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「……暇だ」
広大な屋敷のサロンで、私は呟いた。
時刻は午後2時。
朝から続いた怒涛のエステ、ドレスの試着、宝石の選定会がようやく終わり、解放されたところだ。
今の私は、鏡を見るのも恥ずかしいほどキラキラに磨き上げられている。
髪は艶々に巻かれ、淡いラベンダー色のドレスは最新の流行デザイン。
爪先までピカピカだ。
「これが『公爵家の華』としての仕事……らしいけれど」
落ち着かない。
猛烈に落ち着かない。
昨日まで、朝から晩まで書類の山と格闘し、王子のスケジュール管理で城中を走り回っていた身としては、この優雅すぎる時間は拷問に近い。
(手持ち無沙汰で死んでしまう……!)
私はスノー(白猫)をモフりながら、サロンの中をうろうろと歩き回った。
スノーは「何してんのコイツ」という顔で欠伸をしている。
「ダメだ、じっとしていられない。何か……何か仕事を……」
禁断症状が出始めた私は、ふらりと廊下に出た。
アレクセイ様は「何もしなくていい」と言ったけれど、ちょっとしたお手伝いくらいなら許されるはずだ。
例えば、落ちているゴミを拾うとか。
そう思って歩いていると、廊下の曲がり角で、深刻な顔をして頭を抱えている人物を見つけた。
執事のセバスチャンさんだ。
「ううむ……これでは回らない……」
彼は手元のクリップボードを睨みつけながら、ブツブツと呟いている。
鬼気迫る表情だ。
「セバスチャンさん、どうされたのですか?」
「おや、ラミリア様。お休みになられていなくてよろしいのですか?」
彼はハッと顔を上げ、慌てて笑顔を作ったが、目の下のクマが濃い。
「ええ、少し運動がしたくて。それより、何かお困りですか?」
「はあ……実はお恥ずかしい話なのですが、来週のシフト調整が難航しておりまして」
セバスチャンさんは溜息をついた。
「来週は旦那様の夜会出席や、領地からの視察団受け入れが重なり、人手が足りないのです。特に厨房と配膳係の連携が……どう組んでも休憩時間が確保できない者がでてしまう」
見せてもらったシフト表は、確かにパズルのように複雑だった。
完璧主義の公爵家らしく、分単位で業務が詰め込まれている。
これでは誰かが過労で倒れるのは時間の問題だ。
(……ふふ、燃えてきた)
私の「事務処理魂」に火がついた。
王城のブラック労働環境で、万年人手不足を回し続けてきた私の腕の見せ所だ。
「セバスチャンさん、ペンをお借りしても?」
「は、はい。どうぞ?」
私はシフト表を受け取ると、サラサラと修正を書き入れ始めた。
「まず、この日の視察団は午後到着ですよね? なら、午前の掃除班を半分、厨房の下準備に回せます。その代わり、掃除は前日の夜に『一斉清掃タイム』を設けて短時間で終わらせましょう」
「な、なるほど……!」
「それから、夜会の日ですが、配膳係を増やすのではなく、動線を変更します。厨房から会場へのルートを、西階段ではなく中央階段経由にすれば、移動時間が3分短縮できます。これで3人分の人手が浮きます」
「そ、その発想はなかった……! しかし、中央階段はゲスト用では?」
「開始前の搬入時だけ使用許可を公爵様(アレクセイ様)に取ればいいのです。『温かい料理を1秒でも早く提供するため』と言えば、あの方は絶対に許可します」
「おお……! 確かに旦那様ならそう仰るでしょう!」
「そして浮いた人員を、ここの休憩ローテーションに組み込めば……ほら、全員に1時間の休憩が確保できました」
私がペンを置くと、セバスチャンさんはシフト表を凝視し、震え出した。
感動に打ち震えているようだ。
「す、素晴らしい……! 完璧です! 無駄がなく、かつ従業員の健康にも配慮されている……! ラミリア様、貴女様は軍師ですか!?」
「いえ、ただの元・社畜です」
「シャチク……? 高貴な響きですね」
セバスチャンさんは私の手を取り、涙目で感謝した。
「ありがとうございます! これで私も今夜は眠れます!」
「お役に立てて嬉しいです。あ、ついでに厨房にも顔を出していいですか? 搬入ルートの変更を説明しておきたいので」
「もちろんです! 案内させます!」
私は意気揚々と厨房へと向かった。
