悪役令嬢は、婚約破棄をあざ笑う!

夏乃みのり

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潮風が吹き抜ける。

その風には、塩の香りと、微かな磯の香りが混じっていた。

「スーッ……はぁ……」

サンドイッチは馬車の窓から顔を出し、深呼吸をした。

「素晴らしいわ、セバスチャン。この風、醤油を垂らしたらそのままご飯のおかずになりそうね」

「お嬢様、それは流石に塩分過多かと」

御者台のセバスチャンが冷静に突っ込む。

一行が到着したのは、大陸有数の港町『ペスカトーレ』。

新鮮な魚介類が集まるこの町は、サンドイッチにとって「聖地」の一つであった。

「ああ、楽しみだわ! 今の時期なら『戻りガツオ』のたたき! それに『桜エビ』のかき揚げ! そして何より、この町特産のウニ!」

サンドイッチの脳内は、すでに海鮮居酒屋のメニュー表と化していた。

「グランシェフ、準備はいい? 宿に着いたらすぐに市場へ行くわよ。最高の食材を買い占めるの」

「ああ、任せてくれ。魚を捌くための柳刃包丁も研いである」

グランシェフも目をギラつかせている。

彼は山国育ちのため、新鮮な海の幸に対する執着はサンドイッチに負けず劣らず強かった。

馬車は町の中心部へと進む。

しかし。

「……おかしいわね」

サンドイッチが呟いた。

活気があるはずの市場通りが、ひっそりと静まり返っているのだ。

鮮魚店の陳列台は空っぽで、店主たちもどこか手持ち無沙汰にしている。

「どういうこと? 今日は休漁日?」

サンドイッチは近くのベンチでパイプをふかしていた老漁師に声をかけた。

「ごめんあそばせ。市場に魚がないようですが、海が荒れて漁に出られなかったのですか?」

老人は煙を吐き出し、けだるそうに答えた。

「いや、海は凪(なぎ)だよ。魚も腐るほどいる」

「では、なぜ?」

「人間が荒れてるのさ」

老人は港の方角を顎でしゃくった。

「『赤エビ団』と『青サバ団』がまた揉めててな。港を封鎖して喧嘩の真っ最中だ。おかげで漁船が一隻も出せねえんだよ」

「……は?」

サンドイッチの眉がピクリと動いた。

「赤エビ? 青サバ? なんですか、その美味しそうな名前の団体は。新しい珍味の名称?」

「違えよ。地元の漁師たちの派閥だ。どっちが『究極の漁場』を使うかで揉めてるんだよ」

「…………」

サンドイッチの周囲の気温が、急速に氷点下へと下がった。

「つまり、くだらない縄張り争いのせいで、私のウニが入荷していないと?」

「まあ、そういうこった」

バキッ。

サンドイッチが持っていた扇子が、真ん中からへし折れた。

「セバスチャン」

「はい、お嬢様」

「馬車を港へ回しなさい」

「承知いたしました。……(南無三、漁師の方々のご冥福をお祈りします)」

セバスチャンは悟ったような顔で馬の手綱を引いた。

***

港へ到着すると、そこは怒号と熱気に包まれていた。

「ここは俺たちの海だ! 赤エビ団の船は出て行け!」

「うるせえ! ここには伝説の真鯛がいるんだ! 青サバ団こそ消え失せろ!」

数百人の荒くれ男たちが、桟橋を挟んで睨み合っている。

彼らは銛(もり)や網を武器のように構え、今にも乱闘が始まりそうな雰囲気だ。

その中心に、二人のボスがいた。

一人は赤い鉢巻をした巨漢、もう一人は青い法被(はっぴ)を着た細身の男。

「俺が先に網を入れたんだ!」

「いや、俺が先に見つけた!」

小学生レベルの言い争いが繰り広げられている。

その時。

「お黙りなさいッ!!!」

雷のような声が響き渡った。

漁師たちが一斉に振り返る。

そこには、優雅なドレスを纏いながらも、鬼神のような形相をした令嬢が立っていた。

サンドイッチである。

「あ、あんだお前は! 部外者は引っ込んでろ!」

赤鉢巻のボスが怒鳴る。

しかし、サンドイッチは一歩も引かない。むしろ、カツカツとヒールを鳴らして彼らに近づいていく。

「部外者? いいえ、私は『被害者』よ!」

「はぁ?」

「貴方たちがそんな下らない喧嘩をしているせいで、私のランチの『海鮮丼』が未だに提供されていないのよ! この責任をどう取ってくれるのかしら!?」

サンドイッチはボスの胸倉――ではなく、彼が腰に下げていた魚籠(びく)を指差した。

「そこに入っているアジ! 死後硬直が始まっているじゃない! 釣ってからすぐに血抜きをしなかったわね!? 魚への敬意が足りないわ!」

「え? あ、いや……喧嘩に夢中で……」

「魚は待ってくれないのよ! 鮮度は時間との戦いなの! それを、こんな陸(おか)の上で『お前が悪い』だの『俺の海だ』だの……食べて供養されるはずの魚たちが浮かばれないと思わないの!?」

