地獄0丁目

XCX

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9 変容

 夜、準備が整ったとの報告をグスイより受けたツヴェーテが客室に向かうと、扉の前にはオンデゥルウェイスの姿があった。
 地面に視線を落とし、物思いに耽ける宰相は王に気がついて、はっと顔を上げた。

「…ウルラ様は、変容にあたって起こる可能性のある副作用について、文献を精査されておられます」
「現在判明している副作用にはどの様なものがある?」

 オンデゥルウェイスは目を閉じて、ゆっくりと頭を左右に振った。

「いえ、まだ何とも。発生する副作用は個体によって異なるとしか…」
「そうか」

 ツヴェーテがドアノブに手をかけると、オンデゥルウェイスは何か言いたげに口を開いたが、すぐに口を噤んで俯いてしまった。
 だが彼が何を言わんとしていたか、ツヴェーテにはそれとなくわかっていた。もうしばらく経過を見た方が良いのではないか、とでも言いに来たのだろう。そうでもなければ、大した報告もないのにわざわざ客室の前で主君を待っている筈がない。グスイ同様、オンデゥルウェイスも王の判断に諸手を挙げて賛成という訳ではないのは、変容を決断したと伝えた時の表情から分かっていた。
 だが、ツヴェーテによって命は下った。絶対の権力を有する王が一度決定したことに異議を唱えるなどと、通常はあってはならないことだ。しかし、代案を提示出来るのであれば別だ。王を納得させるだけの説得力のある代替案があれば。オンデゥルウェイスが言葉を発しようとしないのは、それが無いからだ。
 視線を下に落としたまま微動だにしない宰相を横目に、ツヴェーテはドアノブを回した。

「陛下、じきに薬は準備できます」

 室内に足を踏み入れると、グスイが慌ただしく調合器具を弄っていた。薬の材料であろう薬草や魔獣の角やらが、そこかしこに散乱している。寝台に目を向ければ、ヴィカがぼんやりとした様子でグスイの作業を眺めていた。
 ツヴェーテは隣に腰かけ、ヴィカの頬を撫でた。目蓋がピクリと震えたかと思うと、美しい一対の瞳が向けられる。ツヴェーテは再び胸が騒ぐのを感じた。しかしその視線もすぐに逸れてしまう。

「さあ、整いました。陛下の血を薬に混ぜれば完成です」

 そう言ってグスイは、若緑色の液体で満ちた杯と短剣を差し出した。
 ツヴェーテは短剣を受け取り、一瞬逡巡したかと思うとおもむろにヴィカの指に刃先を突き立てた。皮膚が切れ血がにじみ出るそれを、王は口に含んだ。
 血をすする王を、ヴィカは不思議そうな顔で見ているが、グスイは驚きのあまり小さな目を限界まで開いて、薬をこぼしそうになっていた。薬師はそれに気がつくと、慌てて杯を机の上に置いた。

「陛下…それは…」
「口外はするな。特にオンデゥルウェイスには」

 有無を言わせぬ鋭い視線に、グスイは戸惑いながらも小さく頷いた。それを確認すると、ツヴェーテは今度は刃を己の手のひらに滑らせ、杯の中に血を垂らした。
 血が薬に混じった瞬間パチパチと火花が弾け、薬は透明な液体へと変わる。

「ヴィカ、飲め」

 杯を口元に寄せるも、少年はツヴェーテの顔と薬を交互に見るだけで微動だにしない。
 無理もない。これまでずっと、薬はツヴェーテが口移しで与えていたのだ。

「グスイ、これは俺の体に影響はないか」
「はい。陛下は地獄の生まれですし、御身の血ですので」

 ツヴェーテはぐっと液体で口内を満たして、平生のやり方で薬を与えた。ヴィカが抵抗もなく飲み下すのを確認し、体を横たえさせる。

「じきに薬の効果が表れるはずじゃ」

 グスイの言葉通り、すぐにヴィカの顔に苦悶の表情が浮かんだ。
 額には玉のような汗が表れ、肌に触れると灼けるように熱い。酷い熱だ。
 グスイは寝台に上がると、手拭いでヴィカの汗を拭った。だが拭き取るそばから大量の汗がにじむ。

