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バルバロッサ帝国の皇城、大聖堂。
ステンドグラスから降り注ぐ七色の光の中、私は純白のウェディングドレスに身を包んでいた。
「……ふぅ。なんとか予算内で収まりましたね」
私はベールの下で小さく安堵の息を吐いた。
「祭壇の装花は王室庭園からの持ち込みで原価ゼロ。聖歌隊は音楽学校の生徒をボランティア(単位認定)で動員。招待客への引き出物は、我が国の特産品セットにすることで在庫処分とPRを兼ねる……。完璧なコストカットです」
「エミリエ。君、式直前まで電卓を叩く花嫁がいるか?」
隣に立つアレクセイが、呆れ半分、感心半分といった顔で私を見下ろしている。
今日の彼は、白銀の髪をきっちりと整え、儀礼用の正装を完璧に着こなしていた。
その姿は、まさに神話から抜け出した英雄のようで、参列している令嬢たちが次々と失神しそうなほど眩しい。
「仕方ありません。これは『国益』に関わる一大イベントですから」
私はブーケ(これも庭師が育てたバラ)を握りしめ、アレクセイを見上げた。
「それに、陛下。私のドレスの裾、少し長すぎませんか? 布地の無駄遣いでは?」
「黙れ。それが一番美しく見えるデザインだと言っただろう。……それに」
アレクセイは私の手を取り、そっと引き寄せた。
「今日の君は、どんな宝石よりも美しい。計算高い口を閉じていれば、だが」
「一言多いですよ、私のボス」
厳かなパイプオルガンの音が響き渡る。
式の始まりだ。
私たちは腕を組み、長いバージンロードを歩き出した。
両脇には、バルバロッサの貴族たち、そして近隣諸国からの来賓がずらりと並んでいる。
かつて私を「捨てられた悪役令嬢」と嘲笑った者たちはもういない。
今、私に向けられているのは、畏敬と羨望、そして「この国の財布を握る最強の皇后」への媚びへつらいの視線だけだ。
「……皆、いい顔をしていますね」
「私の威光のおかげだな」
「いいえ、私が来期の予算配分を握っているからですよ」
祭壇の前。
大神官が厳粛な面持ちで待っていた。
「新郎、アレクセイ・フォン・バルバロッサ。汝、この女を妻とし、健やかなる時も、病める時も、これを愛し、敬い、慰め、助け、その命ある限り真心を尽くすことを誓うか?」
「誓う」
アレクセイは即答した。
迷いのない、力強い声だった。
彼は私をまっすぐに見つめ、瞳だけで愛を語っている。
「新婦、エミリエ・フォン・ルグランス。汝、この男を夫とし……」
大神官が私に向き直る。
私は一つ咳払いをして、マイク(拡声魔道具)に向かって言った。
「誓います。……ただし」
「えっ」
大神官が固まる。
「『健やかなる時』は共に働き、『病める時』は最高の医療スタッフを手配し、『富める時』は分散投資を行い、『貧しき時』は徹底的な構造改革でV字回復させることを誓います」
「……」
会場がざわめいた。
「な、なんだその誓いは?」「具体的すぎる……」「さすがエミリエ様だ」
大神官が助けを求めるようにアレクセイを見るが、彼は肩を震わせて笑っていた。
「ははは! いいだろう! それでこそ私のエミリエだ。……その誓い、採用する」
「では、誓約は成立ですね」
私は満足げに頷いた。
「では、指輪の交換を」
アレクセイが、私の左手薬指に指輪をはめる。
先日もらったブルーダイヤモンドに加えて、皇室に伝わるプラチナのリングだ。
重い。物理的にも、責任的にも。
私も彼の指に、お揃いのリングをはめた。
「これで契約は完了か?」
アレクセイが囁く。
「はい。書類上の手続きは、先ほど役所に提出済みですので。これで法的には夫婦であり、共同経営者です」
私はドレスのポケット(隠しポケット)から、小さな印鑑を取り出した。
「あとは、この契約書に『契約完了』のスタンプを押せば、すべての儀式は終了です。さあ、陛下、ここに拇印を」
私が書類を広げようとすると、アレクセイが私の手を掴み、印鑑を取り上げた。
「……エミリエ。君は本当にムードがないな」
