どうして身代わりとして、私が新たな婚約者候補に?

夏乃みのり

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 公式晩餐会。それは、美しき猛獣たちが着飾り、言葉という名の牙で互いを引き裂き合う社交の最前線。
 
 ……だそうだが、今の私にとっては「いかにしてこのコルセットの締め付けに耐え、フルコースを完食するか」という己との戦いの場でしかない。

「……うぅ、ユーフェミア様。これ、あと三センチだけ緩めてもらえませんか? このままだと、前菜のテリーヌが喉を通る前に胃が定員オーバーになります」

 控室で悶絶する私を、豪華なドレス姿のユーフェミア様が冷ややかに、しかし誇らしげに見下ろした。

「ダメよ、ナジャ様。その『苦しさ』こそが、美しさへの代償なの。腹筋に力を入れて! 体幹でコルセットを押し戻すのよ!」

「そんな物理的な解決方法ありますか!? あ、でも、腹筋を使えば確かに少し隙間が……。よし、いけます。私の筋肉、頑張れ!」

 私は、鏡に映る自分に気合を入れた。
 今日のドレスは、アリステア様が選んでくれた深い森のようなグリーンのシルク。
 頭には、ユーフェミア様から譲り受けたティアラが燦然と輝いている。

 会場の扉が開くと、そこには各国の貴賓や高位貴族たちが集まっていた。
 アリステア様が、正装で中央に立っている。その姿は、あまりにも神々しくて、同じ「揚げパン」を食べた仲とは思えない。

「……ナジャ。来たか。そのドレス、よく似合っているぞ。少し苦しそうな顔をしているが、緊張しているのか?」

 歩み寄ってきたアリステア様が、耳元で低く囁いた。

「いいえ。緊張ではなく、物理的な圧迫です。でも大丈夫です、メインディッシュの前には筋肉で解決しますから」

「……相変わらずだな、君は」

 殿下は苦笑しながら、私の手をエスコートした。
 周囲からは、驚きと嫉妬、そして蔑みの混じった視線が突き刺さる。
 
 やがて、晩餐会が始まった。
 次々と運ばれてくる、宝石のような料理。
 私はユーフェミア様との特訓を思い出し、背筋を伸ばし、優雅な所作でフォークを動かした。

(美味しい……! このコンソメスープ、牛何頭分を煮込んだらこんな深い味になるのかしら。一口ごとに、私の細胞が『もっと寄越せ』と狂喜乱舞しているわ……!)

 マナーを完璧にこなしつつ、心の中では実況中継を繰り広げる。
 
 そこへ、少し離れた席に座っていたルルさんが、青白い顔をして立ち上がった。

「……あ、アリステア様。少し、気分が……。喉が渇いて……。そちらの、ナジャ様の隣にあるお茶を、一口頂いてもよろしいでしょうか……?」

 ルルさんは震える手で、私の席のすぐ側に置かれていた、食後用の先行ティーカップを指差した。
 
 アリステア様が、鋭い視線でそのカップを見た。
 昨日の殿下の忠告が頭をよぎる。

(一口目は、私の様子を見てからにしろ――)

 私は、ルルさんの不自然な震えと、その背後にいる司祭のニヤついた顔を見逃さなかった。
 
 ……なるほど。
 あれが、噂の「毒」ですね。

「ルルさん、そんなに顔色が悪いなら、私のお茶で良ければどうぞ。……でも、その前に」

 私は、ルルさんが手を伸ばすより早く、ひらりとカップを取り上げた。

「ナ、ナジャ様!? それは、私の……いえ、お客様である私に譲ってくださるのでは……!」

「ええ。でも、大切なお客様に変なものを飲ませるわけにはいきません。私、実は『お茶の温度と鮮度』には、人一倍うるさいんです」

 私は、カップを鼻先に近づけた。
 
 くんくん、と微かに匂いを嗅ぐ。
 アールグレイの華やかな香りの奥に、ほんのわずか……。
 そう。
 
 子供の頃、母様が「これは体にいいから」と無理やり飲ませてきた、あの不味い薬草の匂いがした。

「…………」

 私は、迷わず一口だけ、その茶を口に含んだ。

「ナジャ!?」

 アリステア様が声を上げる。
 会場全体が、息を呑んで私を注視した。
 
 ルルさんの顔に、勝ち誇ったような笑みが浮かぶ。
 ……はずだった。

「……ぺっ。……失礼、飲み込んでいませんよ。ティッシュ、いえ、ハンカチを」

 私は優雅にハンカチで口元を拭うと、ティーカップを静かにテーブルに戻した。

「料理長を呼んでください。このお茶、淹れ方がなってません」

「……えっ?」

 ルルさんが、呆気に取られた声を漏らした。

「これ、茶葉の抽出時間を間違えていますね。ものすごく『苦い』です。……それも、ただの渋みじゃなくて、根っこの泥を煮出したような、不快な苦味です」

「な、何を……! それは、あなたが毒を……!」

「毒? ルルさん、何を仰っているんですか。これは単なる『調理ミス』ですよ。だって、こんなに不味いものを、王族の晩餐会で出すなんて、それこそ国家に対する反逆でしょう?」

 私は、にっこりと微笑んだ。

「殿下。このお茶には、お茶本来の甘みが一切ありません。それどころか、飲んだ瞬間に舌が痺れるような……そう、劣化したスパイスを大量に入れたような、雑な味がします」

 私は立ち上がり、ルルさんの背後に控えていた司祭を指差した。

「そこの司祭様。あなた、さっきからニヤニヤしていますけど。もしかして、この『史上最悪の不味いお茶』を作ったのは、あなたの息のかかった方ですか?」

「な、ななな、何を根拠にそのような無礼を!」

「根拠? 私の舌です。私は、美味しいもののために人生を賭けているんです。私の食事の楽しみを、こんな不味い液体で汚そうとした罪は、万死に値しますよ?」

 私の瞳に、本気の怒りが宿った。
 
 毒?
 そんなことより、私の完璧なフルコースのフィナーレを、こんな不味い茶で締めくくられそうになったことが許せない。

「……ナジャ。気分はどうだ? 体が痺れたり、腹痛は……」

 アリステア様が、心配そうに私の肩を抱いた。

「殿下、大丈夫です。一口含んだ瞬間に『あ、これ不味い』と思って出したので。……それより殿下。口直しに、あちらのワゴンにあるマカロンを全種類持ってきてもらえますか?」

「…………。ああ、分かった。……おい、騎士団。この司祭と、その周辺の給仕を拘束しろ。お茶の成分調査も忘れずにな」

 殿下の冷徹な声が会場に響く。
 ルルさんは、あまりの展開に腰を抜かしてその場にへたり込んだ。

「ど、どうして……。どうして倒れないのよ……。あの薬は、一口でも飲めば激痛が走るはずなのに……」

「ルルさん。私は昨日、ユーフェミア様の特訓で、生焼けのジビエすら消化できる胃腸を手に入れたんです。あなたの小細工な毒なんて、私の食欲の前ではただの『質の悪い香辛料』に過ぎません」

 私は、運ばれてきた色とりどりのマカロンを一つ手に取り、ルルさんに見せつけるように口に運んだ。

「――んん! これです! やっぱり、お茶会には甘いものが必要ですね!」

 毒を食らわば皿まで、とは言うけれど。
 私は、毒を笑い飛ばしてデザートまで完食してみせた。

 騒動が落ち着いた後。
 私はアリステア様から、かつてないほど熱い眼差しで見つめられることになるのだが。
 
 それはそれとして、やっぱりコルセットは少し緩めてほしいと、切実に願う私であった。
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