ひとすじの光

くにざゎゆぅ

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「ほら。肩を冷やさない」

 鏡を見ているはずなのに、背後から近づく姿が視界に入っていなかった。
 慌てて振り仰ぐと、彼女は、メッと顔をしかめてみせる。
 カジュアルスーツに身を包んだ彼女は、わたしの横で腰をかがめた。

「恵子。一生懸命なのもわかるけれど、体調管理も大事な仕事よ。ずっと現役で続けたいんでしょう? 若いからって甘く考えていたら、いざというときにガタがくるわよ」
「はい」

 わたしは素直に返事をして、ゆっくりうなずいた。

 彼女は、わたしたち研修生を取りまとめてくれている事務所のマネージャーだ。
 はきはきとしたものの言い方と頼れる性格は、わたしたち十代からすれば母親のよう。
 けれど、独身の彼女をそう呼べば柳眉を逆立てて睨んでくるので、ここの研修生は彼女のことを裏で姉御あねごと呼んでいる。

 姉御は、わたしの肩に手を添えて、ささやくように続けた。

「恵子は、夢を叶えるだけじゃなくて、叶え続けたいんでしょう? ずっと歌い続けたいんでしょう?」
「うん」
「それなら、体調管理は大切よ。やり過ぎは禁物。クールダウンも丁寧に、疲れを残さないようにね」

 そして、大きな口の両端をあげてニッと笑うと、わたしの肩を軽く叩いた。

 姉御は身体を起こすと、スタジオの入口のほうへ振り返る。
 そして、張りのある声をあげながら歩きだした。

「ほら! もう遅いんだから、着替えが終わった人たちは、さっさと帰る! いつまでも廊下で溜まらない!」

 手を叩きながら、姉御は夢見る少女たちを追い立てる。
 遅れてわたしも、着替えに向かうために立ちあがった。


 ――わざわざ声をかけてくれた姉御は。
 わたしが、ちょっと気弱になっていることに気づいたのだろうか。



 次の日も、天気はすっきりしない曇り空だった。
 教室に入ると、友梨香はもう席についている。わたしは、彼女の近くの席に座りながら、朝の挨拶を交わした。

「友梨香、昨日はごめんね」
「いやいや、結局わたしは何もしなかったし。ほら、野村くんが日誌も書いて職員室まで持っていってくれたから」

 目の前で両手をフリフリしながら、友梨香は笑顔を向ける。
 その目が、驚いたように丸く見開かれた。

「友梨香?」
「――恵子、うしろ」

 振り向くと、たったいま話題にでた野村くんが立っていた。

「あ、野村くん。昨日はありがとう。助かったよ」

 そう言ったわたしへ、野村くんはうつむき加減に口を開く。

「あのさ。いま時間ある?」
「え?」
「放課後になると、また急ぎで帰っちゃうだろ。だからいま、時間ある?」

 いぶかしげな表情になりながらも、わたしは立ちあがった。
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