「効率重視ですので」
「ここは神聖な結婚式だぞ? 契約の成立には、印鑑よりも相応しいものがあるだろう」
「相応しいもの?」
アレクセイはニヤリと笑い、私の腰を抱き寄せた。
「これだ」
彼はベールを跳ね上げ、私の顔を両手で包み込んだ。
逃げ場はない。
至近距離で見る彼の瞳は、とろけるように甘く、熱い。
「……え、ちょっと、陛下? 公衆の面前ですよ?」
「見せつけてやればいい。私がどれほど君に夢中かを」
「まっ、待って、心の準備と損益計算が……」
「計算などさせるか」
唇が重なった。
チュッ……という軽いものではない。
深く、長く、そして所有権を主張するような、濃厚な口づけ。
「んっ……!」
会場から、「キャーーーーッ!!」という黄色い悲鳴と、割れんばかりの拍手が巻き起こる。
ステンドグラスの光が、祝福のように二人を包み込む。
思考が溶ける。
電卓も、予算も、契約書も、すべてが頭から吹き飛んでいく。
(……ああ、もう。本当に勝てません)
長いキスの後、アレクセイはゆっくりと唇を離した。
彼の顔は、かつてないほど満足げで、そして愛しさに満ちていた。
「……どうだ? 印鑑よりも、効力がありそうだろう?」
「……ええ」
私は赤くなった顔を伏せ、それでも精一杯の強がりで答えた。
「悪くない……『捺印』でした」
「そうか。なら、毎日更新が必要だな」
「有料ですよ?」
「一生かけて払うと言ったはずだ」
アレクセイは再び私を抱きしめ、高らかに宣言した。
「これにて、バルバロッサ帝国皇帝アレクセイと、皇后エミリエの『終身雇用契約』は成立した! 皆のもの、盛大に祝え!」
「うおおおおおお!!」
「皇帝陛下万歳! 皇后陛下万歳!」
歓声の中、私たちは新しい一歩を踏み出した。
金と計算と、そしてとびきりの愛に満ちた、新しい生活へ。
私の左手には、重たい指輪と、温かい彼の手。
これ以上の「資産」は、世界のどこを探しても見つからないだろう。
(……さて。結婚式の費用、ご祝儀でどれくらい回収できたか、後で計算しなくては)
最後までブレない思考を抱きつつ、私は隣で笑う「最高のパートナー」に、心からの笑顔を返した。
ステンドグラスから降り注ぐ七色の光の中、私は純白のウェディングドレスに身を包んでいた。
「……ふぅ。なんとか予算内で収まりましたね」
私はベールの下で小さく安堵の息を吐いた。
「祭壇の装花は王室庭園からの持ち込みで原価ゼロ。聖歌隊は音楽学校の生徒をボランティア(単位認定)で動員。招待客への引き出物は、我が国の特産品セットにすることで在庫処分とPRを兼ねる……。完璧なコストカットです」
「エミリエ。君、式直前まで電卓を叩く花嫁がいるか?」
隣に立つアレクセイが、呆れ半分、感心半分といった顔で私を見下ろしている。
今日の彼は、白銀の髪をきっちりと整え、儀礼用の正装を完璧に着こなしていた。
その姿は、まさに神話から抜け出した英雄のようで、参列している令嬢たちが次々と失神しそうなほど眩しい。
「仕方ありません。これは『国益』に関わる一大イベントですから」
私はブーケ(これも庭師が育てたバラ)を握りしめ、アレクセイを見上げた。
「それに、陛下。私のドレスの裾、少し長すぎませんか? 布地の無駄遣いでは?」
「黙れ。それが一番美しく見えるデザインだと言っただろう。……それに」
アレクセイは私の手を取り、そっと引き寄せた。
「今日の君は、どんな宝石よりも美しい。計算高い口を閉じていれば、だが」
「一言多いですよ、私のボス」
厳かなパイプオルガンの音が響き渡る。
式の始まりだ。
私たちは腕を組み、長いバージンロードを歩き出した。
両脇には、バルバロッサの貴族たち、そして近隣諸国からの来賓がずらりと並んでいる。
かつて私を「捨てられた悪役令嬢」と嘲笑った者たちはもういない。
今、私に向けられているのは、畏敬と羨望、そして「この国の財布を握る最強の皇后」への媚びへつらいの視線だけだ。
「……皆、いい顔をしていますね」
「私の威光のおかげだな」
「いいえ、私が来期の予算配分を握っているからですよ」
