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第5話 炎の追憶

Chapter-25

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「なんか……珍しく、暇だな」

 朱鷺光ときひろは、別棟の2階の自室の窓から顔を出し、龍角散エチケットパイプを咥えていた。

 平日だと言うのに、珍しく手持ち無沙汰になってしまっていた。
 弘介は普通に出勤しており、左文字家にはいない。

 UWDウィクター・ドーンドリア大学やストラト・フォーと言った勢力も、邀撃が必要となったら手段は選ばないと、朱鷺光がそういうふうに動いた為か、このところは音沙汰が無い。

 ただし、それはあくまで、朱鷺光の主観の中では、の話だったが。

 朱鷺光の中では、2つのことが引っかかっていた。

 ひとつは、UWDとストラト・フォーのつながり。

 もうひとつは、Project BAMBOO。

 ──バーチャルリアリティレベルのクライアントが30Mbps程度の速度で可能なのだとしたら……

 朱鷺光が、そんな事を考えていた時。
 ガラッ、と、和室の朱鷺光の部屋の引き戸が、開けられた。

「あれ、朱鷺光、部屋にいたんだ」

 そう言いながら、部屋に入ってきたのは、シャープ製の、タービンヘッドのサイクロン掃除機を手にもった、シータだった。

「ああ、特にやる事なくてな」

 朱鷺光が苦笑しながら言うと、

「珍しいの。普段はなんのかんのと言っても手持ち無沙汰ってことはないのに」

 と、シータも苦笑で返した。

「どうする? 掃除機かけるの、今日はいい?」
「うーん、いや、俺、外に行ってるから、その間にかけちゃって」

 シータが訊ねると、朱鷺光はそう答え、シータと入れ替わるようにして、部屋から出ていった。
 掃除機のコードを伸ばすシータを背後に、朱鷺光は別棟の階段を下り、1階の渡り廊下を通って、リビングに入る。
 すると、そこでは、オムリンと光之進が、42インチテレビにセガ・マークXを接続して、格闘ゲームで対戦していた。

「何やってるんだよ、真っ昼間から、もう……」

 朱鷺光は、光之進の背後に、呆れたような声をかけた。

「たまにはこっちに付き合ってもらったって良いじゃろう!?」

 光之進は、一瞬朱鷺光を振り返り、そう言った。

 このところ、オムリンは、光之進との対戦より、パティアとの模擬戦で訓練を積んでいたため、光之進は対戦ゲームの類からあぶれていた。

「それじゃ、パティアは……」

 と、朱鷺光が、視線を左側、浴室への入り口がある方へと動かすと、パティアは吐き出しの窓から、外を見ていた。

「どうした?」
「あ、いや……」

 パティアは、朱鷺光の方を振り返り、そう訊ねてきた。
 朱鷺光は、一瞬、誤魔化すような言葉を出してしまう。

「そうだな……デートがてら、ドライブでも付き合ってくれるか?」
「デート? 私と?」

 朱鷺光の言葉に、今度は、パティアが幾分、不思議そうな声で訊き返す。

「そ、たまにはね、女の子助手席に乗せて走りたいじゃない」

 朱鷺光はそう言いながら、パティアを玄関の方へと促す。

「たはっ、甘酸っぱいのう、朱鷺光も、人より遅れて青春が来たかのう」

 光之進が、そう言った。

「やかまし」

 朱鷺光は、リビングから出て行きがてら、光之進を振り返って、苦笑交じりに睨みつけた。



 FA型ドミンゴ。
 KV1/2型サンバーをベースとして白ナンバーとし、7人乗りとしたクルマだ。初代となる先代に比べると、車内の拡張は最低限に抑えられている。
 ドライブそのものを楽しむクルマとは、本来言い難いが、朱鷺光はこうしたクルマを運転するのを趣味としていた。

 朱鷺光が運転席に乗り込む。
 インパネは、標準のスピードメーターだけのもの。
 だが、その右上に、Defiのタコメーターと、ボルトオンターボに取り付けられたAutoGage製のブースト計が並んでいる。
 シートにしっかり身体を沈めると、クラッチを踏んで、イグニッションをONから、更にSTARTに押し込む。
 軽いセルモーターの音がして、エンジンが目覚めた。

 パティアが、助手席に乗り込む。
 お互いシートベルトを締める。
 朱鷺光は、それまでCD-Rに焼いたアニソンを流していたカーオーディオを、サザンオールスターズの曲を編集したカセットテープに替えた。
 3分ほどアイドリングにエンジンを回したところで、朱鷺光はまずはマニュアルシフトを1速に入れ、ゆっくりと出発させた。