サンドイッチの剣幕に、荒くれ者たちが圧倒される。

青法被のボスが口を挟んだ。

「そ、そうは言うがな姉ちゃん! これはプライドの問題なんだ! この湾には『幻の黄金ヒラメ』がいると言われてる。それをどっちが釣り上げるかで……」

「黄金ヒラメ?」

サンドイッチの目が、チャリンと音を立てて金貨(食材)の形になった。

「なんですって? 詳しく話しなさい」

「へ? あ、ああ……。身が黄金色に輝いていて、そのエンガワは口に入れた瞬間に溶けるという……伝説の魚だ」

ジュルリ。

サンドイッチの口元から、品のない音が漏れた。

彼女は素早く懐からハンカチを取り出し、口元を拭う。

「なるほど。争いの原因はそのヒラメね」

「そうだ! 俺たち赤エビ団こそが釣り上げる権利がある!」

「いや、青サバ団だ!」

再びヒートアップしそうになる両者。

その間に、サンドイッチがスッと手を上げた。

「静粛に」

有無を言わせぬ威圧感。

「結論が出ないなら、私がルールを決めてあげるわ」

「は?」

「料理勝負よ」

サンドイッチは高らかに宣言した。

「料理? 俺たちは漁師だぞ、料理人じゃねえ!」

「獲るだけが能じゃないわ。本当に魚を愛しているなら、その最高の食べ方を知っているはず。それぞれの団が獲った自慢の魚で、最高の漁師飯を作りなさい」

サンドイッチは扇子(予備)を開いて口元を隠した。

「審査員はこの私、サンドイッチ・デ・リシャス。王都一のグルメ(悪食)と呼ばれた女よ。私の舌を唸らせた方の言い分を、全面的に支持してあげるわ」

「な、なんだと……?」

漁師たちがざわめく。

突然現れた貴族の娘が、勝手に仕切り始めたのだ。本来なら追い払うところだ。

しかし、彼女の後ろに控える執事(セバスチャン)と、包丁を構えて殺気を放つ料理人(グランシェフ)の目が怖すぎて、誰も逆らえない。

「(……それに、この姉ちゃん、タダモノじゃねえ。さっきのアジの血抜きの指摘、的確だったぞ……)」

赤鉢巻のボスが冷や汗を流す。

「いいだろう! 乗ってやる!」

先に声を上げたのは青法被のボスだった。

「俺たち青サバ団の『漁師風なめろう』の味にひれ伏すがいい!」

「ふん、なら俺たち赤エビ団は『豪快ブイヤベース』で勝負だ!」

売り言葉に買い言葉。

単純な海の男たちは、あっさりとサンドイッチの掌の上に乗せられた。

「決まりね。制限時間は一時間。最高の食材を持ってきなさい」

サンドイッチはニッコリと笑った。

「もし、両方とも不味かったら……」

彼女はグランシェフを見た。

グランシェフは無言で、持っていた大根を空中に投げ、一瞬で千切りにした。

バラバラバラ……。

美しい千切り大根が雪のように舞う。

「……貴方たちを三枚におろして、カモメの餌にするからそのつもりで(比喩表現)」

「ヒィッ!?」

漁師たちは一目散に散った。

「急げー! 一番いい魚を持ってこい!」

「火をおこせ! 調味料はどこだ!」

港が一気に厨房へと変わる。

サンドイッチは用意された椅子に座り、優雅に足を組んだ。

「ふふ、これで美味しい魚料理が二種類も食べられるわ。しかも無料で」

「お嬢様、それが目的ですか」

セバスチャンが呆れたように水を差し出す。

「当然でしょう? 争い事を解決し、お腹も満たす。これぞ一石二鳥。さあグランシェフ、貴方は私の横で解説役をお願いね」

「ああ。漁師ならではの荒っぽい料理法……興味深い。俺のレシピの参考になりそうだ」

グランシェフも手帳を取り出し、メモを取る気満々だ。

こうして、港町ペスカトーレの命運をかけた(?)料理対決が幕を開けた。

サンドイッチの胃袋を満たすのは、赤か、青か。

そして、この騒ぎの最中に、こっそりと『幻の黄金ヒラメ』を狙う第三の勢力が近づいていることに、誰も気づいてはいなかった。
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