
 そこには魔王軍の幹部、幕僚達が、円卓を囲むようにして並んでいた。
 魔王直々に呼び出された緊急会議、前線から離れられない指揮官を除き、ほぼ全ての幹部が出席させられている事から、余程の大事なのだと皆が緊張に汗を滲ませながら、魔王の言葉を待った。



「前線で働いているものもいる中でよく集まってくれた、先ずはその事に礼を言わせてもらおう、感謝する」

 アブラハムは形式ばって上座から起立して一礼した。
 それに呼応するように幹部達はそれぞれ忠臣らしい返答をして、魔王の心象を良くしようと務めた。
 そんな茶番に呆れたように、周りに同調せず座ったままの女が、座ったまま魔王に尋ねる。

「それで、何の用なンだ、わざわざ緊張会議開いたって言うなら、火急の用なんだろ、無駄なじゃれ合いはナシにして、さっさと話始めてくれよ」

「シェーン、この無礼者!いくら魔王様の親族と言えども、貴様の言動は度が過ぎるぞ!」

「よせグリード、シェーンの言う事も一理ある、話を始めるから、皆着席してくれ」

 そう言われてグリードは、大げさに嘆く表情を右手で隠すようにして着席する。
 それに続くように他の者もアブラハムの言葉に従い着席した。
 グリードはシェーンのおかげで点数稼ぎが出来たとほくそ笑みながら悠々と座った。
 そして他の者達はそんなグリードを妬むように悔しがり、次こそは自分がという野心に目をギラつかせながらアブラハムに注目する。
 シェーンはその様子を見て俗物まみれの会議に辟易し、代理を立てれば良かったと後悔した。



「単刀直入に言おう、間もなく勇者が誕生すると、そう占いが出た」

 アブラハムのその発言を聞いて皆が浮き足立った。
 当然だ、勇者とは、魔王軍にとっては破滅の象徴、数千年の歴史の中でただ一度の勝利も無い、敗北を運命づける存在だからだ。
 故に幹部達の中に悲観的にならなかった者はいないだろう、魔王軍の者にとっては、勇者とは名前を聞いただけで逃げ出したくなるほどに、敗北の歴史を積み重ねまくった因縁深い存在であり。

 そして更に俗物達の多くは、人間から絞りとった賠償金や領土をアテにして借金を返す前に散財を重ねた者、戦勝の好景気で財産を食い潰すほどの豪遊をした者、魔王軍幹部という役職を盾に平民を戯れに粛清して恨みを買った者のように、それぞれに魔王軍の滅亡が約束された事によって別の意味でも破滅が確定してしまっていたからだ。

 魔王は嘆く部下達の様子を見て、抗戦は無意味かと諦観し。
 シェーンは俗物達の年貢の納め時かと、ローンが払えなくなるだの、ペットのドラゴンとお別れしなければいけないだのと騒いでる幹部達を冷ややかな目で見ていた。

 その中で一人、額に大量の汗を滲ませながら一人の男が直立し、発言した。

「魔王様、無礼を承知でお尋ねします、その占いとやらは、まっことに、信用できるものなのでしょうかっ!。
 ・・・私に言わせてもらえば占術などは、人の心の弱みにつけ込んだ詐欺師の商売であり、意気衝天とする魔王軍の気勢を削ごうとする策略である可能性も否定出来ませんがっ!!」

 魔王軍きっての伴食大臣ばんしょくだいじん、仕事はしないが会議での存在感だけは人一倍大きい男、バイコクオーがそう発言すると、他の幹部達の目にも生気が宿った、楽観できる可能性が生まれたからだ。

 アブラハムは無能な俗物の中にもきちんとした意見を言える者がいた事に軽く動揺しつつ、その意見に対する答えを詳しく語った。

「そうだな、占いはあくまで占い、一つの可能性として見るとしても信用し過ぎるのはよくないが。
 ・・・だが、学者達に算出させた統計学的にも、今この時に於いて勇者が誕生する確率は極めて高いと言われていた、帝国が王国を支配する直前にいつも勇者は誕生し、起死回生を行う、我はそのフラグを回避する為に、王国に攻め込んで姫を人質に取るような事はせず、計略を用いて王国を自ら破滅に向かわせたが、それで人類の滅亡に王手をかけてしまったのかもしれん、ままならぬことだな」

 アブラハムがそう言うと最後の望みが絶たれたように幹部達は再び各々突っ伏して号泣した。

「うわああああああああまママああああああああぁぁぁ死にたくないよおおおおおお」
「嫌だああああああああああぁぁぁ、ローン残ってるのにぃぃぃぃぃぃぃぃ、子供も53人いるのにいぃぃぃぃ」
「オォォォォォォォォォン、まだ童貞捨ててないのにいイイぃぃぃぃ、誰か俺を救ってくれええええええ」

