「piyo-piyo」~たまきさんとたまごのストーリー

卯月ゆう

文字の大きさ
26 / 52
第3章 変わってゆくものばかり

15

しおりを挟む
(たまきside)

 季節は梅雨入りを迎えていた。
 少し雲が多い天候に迎えられ、今日も「piyo-piyo」の開店準備をしている。
 表通りから外れたこの店は物静かで、店内のデッキから流れてくるピアノの楽曲が少しずつ聴こえていた。
 そこに、バイクの音が近づいてきた。郵便屋さんは私の前でバイクを止めて降りて、一通のはがきを出してきた。それは、古くからの知人だった。

 ・・・

 数日後、私はある家の玄関の前に立ち、呼び鈴を押した。
 はがきを送ってくれた人物に会いに来たのだ。古くから営んでいる喫茶店の店主で、私からすれば先輩のような方だ。お互いの店が休みの日に、こうして会う約束を取り付けた。
「こんにちは、たまきです。
ご無沙汰していますー」
 その声に反応して出てきたのは、少し白髪が混ざったご婦人だった。
 お互いに会釈をする。
「あら、たまきちゃん。
今日もお綺麗ね」
 彼女はほほ笑みながら言うと、
「おばさまには負けますよ」
と私は決まって微笑みを返す。これはいつものやり取りだ。
 この会話の後、私は彼女の家に入っていく。

 ゆっくりと歩く彼女の後をついて行って居間に入った。
 その空間には不思議な甘い香りが包んでいる。それはこの家で淹れたコーヒーの香りのおかげだろう。午後3時になるとコーヒーブレイクを楽しむ彼女を証明するように、レトロな電動式のコーヒーミルが置かれていた。
「年を取ると、楽しみがなくなっていって......。
でも、こうしてお茶の時間を迎えるのが好きなのよ」
「私もそうですよ。
コーヒーは心が落ち着きますから」
 たまきちゃん、分かってるわね。そう言う彼女には年齢を感じさせない微笑みが浮かんでいた。少し茶目っ気のある表情に私もなれるだろうか、正直なところ自信がないのだ。

 居間のテーブルにコーヒーと芋ようかんが並んでいる。コーヒーは彼女がお気に入りの京都の老舗のもので、よくおすそ分けを私も頂いている。芋ようかんは私が浅草で買ったお土産だ。
「おばさま、相変わらずお上手ですね」
 彼女はフォークを使って、芋ようかんを一口大に切って食べている。以前夕飯に招かれたときも、彼女は煮物を丁寧に食べていた。
 その上品さは全く失われていない。
 箸や食器の所作は子供の頃にできるようになるのが当然なんだけど、彼女の姿を見て私も、もっと綺麗な使い方をできるようにしようと、そう決めたのだ。
 だから、「piyo-piyo」で使っている箸は、しっかりと扱えるような先の細いものを浅草にある道具街の隅から隅まで探して決めた。
「お店はもうかっているのかな?」
「ぼちぼちってところですねえ。
やっと軌道に乗ってきたところで、新しいお客様もいらして......」
 良かったわね、と彼女はほほ笑んでくれた。
「あなたの決断、素晴らしいわよ」
「......ありがとうございます」
 私は頭を下げた。なんだかこの方には頭が上がらない。感謝してもしきれない、そんな人物だと思っているからだ。
「私のお店、閉めようと思ってるのよ。
どうも膝が悪くてねえ」
「ええ、はがきで読みました。
寂しいですね」
 彼女の店は先祖代々伝わっている、上野の近くにある喫茶店だ。
 厚切りトーストを看板メニューにしているお店で、顔なじみのお客様それぞれの焼き加減や付け合わせをすべて覚えているのだそうだ。たぶん、彼らの多くはトーストを食べるよりも、彼女に会いに行くのだろうと私は思っている。そしてマスターもお客様のために心を込めて出している。
 それを思うと、私の心に残っているわだかまりがこみ上げた。それはゆで卵を作るように、少しずつ温かくなって固まってくる。誰かのために作った味付け卵を思い出していた。
「ひよこさんも閉めるかどうか、悩んだ時がありましたものね」
 "ひよこさん"は「piyo-piyo」の事を指す、彼女なりのニックネームだ。
「そうですね。
私はあの時、だいぶ寝込んでしまって......」
 私は昔のことを思い出して、ため息をついた。それに、彼女が居なかったら「piyo-piyo」も今の私もなかっただろう。
「あなたの決断、素晴らしいわよ」
 えらいわね、そう言って彼女は私の手を取った。その温かみからは私も、みんなも、それを待っていたんだよ。という気持ちが伝わってくる。
「......あなたは悪くないんだよ」
 そう声をかけられて、私は頭を上げられなかった。涙ぐんで、一粒だけ彼女の手のひらに落とす。
「泣いてばかりだと、あの人も浮かばれませんよ」
 そうですね、とわずかばかりに答えた私はやっと頭を上げて涙をぬぐった。

