Knight―― 純白の堕天使 ――

星蘭

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第三十一章 水兎


 フィア達がヴァーチェに昇進して数カ月が経った。
 季節は夏。じりじりと肌を焼く日光がイリュジアにも降り注いでいた。無論そんな中でも、騎士の仕事は休みになどならない。寧ろ、暑いこの時期の方が冬に比べ、魔獣の活動は活発になるし、貴族たちのパーティは減るはずもないのだから。

「うぅ、暑いよぉ……」

 憐れっぽい声をあげながらぐったりと机に伏せているのはアル。白衣をパタパタと引っ張る気力もなく、机の上に伸びている。彼は冬生まれで暑さに弱いらしい。しかも、今日の午前中は草鹿の騎士たちは外に薬草摘みに行ったのだ。医療部隊の騎士である彼らの中から熱中症患者を出すようなことは起きなかったが、暑さに強い者ばかりではない。長時間炎天下にさらされていたアルはすっかりダウンしている。
 集会所の机に伏せているアルを不意に冷たい風が撫でた。驚いて顔を上げたアルの額を、冷たい指先が軽く小突いた。

「しっかりしろ、アル。午後も仕事だろう?」

 蒼い瞳の親友は、アルに向かって涼しい風を送っていた。フィアが得意とする、氷属性魔術である。他人に魔力を向けるのは少々危険なのだが、魔力を器用に操ることの出来るフィアにとってこんなことは造作ない。
 ほんの少しだけ回復したアルはむくりと顔を上げて、フィアを見た。

「フィア……何でそんなに平然としてるのさ?」

 アルの言う通り、フィアは平然としている。未だぐったりしているアルに涼しい風を送りながらフィアは答えた。

「暑いことは暑いし、俺も暑さには然して強くない。……でも、そうも言っていられないからな。任務のために鎧を着るとそれ以上に暑いし」

 そういって、フィアは嘆息する。フィアたちのように戦闘任務に赴くものは危険な任務の場合、否が応でも鎧を着用することになる。ただでさえ暑いのに、そんなものを身につけたらどんなに暑いことか。アルはそれを想像したのか、少し表情を引き攣らせた。

「うわぁ、そっか。僕らなんてまだ良い方だね……」

 こんなことで伸びてはいられないなぁ、とアルが呟いた、丁度その時、ドアが開いて誰かが入ってきた。その人物はアルの隣の椅子に座り、ばたりと机に伏せる。

「……暑くて死ぬ」

 そう呟くように言って、呻く。紫色の長い髪を一つに束ね、ぐたりと机に伏せている少年……シスト。その姿を見て、フィアは苦笑した。そう言えば、彼も氷属性の魔力を持つ人間だ。この暑さには参るだろう。

「お前もかシスト。しっかりしろ」

 フィアは溜息混じりにパートナーにも冷風を送ってやった。それを受けたシストは顔を上げて、驚いた顔をした。アメジスト色の瞳を瞬かせ、言う。

「涼し……今日は優しいじゃん、フィア」

 どういう風の吹き回しだ、と彼は呟く。フィアは眉を寄せ、不機嫌そうに言う。

「失礼な奴だな。俺はいつだって優しくしているつもりだが?」

 そういって、フィアは首を傾げる。シストはそれを聞くと唇を尖らせ、反論した。

「いつもは放置じゃねぇかよ」

 普段のフィアは決して親切、というタイプではない。暑さにシストがぐったりしていようがお構いなしに訓練所に引きずっていくし、そのまま剣術の相手をさせることもある。暑いからといって魔獣は待ってくれないぞ、という彼の言葉は御尤もだと思うのだが、もう少し気遣いがあっても良いだろうと思っていた訳で。そんな彼が珍しく自分に優しいのだから、驚くのも当然だ、とシストは言う。そんな相棒の反応を見て、フィアはフンと鼻で笑って……彼にぶつける魔力を強くした。

「わ?!」

 無論加減したものではあったが、それでも冷たいことに違いはない。シストは突然の冷気に驚いて椅子から転げ落ちる。原因は勿論、わかり切っている。キッとシストが睨む先には、嘲笑するフィア。

「間抜け」

 一言そういって、彼は笑っている。

「お前なぁ……ッ」

 シストは額に青筋を立ててフィアを睨みつけるが、当の彼は何処吹く風。挙句の果てに、シストを見て、いつもは貴族の令嬢たちに向けるようなわざとらしい微笑みを浮かべつつ、言い放った。