 まるで幼稚園のようだと、魔王軍最高幹部達の愚図っぷりにシェーンは苛立ち、全員血祭りしたくなる程の殺意が芽生えたが。

 彼らは宣告で【将軍】や【宰相】と言ったレア中のレアである上級職を、運や金を使い正当な理由で手に入れている。
 それ故に、どれだけ無能で愚図であったとしても、宣告により一介の平民から【魔王】に上り詰めたアブラハムにはもちろんの事。
 その姪であり唯一の血縁者であるおかげで低い身分でありながら優遇されてるシェーンにも、頭の中で思いこそすれ、実際に彼らを粛清する事はできなかった。

 このままでは会議も進まないまま不毛な時間だけが過ぎてゆく、そんな空気を一人の男が打開した。

「魔王様、提案があります、早々に勇者殿に降伏し、ガングニール川を国境とし、世界の半分を勇者側にくれてやる事で丸く治めるのはいかかでしょうか」

 勝機は無しと悟ったバイコクオーは降伏こそ最善の策であると説き、それを聞いて再び幹部達の瞳に希望が宿った。

「そうですな、どうせ負けるなら余力を残して降伏する、勇者だって人の子ならば、人と魔族の戦争を一刻も早く終わらせたいと願っているハズ、そこを刺激してうまく交渉すれば、我々も今の地位と財産を維持したまま停戦できるかもしれませんな」

 バイコクオーと伴食大臣筆頭の座を争う佞臣ねいしんバグインレオもそれに同調する。

「ですな得る物の無い戦いに国力を投じるなど愚の骨頂、我々は勇者が死ぬまで停戦する、いや、選りすぐりサキュバス100人を友好の印として送り込んで、美人計をして勇者のを弱体化させるのも一計かもしれませんな、ホホホ」

 魔王軍随一の性豪、全国のご当地風俗めぐりが趣味の男スケベロスは、自分の願望を計略として発案した。

 残りのもの達も便乗し、気づけば会議は「誰の案で降伏するかという」方向性にシフトしていく。
 アブラハムは誰が一番上手く売国できるか選手権とでも言うようなふざけた議論が白熱していくのを蚊帳の外で眺めながら、無力さに打ちひしがれた。

「やはり、こやつらをまとめあげて勇者と一戦交えるのは無理か、本当に、あと少しの所だったのに、何故天は我らを見放したのだ・・・」

 アブラハムが魔王の座について10年、それは長いようで駆け抜けるように短いものだった。
 一介の平民から魔王の地位を得て、反発する諸侯を平定し、魔族を統一する所から始め。
 そこから差別や奴隷などの魔族に対する弾圧や迫害を大義名分として王国側に宣戦布告し、圧倒的な物量差を情報戦や計略を用いて少しずつ領土を覆して。
 そしてようやく王国の崩壊という大金星を上げ、後は少しづつ領土を切り取っていくだけで大陸制覇という、魔族悲願の夢まであと一歩の所まで来た。

 絶対に勝てないのならば勇者が誕生する前に世界を征服すればいい。

 その目標に向けて駆け抜けた10年は、長いようであっという間だった。
 だがここで、夢の実現の一歩手前で、勇者の誕生によってそれが阻まれた事に、一番ショックを受けていたのは他でも無い、アブラハムだ。

 魔王が勇者に勝つなど、運命レベルで有り得ない話。

 どれだけ偉大で、全知全能で、完全無欠で、最強と謳われた魔王であっても、一度として勇者に勝ったことがないとう言う事実。

 そんな歴史に照らし合わせてみれば、下賎の生まれであり、凡人に過ぎないアブラハムに勇者を倒す道理が1ミリも存在しない事など、初めから分かっていた。

 だから現実的に、アブラハムの夢は期限付きだったのだ。

 だからこそアブラハムは、勇者に気づかれないように息を潜めたように魔族を統一し、そして入念な諜報活動により勇者が不在である事を確認した後に、一気呵成に王国に攻め入った。

 全て上手くいっていた、全ての勝負に勝ち続けた、それなのにギリギリの所で時間との勝負に負けた。

 あと1年、勇者が誕生するのが遅ければ魔王軍は世界征服を成し遂げて、統一国家という支配の下、王国や貴族という歪な人間の支配組織は完全に駆逐し、魔族にとっての優しい世界が誕生していだろう。

