悪役令嬢は婚約破棄を祝いたい!

夏乃みのり

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「口を開けてください。さっさと飲み込まないと、鼻をつまんで流し込みますよ」

「んぐっ……むぐっ……」

王宮の寝室。
天蓋付きの豪華なベッドの上で、カレル王子は涙目でスプーンを受け入れていた。
彼の枕元には、腕組みをしたポタージュが仁王立ちしている。

「あ、味がない……。もっと砂糖を……」

「寝言は寝て言ってください。貴方の舌は砂糖に侵されすぎて、素材の繊細な味が分からなくなっているだけです」

ポタージュがカレルに与えているのは、『命のスープ(スープ・ド・ヴィ)』。
丸鶏を骨まで砕いて煮出した白湯(パイタン)スープに、消化を助ける大根おろしと、薬効のあるハーブを混ぜた、完全無欠の流動食だ。
塩分は極限まで控えられ、旨味だけで構成されている。

「貴方の胃壁は今、薄氷のように脆くなっています。そこへ刺激物を入れれば即座に穴が開く。……黙って、この鶏の命を頂きなさい」

ポタージュの迫力に圧され、カレルは渋々飲み込む。
温かい液体が喉を通り、胃に落ちる。

「……っ」

その瞬間、カレルの体が小さく震えた。
じんわりと、腹の底から温かいものが広がっていく。
枯渇していた大地に水が染み渡るように、死にかけていた細胞たちが「栄養だ!」と歓喜の声を上げているのが分かる。

「……もう一口」

「はい、どうぞ」

カレルは夢中で求めた。
甘くない。刺激もない。
けれど、生きるために必要な力がそこにはあった。
一杯飲み干す頃には、彼の土気色だった顔に、ほんのりと赤みが戻っていた。

   ◇

それから三日間。
ポタージュによる「更生プログラム」は徹底されていた。

朝は胃腸を動かすための『温野菜のポタージュ』。
昼はタンパク質を補給する『白身魚と豆腐のすり流し』。
夜は睡眠の質を高める『ホットミルクとオニオンのスープ』。

甘い菓子は一切禁止。
ミナ・シロップが面会に来て「カレル様にお菓子を!」と泣き叫んでも、門前払いで追い返された。

そして四日目。
王の執務室に呼び出されたカレルは、別人のようになっていた。

「……顔色が良くなったな、カレル」

国王レグルスが、驚きの声を上げる。
目の前に立つカレルは、まだ痩せてはいるが、肌は艶やかで、瞳には以前のような濁りがない。
何より、常にイライラしていた雰囲気が消え、憑き物が落ちたように穏やかだ。

「はい、父上。……体の中から毒が抜けたような気分です」

カレルは静かに答えた。
その横には、シルヴィスとポタージュが控えている。

「さて。お前の体調も戻ったことだし、改めて今回の騒動の『検証』を行う」

国王が合図をすると、法務官が分厚い資料を広げた。

「カレルよ。お前はかつて、ポタージュ嬢から数々の嫌がらせを受けたとして婚約破棄を申し立てたな? 『教科書隠し』『ドレス汚し』そして『毒物混入』だ」

「……はい」

「だが、ポタージュ嬢の証言と、当時の状況を再調査した結果、真実が明らかになった」

法務官が読み上げる。

「まず『教科書隠し』。これは、カレル殿下が教科書の間に隠していた『授業中のつまみ食い用クッキー』を、ポタージュ嬢が見つけて没収していただけであることが判明しました」

「あ……」

カレルが顔を赤らめる。
そうだ。あの時、ポタージュは教科書を隠したのではなく、「授業中に食べると虫歯になりますよ」と言ってクッキーを取り上げたのだ。それを逆恨みして「勉強の邪魔をされた」と変換していた。

「次に『ドレス汚し』。ミナ嬢のドレスに液体をかけたとあるが……これは、ミナ嬢がドレスにこぼしたシロップに蜂が寄ってこないよう、ポタージュ嬢がとっさに『虫除けのハーブ水』をかけて洗い流したものであると証言が得られた」

「……そう、でした」

カレルは思い出した。
あの日、ミナは「キャー! 濡らされた!」と騒いだが、ポタージュは無言でハーブ水をかけ、その直後に一匹のスズメバチがミナを避けて飛び去ったのを。
あれは嫌がらせではなく、救助だったのだ。

「そして最後に『毒物混入』。……これについては、説明不要だろう」

国王は、シルヴィスとポタージュを見た。
二人が作り出し、今や国中の流行となっている「健康スープ」。
それが毒物などでないことは、カレル自身の今の健康体が何よりの証明だ。