「暑かったんだろう? 涼しくしてやったんだ」

 感謝しろ、と言い放つ彼は、なかなかに良い性格をしている。シストはひくりと口元を引き攣らせた後、声をあげた。

「あぁ、涼しかったさ、食糧冷凍庫内の魚の気持ちがわかる程度にな!」
「それは良かったじゃないか、少なくとも暑さは感じないだろう」
「永久に暑さを感じられなくなるところだよ馬鹿!」

 フィアとシストがぎゃあぎゃあと喧嘩を始める。アルは苦笑を浮かべつつ、止めることなくその様子を見つめていた。
 元々、フィアもシストも感情を表に出す方ではなかった。他人との関わり方もどちらかといえば一歩退きがちで、喧嘩などそうそうしない。そんな彼らがこんな風に喧嘩をしているというのは、ある意味良いことだと思っていた。……多少、放っておいてもそのうちおさまるだろうという諦めに似た感情があったのも事実だが。
 
 その時。くすくす、と何者かが笑う声が聞こえたかと思うと同時に……

「楽しそうだね」

 不意に二人の後ろで響いた声。それに驚いたアルも思わず飛び退く。……誰でも驚くだろう。さっきまで何もなかった空間にいきなり人間が現れたら。
 そんな三人に向かって悪びれもせずに、にこにこと笑っているのは、柔らかな黄の髪の青年だった。その姿を見て、フィアは大きく目を見開いた。

「あ、アンバー様……」

 フィアが驚いたようにその人物の名を呼ぶと、相手の男はおや、と意外そうな顔をした。緩く首を傾げた彼は少し嬉しそうに表情を緩めた。

「あれ? 知ってたのかぁ、僕の事。全然会う機会ないからさ、てっきり知られてないと思ったよ」

 嬉しいけどね、と笑顔でいう水兎アクア・バニー統率官。彼の名はアンバー・コリルク。黄色い髪と、琥珀色の瞳が特徴の、”一見すれば美青年”との呼び声高い、水兎のセラである。一見すれば、というのは、彼の言動や行動によるもの。黙っているときの彼は知的で美しい青年なのだが、口を開けば子供もびっくりな突飛な言動が飛びだす。実際は二十歳を過ぎた立派な成人男性なのだが、その言動や表情のために、実年齢より幼く見られることが多いという。また、実験好きなことにも定評があり、しばしば変わった物を作っては仲間で実験をするという噂を聞く。そんな困った気質の彼ではあるのだが頭がよく、統率力もあるため、何だかんだで信頼されているリーダーでもあるという、不思議な青年だということをフィアもルカを通じて聞いていた。

 水兎は騎士団の中でもあまり表には出ない部隊である。彼らの主な任務は大きな任務の時の作戦シミュレーションや、敵に催眠術をかけて裏で操ることなどで、派手に剣を振り回したり、魔術を使ったりすることは殆どない。だから、アンバーは自分の事をフィアが知らないと思っていたらしい。フィアが自分たちの部隊について知っていたことが嬉しかったのか、人懐っこい笑みを浮かべながら、アンバーは言う。

「ルカから話を聞いてたよ。いやぁ、話に聞いてたよりずっと綺麗な子だねぇ。戦いに行かせないで傍に置いておきたくなっちゃうな。この綺麗な顔に怪我させたくないし」

 すっと亜麻色の髪を撫で、フィアの瞳を覗き込みながらにこりとアンバーは笑う。フィアはその琥珀の瞳を見つめ返しつつ、以前ルカに聞いた彼が水兎のセラに就いた経緯を思い出した。
 三年ほど前には彼の父が水兎の統率官を務めていたが、魔力の弱まりを理由に引退。その後継者としてアンバーが抜擢されたのだという。アンバーの父親は優れた統率官で、アンバー自身もそんな父親に憧れて騎士になったといっていた。

―― すごい話だよな……

 フィアは、思う。彼のような経緯で統率官になれば何処かしらからは批判が出るもの。事実、ルカも父と同じ部隊に所属してやっかみを受けることがあったというし、フィアもそうだ。しかし、アンバーの場合それがなかったという。それは恐らく彼の実力が確かで、それを周囲もよくよく理解しているからなのだろう。頭がよく、人付き合いも良い彼は統率官に適役とされていた。特に、戦略を立てる参謀的存在の水兎をまとめるためには優れた頭脳と人心掌握術が必要不可欠である。

