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2章 月と彗星

10話

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ルナ
「あ! 見えてきたよ!!」

レストランを後にしてから、数分後。
僕たちは目的のスペースコスモが望める位置にまで来ていた。

巨大な白い近未来的な外観で、もうすぐであそこに入れるのかと思うと今からそわそわしてしまうほどだ。

陽太
「入場までは……まだ10分ぐらい余裕あるね」

ルナと繋いでいる反対の、腕時計を覗き見ると13時20分。
スタンバイパスの時間は、13時30分~14時30分までの1時間なので、まだまだ余裕があった。

ルナ
「ルナ、チュロス食べたい!」

彼女が指さす先にはチュロスを販売している、ワゴンカートがあった。数人が並んでいる程度なので、時間的に丁度良いと言えば丁度良い。

ルナに言われるまでは気付かなかったが、ワゴンの存在を認識したこの時から、甘い匂いが鼻を付く。

ルナ
「ダメ……?」

チュロスの香りよりも甘めな、上目遣いと表情。まるで子猫が甘えるような仕草に、僕の心臓は高鳴る。

陽太
「い、良いけど! さっきご飯食べたよね……?」

ルナ
「甘い物は別腹なのっ!」

ルナはむくれ顔で不満を表すが、目はワゴンの方を向きながらキラキラと輝いている。

それにバレないとでも思っているのだろうか、そーっと少しずつそちらに向かって歩き始めていた。

陽太
「…………」

彼女は、もうチュロスしか眼中にないだろう。

陽太
「しょうがないな……時間も余ってるし、食べよっか」

ルナ
「やったーっ!」

ルナは待ってましたと言わんばかりに、サクサクと歩き始めた。

そして、数人が並んでいる列に僕たちも並び始めると、

ルナ
「きゃーっ! 美味しそーっ!!」

甲高い声で作っている場面を眺める。

ワゴンの近くに寄ると、より一層感じるチュロスの香り。

背徳感をくすぐる油の濃厚な匂いと、砂糖の蕩けるような甘い香り。
そしてチュロスにはなくてはならない爽やかなシナモンが、甘さに奥行きを出しつつ油の重さを適度に打ち消す。