「……私は、なんと愚かだったのか」

カレルはその場に膝をついた。
両手で顔を覆う。

「彼女は……ポタージュは、ずっと私の健康を気遣ってくれていた。味音痴で偏食家の私を見捨てず、嫌われてもいいから体を守ろうとしてくれていたのに……」

私はそれを「悪意」と受け取り、あろうことか「泥水女」と罵って追放した。
さらに、店を潰そうとし、スープを汚そうとした。
恩を仇で返すどころの話ではない。
万死に値する大罪だ。

「ポタージュ……」

カレルは顔を上げ、ポタージュに向かって土下座の姿勢をとった。
額を床に擦り付ける。

「すまなかった……! 本当に、すまなかった!!」

王族が臣下に土下座をするなど、前代未聞だ。
しかし、誰も止めなかった。
それだけのことを、彼はしたのだから。

「君の優しさに気づかず、自分の欲望を正当化するために君を傷つけた。……殺してくれ。いや、スープの出汁にしてくれても構わない!」

「……出汁にはしませんよ。アクが強そうですから」

ポタージュは冷静に言い放った。
そして、ため息交じりにカレルを見下ろした。

「顔を上げてください、殿下。床に額をつけると、雑菌がつきますよ」

「ううっ……」

「私は別に、貴方のためにやったわけじゃありません。ただ、目の前で不健康な生き物がいるのが耐えられなかっただけです。料理人の性(さが)ですね」

彼女は素っ気ない。
だが、その言葉にはもはや刺々しい敵意はなかった。

「許すとは言いません。ですが、私のスープを飲んで健康になったのなら、それは料理人として一つの成果です。……代金はしっかり請求しますけどね」

ポタージュがニヤリと笑う。
カレルは涙を流しながら頷いた。

「払う! 一生かけて払う! 私の私財をすべて投げ打ってでも!」

「いいえ。金貨ではなく、行動で示していただきます」

ポタージュは王に向き直った。

「陛下。彼への処罰ですが、私から提案があります」

「ほう? 申してみよ」

「カレル殿下には、私の店の『農園』で働いていただきます」

「農園?」

「はい。美味しいスープを作るには、良い土と良い野菜が必要です。彼には土いじりから始めてもらい、食材のありがたみと、健康な体を作る苦労を学んでいただきたいのです」

修道院送りでもなく、国外追放でもなく、農業従事。
それはポタージュなりの、最も建設的で厳しい「更生プラン」だった。

「……なるほど。土に触れ、汗を流し、自ら育てた野菜を食す。……良い考えだ」

国王は満足げに頷いた。

「カレルよ。聞いたな? 王籍剥奪は免除してやる。だが、今日からお前は『北の離宮農園』の管理人見習いだ。一本の大根を育てるまで、城に戻ることは許さん」

「はい! ありがとうございます! 喜んで土になります!」

カレルは感涙にむせびながら了承した。
こうして、バカ王子改め「農業王子」が誕生した瞬間である。

「……甘いな、君も」

シルヴィスが小声でポタージュに囁く。

「そうですか? 労働力不足の解消になりますし、彼なら体力だけはありそうですから」

「ふん。まあ、君の目の届く範囲に置いておく方が、監視もしやすいか」

シルヴィスは納得したようだが、その目は「少しでも妙な真似をしたら即座に肥料にする」と語っていた。

   ◇

一件落着。
冤罪は晴れ、カレルは改心した。
だが、まだ一つだけ解決していない問題があった。

「……して、ミナ・シロップはどうなった?」

国王が低い声で尋ねる。
その場に彼女の姿はない。

「ああ、彼女なら……」

シルヴィスが報告しようとした、その時。
執務室の扉が激しく叩かれた。

「大変です! ミナ・シロップ嬢が脱走しました!」

「なんだと!?」

衛兵が飛び込んでくる。

「牢から姿を消し、王宮の宝物庫から『あるもの』を持ち出して逃走した模様です!」

「あるもの……?」

「はい。……禁忌指定されている『惚れ薬の原液』です」

全員の顔色が変わった。
惚れ薬。
それは国家転覆すら可能な危険物だ。
それを持ち出し、彼女が向かう先は一つしかない。

「ポタージュ、戻るぞ! 彼女の狙いは君だ!」

シルヴィスが叫ぶ。
ミナの逆恨みはまだ終わっていなかった。
彼女は最後の手段を使って、自分を拒絶した世界そのものを「甘く」書き換えようとしているのだ。
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