「それで、アンバー様、我々に何かご用が?」

 そんな水兎部隊長が、自分たちに一体どんな用事だろう。大きな任務に出る予定はないのだけれど。
フィアが問うと、アンバーはぱちぱちと琥珀色の瞳を瞬かせる。それから、忘れてた、というような顔をした。フィアの髪から手を離して、此処にきた理由を説明する。

「今日、水兎主催の宴会をやろうと思うんだ。それを連絡しようと思ってね。最近暑いからちょっと息抜きも必要でしょ? だから、これからも頑張ろうっていう意味でね。夏の終わりには試験もあるし、英気を養うのは大事でしょ?」

 そういって、アンバーは微笑む。アンバーの言葉を聞いて、シストは目を丸くした。それから額を押さえて、小さく呻く。

「試験、そうか……忘れてた」

 そう呟いて溜息を吐くシスト。試験、というのは夏の終わりに開かれる、実力考査のことだ。フィアとアルは憶えていたらしく、小さく頷いた。

「うー、負けたくないなぁ。まぁ負けないけどさ……忘れてた、からな……ああ」

 そうぼやくシストを見て、フィアは溜息を漏らす。

「忘れてたって……お前なぁ」

 呆れた顔をするフィア。シストは唇を尖らせ、呟くように言う。

「しょうがないだろ。ヴァーチェの俺たちにはあんまり意味がない試合なんだからさあ」

 むすりとしつつシストが返答する。
 試験、といっても合否が与えられるものではない。殊更ヴァーチェである彼らにとってはあくまで自分や仲間の実力を確認するためだけに行われる剣技の大会のようなものだ。その試験では、セラ、ヴァーチェ、アークの三階級、五つの部隊すべての騎士たちがいくつかのブロックに分かれてトーナメント形式の決闘を行う。アークの騎士はこの試合の中で実力を示すことができればヴァーチェになることも可能という、いわば昇進試験のようなもの。……尤も、それは簡単なことではないが。
 無論、負けたところでヴァーチェの騎士がアークに降格されることはないが、やはり彼らにだってプライドというものがある。自分より階級が下のものに負けて安穏としていられる者の方が、少ない。だからこそ、互いが互いに勝とうと必死になる。よって、剣術の試験は毎回毎回白熱したものとなり、近年では怪我をするものも出るという状況だ。

 ちなみに、今現在この騎士団で一番の剣士は、ルカである。アレクもなかなかの剣豪なのだが、流石に剣一本で戦い続けてきたルカには敵わないらしい。元々剣術が盛んなこの国。年々騎士たちの剣術の腕が上がっているのは、恐らくこの試験制度の影響もあるだろう。
 アンバーはそれに向けての景気づけのために宴会をやろうと言い出したというわけらしい。時折こういうマイペースなところがあるのが、アンバーの特徴だといっていたルカの表情を思い出して、フィアは笑った。

「試験、僕は関係ないんですけどねぇ……」

 アルはややつまらなそうにそういって、嘆息した。アルたち草鹿の騎士はあくまで医療部隊。よって剣術を鍛える必要がないとされ、剣術試験に参加することもない。怪我人が出た時のための救護要員だ。そもそもアルはフィアに教えてもらってかろうじて剣を扱える程度なのだが、ほかの仲間がそういった試験を受けるというのに、自分たちだけ参加できないというのがつまらないらしかった。

「まぁまぁ。アル君たちにしか出来ないこともあるんだし? 僕らが怪我をした時には癒してよ?」

 ニコニコと笑いながらアンバーは言う。その無邪気な笑みを暫し見つめた後、アルは嬉しそうに笑って、頷いた。

「でも、出来るだけ怪我はしないでくださいね?」

 念を押すようにアルが言う。その表情は、真剣そのものだ。医療部隊の彼からすれば、彼らの仕事が少なければ少ないほど良い。誰かが怪我をすることは、出来る限りない方が良いに決まっているのだから。
そんなアルの言葉に、アンバーはにっこりと笑って、平気平気、と言う。その軽い調子は気が抜ける。

