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choetsukuwabara

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ゴキブリ

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 先日東北大学の川内キャンパス内にゴキブリを見つけた。珍しいことである。昆虫のことは嫌いではないが、ゴキブリのあの漆黒に黒光りして、目にもとまらぬ例のスピードで廊下を駆け抜ける姿を見て強烈な不快感に襲われた。

 聞くところによると、チンパンジーも人間と同じようなしぐさでゴキブリに驚き、嫌がるのだという。人間のゴキブリ嫌いはどうやら遺伝子レベルらしい。しかし、ゴキブリが嫌味なのはけっしてゴキブリのせいではない。ゴキブリがゴキブリであることが許せなくても、ゴキブリはゴキブリであるしかないのだ。それをゴキブリのせいにするところから、「差別」が生じる。

 だいたい差別とはそういうものである。相手に本来ない性質をこちら側の勝手な感覚や印象で作り上げて、相手のもともとの性質としてしまう。差別の対象がゴキブリなら社会問題は起きないが、人間となると大変な問題だ。

 もしかしたら、人間には「虫唾が走る」存在が先天的に必要なのかもしれない。かつて人体の寄生虫を攻撃していた遺伝子が、寄生虫が現代人の体内から姿を消してから花粉に過敏に反応するようになったことが、花粉症の原因だという説があるが、これとよく似た構造の話だ。人間にとって寄生虫もゴキブリも必要悪なのだろう。

 ゴキブリがいてくれるうちはまだいい。もしいなくなったら、いつかは対象が人間になったりしないか。都会にゴキブリ殺しの道具がはびこり、それを平気で許容する社会とは、そういう問題をも孕む気がする。子供のいじめのニュースを見ると、何か寒気のようなものを感じるのだ。

 これは論理ではなく感性の問題である。わたしの誇大妄想であればそれでいい。
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