1 / 30
1話
しおりを挟む
シン、と耳が鳴るほどの静寂が、私の世界だけを支配していた。
きらびやかなシャンデリアの光は、着飾った貴族たちの宝石をさらに輝かせている。ここは王立学園の卒業を祝う、栄誉ある夜会。誰もが未来への希望に満ちた笑顔を浮かべ、楽しげなワルツの音色に身を委ねていた。
その輪の中心にいるのは、私の婚約者であるアレクシス・フォン・エルツハイム王太子殿下。
そして、その隣で、はにかむように微笑んでいるのは、リリアナ・ブラウン男爵令嬢。
金色の髪を輝かせ、誰にでも優しく微笑む完璧な王子様。その隣に立つ権利は、幼い頃から私、イザベラ・フォン・ヴァイスだけにあるはずだった。この日のために、妃となる日のために、私はどれほどの努力を重ねてきただろう。礼儀作法、歴史、政治、経済、隣国との関係。血の滲むような努力の果てに、私は誰からも完璧と称される『氷の令嬢』となった。感情を殺し、常に冷静で、王太子の隣に立つにふさわしい女であるために。
すべては、アレクシス様、あなたのためだったのに。
私の視線に気づいたのか、アレクシス様がリリアナ嬢を伴って、まっすぐにこちらへ歩いてくる。音楽が止み、人々の喧騒が嘘のように遠ざかっていく。皆の視線が、私たち三人に突き刺さる。
「イザベラ」
凛とした、けれど氷のように冷たい声が私の名を呼んだ。
「お前との婚約を、今この時をもって破棄させてもらう」
ざわ、と周囲が大きくどよめく。私はただ、彼の蒼い瞳を見つめ返した。その瞳に、かつて私を映した優しさはどこにもない。あるのは、目の前の可憐な少女を守ろうとする、強い意志と……私への、紛れもない嫌悪。
「私は、真実の愛を見つけた。リリアナこそ、私の隣に立つべき女性だ。お前のような嫉妬深く、冷たい心を持った女を、愛することなど到底できない」
真実の愛。
嫉妬深い、冷たい女。
彼が放つ言葉の一つ一つが、硝子の刃となって私の心を突き刺し、砕いていく。
ああ、そうか。私の十数年にわたる献身は、努力は、そして愛は、この一言ですべてが無に帰すのか。
喉の奥から熱い何かがせり上がってくるのを、必死に飲み下す。ここで泣き崩れたり、喚き散らしたりするのは、ヴァイス公爵家の名折れ。そして何より、私が積み上げてきた『完璧な淑女』としての矜持が許さない。
私は、ゆっくりと、しかし完璧な所作でスカートの裾を持ち、深く、深くお辞儀をした。
「……殿下のご決断、謹んでお受けいたします。これまで、長きにわたりお世話になりました。アレクシス殿下と、リリアナ嬢の未来に、神のご加護があらんことを」
顔を上げた私の表情に、感情の色はなかったはずだ。ただ、唇の端に、かすかな笑みを乗せて。
それが、私が彼に見せた、最後の顔だった。
きらびやかなシャンデリアの光は、着飾った貴族たちの宝石をさらに輝かせている。ここは王立学園の卒業を祝う、栄誉ある夜会。誰もが未来への希望に満ちた笑顔を浮かべ、楽しげなワルツの音色に身を委ねていた。
