見習い薬師は臆病者を抱いて眠る

XCX

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6.すみか

「…と…ちゃ…」

 か細い声に、狐が息を呑んだ。その瞬間、ティオは凄い力で突き飛ばされた。受身すら取れず、全身を地面に叩きつけられ、青年は呻いた。

「タータ!」

 地面に肘をつき、何とか上体を起こしたティオは驚きに目を見開いた。先程までそこにいた巨大な狐が人型に変化していたのだ。狐の毛並みと同じ白金の髪を持った男は、胸に抱いた幼獣を覗き込み、心配そうに顔を歪めている。同時に、どうすればいいのか分からず戸惑っているようにも見えた。

「…その、ひと…わる、く…な…おぃらの、こと…たすけ…」

 ティオをかばおうとする子魔獣が声を絞り出す度に、ヒューヒューと言う音が混ざる。ティオは歯を食いしばって起き上がった。

「毒に侵され、発熱している。すぐに適切な処置を施さないと命が危ない。俺は薬師だ。解毒薬も熱冷ましの薬草も、必要なものは持ってる。俺に、その子の治療をさせて欲しい」

 我が子を懐に抱え、威嚇する親魔獣を落ち着かせようと試みる。もう一歩距離を詰めれば、喉笛を掻き切られてしまう、とティオは感じた。敵意は無いことを示す為に、両手のひらを見せる。ティオは、恐怖で声が震えそうになる己を必死で抑えた。口から出てくる言葉は無意識に早口になる。親魔獣は尚も、ティオを睨みつけたままだ。
 彼の腕の中でぐったりとする幼獣の為にも、早く治療を行わなければならない。ティオは乾ききった唇を舌で舐めた。

「三日…いや、二日欲しい。もし、…もし二日経ってもその子の容態が良くならなければ、俺のことを殺してくれていい」

 賭けだった。例えここで逃げたとしても、治療が失敗したとしても、どちらにせよ自分は殺されるのだろうとティオは思った。だが子供を救うことができれば命だけは見逃してもらえるかもしれない。一縷の望みをかけての発言だった。
 彼らを静寂が包む。狐男の鋭い眼差しに圧倒されて、冷や汗がどっと沸く。それなのに口内は異常な程に乾いている。心臓は早鐘を打ち、耳元にまで鼓動が聞こえていた。

「…良いだろう。きっちり二日だ。それ以上は一秒たりとも猶予はやらん」
「あ、ありがとう!」

 魔獣の圧が和らぐ。感謝の言葉をつむぐティオの声は、安堵から裏返った。

「ついて来い」

 父親はタータと言う名の子供を腕に抱きかかえて立ち上がると、ティオに一瞥を寄越して歩き始めた。薬師を捉える視線は怜悧で、逃げれば殺すと告げていた。
 逃げる気など毛頭ない。そもそも、この狐を前にして逃げられると微塵も思っていない。あの巨体だ。数歩も行かず捕まってしまうに違いない。そう思いつつもティオは彼の言葉に頷き、後に続いた。
 足の長さの違いから、ティオは早歩きの人型魔獣の後を小走りで追いかけねばならなかった。どのくらい歩いたのか、やがて生い茂る木々ばかりだった視界が急に開き、野原へとたどり着いた。鬱蒼としていたのはどこへやら、川が流れ、名も知らぬ可憐な花々がそこかしこで咲いている。目の前に広がる光景にティオは目を奪われた。

「入れ」

 魔獣は小さく感嘆の声を漏らす薬師見習いを振り返り、短くそう告げた。両膝に手をつき、額に滲む汗を手の甲で拭っていたティオは彼の発言に目を丸くした。入れと言われても、目の前には開けた野原が広がるばかりだ。生活跡など何も無く、ここで父子が生活しているようには見えなかった。