「本当に大丈夫なのか、この人は……」

 フィアは苦笑気味にそんな統率官の様子を見ていたのだった。

「さてと」

 アンバーはぐっと伸びをして、三人を見た。そして、軽くウインクをしながら、言う。

「まぁ、そういう訳で宴会を開くよっていいに来たんだ。全員強制参加だからね。ちゃんと来てよ?」

 皆集まる機会も珍しいでしょう、と彼は言う。それは確かにそうだと思うし、無論参加するつもりではいる、と三人とも頷いた。

「もう行っちゃうんですか?」

 もう少しゆっくりしていけば良いのに、とアルが言うと、アンバーはにっこり笑って応じた。

「本当はもう少しゆっくりおしゃべりしたいんだけど、まだまだ伝えてない人たくさんいるからさ!」

 彼は自分の足でこうして宴会のお知らせをして回っているらしい。彼らしいといえばらしいのだけれど、やはりその思考回路は少し、変わっている気がする。

「じゃあ、またね」

 そう言うとアンバーは来た時と同様、唐突に姿を消した。その様子を見て、三人は唖然とした。瞬間移動の魔法は水兎の騎士が得意とする魔術の一つだ。それはわかっているのだが、目の前でやられると、やはり驚く。

「何というか、セラらしくない人だよね……掴みどころがないというか」

 嵐のような人だった、とアルが呟くようにそう言う。フィアは溜息を吐きつつ、同意した。

「確かに、そうだな。俺も、初めてあの方と会話をしたが、よくわからない。だが……掴みどころはあるかもしれないが、俺たちの部隊のセラもセラらしくないと思うが」

 自らの従兄を思い出して、フィアは言う。彼も確かに統率官らしくはない。仕事を一生懸命やるという点では認められるが、呼び捨てで呼ばれることも多い。それも彼の人柄故なのだが……やはり、仮にも部隊のリーダーとしてはもう少し敬われるべきだろう。威張り散らすことが良い、という訳ではないが、ルカは他人以上に威厳という言葉とは無縁な青年なのである。それはルカの美点でもあるのだが、統率官としてはどうなのだろう……と、フィアはいつも思っていたのだった。

「ああ、それはそうかも」

 シストは笑う。どうやら、その辺りの見解は雪狼の騎士の間では共通らしい、とフィアは思い、苦笑した。

「まぁ、あれを敬えという方が難しいがな」

 そういって、フィアは軽く肩を竦める。身内であることを抜きにしても、彼に対して敬った態度をとる、というのはなかなかに難しい。明るくて気さく、といえば聞こえは良いかもしれないが、威厳が無いというのはリーダーとしてどうなのか。フィアがそう呟けば、シストもからからと笑う。

 と、その時。ちょうど人影は二人の後ろに立った。その人影に、アルはあ、と小さく声を漏らし、固まる。背後に立った気配とアルの反応に、フィアとシストも振り向いて……思わず、表情を引き攣らせた。
 そこに立っていたのは、黒髪に赤い瞳の青年。まさしく、現在話していた人物で。

「それは俺の事か?」

 ルカはそういって、笑う。気味が悪いほど綺麗な笑顔を浮かべて。フィアとシストも流石に、しまった、と思った。彼のこういう笑顔は、大抵ろくでもないことが起きる前兆である。
 ルカは小さく咳払いをする。そして、きっぱりと、宣言した。

「フィアとシスト、今日この後の訓練内容、倍な」
「は?!」

 シストとフィアは思わず声をあげる。確かにこの後、雪狼全体での訓練がある。それを倍にすると言ったのか、今目の前にいるこの上官は。冗談だよな、という顔をする二人を見てにっこりと笑うと、ルカはぐいっと二人の襟首を掴んだ。笑顔は相変わらずだが、雰囲気は本気だ。それを察したフィアとシストは必死に抗議した。

「ちょ、それ、職権乱用だろ?!」
「横暴だ!」

 ぎゃんぎゃんと騒ぐ二人を見て、ルカは一つ溜息を吐く。

「喧しい、問答無用だ、付いて来い。あぁ、アルもあんまり長く休んでるんじゃないぞ? 動くの嫌になるだろうから」

 アルにそう優しく声をかけた後、部下二人の抗議も聞かずにルカは二人を引きずって行った。二人の声が遠ざかっていく。

「い、いってらっしゃい……?」

 あの調子では、訓練に行く前に疲れてしまうだろうに。そう思いながらアルはルカに引きずられていく二人を見送ったのだった。
 
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