どうして身代わりとして、私が新たな婚約者候補に?

夏乃みのり

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 いよいよ舞踏会の当日がやってきた。
 私の前に立ちはだかるのは、神殿でもルルさんでもない。
 「コルセット」という名の、物理的な拘束具である。

「……ひっ、ふぅっ! ユーフェミア様、もう、そこら辺で……! これ以上絞めると、私の胃袋が口から飛び出します!」

 私は、離宮の更衣室で柱にしがみつきながら悲鳴を上げた。
 背後では、ユーフェミア様がドレスの紐を全力で引き絞っている。
 彼女の筋肉質な腕から繰り出される力は、もはや嫌がらせの域に達していた。

「何を仰るの、ナジャ様! 今夜はあなたの『お披露目』なのよ! このくらい絞めないと、アリステア様が用意した最高級のシルクが泣くわ!」

「ドレスが泣く前に、私が泣いています! 見てください、私のウエストが、砂時計のくびれを通り越して、今にも折れそうなポッキーみたいになっています!」

「いいわ、その細さ! 腹筋に力を入れて、内臓を肋骨の中に収納するのよ!」

 収納できるか、そんなもの!
 私は白目を剥きながら、なんとか最後の結び目を耐え抜いた。

 鏡の中に映るのは、黄金色の刺繍が施された、目が眩むほど豪華なドレスを纏った私だ。
 髪は高く結い上げられ、首元にはアリステア様から贈られた、特大のルビーが輝いている。

 ……確かに綺麗だ。
 でも、息をするたびに、コルセットが「お前の食事枠はもうないぞ」と語りかけてくる。

「……ユーフェミア様。確認ですが、今夜のメインディッシュは『子鴨のオレンジソース添え』ですよね?」

「ええ、そうよ。それが何か?」

「この締め付けだと、子鴨の半身どころか、オレンジの皮一枚すら入りそうにないのですが……」

「そこを気合でねじ込むのが、王太子妃候補としての『執念』でしょうが! さあ、行くわよ!」

 私はガクガクする膝(と、圧迫された内臓)を抱え、舞踏会場へと足を踏み入れた。

 大広間に一歩踏み出すと、オーケストラの調べと共に、何百人という貴族たちの視線が私に集まった。
 階段の上には、正装したアリステア様が待っている。

 彼と目が合った瞬間。
 一瞬だけ、殿下の瞳が大きく見開かれた。

「……ナジャ。君は、その……」

 階段を降りてきたアリステア様が、私の手を取る。
 その手が、心なしか微かに震えているように感じた。

「……どうしました、殿下。やっぱり、私にはこのドレスは分不相応でしたか?」

「……逆だ。あまりにも美しすぎて、今すぐこの扉を閉めて、君を誰の目にも触れさせたくないという衝動と戦っている」

 ……また始まった、殿下の極端な独占欲。
 でも、今の私はそれどころではない。

「光栄ですが、殿下。それよりも……今、私のすぐ後ろを通った給仕さんのトレイから、オレンジの香りがしました。子鴨ですね。間違いなく、あちらで鴨が焼かれていますね」

「……こんな状況で、よく匂いを嗅ぎ分けられるな。君の鼻は魔犬か何かか?」

「食欲は、五感を超越するのです。……うっ、苦しい……」

 アリステア様は、私の顔色が少し青ざめていることに気づき、心配そうに腰に手を添えた。

「大丈夫か? やはり緊張しているのか」

「いえ、コルセットが私の胃を全否定しているだけです。……殿下、お願いがあります。ダンスが始まったら、遠心力を利用して、このコルセットを少しだけ遠くに飛ばせませんか?」

「物理的に不可能だ。……いいから、私の腕に捕まっていなさい」

 私たちは、ダンスの輪の中心へと進んだ。
 周囲の令嬢たちが、悔しそうに扇子を噛んでいる音が聞こえる。

 優雅な旋律に合わせて、私たちは踊り始めた。
 アリステア様のエスコートは完璧で、私は苦しさを忘れて、彼の瞳の中に吸い込まれそうになる。

「……ナジャ。私は、君に出会ってから、世界が色鮮やかに見えるようになった」

 踊りながら、殿下が耳元で囁く。

「合理的な取引として始まった関係だが……。今はもう、君がいない食事など想像もできない。君が幸せそうに食べている姿を、一生隣で見ていたい。……これは、契約ではなく、私の心からの……」

「殿下、あそこです!」

「……え?」

「見てください! あちらのバルコニーの陰に、見慣れた『執念深い』後ろ姿が!」

 私は、殿下の告白(のようなもの)を遮って、会場の隅を指差した。
 そこには、メイドの服を着て変装しているが、隠しきれない怨念を放っているルルさんの姿があった。

 彼女の手には、怪しく光る小さな瓶が握られている。

「……ルルか。地下牢から脱走したという報告は受けていたが、よほど死にたいらしいな」

 アリステア様の瞳から、甘い熱が消え、冷徹な光が宿った。

「ナジャ、私の背後に隠れていろ。今度こそ、彼女の『真実の愛』とやらを、完膚なきまでに粉砕してやる」

「いいえ、殿下。あちらを見てください。彼女、今まさに『子鴨のオレンジソース』が山積みになっているテーブルに近づいています!」

「……それがどうした」

「死なせるのは勝手ですが、ソースに毒を入れられるのだけは阻止しなければなりません! 私のメインディッシュを汚す者は、王族への反逆罪よりも重い、食の重罪人です!」

 私はコルセットの苦しみなどどこかへ放り出し、獲物を狙う鷹のような鋭さでルルを見据えた。

 嵐の舞踏会。
 恋の行方よりも、子鴨の安全を守るための戦いが、今、幕を開けようとしていた。
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