その輪の中心にいるのは、私の婚約者であるアレクシス・フォン・エルツハイム王太子殿下。
そして、その隣で、はにかむように微笑んでいるのは、リリアナ・ブラウン男爵令嬢。
金色の髪を輝かせ、誰にでも優しく微笑む完璧な王子様。その隣に立つ権利は、幼い頃から私、イザベラ・フォン・ヴァイスだけにあるはずだった。この日のために、妃となる日のために、私はどれほどの努力を重ねてきただろう。礼儀作法、歴史、政治、経済、隣国との関係。血の滲むような努力の果てに、私は誰からも完璧と称される『氷の令嬢』となった。感情を殺し、常に冷静で、王太子の隣に立つにふさわしい女であるために。
すべては、アレクシス様、あなたのためだったのに。
私の視線に気づいたのか、アレクシス様がリリアナ嬢を伴って、まっすぐにこちらへ歩いてくる。音楽が止み、人々の喧騒が嘘のように遠ざかっていく。皆の視線が、私たち三人に突き刺さる。
「イザベラ」
凛とした、けれど氷のように冷たい声が私の名を呼んだ。
「お前との婚約を、今この時をもって破棄させてもらう」
ざわ、と周囲が大きくどよめく。私はただ、彼の蒼い瞳を見つめ返した。その瞳に、かつて私を映した優しさはどこにもない。あるのは、目の前の可憐な少女を守ろうとする、強い意志と……私への、紛れもない嫌悪。
「私は、真実の愛を見つけた。リリアナこそ、私の隣に立つべき女性だ。お前のような嫉妬深く、冷たい心を持った女を、愛することなど到底できない」
真実の愛。
嫉妬深い、冷たい女。
彼が放つ言葉の一つ一つが、硝子の刃となって私の心を突き刺し、砕いていく。
ああ、そうか。私の十数年にわたる献身は、努力は、そして愛は、この一言ですべてが無に帰すのか。
喉の奥から熱い何かがせり上がってくるのを、必死に飲み下す。ここで泣き崩れたり、喚き散らしたりするのは、ヴァイス公爵家の名折れ。そして何より、私が積み上げてきた『完璧な淑女』としての矜持が許さない。
私は、ゆっくりと、しかし完璧な所作でスカートの裾を持ち、深く、深くお辞儀をした。
「……殿下のご決断、謹んでお受けいたします。これまで、長きにわたりお世話になりました。アレクシス殿下と、リリアナ嬢の未来に、神のご加護があらんことを」
顔を上げた私の表情に、感情の色はなかったはずだ。ただ、唇の端に、かすかな笑みを乗せて。
それが、私が彼に見せた、最後の顔だった。
342
あなたにおすすめの小説
婚約破棄のススメ!王子の「真実の愛」見つけて差し上げます
パリパリかぷちーの
恋愛
公爵令嬢メロア・クレーベルの隣には、非の打ち所がない完璧すぎる婚約者、ジークハルト王子が君臨している。このまま結婚すれば、待っているのは「王妃教育」と「終わらない公務」という名の過労死コース……。
「嫌ですわ! わたくし、絶対に婚約破棄して隠居してみせますわ!」
決意したメロアは、入学したての学園で、王子の「真実の愛の相手(ヒロイン)」を見つけ出し、自分を捨ててもらうという作戦を開始する。
私が嫌いなら婚約破棄したらどうなんですか?