 その後もだいぶ話をした。少しずつ夕方になっていくのは、まったく気づかなかった。
「......では、この辺で」
 お暇しようと立ち上がる私に、彼女はコーヒー豆を持たせてくれた。
 そして、私に聞き取れる声でしっかり告げたのだ。
「あなた、恋をしているわね」
 そう言われた私は、恥ずかしそうに顔を真っ赤にしていた。まるで、自分でも分かるみたいに。

 ・・・

 外の空気はいつの間にか湿気を含んでいた。
 雨が降りそうだ、と考える前に私の髪を水滴が濡らしてしまった。私は急いで折りたたみ傘を広げたが間に合わなかった。
 ......あなたは悪くない。
 そう言ってくれるのは嬉しいけれど、十字架を抱えている私には重い言葉だと思う。あの出来事には、私の行いが影響しているかもしれないから。
 変わってゆくものばかりな気がした。
 それでも良いのかもしれない。私たちが、ここに居るということが大切なのだから。
 梅雨の雨はしとしとしていても、やがて大きな粒になって傘に当たる。やがて、白んだ街並みが私を包み込んだ。
 信号待ちをしている間、少し目を閉じてみる。茶目っ気のある笑い方。大切な方の、その顔を思い出してみた。今日ばかりは、感傷に浸っていたい。
 大切なものは、消えないでほしいんだ......。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし

かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし 長屋シリーズ一作目。 第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。 十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。 頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。 一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます

結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります> 政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・? ※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています

むっつり金持ち高校生、巨乳美少女たちに囲まれて学園ハーレム

ピコサイクス
青春
顔は普通、性格も地味。 けれど実は金持ちな高校一年生――俺、朝倉健斗。 学校では埋もれキャラのはずなのに、なぜか周りは巨乳美女ばかり!? 大学生の家庭教師、年上メイド、同級生ギャルに清楚系美少女……。 真面目な御曹司を演じつつ、内心はむっつりスケベ。

【R18】純粋無垢なプリンセスは、婚礼した冷徹と噂される美麗国王に三日三晩の初夜で蕩かされるほど溺愛される

奏音 美都
恋愛
数々の困難を乗り越えて、ようやく誓約の儀を交わしたグレートブルタン国のプリンセスであるルチアとシュタート王国、国王のクロード。 けれど、それぞれの執務に追われ、誓約の儀から二ヶ月経っても夫婦の時間を過ごせずにいた。 そんなある日、ルチアの元にクロードから別邸への招待状が届けられる。そこで三日三晩の甘い蕩かされるような初夜を過ごしながら、クロードの過去を知ることになる。 2人の出会いを描いた作品はこちら 「純粋無垢なプリンセスを野盗から助け出したのは、冷徹と噂される美麗国王でした」https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/443443630 2人の誓約の儀を描いた作品はこちら 「純粋無垢なプリンセスは、冷徹と噂される美麗国王と誓約の儀を結ぶ」 https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/183445041

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。

ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。 真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。 引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。 偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。 ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。 優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。 大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。

処理中です...