婚約破棄された悪役令嬢、沈黙を破って絶叫する。

夏乃みのり

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「……平和ね」

魔王城のバルコニーで、私は優雅に紅茶を啜った。

眼下に広がる庭園では、先日私が一喝して気絶させたギガント・ベア(なぜか懐いて庭番として再就職した)が、背中を芝生に擦り付けて日向ぼっこをしている。

城内はチリ一つなく輝き、使用人たちはキビキビと働き、私の喉の調子もすこぶる良い。

夜はクラウスと『セッション』を行い、昼は優雅な公爵令嬢ライフ(ただしジャージ着用)。

「これぞ理想のスローライフだわ」

実家を追い出された時はどうなることかと思ったけれど、結果的に大正解だった。

あの堅苦しい王宮や、陰湿な社交界に比べれば、ここは天国だ。

「ローレライ、マドレーヌが焼けたぞ」

バルコニーの扉が開き、エプロン姿の魔王様が登場した。

手には焼きたてのマドレーヌが乗ったバスケット。

「……あんた、最近料理にハマってない?」

「君の喉に良い食材を研究していたら、いつの間にか趣味になっていた。今日は『声帯強化ハーブ』入りだ」

クラウスは私の隣に座り、甲斐甲斐しくお菓子を勧めてくる。

「ありがとう。……で、なんでそんなにニヤニヤしてるの?」

「いや、幸せだなと思ってな。君がいて、静寂があって、マドレーヌがある。これ以上の贅沢はない」

「老夫婦か」

ツッコミを入れつつ、私も頬が緩むのを止められなかった。

確かに、幸せだ。

このまま、こんな穏やかな日々が続けばいい。

そう思っていた。

その時までは。

「緊急事態でございます!!」

バァン!!

バルコニーの扉が再び開き、今度はセバスチャンが血相を変えて飛び込んできた。

普段冷静な彼が、眼鏡をずり落とし、息を切らせている。

「セバスチャン、騒がしいぞ。マドレーヌのふくらみが萎むだろう」

「マドレーヌどころではございません旦那様! こ、これをご覧ください!」

セバスチャンが震える手で差し出したのは、金色の封蝋がされた一通の書状だった。

封蝋の紋章は、隣国――私の祖国の『王家』のものだ。

「……嫌な予感しかしないわね」

私はマドレーヌを置き、その書状を受け取った。

「読み上げるぞ」

クラウスが覗き込み、低い声で読み始めた。

『告、邪悪なる魔王クラウス・フォン・ルシフェルへ』

「失礼な。俺は邪悪ではない。ただ聴覚過敏なだけだ」

『貴様が我が国の元婚約者、ローレライ嬢を拉致監禁し、非道な魔術によって洗脳していることは明白である』

「明白じゃないわよ! 合意の上での雇用契約よ!」

『よって、私、第一王子ギルバートは、正義の御旗のもと、王立騎士団精鋭5000を率いて、彼女の救出に向かう!』

「ご、5000人……!?」

私は思わず声を裏返した。

たかが私一人のために、5000人の軍隊?

