地獄0丁目

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6 邂逅

 防膜に奇妙な揺らぎを感じた時、地獄の王にして第0階層の主、ツヴェーテは宰相オンデゥルウェイスから魔獣による襲撃の被害状況の説明を受けていた。
 ツヴェーテはオンデゥルウェイスの報告を手で制した。

「…どうかされましたか」
「何かが防膜を通って入り込んでいる」

 主君の言葉に、宰相は驚きで目を見開いた。

「確認に行く。オンデゥルウェイス、お前も来い」

 そう口にして足早に執務室を後にする主君の横顔を見ながら、オンデゥルウェイスは問いかけた。

「…天界の者による侵入でしょうか」
「いや、違う。すり抜けて来ている」

 怪訝そうに眉をしかめながらも、ツヴェーテは落ち着いているようだったが、オンデゥルウェイスは当惑した。
 防膜とは、その字の通り外敵の侵入を防ぐために張っている膜のことだ。外敵とは、天界の者や魔獣。それ故、防膜は常時張らねばならず、莫大な量の魔力を要する。
 中でも王であるツヴェーテが張る防膜は強度は勿論のこと精度も高く、外敵が膜に近づくだけでも気配を感じ取れると言う。
 先程ツヴェーテは、すり抜けている・・・・・・・、と言った。既に宮廷内に侵入していると言うことだ。最高精度を誇る王の防膜を、気配を感じさせることなく中に入り込んだと言うことは、相当な力を持っているに違いない。
 遅れを取らぬよう注意しつつも、主君の後ろをついて廊下を歩いていると、一画で兵士が十数名集まっているのが見えた。シュトハインガーの姿もある。
 ツヴェーテは真っ直ぐそこへ向かって歩を進めている。侵入者はそこにいると見て間違いないだろう。

「シュトハインガー」
「陛下。お、オンデゥルウェイスも一緒か。丁度いい所に」

 主君と宰相の到着に気づいたシュトハインガーは、明らかに安堵の表情を浮かべた。
 宮廷警備兵長であるシュトハインガーは、小麦色の肌に橙の髪が印象的な、快活な青年だ。

「兵士が定例巡回してたら天井から人間が落ちて来た、って慌てて報告に来たんだよ」
「人間…?」
「囚人の一人だろう?牢に入れておけばいい」

 オンデゥルウェイスは、ツヴェーテが表情を厳しくさせたことに気がついていない。

「いや、俺もそう思ったんだけど。懇願されて来てみたらよ…」

 シュトハインガーは、短く刈り上げた橙色の髪を乱暴に掻き乱した。
 どう説明すればわからず言い淀む彼に、オンデゥルウェイスは首を傾げた。見た目通りの脳筋で、勢いが全てな彼のここまで歯切れの悪い様子は見たことがない。

「見せろ」

 シュトハインガーが横にずれて、王と宰相はようやくその人間の姿を視認した。
 彼らの先には、床に座り込み顔を俯かせる少年がいた。
 白いガウンを身に纏わせ、裾から覗く手首や足は骨と皮だけのように細く、所々に挫傷や裂傷が見える。
 栗色の短い巻毛の隙間から聞こえてくる呼吸音は、間隔が早く、か細く弱々しい。まるで身を守るかのように、少年は両腕で自身の体を抱きしめてうずくまっていた。
 只の人間にしか見えず、宮廷警備兵長が言葉を詰まらせる理由がわからない。
 怪訝な表情を隠しもせずにシュトハインガーに視線を移すと、彼は兵達に向かって顎をしゃくった。兵長の指示を受けた宮廷警備兵の一人が、少年の顎の下に手を差し入れて強制的に顔を上げさせる。
 紫と水色の、一対の瞳。
 驚愕に瞠目するオンデゥルウェイスは、隣に並ぶツヴェーテが短く息を呑む音を耳にした。

「オッドアイ…!?」

 宙に彷徨っていた虚ろな視線がツヴェーテの姿を捉えると、ヴィカの目はゆっくりと大きく見開かれた。
 まるで時間が止まったかのように、お互いに身動きを取れないでいた。
 しかしヴィカが意識を失って倒れたことで、静寂は破れた。
 彼を抱き起こそうとする兵士を手で制して、ツヴェーテはヴィカを抱き上げた。
 その体の余りの軽さに、王は眉をひそめた。

「南端の客室に連れて行く。シュトハインガー、グスイとウルラを連れて来い」
「了解」

 平生通りの落ち着いた声に我に返ったオンデゥルウェイスは、客室に向かって歩を進めるツヴェーテを慌てて追いかけた。

「陛下、迂闊にその者に触れては…!」
「心配ない。魔力は感じられん。あるとしても、瀕死の状態だ。使える筈もない」
「しかし、陛下に万が一の事があれば」
「くどいぞ」