やはり、仕事は楽しい。
生きている実感がする。
***
公爵家の厨房は、戦場だった。
夕食の仕込み真っ最中で、コックたちの怒号が飛び交っている。
「おい! 付け合わせのハーブが足りないぞ!」
「ソースの煮詰めが甘い! やり直し!」
「誰だ、ここに小麦粉を置いたのは! 邪魔だ!」
ピリピリとした空気の中、一番奥で仁王立ちしている巨漢の男がいた。
料理長のガストンだ。
強面で、手には巨大な包丁を持っている。
「お邪魔します」
私が声をかけると、全員の視線が集まった。
ドレス姿の令嬢が厨房に入ってきたのだから当然だ。
「ああん? なんだ嬢ちゃん。ここは遊び場じゃねえぞ。ドレスが汚れる前に出ていきな」
ガストン料理長が凄む。
怖い。
でも、私はめげない。
「ごめんなさい。セバスチャンさんから許可をいただいて、業務連絡に来ました。それと……」
私は鼻をクンクンと動かした。
「焦げ臭いです。三番コンロの鍋、火が強すぎませんか?」
「あ?」
ガストンが振り返ると、確かに鍋から黒煙が上がりかけていた。
「うわあああっ! 馬鹿野郎! 誰が見てたんだ!」
「す、すみませんシェフ!」
若手コックが慌てて火を止める。間一髪だった。
「よく分かったな、嬢ちゃん。この匂いの中に混じった焦げ臭さに気づくとは」
「鼻は良い方なんです。それより料理長、困っていることがあるとか?」
「ああ……。旦那様が最近、『以前のような驚きがない』って食事を残すことが多くてな。最高の食材を使ってるんだが、何が不満なんだか……」
ガストンは肩を落とした。
職人としてのプライドが傷ついているようだ。
私は少し考えて、口を開いた。
「アレクセイ様は、猫舌なんですよ」
「は?」
「熱々の料理はお好きですが、熱すぎると味が分からなくなるみたいで。だから、スープの温度をあと2度下げてみてください。それと、彼は左利き寄りの両利きなので、カトラリーの位置を少し調整すると食べやすくなるはずです」
「な、なんだって……!?」
「あと、最近お疲れのようなので、隠し味にレモンの皮を少し擦って入れると、香りでリフレッシュできて食欲が湧くと思います。以前、王城で差し入れした時に喜ばれました」
私が淡々と説明すると、ガストン料理長は目を見開いた。
「猫舌……左利き……レモンの香り……。全部、俺たちが気づかなかったことだ。あんた、何者だ?」
「ただの居候です」
「居候がそんなに旦那様のことを知ってるわけねえ! ……よし、野郎ども! 今夜のメニュー、急遽変更だ! 嬢ちゃんの言う通りにやってみるぞ!」
「「「ウィ、シェフ!!」」」
厨房に活気が戻った。
私は邪魔にならないように隅へ移動し、ついでに乱雑に置かれていたスパイス棚を「種類別・使用頻度順」に並べ替えておいた。
「うおっ! 使いやすい! スパイスが勝手に手に吸い付いてくるようだ!」
コックたちの歓声を聞きながら、私は満足げに厨房を後にした。
***
その夜。
アレクセイ様が帰宅した時、屋敷の空気は一変していた。
玄関ホールには、疲れ切った顔ではなく、生き生きとした表情の使用人たちが整列している。
空気も澄んでいて、どこか明るい。
「……何かあったのか?」
アレクセイ様が不審げに眉をひそめながらダイニングに入ると、そこには私が待っていた。
もちろん、ちゃんと「華」としての仕事(着席して微笑む)も忘れていない。
「おかえりなさいませ、アレクセイ様」
「ああ、ただいま。ラミリア、今日は退屈しなかったか? ずっと部屋にいたのだろう?」
彼は心配そうに私を見た。
私が「退屈で死にそうだった」と言うのを懸念しているのだろう。
「いいえ、とても充実していました! 屋敷の探検をして、皆さんとお話しして……」
「そうか。それは良かった」
アレクセイ様が席に着くと、料理が運ばれてきた。
ガストン料理長渾身の、レモン風味のクリームシチューだ。
彼は一口食べると、ピクリと動きを止めた。
「…………」
「お口に合いませんでしたか?」
私がドキドキして尋ねると、彼はゆっくりと首を横に振った。
「いや……美味い。温度が絶妙だ。それに、この爽やかな香りは……」
「レモンです! お疲れのようでしたので!」
ガストン料理長が、影から飛び出してきて叫んだ。