 その夢が潰えようとしている、その事がどうしようもなく歯がゆくて、アブラハムはここ数年、勇者の影に脅えて眠れない日々が続いていたのだった。

 だからこそ勇者が誕生した事で誰よりも絶望したのはアブラハムだったし、その絶望は死刑宣告に等しいものだった。



「っ、貴様らっ、揃いも揃ってこの売国奴がっ!恥を知れっ!!このクソ野郎!!」

 不毛な議論、魔王の斟酌など気にもとめずに好き勝手に議論をする幹部達にとうとう堪えきれなくなったシェーンは、机を殴って立ち上がった。

「我々は国家の命運を預かる重要な議論をしているのです、暴力しか取り柄のないじゃじゃ馬姫殿は黙ってて貰えますかな」

 バイコクオーは悪びれもせずに、シェーンをねっとりと下品な視線で睨めつける。
 それに便乗するようにして他の幹部達もシェーンを罵った。

「議論?、ふざけるなっ、降伏する事のどこが議論だ、お前らそれでも魔王軍の幹部か、魔族の誇りは無いのか、先ずは勇者をどうやって倒すかを議論するべきじゃねぇのかよ!!」

「はっ」

 バイコクオーはこれだから小娘は、と言ったような馬鹿にした態度で、でも体だけは一丁前に女なんだよなぁという下卑た視線で見つめながら答えた。

「そもそも我々の世界征服が「勇者が誕生するまで」という不文律、暗黙の了解で成り立っていたのは魔王様と我々も、いえ、場末のパブのねーちゃんですらも分かっているような常識、勇者が不在だったからこそ、人間側は協調性を失い自滅、我々は血気盛んに後ろを顧みずに戦争が出来た、この前提くらい、脳筋職のあなたでも理解出来るでしょう?」

 シェーンのジョブは【剣鬼】、苦労して転職して手に入れたレアな上級職ではあるが、この場においては見劣りするものだ。
 それ故にシェーンは魔王の姪という立場でありながら、この場では誰よりも軽んじられていた。

 その事にシェーンは慣れていたものの、得意気に語るバイコクオーの顔面にはキツいの一発叩き込んでやりたいという怒りはずっと収まらずにいた。

「ひひっ、じゅるり、美女の怒りに染まった顔もオツですな・・・はっ、閑話休題!、つまり、「勇者に勝つ算段がもし本当に存在するのなら、勇者が誕生する前にそもそも対策立てている話」であり、勇者の倒し方なんて議論は、初代魔王の頃からうん百万回と我々より有能で優秀な者達の間で議論されて、その上で答えの出なかった問題、今更我々が議論して正解にたどり着ける訳もなし、この問題はねぇ、辞書や占いで調べれば分かるような単純な話じゃないんだよ!!小娘は黙っとれ!!!」

 バイコクオーは敢えて挑発するように語気を荒げた。
 そして勝ち誇った顔で魔王の顔を伺う。

 シェーンは完全に図に乗ったバイコクオーの態度に怒髪天に昇りそうなほどに憤慨しているが、一度咆哮して全力で机を殴る事でなんとか冷静さを取り戻した。
 改めてバイコクオーを睨みつけるものの、バイコクオーは魔王の手前こちらが強硬手段に出ることは無いと思ってか、余裕の表情だった。
 最初の頃はちょっと脅すだけで怯える程度の小物だったのに、やはり地位は人を増長させるのだろう、その事に内心舌打ちしつつ、反論する。

「それは今までの「魔王と対等な条件で戦った勇者」の話はだろうが、こっちには聖剣も魔剣も、【賢者】も【聖女】だっている、・・・あとカタストロフもな、それに勇者が誰かはまだ不明だ、もしかしたらお前みたいな無能かもしれねぇ、だったらそれを調べてから対策を立てても話は遅くねぇンじゃねぇのか」

「はっ、流石に脳筋職の人は楽観的でいいですな、私は無能ですが、私が勇者なら今頃、騎士派か聖女派に保護して貰って、そこで安全にレベルを上げてから悠々と魔王軍に攻め込む、そうすれば安全確実に戦に勝てますからな」

「そう、普通は保護して貰いに行く、だが逆に言えば、保護して貰う前の勇者は非常に弱い、それに、騎士派か聖女派っていうがな、俗物のお前だったら迷わず選べるのかもしれんが、逆に高潔な人物だったらどうだ、私利私欲の為に内紛を行うこいつらを協調させる為に、先ず間に入るよな、間に入るって事は両方の庇護下に入らないって事で、そこに魔王軍からの一時的な和睦を申し込んだら、奴らは「共通の敵」より先に、「勝ち馬に乗った後で邪魔になる味方」の排除に出るんじゃねぇのか、そのどさくさに紛れて勇者を懐柔、もしくは交渉するなりすれば、下手に降伏するよりもより良い結果を得られるンじゃねぇのか」