 肩越しに睨みつけられ、オンデゥルウェイスは口を噤んだ。
 南端の客室に着くと、ツヴェーテはヴィカを寝台に横たわらせた。

「しかし陛下、何故グスイ殿とウルラ殿を?」
「オンデゥルウェイス、こいつは第一階層から紛れ込んだと思うか」

 生前罪を犯した人間は、死後地獄に落ちる。軽犯罪者は第二階層に流されるが、重犯罪を犯した人間の魂は地獄の入り口である第一階層に全て落とされ、罪の重さにより第三階層から第九階層の何処かに収容される。彼らはすべからく囚人と呼ばれ、罪の清算が成されるまで、己の罪の重さに応じた責め苦に耐えなければならないのだ。
 第一階層は円柱形をしており、ここ第0階層の中心を通っているため、囚人が何らかの現象でこちら側に入り込んでしまう可能性は考えられないことではない。

「ええ。本来それすらあってはならない事ですが…。ティベルティード様にも報告しませんと」

 早速と言わんばかりに部屋を出ようとする宰相を、ツヴェーテは必要無いと言って呼び止めた。

「陛下?必要無いとは、一体どういう——」

 先程からの主君の発言を不可解に感じて、オンデゥルウェイスが振り返ると、ツヴェーテはオッドアイの少年の額に手を当てていた。

「第一階層から迷い込んで来たのではない。こいつは、人間界から落ちて来た、生身の人間だ」

 オンデゥルウェイスは刮目し、主君の正気を疑った。
 確かに、地獄は人間の世界の下に存在する。だからと言って地面を掘り進めれば地獄に辿り着くのかと言えば、そういう訳でもないのだ。

「信じられないか」
「当たり前です!そんな突拍子も無い、生きた人間が地獄に落ちて来るなどと…!」

 地獄王は声を荒げる宰相に近づくと、まるで落ち着かせようとするかのように頬を撫でた。
 行動の意図が見えず手を払おうとした瞬間、オンデゥルウェイスは光の中にいた。そして、それは中に流れ込んできた。
 何だこれは、と頭の中で疑問が生まれたかと思えば光は消え、目の前に二人の人物が現れた。
 ゆったりと揺れる安楽椅子には、栗色の豊かな巻き毛の女が穏やかな表情で座っている。膝の上では、女の子供だと思われる幼児が眠そうに目を瞬かせている。その瞳の色は、紫と水色。そこで気を失っている少年と同じ色だ。
 温かな愛情。両親に愛される喜び。全身を包み込む腕の力強さ。母の柔らかな甘い匂い。
 これはあの少年の記憶なのだろうか、と己の中に流れ込んで来る心地の良い波に、オンデゥルウェイスは身を任せた。
 やがて景色は一変し、辺りは闇に包まれた。
 海よりも深い悲しみ。終わりの見えない苦しみ。延々と続く痛み。心の救いだった鼠を失った空虚。生への諦念(ていねん)。死への渇望。己をバケモノ、悪魔の子だと詰る声。憎悪や嫌悪を孕んだ人々の目。奇異の目に向けられる欲望。謂れのない嫉妬。
 少年が味わったであろう出来事が奔流となって、次々にオンデゥルウェイスの頭の中を流れていく。
 まるで夜の海に沈められたかのように息ができない。
 必死で手足を動かして、一刻も早くここから出たいともがいているのに、見渡す限り広がる暗闇。助けてくれと声を上げようとするも、締めつけられているかのように喉が苦しい。
 誰か、誰か、誰か——…!

「オンデゥルウェイス、大丈夫か」

 ツヴェーテに肩を揺さぶられて、オンデゥルウェイスは我に返った。
 主君の腕に縋りついて崩れ落ちそうになる体を支え、大きく息を吸い込む。全身にぐっしょりと汗をかいてるのがわかって、気持ちが悪い。

「陛下、今のは…」
「あの子供の記憶だ。カラリエヴァが何か仕込んでいないかと、確認のために探った」

 心配するまでも無かったようだがな、とツヴェーテはフンと鼻を鳴らした。
 カラリエヴァは、地獄と反目している天界を率いる王の名前だ。
 探ったということは、ツヴェーテも彼の記憶の奔流を身に受けたはずだ。しかし見る限りオンデゥルウェイスのように疲弊している様子は見られない。
 オンデゥルウェイスはふらつく頭を左右に大きく振って、己を叱咤した。

「納得したか」
「——え?」
「最後まで見ただろう。あの少年は人間界から、落ちてきた・・・・・

 宰相はゆっくりと、しかし力強く頷いて肯定した。
 記憶の中で、かの少年はサーナという女性に階段から落とされて意識を途切れさせたかと思うと、次に目にうつしたのは第0階層の廊下と兵士だった。
 地獄王の言葉に嘘はなかった。正気を失った訳でもなかった。
 信じられないことだが、本当に、彼は床を突き抜けて地獄の第0階層まで降ってきたのだ。

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