「ラミリア様のアドバイスです! 旦那様の好みを完璧に把握されていて……いやぁ、勉強になりました!」
「ラミリアが?」
アレクセイ様が私を見る。
その時、セバスチャンさんも進み出てきた。
「旦那様。実は来週のシフトも、ラミリア様が見直してくださいまして。おかげで全員が健康的に働けるようになりました。彼女はまさに、我が家の救世主です」
さらに、メイド長も現れる。
「ラミリア様が洗剤の配合を変えてくださったおかげで、床磨きが半分の時間で終わりました!」
庭師も窓の外から親指を立てている。
「肥料の在庫管理表、助かりました!」
次々と上がる称賛の声。
アレクセイ様は、呆気に取られた顔で私を見つめた。
「……ラミリア。お前、『何もしなくていい』と言ったはずだが?」
「はい。ですから、本格的な仕事はしていません。ちょっとした気づきを口にしただけで……いわゆる、愛嬌のようなものです」
私は悪びれずに答えた。
これくらい、私にとっては呼吸と同じだ。
仕事という範疇には入らない。
アレクセイ様は深く、深く溜息をついた。
しかし、その顔は呆れではなく、どこか誇らしげで、そして嬉しそうだった。
「……愛嬌、か。お前の愛嬌は、国を一つ動かせそうだな」
「そんな大袈裟な」
「いや、本心だ。……ありがとう。家の中がこんなに明るいのは、久しぶりだ」
彼は優しく微笑むと、シチューをもう一口食べた。
「美味い。……おかわりを貰おうか」
「ウィ、ムッシュ!」
ガストン料理長が嬉し泣きしながら厨房へ走っていく。
屋敷中が幸福な空気に包まれている。
私は確信した。
特別な魔力がなくたって、悪役令嬢と罵られたって。
働く場所と、認めてくれる人がいれば、私はどこでだって生きていける。
「さて、食後は今日の報告会だ。たっぷり聞かせてもらうぞ」
「はい! 実はリネン室の収納について提案がありまして!」
「……そういう報告じゃなくて、もっとこう、私との愛の語らい的なものを期待していたのだが……まあいい、聞こう」
少し残念そうなアレクセイ様の言葉に、私は首を傾げた。
愛の語らい?
業務報告以上に楽しい会話なんて、この世にあるのだろうか?
どうやら私の「普通」と公爵様の「普通」には、まだ少しズレがあるようだった。
広大な屋敷のサロンで、私は呟いた。
時刻は午後2時。
朝から続いた怒涛のエステ、ドレスの試着、宝石の選定会がようやく終わり、解放されたところだ。
今の私は、鏡を見るのも恥ずかしいほどキラキラに磨き上げられている。
髪は艶々に巻かれ、淡いラベンダー色のドレスは最新の流行デザイン。
爪先までピカピカだ。
「これが『公爵家の華』としての仕事……らしいけれど」
落ち着かない。
猛烈に落ち着かない。
昨日まで、朝から晩まで書類の山と格闘し、王子のスケジュール管理で城中を走り回っていた身としては、この優雅すぎる時間は拷問に近い。
(手持ち無沙汰で死んでしまう……!)
私はスノー(白猫)をモフりながら、サロンの中をうろうろと歩き回った。
スノーは「何してんのコイツ」という顔で欠伸をしている。
「ダメだ、じっとしていられない。何か……何か仕事を……」
禁断症状が出始めた私は、ふらりと廊下に出た。
アレクセイ様は「何もしなくていい」と言ったけれど、ちょっとしたお手伝いくらいなら許されるはずだ。
例えば、落ちているゴミを拾うとか。
そう思って歩いていると、廊下の曲がり角で、深刻な顔をして頭を抱えている人物を見つけた。
執事のセバスチャンさんだ。
「ううむ……これでは回らない……」
彼は手元のクリップボードを睨みつけながら、ブツブツと呟いている。
鬼気迫る表情だ。
「セバスチャンさん、どうされたのですか?」
「おや、ラミリア様。お休みになられていなくてよろしいのですか?」
彼はハッと顔を上げ、慌てて笑顔を作ったが、目の下のクマが濃い。
「ええ、少し運動がしたくて。それより、何かお困りですか?」
「はあ……実はお恥ずかしい話なのですが、来週のシフト調整が難航しておりまして」
セバスチャンさんは溜息をついた。
「来週は旦那様の夜会出席や、領地からの視察団受け入れが重なり、人手が足りないのです。特に厨房と配膳係の連携が……どう組んでも休憩時間が確保できない者がでてしまう」
見せてもらったシフト表は、確かにパズルのように複雑だった。
