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孫悟空と猿神

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「どうも、悟りだ」
猿神が泥棒を働くという夜に、二人の男が訪ねてきた。
一人は猫見の顔見知り、古狸タクシーの半兵衛。
「いや、猫見さんすいません。悟りと話をしたら、
「自分の発言で泥棒が生まれたのなら俺がケジメをつける!」って」
困ったように微笑む半兵衛。
「俺の未来予知のせいですからね…猿神を捕まえたら即刻拳骨です」
大きな眼をして、少し小柄な姿の悟りは、こくこくと頷いている。
「猫見さん、そう驚かないでくださいな。
悟りはね、未来予知ができますから。猿神の位置探知なんてお茶の子さいさいでさあ」
その時、突然悟りの眼がカッと光を一瞬放った。すると、
「おや、後数分で猿神がやってくるぞ。209に張り込むか」
と猿神の到来を教えてくれた。
悟りは確かに有能で、猿神の目当てはこれだとか、
怪我人や死傷者は出ないと教えてくれた。
なんとまあ使い勝手の良い能力であろうか。
自分の運命も見られるのかと悟りに問うと、
少し悲しげな答えが帰って来た。
「残念ながら、自分の運命は見られないんだよな。
皮肉なことに、予見者が自分の運命を予見できないんだ」
寸の間半兵衛も悲しげな顔を浮かべていたが、直ぐに
急ぎ209の部屋に向かい、全員で境目さんに事情を説明する。
「境目さんは、犬神カフェでも時間を潰しててくださいな」
素直な住民は、大人しくカフェへと向かった。
ちなみに犬神カフェは海外にも事業展開する
大手で、コーヒーだけでなく美味いマフィンや
ケーキも売っている。
そして私たちは影の内に隠れ、猿神を待った。
一分、二分と時間は刻々と過ぎていく。
数時間、いや、数分だったかもしれない。
ボーン、ボーンと壁にかかった古い金時計が
物悲しい、良く響く音を立てる。
その時遂に、カチャンと窓のロックが外れる音がした。
ここは七階なので人間にはとても無理な芸当だ。
十中八九猿神であることは間違い無い。
忍び足で入ってきた猿神は闇に紛れるためか、全体的に黒い服装をしており、
黒い山高帽に、黒いサングラス、黒い靴を身につけていた。
猿神は部屋の中央に置かれた花瓶に近寄り、
生けてあった薔薇を取ってスーツの胸に挿した。
…中々様になっていたが、他人の物である。
「なるほど、盗み癖はご健在の様ね」と家廊が呆れる。
そして、ご隠居の合図で悟りが電気を点けた。
予期せぬ光に眼を瞬く猿神は、少々抵抗はしたものの
驚くほど呆気なく縛られた。
家廊が懐に隠し持っていた境目さんの箱も取り上げた。
「この馬鹿者がっ!人様に迷惑をかけ、挙げ句の果てには俺の未来予知を
悪用しやがって」
悟りが猿神を殴った。
「すいません、予言があんまり当たるもんで」
今度は無言で半兵衛が猿神の頭を叩いた。
「突然「今日の夜、留守の家を教えろ」なんて言うから
何をするのかと思ってたら、まさか盗みとは!」
散々みんなに責められて、猿神は既に半泣きだった。
「勘弁してください、もうやりません、もうやりませんから」
「それは再犯する輩の常套句じゃ、猿神よ」
呆れたようにご隠居が呟く。
「ミャア、一応なにか罰を与えたほうがいいんじゃないですか?」
「そうじゃな、盗まれた人々の仇討ちじゃ」
暫し皆が腕組みをし、考えを巡らせる。
「ああっ、良いこと思いついた!」ここで家廊が人の悪い笑みを浮かべる。
「孫悟空の頭に付いていた輪は知ってるわよね?それを猿神にも付けるのよ」
ポンと半兵衛が手を打った。
「なるほど、孫悟空も猿。猿神も猿。丁度良いじゃないですか」
猿神は半泣きを超えて既に泣き始めている。
「勘弁してくださいよ…」
「あんたね、孫悟空は岩に数年間押し潰されてたのよ?
その罰を受けないだけありがたいと思いなさい」
有無を言わせず、何処から取り出したのやら悟りが輪をはめた。
「盗みを働くと痛いんですか?」
猿神の些か間抜けな質問に、またご隠居が首を振る。
「阿呆。痛くなければ罰でもなんでもなかろうに」
「…これで、一件落着ってことかな」
罰を受けたにしては立ち直りの速い猿神が、
ひょんひょんとビルの壁を這うのを、
薄闇の中五人の人ならざる者たちが見送っていた。
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