税金の無駄遣いにも程がある。

『我が愛しのミナも、「お姉様を助けたい」と涙ながらに同行を志願した。彼女の慈悲深い心に免じて、大人しくローレライを引き渡せば、命だけは助けてやろう』

『決行は3日後。首を洗って待っていろ。 ――未来の国王、ギルバートより』

「…………」

「…………」

私とクラウスは顔を見合わせ、同時に深いため息をついた。

「バカなの?」

「バカなのだろうな」

クラウスが書状をクシャクシャに丸めた。

「5000人の足音……。鎧の擦れる音……。馬のいななき……。考えただけで吐き気がする」

彼はこめかみを押さえて呻いた。

「俺の安眠を妨害する気か、あの王子は」

「そこ? 問題はそこじゃないでしょ」

私は丸められた紙屑を拾い上げた。

「『救出』って名目だけど、要するに自分の武勇伝を作りたいだけでしょ。魔王を倒して、可哀想な令嬢を救った英雄になりたいのよ」

「迷惑極まりないな。俺はただ、静かに暮らしたいだけなのに」

「同感よ。……で、どうする? 5000人相手じゃ、さすがに私とあんたのデュエットでも分が悪いんじゃない?」

私の問いに、クラウスはフッと笑った。

その瞳に、冷徹な『魔王』の光が宿る。

「数など問題ではない。我が領地には最強の防衛システムがある」

「システム?」

「ああ。……君だ」

「は?」

クラウスは立ち上がり、バルコニーの手すりに足をかけた。

「ローレライ。君の『声』は、まだ進化の途中だ。前回のデュエットで分かっただろう? 俺の魔力と君の声波が合わされば、戦略兵器レベルの威力になる」

「まあ、城の結界が強化されたりしたけど……」

「5000の軍勢? 上等だ。最高の『的』じゃないか」

クラウスはニヤリと笑った。

「彼らには、ナイトメア・パレス特設ステージの『観客』になってもらおう。君の声を国中に轟かせる、絶好の機会だ」

「……あんた、楽しんでるでしょ」

「否定はしない。それに」

クラウスは私の方を向き、真剣な眼差しを向けた。

「俺は渡さないぞ。君を」

「……っ」

「誰が来ようと、何千の軍勢が押し寄せようと。君はこの城の住人だ。俺の……大事なパートナーだ」

ドキリ、とした。

不意打ちは反則だ。

「……当たり前でしょ。誰があんなバカ王子の元に帰るもんですか」

私は腕を組み、強気に言い返した。

「給料もいいし、ご飯も美味しいし、枕もフカフカだしね。私の意思でここにいるのよ」

「なら決まりだ。3日後、盛大な『お出迎え』をしてやろう」

クラウスはセバスチャンに向き直った。

「セバスチャン! 迎撃準備だ!」

「はっ! 熱湯と油を用意しますか!?」

「違う! スピーカーだ! 城にあるすべての拡声魔石を集めろ! あとステージの設営だ! 城門の上に特設ライブ会場を作れ!」

「は、はいぃ!?」

セバスチャンが目を白黒させる。

「戦闘ではないのですか!?」

「戦闘だ。ただし、物理的な剣や魔法の撃ち合いではない」

クラウスは不敵に笑った。

「『音』による一方的な蹂躙だ」

***

それからの3日間、魔王城は文化祭の前日のような忙しさに包まれた。

「マイクテスト、マイクテスト! テステス! あー、あー! 本日は晴天なり!」

『あー! あー! 晴天なりー!!』

私の声が、城の四方に設置された巨大な魔石スピーカーから増幅され、山々にこだまする。

その音量は凄まじく、遠くの森から鳥が一斉に飛び立つほどだ。

「感度良好だ。ローレライ、もう少し低音を響かせてみてくれ」

城門の上で、作業着姿のクラウスが指示を出す。

彼はこの3日間、寝る間も惜しんで音響設備の調整に没頭していた。

「了解。……ヴォォォォォォォォッ!!」

『ヴォォォォォォォォッ!!』

ズズズズズ……。

地面が揺れる。

「いいぞ! 重低音が大地を揺らしている! これなら騎馬隊の馬もパニックになるはずだ!」

「ねえ、これ本当に戦争なの? ただの野外フェスじゃない?」

「似たようなものだ。相手の戦意を喪失させれば勝ちだからな」

クラウスは満足げに工具を置いた。

「準備は整った。あとは主役の登場を待つだけだ」

そして、運命の3日後。

地平線の彼方から、土煙が上がった。

「来たぞーッ!! 王国の軍勢だーッ!!」

見張り役のギガント・ベア(名前はポチになった)が、大きく吠えて知らせる。

私は城門の上に設置された、煌びやかなステージに立った。

衣装はクラウス特注の『戦闘用ドレス(ロックテイスト)』。

黒いレザーと深紅のフリル、そしてスタッズが散りばめられた攻撃的なデザインだ。

隣には、愛機(魔導ギター)を構えたクラウス。

眼下には、見渡す限りの銀色の鎧。

5000人の兵士たちが、隊列を組んで行進してくる。

その先頭には、白馬に跨ったギルバート殿下と、豪華な馬車に乗ったミナの姿が見える。

「ローレライーッ!! 待っていろーッ! 今助けるぞーッ!!」

殿下が剣を掲げて叫んでいる。

距離があるため、彼の声は蚊の鳴くような音にしか聞こえない。

私はマイク(拡声魔石)を握りしめた。

「……助ける? 笑わせないでよ」

スイッチを入れる。

キィィィィン……とハウリング音が響き、兵士たちが一斉に耳を塞いだ。

「さあ、始めようかクラウス。私たちの『拒絶』を、形にして叩きつけてやるのよ」

「ああ。ボリュームは最大だ。手加減はしない」

クラウスがアンプのつまみをフルテンに回した。

王子の「正義の進軍」に対し、私たちが用意したのは「地獄のウェルカムコンサート」。

「みんなー! 元気ー!? 死ぬ準備はできてるかーッ!!」

『死ぬ準備はできてるかーッ!!!』

私の第一声が、雷鳴のように戦場に轟いた。

兵士たちの顔が恐怖で引きつるのが、ここからでもよく見えた。
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