得も言われぬ幸せな香りが僕たちを包んでいた。

ルナ
「陽太くんも食べるー?」

にっこにこな顔で訊いてきたルナ。しかし、僕は首を横に振る。

陽太
「僕はちょっとお腹いっぱいだから……」

レストランでは結局、ルナが食べられなかったオムライスの半分以上を僕が食べた。
それに加えて、自分が頼んだカレーもほぼ食べたのだから、お腹も膨れて止まないだろう。

ルナはそんな僕を見て、驚いていたのだ。

ルナ
「そっか、じゃあ私のやつあげるねー」

陽太
「いや本当に……ってあれ? あの子……迷子だよね?」

決して遠慮しているわけではないと、断ろうとしたその時――人のいない隅の方で、まだ幼く見える少女がたった独りで、ウロウロとしているのが見えた。

まだ身長が小さい彼女は、痛くなりそうなほど首を上に向け、必死に誰かを探しているように見える。
また、彼女の表情はひどく不安げで、今にも泣き出してしまいそう。

陽太
「――――」

しかし、キャストと呼ばれるネズミーの人も含め、周りの人たちは誰1人として、ひとりぼっちの少女の存在に気が付いていない。

少女のいる場所が端っこすぎて視認出来ないか、あるいは見えたとしても端っこにいるので、ただ休んでいるのだと勘違いしてしまうのだろう。

いずれにせよ、今すぐ彼女に手を差し伸べる人はいない。

ルナ
「迷子なら迷子センターにでも――ってどこ行くの!?」

ルナの提案を聞き終えるよりも前に、僕の足はたった独りの少女へと向かっていた。

陽太
「やっぱりチュロスもう一本買っといて! お金は後で渡す!!」

ルナ
「ちょっとー! スペコス遅れちゃうよー!!」

誰にも助けて貰えず、ひとりぼっちでいる辛さは僕が一番知っている。
だから、頭で考えるよりも先に、僕の足は少女の元へ向かっていたのかもしれない。

陽太
「どうしたのー? パパ、ママとはぐれちゃったの?」

僕は少女と目線を合わせるために地面に膝を着く。威圧感を与えないためだ。
そして、出来るだけ警戒されないよう、ふんわりとした声で尋ねた。

少女
「違う。迷子じゃないもん!」

少女は今にも泣きそうな声で必死に言い張る。

年齢はおそらく4~5歳だろう。
この時期の女の子は、誰でも大人に見られたいと思うような時期だ。

そのため、傍から見れば迷子ではあるのだが、彼女はそれを認めたがらない。

陽太
「そっかー、迷子じゃないんだね」

しかし、あえて認めさせる気はさらさらなかった。
僕が知りたかったのは、この子が誰とはぐれてしまったのか、という事だけだったから。

陽太
「それじゃあお名前何て言うの……?」

サテラ
彩照サテラ。」

サテラはポツリと小さな声で呟く。
この様子だとまだ警戒心は解けていないようだ。

迷子センターに頼らず、僕たちだけで両親を探すにしても、まずは何とかして安心して貰わなければならない。僕は味方だという安心を。

陽太
「サテラちゃんって言うんだね、可愛い名前だね! サテラちゃんは今日は旅行で来たの?」

サテラ
「サテラの誕生日だからって、今日は特別にお出かけしようって……」

サテラは先ほどよりもより一層泣いてしまいそうな悲痛な面持ちで、缶バッチに貼り付けたシールを見せてくれた。

陽太
「ハッピーバースデー・サテラ」

彼女の誕生日をお祝いすべく、文字が躍っているかのように楽しそうでポップなシール。

――誕生日にネズミーのキャストさんから貰えるバースデーシールだった。

陽太
「――――」

彼女ぐらいの年頃なら自分が誕生日であることを自慢げに、誇らしげに見せてきてもおかしくない。

しかし、今のサテラはそれとは真逆。
手は微かに震え、口は一文字に結ばれる。泣くのを必死に堪えているのだ。

陽太
「そっか、そうなんだ……」

このままではサテラのせっかくの楽しい思い出が、迷子になった悲しい思い出になってしまう。

それも一年にたった一度、誕生日という特別な日が。

ルナ
「――陽太くん!」

チュロスを2本、両手に持ったルナが僕たちに駆け寄ってきた。

ルナ
「その子、もし迷子なら迷子センターにでも行った方が……」

サテラ
「迷子じゃないもん!! おねぇちゃんなんて嫌い!!!」

やはり迷子と言われるのはよっぽど嫌なのだろう。サテラはルナにそっぽ向いてしまった。

ルナ
「…………」

ルナはチュロスを両手に、ぽかんと唖然。

彼女が言ったことは至極当たり前で、決して間違ってはいない。
このパーク内で歩き回って誰かを探すのは困難を極めているからだ。それに僕たちがサテラちゃんの誘拐犯だと詰られるリスクも無くはない。