きららののん
恋愛
優しきおっとりでマイペースな令嬢は、太陽のように熱い王太子の側にいることを幸せに思っていた。
しかし、悪役令嬢に刃のような言葉を浴びせられ、自信の無くした令嬢は……
誰も愛してくれないと言ったのは、あなたでしょう?〜冷徹家臣と偽りの妻契約〜
山田空
恋愛
王国有数の名家に生まれたエルナは、
幼い頃から“家の役目”を果たすためだけに生きてきた。
父に褒められたことは一度もなく、
婚約者には「君に愛情などない」と言われ、
社交界では「冷たい令嬢」と噂され続けた。
——ある夜。
唯一の味方だった侍女が「あなたのせいで」と呟いて去っていく。
心が折れかけていたその時、
父の側近であり冷徹で有名な青年・レオンが
淡々と告げた。
「エルナ様、家を出ましょう。
あなたはもう、これ以上傷つく必要がない」
突然の“駆け落ち”に見える提案。
だがその実態は——
『他家からの縁談に対抗するための“偽装夫婦契約”。
期間は一年、互いに干渉しないこと』
はずだった。
しかし共に暮らし始めてすぐ、
レオンの態度は“契約の冷たさ”とは程遠くなる。
「……触れていいですか」
「無理をしないで。泣きたいなら泣きなさい」
「あなたを愛さないなど、できるはずがない」
彼の優しさは偽りか、それとも——。
一年後、契約の終わりが迫る頃、
エルナの前に姿を見せたのは
かつて彼女を切り捨てた婚約者だった。
「戻ってきてくれ。
本当に愛していたのは……君だ」
愛を知らずに生きてきた令嬢が人生で初めて“選ぶ”物語。
旦那様には愛人がいますが気にしません。
りつ
恋愛
イレーナの夫には愛人がいた。名はマリアンヌ。子どものように可愛らしい彼女のお腹にはすでに子どもまでいた。けれどイレーナは別に気にしなかった。彼女は子どもが嫌いだったから。
※表紙は「かんたん表紙メーカー」様で作成しました。
[完結]不実な婚約者に「あんたなんか大っ嫌いだわ」と叫んだら隣国の公爵令息に溺愛されました
masato
恋愛
アリーチェ・エストリアはエスト王国の筆頭伯爵家の嫡女である。
エストリア家は、建国に携わった五家の一つで、エストの名を冠する名家である。
エストの名を冠する五家は、公爵家、侯爵家、伯爵家、子爵家、男爵家に別れ、それぞれの爵位の家々を束ねる筆頭とされていた。
それ故に、エストの名を冠する五家は、爵位の壁を越える特別な家門とされていた。
エストリア家には姉妹しかおらず、長女であるアリーチェは幼い頃から跡取りとして厳しく教育を受けて来た。
妹のキャサリンは母似の器量良しで可愛がられていたにも関わらず。
そんな折、侯爵家の次男デヴィッドからの婿養子への打診が来る。
父はアリーチェではなくデヴィッドに爵位を継がせると言い出した。
釈然としないながらもデヴィッドに歩み寄ろうとするアリーチェだったが、デヴィッドの態度は最悪。
その内、デヴィッドとキャサリンの恋の噂が立ち始め、何故かアリーチェは2人の仲を邪魔する悪役にされていた。
学園内で嫌がらせを受ける日々の中、隣国からの留学生リディアムと出会った事で、
アリーチェは家と国を捨てて、隣国で新しい人生を送ることを決める。
アルバートの屈辱
プラネットプラント
恋愛
妻の姉に恋をして妻を蔑ろにするアルバートとそんな夫を愛するのを諦めてしまった妻の話。
『詰んでる不憫系悪役令嬢はチャラ男騎士として生活しています』の10年ほど前の話ですが、ほぼ無関係なので単体で読めます。
婚約者様への逆襲です。
有栖川灯里
恋愛
王太子との婚約を、一方的な断罪と共に破棄された令嬢・アンネリーゼ=フォン=アイゼナッハ。
理由は“聖女を妬んだ悪役”という、ありふれた台本。
だが彼女は涙ひとつ見せずに微笑み、ただ静かに言い残した。
――「さようなら、婚約者様。二度と戻りませんわ」
すべてを捨て、王宮を去った“悪役令嬢”が辿り着いたのは、沈黙と再生の修道院。
そこで出会ったのは、聖女の奇跡に疑問を抱く神官、情報を操る傭兵、そしてかつて見逃された“真実”。
これは、少女が嘘を暴き、誇りを取り戻し、自らの手で未来を選び取る物語。
断罪は終わりではなく、始まりだった。
“信仰”に支配された王国を、静かに揺るがす――悪役令嬢の逆襲。
悪役令嬢の断罪――え、いま婚約破棄と?聞こえませんでしたわ!
ちゃっぴー
恋愛
公爵令嬢アクア・ラズライトは、卒業パーティーの最中に婚約者であるジュリアス殿下から「悪役令嬢」として断罪を突きつけられる。普通なら泣き崩れるか激昂する場面――しかし、超合理的で節約家なアクアは違った。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる