婚約破棄を待っていた!異議なし高笑いさせていただきますわ!

夏乃みのり

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翌朝。

私は鳥のさえずりと共に、最高級の羽毛布団の中で目を覚ました。

「……夢、ではありませんわね」

天井を見上げる。

そこにあるのは、黒を基調としたシックで高級感あふれるシャンデリア。

実家の自分の部屋よりも広いゲストルームだ。

昨夜、キース・ドラグーン公爵と雇用契約を結び、私は晴れてこの魔王城の住人となった。

「さて、初出勤ですわ」

私はベッドから起き上がり、ベルを鳴らした。

すぐに扉が開き、数人のメイドが入ってくる。

「おはようございます、ルミナス様! 朝のお支度をさせていただきます!」

彼女たちの表情は明るく、肌艶もいい。

怯えた様子など微塵もない。

(……変ね)

私は着替えさせてもらいながら、違和感を覚えた。

魔王公爵の城といえば、もっと陰鬱で、メイドたちは過酷な労働に死んだ目をしているものではないのか。

「貴女たち、睡眠時間は足りていますの?」

私が鏡越しに尋ねると、メイド長らしき女性が笑顔で答えた。

「はい! 当城は三交代制ですので、昨夜は八時間たっぷりと眠らせていただきました!」

「……は?」

「あ、朝食は食堂にご用意しております。シェフが腕によりをかけた新作ビュッフェです!」

「……」

三交代制? ビュッフェ?

私の知っている「奉公」とは何かが違う。

着替えを終え、私は執務室のある階へと向かった。

廊下ですれ違う兵士や文官たちも、皆背筋が伸び、生き生きとしている。

「おはようございます、ルミナス様!」

「今日もいい天気ですね!」

挨拶が爽やかすぎる。

ここは騎士団の寮か何かなのか。

執務室の扉を開けると、そこには既にキースが座っていた。

「よう、早かったな。朝飯は食ったか?」

彼は書類にサインをしながら、片手でサンドイッチを摘んでいる。

「ええ、いただきましたけれど……キース様、一つよろしいですか?」

「なんだ?」

「この城、雰囲気が『緩すぎ』ませんこと?」

私は机の前に立ち、腕を組んだ。

「廊下を歩く使用人たちが笑っておりましたわ。恐怖による支配はどうなりましたの?」

「恐怖? ああ、そんな非効率なものは廃止した」

キースはあっさりと答えた。

「恐怖で人を縛れば、反乱のリスクが高まる。監視コストも馬鹿にならん。だが、好待遇で縛ればどうだ?」

彼はニヤリと笑った。

「『この職場を失いたくない』という恐怖が、彼らを勤勉にさせる。自発的な忠誠心こそ、最も安上がりで強固な鎖だ」

「……!」

目から鱗が落ちる音がした。

なるほど。

鞭で打つのではなく、飴を与え続けて依存させる。

これぞ、真の支配。

「それに、疲労は判断力を鈍らせる。ミスが増えれば、その修正に俺の時間が奪われる。だから休ませる。全ては俺が楽をするためだ」

「……合理的ですわ。感動すら覚えます」

私は悔しいけれど認めざるを得なかった。

アラン王子の国では「精神論」や「やりがい」という言葉で誤魔化され、サービス残業が横行していた。

結果、能率は下がり、ミスが多発し、私がその尻拭いをさせられていたのだ。

それに比べて、ここは天国か。

いいえ、魔王の城だ。

「分かりましたわ。では、私もその『合理的支配』の一端を担わせていただきます」

私は自分のデスク(キースの隣に用意されていた)に着いた。

そこには、山のような……ではなく、きれいに分類された数束の書類が置かれている。

「今日の分だ。昨日のお手並み、期待しているぞ」

「お任せください。午前中に終わらせて、午後はティータイムにさせていただきますわ」

私はペンを取り、戦闘態勢に入った。

仕事内容は、領内のインフラ整備計画の確認。

内容は高度だが、予算組みがしっかりしており、無駄がない。

(読みやすい……! アランの書くミミズのような文字とは大違いだわ!)