十中八九ルナが正しいと言えるだろう。しかし、正論がいつでも正しいとは限らないのだ。それこそ十中一二ぐらいは。

陽太
「サテラちゃんそんなこと言わないでさ……おねぇちゃんはサテラちゃんのためにチュロス買ってきてくれたんだよ! チュロス、好き?」

サテラ
「ならチュロスは食べる……でも、おねぇちゃんはちょっと嫌いだもん!」

僕はルナに視線を送り、苦笑い。どうにか堪えて欲しいという願いを込めた。

ルナ
「じゃ、じゃあこれどうぞ……」

だが、僕の一抹の不安は、物の見事に的を外れていた。
ルナは辿々しくも怒る様子など微塵も見せず、チュロスをサテラに手渡す。

ルナ
「…………」

腫れ物を扱うかのようなオドオドしたルナの様子から、彼女は小さな子どもをどう扱えば良いのか分からなかっただけなのだろう。

迷子と言ったのが決して悪気がなかったことを、サテラちゃんは分かったようだ。

サテラ
「……ありがと」

サテラはルナからチュロスを躊躇いながら受け取ると、小さくお礼を言った。

子どもは純粋であるが故に、正直なのだ。

サテラ
「――――ぱく」

僕たちが見守る中、サテラは遠慮がちに一口。
チュロスの甘い風味が口いっぱいに広がった瞬間、雨上がりの晴天を思わせる笑顔になる。

サテラ
「甘くて美味しーー!!」

先ほどまでの怯えた子犬のような、不安げな表情は風で吹き飛び、今は両手で大事そうに抱えたチュロスをパクパクと食べる。

サテラ
「おねぇちゃんも早く食べなよ! 冷めちゃうよ!!」

夢中で食べ進め、小さな片手でも持てる長さになった頃、サテラはルナの空いている左手をおもむろに握る。

ルナ
「え、あ、はい……!」

急にサテラに手を握られたことによって、たじろぐルナ。思わず、敬語になっていた。

ルナ
「――――」

ルナは右手に持ったチュロスをじーっと見つめる。ただ食べるだけなのに、辺りには謎の緊張感が漂い始めた。

陽太・サテラ
「――――」

ルナの一挙手一投足を見逃すまいと、僕たちも固唾を呑んで見守る。

ルナ
「――――ぱくっ」

ルナは小さな口でチュロスをぱくり。
小動物のようにもぐもぐと口を動かす。

陽太・サテラ
「――――」

まだ反応はない。
ルナの口に合うのか、合わないのか。

無言が続き、緊張感が最大に張り詰めた瞬間、

ルナ
「甘くておいしーっ!!」

結果は、先ほどのサテラを思わせるリアクション。
上気した頬に手を当て、うっとりと恍惚の表情を浮かべている。

サテラ
「美味しいよねー!」

何故かサテラが自慢げに胸を張る。
そして、また一口チュロスを食べると、ルナと同じ反応をする。

陽太
「――――」

キャッキャ言いながら、2人揃ってチュロスを片手に頬に手を当てる姿。
それはどこに行くにも一緒にいる、仲の良い姉妹のようだった。

僕は微笑ましさを覚える。

サテラ
「おにぃちゃんまだ食べてないよねー?」

ルナ
「そうだそうだ! おにぃちゃん、まだ食べてない!」

藪から棒に、息ぴったりとなった2人に僕は詰め寄られる。チュロスを食べろ、と。
だが、僕のお腹はもう如何なる物の進入も拒んでいる。

ルナにチュロスを買っておいてと頼んだのは、サテラの警戒心と恐怖心を解くために咄嗟に頼んだわけであって、最初に断ったあの時から僕は食べないと半ば誓っていた。

陽太
「僕は……本当に……」

チュロスを剣のように構えたルナがにじり寄ってくる。

僕は後ずさりするが、ここはいかんせん端の方。行き止まりはすぐに訪れた。

ルナ
「私のチュロスが食べられないのかなー?」

サテラ
「お嫁さんのチュロスが食べられないの!」

悪戯な笑みを浮かべるルナにつられて、サテラも悪ノリ。
しかし、その場の勢いとノリで言ったサテラの一言がルナに刺さったようで、

ルナ
「お嫁さん――っ!!」

ぼふんと音を立て、顔を真っ赤にする。

サテラ
「おねぇちゃん、そこじゃないでしょ! ちゃんとやって!!」

照れたルナに一喝するサテラちゃん。腰に手を当て、頬を膨らませる。

ルナ
「ごめんね、サテラちゃん……私まだやれるから」

小さな拳を胸の前で二つ作り、頑張るアピール。

何だこの茶番は……僕はそう思わずにはいられない。しかし、2人の顔は真剣そのもの。

陽太
「――――」

だが、僕のお腹の膨れ具合も危険なレベルである。

何とか食べさせて共感を得たい2人と、何とか食べたくない僕。
緊迫感が僕たちの間には流れていた。

ルナ
「ほら、一口だけでも良いから――お嫁さん・・・・のチュロスを食べて!!」

途中である単語を言う時だけルナが一瞬頬を緩ませ、ニヤけたのは言うまでもあるまい。
対してサテラは一瞬だけ、怪訝な顔をしたが、続行するらしい。

サテラ
「さぁ、お嫁さんのチュロスを食べて……愛を証明して!!」

ルナ
「――愛!?」

チュロスを僕に差し出しながら、またもやサテラの一言に大きな反応をするルナ。
しかし、サテラの一瞥でしゅんとする。

陽太
「…………」

たかがチュロスを一口食べるか食べないか。
そのノリが愛の照明という、随分と壮大な話になってしまった。

このテーマパークが幻を売りにしているからだろうか。
あるいはそれほどまでに、ルナとサテラの相性が良いということなのだろうか。

どちらにしても僕がチュロスを食べないと、この茶番は終わりそうにない。

陽太
「分かったよ……お腹いっぱいだけど一口だけ貰うね」

ルナの差し出すチュロスを一口。小指の爪程度口に含む。

陽太
「…………」

ほんの僅かに囓ったはずだが、口いっぱいに広がるは蕩ける甘みと、濃厚な味。
噛めば噛むほどにじわーっと油がしみ出てくるが、シナモンの爽やかな香りがくどさを打ち消す。

陽太
「…………美味しい!!」

あれほどまでに満腹だったにも関わらず、思いの外チュロスは美味しく感じられた。

サテラ
「やったー! これで愛を証明したねー!!」

ルナ
「陽太くんの愛……」

飛び跳ねて喜ぶサテラの横で、耳を赤くして照れているルナ。

ひとまず、サテラの警戒心と恐怖心を解くことが出来、やっと彼女のパパとママを探し始められそうだ。

――スペースコスモのスタンバイパス終了時間まで、残り1時間を切っていた。
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