悪役令嬢? 上等です。婚約破棄につき慰謝料を一括払いで請求します!

夏乃みのり

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「……父上。このお小遣いの額ですが、再考の余地があると思われます」


オルレアン領主館、執務室。


窓から柔らかな日差しが差し込む部屋で、生意気そうな声が響いた。


声の主は、五歳になる男の子。
漆黒の髪に、宝石のような赤い瞳。ジルベール様をそのまま小さくしたような外見だが、その手には不釣り合いなものが握られている。


子供用の「ミニ魔導計算機」だ。


「……レオン。先月上げたばかりだろう」


執務机に向かっていたジルベール様が、困った顔で息子を見下ろす。


「物価変動率(インフレレート)を考慮してください。最近、城下の駄菓子屋では『激辛ジンジャー飴』の価格が二割も高騰しています。今の定額給付では、僕のエンゲル係数が崩壊します」


レオンは小さな指で器用に計算機を弾いた。


「よって、ベースアップとして一五%の増額を要求します。これは正当な権利です」


「……はぁ」


ジルベール様が深いため息をつき、天井を仰いだ。


「誰に似たんだか……。可愛げのないガキだ」


「母上ゆずりの『論理的思考(ロジカル・シンキング)』と呼んでください」


「口答えだけは一人前だな。……いいかレオン、金というのは交渉で得るものではない。労働の対価として……」


「あら、交渉も立派な労働ですよ、閣下」


パチン。


扇を閉じる音がして、私は書類の山から顔を上げた。


「母上!」


レオンの顔がパァッと輝く(この瞬間だけは年相応に可愛い)。


私は眼鏡の位置を直し、息子に歩み寄った。


「レオン。交渉の基本を忘れていますよ。要求を通したいなら、相手(スポンサー)にとってのメリットを提示しなさい」


「メリット……ですか?」


「ええ。ただ『金くれ』と言うのは乞食です。ビジネスマンなら、『僕にお小遣いを上げれば、父上にこんな利益があります』とプレゼンしなさい」


「……なるほど」


レオンは腕組みをして、少し考え込んだ。
その仕草も、眉間のシワの寄せ方も、ジルベール様にそっくりだ。


「……では、こうします。お小遣いを上げてくれれば、母上が隠している『高級ワインの隠し場所』を父上に教えます」


「!!」


ジルベール様がガタッと椅子から立ち上がった。


「交渉成立だ!! いくらだ!? いくら欲しい!?」


「ちょ、ちょっと! レオン! それは企業秘密(トップシークレット)ですよ! 情報を切り売りするんじゃありません!」


「需要と供給だよ、母上」


レオンがニヤリと悪魔のような笑みを浮かべた。


「……末恐ろしいわね、この子は」


私は頭を抱えた。


この五年で、私たちの生活は大きく変わった。


領地は劇的に発展した。


『クリスタル・ジンジャー』は王国の名産品となり、北の山脈に作った『オルレアン温泉郷』は予約三ヶ月待ちの人気スポットになった。


さらに、『オルレアン中央銀行』は支店を増やし、今や王都の銀行を凌ぐ資金量を誇っている。


私は「黄金の女神」として、ジルベール様は「愛妻家の魔王」として、その名は大陸中に轟いていた。


「……平和だな」


ジルベール様が、レオンに金貨(お小遣いにしては高額すぎる)を渡しながら、目を細めた。


「あんなにボロボロだった屋敷が、今はこんなに騒がしい」


「騒がしいのは、あなたの騎士団のせいでもありますけどね」


窓の外を見る。


庭では、バルガス団長率いる筋肉騎士団が、新人騎士たちにポージング指導をしているのが見える。


「いいか! 笑顔だ! 筋肉を見せつける時は、歯を見せて笑え!」
「イエッサー! サイドチェスト!!」


相変わらずの暑苦しさだ。


「……そういえば、王都から手紙が来ていましたよ」


私は机の上の封筒を手に取った。


「ジェラルド元王子からです」


「あいつか。……まだ生きていたのか」


「ええ。北の鉱山で真面目に働いているようです。手紙には『借金完済まで、あと一四九五年と三ヶ月。最近、ツルハシを振るう筋肉がついてきた。ミナとも喧嘩しながらだが、なんとかやっている』とありました」


「……しぶといな」


「さらに追伸で、『いつか必ず完済して、お前に……いや、あなた様に高級チョコを奢り返すのが夢だ』そうです」


「フン。一五〇〇年後に会いに来いと言っておけ」


ジルベール様は鼻で笑ったが、その表情にはかつてのような殺気はない。


「レオン、庭で遊んでおいで。バルガスおじさんが『マッスルごっこ』をしてくれるそうだ」


「了解です。筋肉は裏切らない資産ですからね。鍛えてきます」


レオンは計算機をポケットにしまい、敬礼をして部屋を出て行った。


部屋に二人きりになる。


静かな時間が流れる。


ジルベール様が、私の腰に手を回し、窓辺へと誘った。


ここから見下ろす領地は、夕日に照らされて黄金色に輝いている。


「……リーリン」


「はい」


「お前がここに来て、五年か」


「正確には、五年と三ヶ月と十二日です」


「細かいな」


彼は苦笑し、私の髪を撫でた。


「あの夜会で、お前を拾って……いや、スカウトして本当によかった」


「……人聞きの悪い。スカウトされたのは私の方ですよ? 『俺を買え』なんて、とんでもない売り込み文句でしたけど」


「違いない」


ジルベール様は、懐かしそうに目を細めた。


「最初は、ただの計算高い令嬢だと思っていた。だが……お前は、俺の想像を遥かに超えていた」


彼は私の手を取り、左手の薬指に輝く指輪に口づけをした。


「借金まみれの領地を立て直し、俺の心を救い、そして……あんな生意気で可愛い息子までくれた」


彼の瞳が、私を真っ直ぐに射抜く。


「なあ、リーリン。……俺の人生、黒字になったか?」


その問いかけに、私はわざとらしく魔導計算機を取り出した。


「そうですね……。資産価値の上昇、精神的充足感(ハピネス)、そして未来への期待値。これらを総合的に評価しますと……」


私はパチンと計算機を弾いた。


「計測不能(エラー)です」


「エラー?」


「ええ。桁が大きすぎて、計算機が壊れそうです」


私は計算機を置き、彼の首に腕を回した。


「貴方は、私の人生における……いえ、世界における『最高の優良物件』になりましたよ、ジルベール」


「……そうか」


彼は満足げに笑った。


「なら、これからも頼むぞ。俺の共同経営者(パートナー)」


「もちろんです。……死ぬまで、骨の髄まで運用して差し上げますから」


私たちは、黄金色に染まる領地を見下ろしながら、キスをした。


その時。


ドカーン!!


庭の方から爆発音がした。


「うわぁぁぁ! レオン様が! レオン様が魔法で銅像を爆破しましたぁ!」
「バルガス団長が吹き飛んだー!」
「父上のヘソクリが出てきたぞー!」


「……あのガキ」


ジルベール様の顔が引きつる。


「ヘソクリだと……? まだ隠していたのですか、閣下?」


私の目がキラーンと光る。


「い、いや! あれは……その、お前の誕生日のために……!」


「嘘ですね。目が泳いでいます」


私は腕まくりをした。


「どうやら、決算報告の修正が必要なようですね。……行きましょうか、閣下。追加の『監査』の時間です」


「ま、待てリーリン! 話せば分かる!」


「問答無用! 逃がしませんよ!」


私たちは顔を見合わせ、そして吹き出した。


「……ふふっ」
「……ははは!」


騒がしくて、忙しくて、計算高い毎日。


でも、これ以上の幸せなんて、どこの帳簿を探しても載っていないだろう。


「最高の投資だったな」


ジルベール様が呟く。


「ええ。……大成功(ジャックポット)でしたわ」


私は笑顔で答えた。


私たちの愛と計算の物語は、これからもずっと続いていく。
赤字知らずの、右肩上がりの未来へ向かって。
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