「ぬっ、小娘の癖に、随分と小癪な策を考えるな、だがそれは勇者が騎士派と聖女派の協調をさせるカリスマが無かったという仮定の話であろう、たらればで政治を行えるものか」

「確かにな、勇者ならこの二つの派閥を統合させる事なんて容易いのかもしれん、だけどそれは、現状の小競り合い程度の話だ、一度始まった人間と魔族の戦争が止まらないように、派閥同士で殺し合いが始まればそれを止めるのは容易では無いし、そして、魔王軍にはそれを行えるだけの用意がある、そうだろ、オジキ」

 シェーンに言われて叔父貴オジキである魔王、アブラハムは、今一度思案する。

「・・・確かに、聖女派には工作員が多数紛れ込んでいて、もし仮に、停戦を申し入れて、資金と食料を双方に援助すれば、血みどろの戦争に発展させる可能性も有り得ない話では無い、が」

「いけません魔王様、敵に塩を送るだけです、いくら工作員が多くいると言っても、貴族を敵として祭り上げるのと、人間同士で争わせるのとでは訳が違います、勝算は低いでしょう」

「そう、問題はそこだ、それに【聖女】は、利害の一致から敵にはならないが味方という訳でも無い、人間同士で争わせる事になれば当然こちらに牙を剥く事だって有り得る」

 魔王と聖女の間にある密約、それは魔王しか知らないものだ。
 それ故にこの密約は強力であり、脆い。

「だが、もし仮に、勇者が騎士派以外の選択肢を選んだとしたら、それは魔王軍にとって大きな猶予を得たのと同義だ、だから降伏の声明を出すのは、勇者を完全に特定してから、それでも遅くは無い」

 アブラハム自身の考えも、降伏以外に有り得ないと思っていた。
 しかし前線で今も過酷で劣悪な環境を戦い抜いてる兵士たち、そして奴隷として虐げられてきた魔族達が降伏した後にどうなるか。
 彼らの境遇を思えば、簡単に降伏なんて口に出せる訳が無い。
 例えそれが、勝ち目の無い戦だとしても、魔族の未来を思えばこそ、簡単に終わらせる事は出来ない。
 それに困窮し内紛を抱えている人間側と違い、魔族は物資にも人材にもまだ大きな余裕がある。
 順調だった戦況と聖女と交わした密約。
 戦争の敗北は必至ならば外交で勝つしかない、その為の準備だって怠っていた訳では無い、だからこそシェーンの提案も無視出来ない。
 四方八方へ様々な思惑を張り巡らせて、再びそろばんを弾くと、やはり未だ降伏するには早いと結論が出た。
 だからアブラハムはシェーンに命じた。

「シェーン、お前に勇者の捜索と、そして懐柔を命じる、人間側の外交はこちらでやって時を稼いでおく、だからお前は勇者を見つけて、そして交渉出来る相手かどうか見極めてくれ」

「・・・まぁ、それしかねぇよな、分かった、オジキの期待に添えるかは分からンが、やれるだけやってやるよ」

 完全に日和きった、リスクを負わない守りだけを考えた安全策だったが、シェーンも現状はそれで精一杯かと納得した。

 もともと反骨心が強く無頼者であり、魔王の姪である事で優遇されてはいるものの、放蕩姫と呼ばれても仕方ないような傾奇者の生活をしていたシェーンが勇者と揉めたとしても、魔王軍の諜報員だと疑われる可能性は低い。
 シェーンは剣鬼になるほどの剣豪ではあるものの、前線に立った事は一度もない、だから人間側の知名度は皆無であり、無頼者として各地を放浪するのが日常だった為に、大陸の地理には明るいが知名度などはここにいる幹部達くらいの公にならないものだからだ。

 だから交渉人としての身分が低過ぎず、かといって人間と揉めるほどの恨みを買っていないという点で、この場においては誰よりも適任だった。

「ふ、ふん、せいぜい女の武器でも使って、上手く勇者を丸め込むんだな」
「くれぐれも、我々に被害が及ばないように軽挙妄動は慎むんだぞ」
「我々を巻き込むなよ、何かあったら一人で罪を被って自決しろ」

 バイコクオー達幹部は、憎まれ口でシェーンを見送ろうとする。
 シェーンは気にもとめずに、戒めから解放されたように伸びをすると、満面の笑顔を浮かべた。

「さーて、これで暫くこの城ともおさらばだし、悔いのねぇようにしとかねぇとな」

 シェーンはぽきぽきと拳を鳴らしながら、燻っていた怒りを焚き付ける。

「ひっ、魔王様、お助け下さい!」

 アブラハムは部下達がシェーンの拳によって壁にめり込まされる光景から目を逸らしつつ、魔王軍の人材不足に頭を悩ませながら咳をひとつ零すのだった。





 
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