完璧主義の公爵家らしく、分単位で業務が詰め込まれている。
これでは誰かが過労で倒れるのは時間の問題だ。
(……ふふ、燃えてきた)
私の「事務処理魂」に火がついた。
王城のブラック労働環境で、万年人手不足を回し続けてきた私の腕の見せ所だ。
「セバスチャンさん、ペンをお借りしても?」
「は、はい。どうぞ?」
私はシフト表を受け取ると、サラサラと修正を書き入れ始めた。
「まず、この日の視察団は午後到着ですよね? なら、午前の掃除班を半分、厨房の下準備に回せます。その代わり、掃除は前日の夜に『一斉清掃タイム』を設けて短時間で終わらせましょう」
「な、なるほど……!」
「それから、夜会の日ですが、配膳係を増やすのではなく、動線を変更します。厨房から会場へのルートを、西階段ではなく中央階段経由にすれば、移動時間が3分短縮できます。これで3人分の人手が浮きます」
「そ、その発想はなかった……! しかし、中央階段はゲスト用では?」
「開始前の搬入時だけ使用許可を公爵様(アレクセイ様)に取ればいいのです。『温かい料理を1秒でも早く提供するため』と言えば、あの方は絶対に許可します」
「おお……! 確かに旦那様ならそう仰るでしょう!」
「そして浮いた人員を、ここの休憩ローテーションに組み込めば……ほら、全員に1時間の休憩が確保できました」
私がペンを置くと、セバスチャンさんはシフト表を凝視し、震え出した。
感動に打ち震えているようだ。
「す、素晴らしい……! 完璧です! 無駄がなく、かつ従業員の健康にも配慮されている……! ラミリア様、貴女様は軍師ですか!?」
「いえ、ただの元・社畜です」
「シャチク……? 高貴な響きですね」
セバスチャンさんは私の手を取り、涙目で感謝した。
「ありがとうございます! これで私も今夜は眠れます!」
「お役に立てて嬉しいです。あ、ついでに厨房にも顔を出していいですか? 搬入ルートの変更を説明しておきたいので」
「もちろんです! 案内させます!」
私は意気揚々と厨房へと向かった。
やはり、仕事は楽しい。
生きている実感がする。
***
公爵家の厨房は、戦場だった。
夕食の仕込み真っ最中で、コックたちの怒号が飛び交っている。
「おい! 付け合わせのハーブが足りないぞ!」
「ソースの煮詰めが甘い! やり直し!」
「誰だ、ここに小麦粉を置いたのは! 邪魔だ!」
ピリピリとした空気の中、一番奥で仁王立ちしている巨漢の男がいた。
料理長のガストンだ。
強面で、手には巨大な包丁を持っている。
「お邪魔します」
私が声をかけると、全員の視線が集まった。
ドレス姿の令嬢が厨房に入ってきたのだから当然だ。
「ああん? なんだ嬢ちゃん。ここは遊び場じゃねえぞ。ドレスが汚れる前に出ていきな」
ガストン料理長が凄む。
怖い。
でも、私はめげない。
「ごめんなさい。セバスチャンさんから許可をいただいて、業務連絡に来ました。それと……」
私は鼻をクンクンと動かした。
「焦げ臭いです。三番コンロの鍋、火が強すぎませんか?」
「あ?」
ガストンが振り返ると、確かに鍋から黒煙が上がりかけていた。
「うわあああっ! 馬鹿野郎! 誰が見てたんだ!」
「す、すみませんシェフ!」
若手コックが慌てて火を止める。間一髪だった。
「よく分かったな、嬢ちゃん。この匂いの中に混じった焦げ臭さに気づくとは」
「鼻は良い方なんです。それより料理長、困っていることがあるとか?」
「ああ……。旦那様が最近、『以前のような驚きがない』って食事を残すことが多くてな。最高の食材を使ってるんだが、何が不満なんだか……」
ガストンは肩を落とした。
職人としてのプライドが傷ついているようだ。
私は少し考えて、口を開いた。
「アレクセイ様は、猫舌なんですよ」
「は?」
「熱々の料理はお好きですが、熱すぎると味が分からなくなるみたいで。だから、スープの温度をあと2度下げてみてください。それと、彼は左利き寄りの両利きなので、カトラリーの位置を少し調整すると食べやすくなるはずです」
「な、なんだって……!?」
「あと、最近お疲れのようなので、隠し味にレモンの皮を少し擦って入れると、香りでリフレッシュできて食欲が湧くと思います。以前、王城で差し入れした時に喜ばれました」