祭壇の前。
大神官が厳粛な面持ちで待っていた。
「新郎、アレクセイ・フォン・バルバロッサ。汝、この女を妻とし、健やかなる時も、病める時も、これを愛し、敬い、慰め、助け、その命ある限り真心を尽くすことを誓うか?」
「誓う」
アレクセイは即答した。
迷いのない、力強い声だった。
彼は私をまっすぐに見つめ、瞳だけで愛を語っている。
「新婦、エミリエ・フォン・ルグランス。汝、この男を夫とし……」
大神官が私に向き直る。
私は一つ咳払いをして、マイク(拡声魔道具)に向かって言った。
「誓います。……ただし」
「えっ」
大神官が固まる。
「『健やかなる時』は共に働き、『病める時』は最高の医療スタッフを手配し、『富める時』は分散投資を行い、『貧しき時』は徹底的な構造改革でV字回復させることを誓います」
「……」
会場がざわめいた。
「な、なんだその誓いは?」「具体的すぎる……」「さすがエミリエ様だ」
大神官が助けを求めるようにアレクセイを見るが、彼は肩を震わせて笑っていた。
「ははは! いいだろう! それでこそ私のエミリエだ。……その誓い、採用する」
「では、誓約は成立ですね」
私は満足げに頷いた。
「では、指輪の交換を」
アレクセイが、私の左手薬指に指輪をはめる。
先日もらったブルーダイヤモンドに加えて、皇室に伝わるプラチナのリングだ。
重い。物理的にも、責任的にも。
私も彼の指に、お揃いのリングをはめた。
「これで契約は完了か?」
アレクセイが囁く。
「はい。書類上の手続きは、先ほど役所に提出済みですので。これで法的には夫婦であり、共同経営者です」
私はドレスのポケット(隠しポケット)から、小さな印鑑を取り出した。
「あとは、この契約書に『契約完了』のスタンプを押せば、すべての儀式は終了です。さあ、陛下、ここに拇印を」
私が書類を広げようとすると、アレクセイが私の手を掴み、印鑑を取り上げた。
「……エミリエ。君は本当にムードがないな」
「効率重視ですので」
「ここは神聖な結婚式だぞ? 契約の成立には、印鑑よりも相応しいものがあるだろう」
「相応しいもの?」
アレクセイはニヤリと笑い、私の腰を抱き寄せた。
「これだ」
彼はベールを跳ね上げ、私の顔を両手で包み込んだ。
逃げ場はない。
至近距離で見る彼の瞳は、とろけるように甘く、熱い。
「……え、ちょっと、陛下? 公衆の面前ですよ?」
「見せつけてやればいい。私がどれほど君に夢中かを」
「まっ、待って、心の準備と損益計算が……」
「計算などさせるか」
唇が重なった。
チュッ……という軽いものではない。
深く、長く、そして所有権を主張するような、濃厚な口づけ。
「んっ……!」
会場から、「キャーーーーッ!!」という黄色い悲鳴と、割れんばかりの拍手が巻き起こる。
ステンドグラスの光が、祝福のように二人を包み込む。
思考が溶ける。
電卓も、予算も、契約書も、すべてが頭から吹き飛んでいく。
(……ああ、もう。本当に勝てません)
長いキスの後、アレクセイはゆっくりと唇を離した。
彼の顔は、かつてないほど満足げで、そして愛しさに満ちていた。
「……どうだ? 印鑑よりも、効力がありそうだろう?」
「……ええ」
私は赤くなった顔を伏せ、それでも精一杯の強がりで答えた。
「悪くない……『捺印』でした」
「そうか。なら、毎日更新が必要だな」
「有料ですよ?」
「一生かけて払うと言ったはずだ」
アレクセイは再び私を抱きしめ、高らかに宣言した。
「これにて、バルバロッサ帝国皇帝アレクセイと、皇后エミリエの『終身雇用契約』は成立した! 皆のもの、盛大に祝え!」
「うおおおおおお!!」
「皇帝陛下万歳! 皇后陛下万歳!」
歓声の中、私たちは新しい一歩を踏み出した。
金と計算と、そしてとびきりの愛に満ちた、新しい生活へ。
私の左手には、重たい指輪と、温かい彼の手。
これ以上の「資産」は、世界のどこを探しても見つからないだろう。
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