「かーっ」

 国道に繋がる道を走らせている途中、朱鷺光は、なんだか感極まったように声を漏らした。

「祖父さんにはああ言ったけど、やっぱり好きな女の子助手席に乗せて走るってのは、良いもんだよなぁ」

 朱鷺光は、ステアリングを握りながら、ニヤケ顔でそう言った。

「好きな女の子、私が?」

 パティアが、思わずと言ったように、訊き返す。

「ああ」

 朱鷺光は、そう言いながら、ドミンゴを国道へと左折させる。

「朱鷺光が……いや、朱鷺光は、私のことを女として見れるのか?」
「見れるも何も、この前からそうだって言ってるじゃんか」

 パティアが身を乗り出すようにして訊ねると、朱鷺光は苦笑交じりに手を振りながら言う。
 その手がシフトレバーに伸び、3速にシフトアップした。ターボのブースト音が響く。

「私は……ロボット……だぞ」
「ああ、そうさ、俺の作り上げたR.Series、そのデッドコピー」

 パティアは少しおずおずと言ったが、朱鷺光は、禁煙パイプを咥えた口で、自信満々な様子でそう言った。

「俺はオムリン達を人と変わらない、心がある存在として作った。設計者の俺が言うんだから間違いねぇ。否定したいやつがいるんならかかってこいってんだ」

 朱鷺光は、口元で笑いながら言う。4速にシフトアップ。

「ただ、オムリンやシータは俺が直接作った。だから、どうしても娘として見ちまう。でも、パティアは……その、根幹のシステムは俺がつくったことには、違いないんだけどな……」
「そうか」

 朱鷺光が妙に照れくさそうに言うと、パティアは、ニュートラルに、そうとだけ言った。

「迷惑か?」

 朱鷺光が、少し声を低くして、言う。

「その答えこそ、私は、以前に言ったはずだ」
「そうだったな」

 朱鷺光はパティアの答えに、どこか満足そうに口元で微笑む。
 5速にシフトアップ。朱鷺光はドミンゴを国道を流すように走らせた。

「変な話だけどな」

 ドミンゴが、6号の土浦市街地を避けるバイパスに入ったあたりで、朱鷺光は言う。

「波田町教授の仇は、俺がとってやる」

 パティアが朱鷺光に視線を向けると、朱鷺光は険しい表情をしていた。

「なんとなくだが、正体は見えてきたんだ。あとはちょっと、証拠がほしいってところだ」
「証拠?」
「ああ」

 片側2車線のバイパスを走る。朱鷺光はアクセルを踏み増した。ターボのブースト音が響き、ドミンゴは法定速度を10km/hほど超えた速度で走る。

「波田町教授と接触してたのは、つまりパティアを波田町教授に造らせたのはUWDの連中だ、違うか?」
「いや、それは正しい。教授とはUWDの人間は接触していた。疑似ニューラルネットワーク派閥から朱鷺光を排除すること、それが共通の目的だった」

 朱鷺光の問いかけに、パティアは少し俯き加減になって、そう言った。

「だが教授を排除したのはストラト・フォーだ」

 朱鷺光の言葉に、パティアは顔を上げる。

「だってそうだろう? 教授の騒ぎのせいで連中のエージェントが県警に目をつけられたんだ。そんで教授を叩かれてホコリが出る前に処分した」

 朱鷺光は、横目でパティアを見ながら、言う。

「なるほど」
「だが、俺が解らないのはその関係だ」

 朱鷺光は表情を再度険しくして、言う。

 ドミンゴはバイパスを下り、県道を土浦港の方に向かって折れた。

「いくらUWDとストラト・フォーが利害を一致させてるとは言え、人1人殺したとなったら騒ぎがでかくなる」

 朱鷺光はそう言うと、一旦、禁煙パイプから深く息を吸い込み、吐き出した。

「ここが中露や途上国ならともかく、西側先進国の日本で、ストラト・フォーが目に見えて敵対行動を取るのはまずい。まかり間違って表沙汰になろうもんなら、日米安保の問題にまで発展しちまうからな。本来ならそこが引っかかる点なんだ。俺も実際、ストラト・フォーを更地にしちまわないよう気をつけてるしな」

「とすればだ」

 朱鷺光は、風味のしなくなった禁煙パイプを、右手でくずかごに入れながら、言う。

「そうまでしてストラト・フォーがUWDを庇う理由があるはずなんだ」

「朱鷺光は、それが知りたいと」
「ああ、というか、その先に真実が隠れているんじゃないかと、俺は、そう考えている」

 朱鷺光はそう言って、両腕でステアリングを握り直した。

「パティア、もう少し俺に時間をくれ……いや、付き合ってくれ。今回のことは、然るべきやつにケジメつけさせるからよ」

 朱鷺光は、進行方向を向いたまま、真剣な表情で、そう言った。

「今更私に、他に行く場所なんてない」

 パティアが、言う。

「朱鷺光が考えていることは、実行に移してもらいたい。ただ、それはそれとして」

 パティアは、そこまで言って、口元で笑った。

「私は、お前のそばにいるよ」
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