私が淡々と説明すると、ガストン料理長は目を見開いた。
「猫舌……左利き……レモンの香り……。全部、俺たちが気づかなかったことだ。あんた、何者だ?」
「ただの居候です」
「居候がそんなに旦那様のことを知ってるわけねえ! ……よし、野郎ども! 今夜のメニュー、急遽変更だ! 嬢ちゃんの言う通りにやってみるぞ!」
「「「ウィ、シェフ!!」」」
厨房に活気が戻った。
私は邪魔にならないように隅へ移動し、ついでに乱雑に置かれていたスパイス棚を「種類別・使用頻度順」に並べ替えておいた。
「うおっ! 使いやすい! スパイスが勝手に手に吸い付いてくるようだ!」
コックたちの歓声を聞きながら、私は満足げに厨房を後にした。
***
その夜。
アレクセイ様が帰宅した時、屋敷の空気は一変していた。
玄関ホールには、疲れ切った顔ではなく、生き生きとした表情の使用人たちが整列している。
空気も澄んでいて、どこか明るい。
「……何かあったのか?」
アレクセイ様が不審げに眉をひそめながらダイニングに入ると、そこには私が待っていた。
もちろん、ちゃんと「華」としての仕事(着席して微笑む)も忘れていない。
「おかえりなさいませ、アレクセイ様」
「ああ、ただいま。ラミリア、今日は退屈しなかったか? ずっと部屋にいたのだろう?」
彼は心配そうに私を見た。
私が「退屈で死にそうだった」と言うのを懸念しているのだろう。
「いいえ、とても充実していました! 屋敷の探検をして、皆さんとお話しして……」
「そうか。それは良かった」
アレクセイ様が席に着くと、料理が運ばれてきた。
ガストン料理長渾身の、レモン風味のクリームシチューだ。
彼は一口食べると、ピクリと動きを止めた。
「…………」
「お口に合いませんでしたか?」
私がドキドキして尋ねると、彼はゆっくりと首を横に振った。
「いや……美味い。温度が絶妙だ。それに、この爽やかな香りは……」
「レモンです! お疲れのようでしたので!」
ガストン料理長が、影から飛び出してきて叫んだ。
「ラミリア様のアドバイスです! 旦那様の好みを完璧に把握されていて……いやぁ、勉強になりました!」
「ラミリアが?」
アレクセイ様が私を見る。
その時、セバスチャンさんも進み出てきた。
「旦那様。実は来週のシフトも、ラミリア様が見直してくださいまして。おかげで全員が健康的に働けるようになりました。彼女はまさに、我が家の救世主です」
さらに、メイド長も現れる。
「ラミリア様が洗剤の配合を変えてくださったおかげで、床磨きが半分の時間で終わりました!」
庭師も窓の外から親指を立てている。
「肥料の在庫管理表、助かりました!」
次々と上がる称賛の声。
アレクセイ様は、呆気に取られた顔で私を見つめた。
「……ラミリア。お前、『何もしなくていい』と言ったはずだが?」
「はい。ですから、本格的な仕事はしていません。ちょっとした気づきを口にしただけで……いわゆる、愛嬌のようなものです」
私は悪びれずに答えた。
これくらい、私にとっては呼吸と同じだ。
仕事という範疇には入らない。
アレクセイ様は深く、深く溜息をついた。
しかし、その顔は呆れではなく、どこか誇らしげで、そして嬉しそうだった。
「……愛嬌、か。お前の愛嬌は、国を一つ動かせそうだな」
「そんな大袈裟な」
「いや、本心だ。……ありがとう。家の中がこんなに明るいのは、久しぶりだ」
彼は優しく微笑むと、シチューをもう一口食べた。
「美味い。……おかわりを貰おうか」
「ウィ、ムッシュ!」
ガストン料理長が嬉し泣きしながら厨房へ走っていく。
屋敷中が幸福な空気に包まれている。
私は確信した。
特別な魔力がなくたって、悪役令嬢と罵られたって。
働く場所と、認めてくれる人がいれば、私はどこでだって生きていける。
「さて、食後は今日の報告会だ。たっぷり聞かせてもらうぞ」
「はい! 実はリネン室の収納について提案がありまして!」
「……そういう報告じゃなくて、もっとこう、私との愛の語らい的なものを期待していたのだが……まあいい、聞こう」
少し残念そうなアレクセイ様の言葉に、私は首を傾げた。
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