私は水を得た魚のように書類を処理していった。

バサッ、バサッ、キュッ、ポン(ハンコの音)。

心地よいリズムが室内に刻まれる。

一時間後。

コンコン、と扉がノックされた。

「失礼します。三時のおやつをお持ちしました」

入ってきたのは、初老の執事だった。

ワゴンには、湯気を立てる紅茶と、見たこともないほど美しいケーキが載っている。

「……三時? まだ十時ですけれど」

「当城では、十時と三時に糖分補給の時間を設けております。脳の活性化のためです」

執事は恭しくケーキを私の前に置いた。

「本日は、領内で採れた最高級ベリーのタルトでございます」

「……いただきます」

一口食べる。

甘酸っぱいベリーの香りと、濃厚なカスタードが口いっぱいに広がる。

美味しい。

美味しすぎる。

「……悔しいですわ」

私はフォークを握りしめた。

「どうした? 毒でも入っていたか?」

キースが面白そうに聞いてくる。

「いいえ。……快適すぎて、悪役としての緊張感が保てそうにありませんの!」

「ハハハ! 慣れろ。最高の悪党は、常に余裕を持っているものだ」

キースも自分の分のタルトを頬張っている。

その時、廊下が何やら騒がしくなった。

「お願いします! どうしても公爵様にお会いしたいのです!」

「ならん! 予約のない面会は断っている!」

男の叫び声と、衛兵の静止する声。

私は手を止めた。

「……揉め事ですわね」

「ああ。たまにいるんだ。俺の慈悲にすがろうとする輩が」

キースが面倒くさそうに溜息をつく。

「追い返せと言ってあるんだが……」

「お待ちになって」

私はスッと立ち上がった。

「私が行きますわ。ちょうど、甘いもので頭が冴えてきたところですの」

「お前が? ……まあ、手並み拝見といこうか」

私は執務室を出て、騒ぎの現場へと向かった。

廊下では、小太りな商人が衛兵に取り押さえられていた。

「離せ! 私はこの国の流通を支えている大手商会の会頭だぞ! 公爵様に直談判があるんだ!」

「騒々しいですわね」

私が声をかけると、全員の視線が集まった。

「な、なんだ貴様は! ただの女か?」

商人が私を睨みつける。

私は優雅に扇を開き、冷ややかに彼を見下ろした。

「ただの女ではありませんわ。公爵閣下の首席補佐官、ルミナス・ヴァン・ローゼンです。……貴方のその汚い声、私の職場環境を害しますので、音量を下げていただけます?」

「補佐官だと? ふん、どうせ公爵の愛人だろう!」

商人は鼻で笑った。

「いいから公爵様を出せ! 新しい関税率について文句があるんだ! あんな高い税をかけられたら、商売あがったりだ!」

「関税……ああ、先月施行された『贅沢品特別税』のことですわね」

私は書類の内容を即座に思い出した。

「貴方の商会、主に貴族向けの嗜好品を扱っていますわよね? その利益率は通常商品の三倍。関税を二割上げたところで、十分に利益は出るはずですけれど」

「なっ……なぜそれを!?」

「さらに、貴方は先月、不当な値上げを行っていますわね? 『輸送コストの高騰』を理由に。ですが、公爵様が街道を整備したおかげで、輸送コストはむしろ下がっているはず。……その差額、どこへ消えましたの?」

私は一歩ずつ、商人に近づいていく。

「い、いや、それは……」

「脱税、粉飾、そして不当な便乗値上げ。……公爵様に会う前に、税務官と牢屋の看守に会うべきではありませんこと?」

私の言葉に、商人の顔色が土色に変わる。

「ひ、ひぃぃ……!」

「衛兵さん。この男、地下牢へ。ついでに彼の商会の帳簿をすべて押収するように。私が後で『徹底的に』監査しますから」

「は、はいっ! 直ちに!」

衛兵たちが敬礼し、ぐったりとした商人を引きずっていく。

静寂が戻った廊下で、私は扇を閉じた。

「……ふん。口ほどにもない」

背後でパチパチと拍手が聞こえた。

振り返ると、キースが執務室の入り口に寄りかかり、楽しそうに笑っていた。

「見事だ。俺が出るまでもなかったな」

「当然ですわ。あのような小悪党、私の悪役レベルの足元にも及びません」

「頼もしい限りだ。……どうだ? この『ホワイトな職場』は?」

「悪くありませんわね」

私はニヤリと笑った。

「ただし、これからもっと忙しくなりそうですわ。……この国の膿を全て出し切るまでは」

「ククッ、言うねえ」

キースは私の肩を抱き、執務室へと促した。

「さあ、仕事に戻ろう。タルトのおかわりを用意させる」

「それなら、次は紅茶の銘柄を変えてくださいませ。あのタルトには、ダージリンの方が合いますわ」

悪役令嬢ルミナス。

彼女の魔王城での生活は、予想外に快適で、そして刺激的なものになりそうだった。
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