見習い薬師は臆病者を抱いて眠る

XCX

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27.託す

 駆けるザクセンは、大きな黒い塊を目にして、さらに加速した。近づくにつれ、塊は魔獣の後姿だと分かる。その奥に見慣れた青年の姿を視認して、大狐の内に激しい怒りが噴出する。
 ザクセンは後脚で強く地面を蹴り跳躍すると、四つ目の狼に飛びついた。口を大きく開き、首元に噛みつく。狼の体が傾ぎ、二頭は地面に倒れこんだ。
 だがあまりの手応えのなさに訝しんだ狐は、口を離し足元に視線を落とした。狼は、首から下がなかった。胴体は棘のついた蔦に絡め取られ、なにかのオブジェのようになっている。既に、狼は絶命していた。
 ザクセンは、蔦の中心で木にもたれて座りこむティオに駆け寄った。大狐を認識した蔦が彼を避けるように蠢く。

「おい…っ!」

 全身血みどろのティオに、ザクセンはひゅっと息を吸いこんだ。心臓が激しく鼓動する。今にも胸を突き破らん勢いだった。
 あの日、倒れたナンナを見つけた時の光景がフラッシュバックする。
 ザクセンの体は重く、まるで鉛になったかのようだった。自分の周囲だけ時が止まっているようにも感じられた。
 ザクセンはティオのそばに寄ると、彼の匂いを嗅いだ。狼のものも混ざっているが、ほとんどが青年の血の匂いだった。裂傷が酷い。

「…嘘、だろう…?目を、開けてくれ…お前を無事に、連れて帰ると…タータに約束したのだぞ…」

 大狐は人型に変化すると、そっと薬師の頬に触れた。その手はぶるぶると震えている。目を閉じたままの彼を、ザクセンはそっと抱きしめた。
 大狐は己を呪った。何故こうも己の傍にいる者ばかりがこんな目に遭うのか。何故いつも間に合わないのか。一族もナンナも薬師見習いもタータも。傷つくのは己だけで良いのに。

「…ぅ…」

 ティオがか細い吐息を漏らしたのを、ザクセンは聞き逃さなかった。青年の口元に耳を近づければ、小さく呼吸をしているのが聞こえた。
 虫の息ではあるが、まだ生きている。
 そう分かった途端、ザクセンの行動は早かった。青年の傍らに落ちていたカバンから包帯を取り出し、圧迫止血を行った。既に大量の血を失ってはいるが、しないよりは良い。それから、傷を塞ぐ作用のある薬草を巻きつけ、そっと彼の体を抱き上げた。
 薬師見習いになるべく負担をかけないよう、だけれども急いで洞窟に戻る。

「ティオ…っ!?やだっ、ティオ!ティオッ!!」

 洞窟に戻るなり、父親の腕の中で血塗れになってぐったりとしているティオを見て、タータはパニックに陥った。

「タータ…よく聞け。森の入り口を開けろ」
「ティオ、死んじゃやだ…っ!オイラを、置いてかないでっ…!ティオ、ティオぉ…っ!」

 ザクセンの声は息子に届かない。ただひたすらに泣き喚き、父親の足を両手で引っ掻く。タータも人型に変化し、大狐の体に登ろうとする。
 ザクセンはぎゅっと唇を引き結んだ。ティオを抱いたまましゃがみこみ、タータの頬に平手打ちを食らわせる。甲高い音が洞窟内に響いた。
 突然のことに驚き、タータは目を見開いた。じんじんと痛む頬に、幼獣も平静を取り戻す。

「タータ、見ての通り、薬師は危険な状態だ。俺達では手の施しようがない。このままでは本当に死んでしまう。だが、こいつの師匠に託せば助けられるかもしれない。十分な腕を持つこいつの師匠となれば、治療の腕も相当なものだろう」

 わかるな?、と優しく言葉をかければ、子狸はこくりと頷く。涙の浮かんだ目をぎゅっと閉じ、胸の前で両手を握り合わせる。

「…入り口、開けた…っ」
「良い子だ」

 ザクセンはタータの頭を撫でると、洞窟を出た。父親とティオの姿が見えなくなると、子狸はその場にうずくまり、額を地面に擦り付けて慟哭した。
 ザクセンが森の入り口を抜ける頃には、完全に夜の帳が降りていた。遠くに、ちらほらと光の灯った大きな屋敷が見える。あそこにティオの師匠がいる。他にも、大勢の住人がきっといる。
 大狐は腕の中の青年に視線を落とした。顔には血の気がない。二の足を踏んでいる暇はない。
 そこで、大狐はこちらに向かってきている二つの影に気づいた。夜目にも、それは騎獣に乗った二人の住人だと分かる。

「ま、待ってください、イェゼロ様っ!」

 襲撃か、と身構えた魔獣だったが、後方にいる影が言い放った名に警戒を解いた。いつだかティオが師匠のことを話していた時に聞いた名前だった。
 ザクセンはティオを抱き直し、首を下げた。青年の乾いた唇にそっと口づける。

「…死ぬな、ティオ」

 その呟きは誰にも聞かれることなく、空中に霧散した。
 青年を腕に抱えた大狐の存在を認識した影が、少し距離をとった状態で停止した。少し遅れてもう一つの影も止まった。先頭の男は、手持ちのランプに火を灯し、顔の高さに掲げている。ザクセンに対し警戒心むき出しだが、彼が腕に抱えている存在を視界に捉えた途端、目の色を変えた。

「ティオ…!」

 男は騎獣から飛び降り、大狐の元へ駆け寄る。彼の悲痛な声に反応した、もう一人も後に続く。

「お前がイェゼロか」

 名を知られていることに、男は驚いたように目を丸くした。だが次の瞬間には、殺意のこもった眼差しでザクセンを真っ向から見据える。

「…だとしたら何だ。お前がティオをこんな風にしたのか」

 ザクセンは一瞬ためらったが、頭を横に振って否定した。ある意味では、己が薬師見習いを傷つけたと言えるからだ。己が駆けつけるのが遅かったから、彼は瀕死の重傷を負った。

「……狼の魔獣に襲われた。止血はしたが、既に出血が酷い状態で行ったから効果は薄いだろう。だがかろうじて息はある。すぐに適切な処置が必要だ。待機してくれて助かった。俺にはどうすることも出来ん」

 大狐は腕に抱いた青年の身をイェゼロに預けた。
 魔獣とは思えない程の手つきの慎重さと優しさに、意外だとイェゼロは思った。

「…死なせないでくれ。俺と息子は彼に命を救われたというのに、感謝の言葉をまだ伝えられていない。…大切な存在なんだ」
「…言われなくても、死なせるわけねえ。俺もバカ弟子には言いたいことがたくさんあるんでな」
「そうか」

 固い意志のこもった力強い答えに、ザクセンは力なく笑う。イェゼロは何も言わずに踵を返した。騎獣二匹を並列させ、その間に簡易担架を作り、ティオを横たえさせる。
 ザクセンはイェゼロに同行している男に視線を移した。髪を短く刈り上げた、体格の良い男だった。心配そうにティオを見つめている。ティオと親しかったのだろうか、とザクセンはふと思った。
 彼らは後ろを振り返ることなく、屋敷に向かって騎獣を走らせた。小さくなって見えなくなるまで、ザクセンは彼らの姿をじっと見つめた。
 熱心に見つめようが、己にできることはもうない。ティオの生命力を、彼の師匠の腕を信じるしかない。
 ザクセンは頭を掻き、魔獣の姿に変化した。そうして己も息子の元へと帰るべく、森の中へと戻った。

感想 3

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