「え、えっと…」

 呆然と動かないティオに業を煮やしたのか、魔獣は彼の腕を掴み引っ張った。体勢を崩すティオのことなど構わず、強引に背中を突き飛ばした。

「いたた…」

 案の定転んだティオは、ゆっくりと立ち上がりながら手のひらについた土を払った。そこで彼は周囲の風景が先程と異なっていることに気がついた。
 野原は消え、いつの間にか洞窟の中にいた。洞窟の中だと言うのに柔らかな陽が差し、ひんやりと涼しく爽やかな風が頬を撫でる。それに、広々としていて快適だった。だが当然と言えば当然だろうが、家具などは一切なく必要最低限と見られる物のみだった。焚き火の跡に、薪の山、寝床と思われる箇所には獣の毛皮。大小大きさの異なる木の椀に、飲み水を汲んだ樽。
 ティオの横を通り過ぎ、狐の魔獣は毛皮の上に子供を横たえた。それを見た薬師見習いは慌てて幼獣の元へと駆けた。タータの額を触れば、火傷するのではないかと思う程に熱い。ティオは鞄の中身を漁り、タータの症状を緩和させる為に必要な薬草類と調合器具を取り出した。薬草を細かく刻む刃物を取り出した瞬間、父親である魔獣の雰囲気が剣呑なものになった。

「妙な真似をしてみろ。すぐさま喉を噛み千切ってやる」
「…そんなことしないよ。俺はこの子を助けたいだけだ」

 牙を見せて威嚇をする彼に、ティオは内心恐怖に怯えながらも正面から見返した。父親はタータの傍に座り、作業を開始するティオの一挙手一投足を見逃すまいと警戒心を露に見つめている。
 薬師見習いにとってやりにくいことこの上ないが、父親の心情を考えば無理もないのだろうとティオは思った。急に人が森の中にいるかと思えば、我が子が怪我をし、毒に侵され苦しんでいるのだ。
 それならば、とティオは薬草の一つを手にとって魔獣の眼前に突きつけた。

「これ、ハロラジスの葉。解熱作用がある」

 無言で調合するよりは、何の植物をどういう用途で使用するのか説明する方が良いだろうとティオは思った。父親の不安や敵意を拭い去れるとは全く持って思わない。気休め程度でも、しないよりは。それに、声に出して説明するほうが、不思議とティオの気持ちも落ち着いた。

「こっちはハイペリカムの葉。鎮痛効果がある。体内に侵入した毒に対して、体の免疫機能が過剰に働きすぎているから、アエノセラの葉で緩和させる」

 薬草を細かく切り刻み、乳鉢ですり潰す。その様子をただじっと魔獣は見つめていたのだが、激しい敵意は少し和らいでいた。

「これ、飲ませて。その間に、毒を吸い上げて傷を塞ぐ湿布薬を作るから」

 木の器に注いだ煎じ薬を父親に渡し、ティオは湿布薬の調合に取りかかった。

「タータ、薬だ。飲め」

 魔獣はタータの首の後ろに手を回して頭を起こさせると、苦しげな呼吸を繰り返す息子の口に器をあてがった。小さく開いた口から薬をゆっくりと流し込む。こくりと嚥下したタータは唸り声を上げ、顔を背けてしまった。

「タータ」
「…ゃら…っ、にがぃ、よお…やだぁ…!」
「タータ、我慢しろ。飲めば苦しいのが楽になる」

 目をきつく閉じたまま両手を頼りなく振り回して嫌がる幼獣を、魔獣が宥めすかす。身に纏うひりついた雰囲気はすっかりナリを潜め、その顔は子を心配する親のものだった。

「良い子だ。さすが俺の子だ」

 父親は、ゆっくりと長い時間をかけて薬を飲み切った我が子の頬を撫でた。薄っすらと笑みの浮かんだ、その表情はとても柔らかく優しい。タータも褒められて嬉しかったらしく、無言ながらも父親の手に頬ずりをした。
 親子の様子を内心微笑ましく思いつつ、ティオは怪我をした箇所に、薬草をすり潰したものを塗りつけ、その上から大きな葉を巻き、強度のある蔦でしばった。最後に、貯水機能に優れた、紫色の大ぶりな葉に水をたっぷりと染み込ませ、幼獣の額に乗せる。

「これで出来ることは全部。後は、様子を見て湿布を変えて、また煎じ薬を飲ませる」
「貴様の命の猶予はきっちり二日だ。…俺の息子が回復しない限り」
「…分かってる」

 氷のように冷たく鋭い視線に、ティオはきつく握り拳を作った。
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