「全ての細胞が作り変えられるのじゃ。変容には一晩かかります。儂がついておりますゆえ、陛下はお休みください」

 薬草の汁で汚れた眉や髭をわさわさと動かすグスイを一瞥して、主君はヴィカに視線を移した。
 高熱に浮かされ、苦しげに呻く少年の目が開いて、ツヴェーテを視界に捉える。
 涙で潤んだ瞳は、行かないでと王に懇願しているかのように思えた。

「構わん。俺も付き合おう」
「心配なさらずとも何かあればすぐに知らせますぞ?」

 そうではない、とツヴェーテは頭を振った。

「この状態では、一人で水を飲む事すらままならんだろう。まさかお前が飲ませる訳にはいくまい。ここに残る理由としては不十分か?」
「…いえ、陛下。助かります」

 片眉を跳ね上げ、意味ありげに含み笑いをする主君に、薬師は目尻を下げ満足そうに頷いた。


 ***************


 誰かに角を触られている感覚に、ツヴェーテの意識はまどろみからゆるりと浮上した。
 王たる素質を持つ者のみに生える角。長ければ長いほど、太ければ太いほど、王の力が強大であることを示している。
 ツヴェーテの角は、歴代の中でも最上級と言われている。黒く艶のある角は三重に捻じ曲がり、その長さは70㎝に及ぶ。太さは手首ほどもあり、申し分ない。
 その角の節を、指がたどたどしく撫でる。力の象徴であるため、角持ちは総じて角に触れられるのを嫌う。しかし嫌悪感を感じるどころか心地良ささえ感じて、ツヴェーテは身を任せた。

「…きれい…」

 耳に入って来た小さな声に、ツヴェーテは完全に覚醒した。角に触れる手を脊髄反射で掴んで強く引き寄せれば、短い声が聞こえる。
 目を開けて視界に飛び込んで来たのは、紫と空色の瞳だった。次いで、鼻に薄く散ったそばかす、頬のこけた顔、栗色の巻毛。厚みのある唇は栄養不足で色がくすみ、乾燥で荒れている。手に感じる手首は異様に細く、少し力を込めれば確実に折れるだろうとツヴェーテは思った。
 じっと見つめられて居心地が悪いのだろう、ヴィカが手首を離して欲しそうにもがき始める。
 しかし離すつもりなど毛頭ないツヴェーテは、ヴィカの腰に腕を回して己の方へ引き寄せた。強い力に非力な少年が抗えるはずもなく、ヴィカの体は上半身を起こしたツヴェーテの懐にすっぽりと収まってしまう。
 やはり、軽い。以前抱き上げた時よりも軽くなっている気さえして、王は眉間にわずかに皺を寄せた。
 膝の上に抱き上げられてもなお、ヴィカは逃げを試みようと身じろぐ。ツヴェーテは腰に巻きつけた腕にさらに力を込め、それすら封じた。
 ひとまず、死ぬという最悪のケースは免れたようで、地獄の王はそっと安堵の息を吐いた。熱もすっかり引いている。
 見る限りヴィカの見た目に変化はなく、変容の薬の副作用は表れていないように思えた。むしろ鈍かった反応が良くなっている感じさえ見受けられる。
 吐息を感じられる程の至近距離で顔を覗きこまれ、少年はきょろきょろとせわしなく目を動かしながら顔を俯かせた。

「グスイ」

 落ち着いた声が室内にいやに響いて、床で眠りこけていたらしいグスイは跳ね起きた。

「あいすみませぬ、陛下。つ、ついうたた寝をしてしまったようですじゃ」
「いや、俺も寝ていた。それより、ヴィカの健診を頼む」

 慌てた様子でベッドの上によじ登って来た薬師は、ツヴェーテの腕に抱かれるヴィカの姿に驚いたようだった。同じくヴィカも顔中毛むくじゃらの小人の突然の出現に、ひゅっと息を飲み、とっさにツヴェーテの胸に縋りついた。少年の両手が、王の服をぎゅう、と強く掴む。
 その行動にツヴェーテは、目を丸くさせ互いに見つめ合うヴィカとグスイをよそに、ひっそりと笑みを浮かべた。

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