祝・婚約破棄! 喜んだ悪役令嬢の末路は…?

夏乃みのり

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雨上がりの空にかかる、大きな虹の下。
リアムからの、あまりにもまっすぐな告白に、サーシャは言葉を失い、ただ彼の顔を見つめることしかできなかった。
好き、と言われた。
この、強くて、不器用で、誰よりも優しい人が、わたくしのことを。
その事実だけで、胸がはち切れそうなほどの幸福感に満たされていく。

「…風邪を、ひく」

先に沈黙を破ったのは、リアムの方だった。
彼は、少し照れくさそうに視線を逸らすと、自分が着ていた上着を脱ぎ、そっとサーシャの濡れた肩にかけてくれた。
辺境伯のたくましい体に合わせた上着は、サーシャには大きすぎたけれど、彼の匂いと、彼の温かさに包まれて、サーシャは心の底から安堵した。

「…ありがとう、ございます」

かろうじて、それだけを口にするのが精一杯だった。

幸い、すぐにアンナが手配したシュヴァルツ家の馬車が駆けつけ、気まずい沈黙は終わりを告げた。
リアムは、当然のように「送っていく」と言い、サーシャと馬車に乗り込んだ。

帰り道の馬車の中は、少しだけぎこちない空気が流れていた。
お互いに、先ほどの告白を強く意識してしまい、どう話していいか分からないのだ。
それでも、時折、視線が合うと、リアムは慌てて顔をそむけ、サーシャは俯いて頬の熱を隠す。
その初々しい沈黙さえもが、サーシャにとっては、今まで経験したどんな雄弁な会話よりも、甘く、心地よいものに感じられた。

やがて、馬車がシュヴァルツ公爵邸の壮麗な門の前に到着する。

「その…送ってくださり、ありがとうございました」

「ああ」

リアムは、先に馬車を降りると、サーシャが降りるのを、大きな手でエスコートしてくれた。

「上着は、また今度でいい。それより、温かい風呂にでも入って、ゆっくり休め」

「はい…リアムも」

「…また、連絡する」

そう言い残すと、彼は少しだけ名残惜しそうな顔をして、夜の闇へと去っていった。
サーシャは、彼のたくましい背中が見えなくなるまで、ずっと、ずっとその場で見送っていた。

(夢、のようだわ…)

夢見心地のまま、ふわふわとした足取りで屋敷の扉を開ける。
しかし、そんなサーシャの幸福な気分は、玄関ホールで待っていた執事セバスチャンの深刻な顔によって、一瞬にして現実へと引き戻された。

「お嬢様! お待ち申し上げておりました!」

「セバスチャン? どうしたの、そんなに慌てて」

「王宮より、至急の使いが参りまして…! エドワード王子殿下からの、親書でございます」

セバスチャンの言葉に、サーシャの表情からふっと笑みが消える。
応接室のテーブルの上には、見慣れた王家の紋章が刻まれた、一通の封書が、まるで不吉な予言のように、静かに置かれていた。

その夜、サーシャは父であるルドヴィーク公爵の書斎を訪れた。
呼び出し状の内容は、簡潔だった。
『明日の午後、王宮へ登城されたし。話がある』
それだけだった。

「エドワード王子からだと?」

書状に目を通したルドヴィークは、忌々しげにそれを机に叩きつけた。

「多くの貴族の前で娘を断罪しておきながら、今さら何の用だというのだ。ろくな話であるはずがない。無視しておけ。返事など出す必要もない」

父の言葉は、娘を案ずるが故の、強い怒りに満ちていた。
以前のサーシャであれば、きっと、父の言葉に素直に従っていただろう。
面倒なことに関わるのは、ごめんだと。

しかし、今の彼女は違った。

「いいえ、お父様」

サーシャは、静かに、しかし、きっぱりとした口調で言った。

「わたくし、行きますわ」

「サーシャ! 何を考えている!」

「逃げていては、何も始まりませんもの。いつまでも、あの殿方に、過去の婚約者という立場で振り回されるのは、もう終わりにするのです」

サーシャの瞳には、かつてないほどの、強い意志の光が宿っていた。
リアムに愛されている。
その事実が、彼女の心に、一本の、決して折れることのない芯を与えてくれていた。

「それに、これは、良い機会かもしれませんわ」

サーシャは、不敵に微笑む。

「シュヴァルツ公爵家の後ろ盾がなければ、この国の国政がいかに脆いものか。そのことを、王子殿下ご自身の口から、たっぷりと聞かせていただこうではございませんか。そして、わたくしたちの価値を、改めて、はっきりと分からせてさしあげるのです」

それはもはや、捨てられた令嬢の感傷などではなかった。
シュヴァルツ公爵家の代表として、国益と家益を天秤にかける、冷徹な交渉人の顔だった。

その、あまりにも頼もしい娘の姿に、ルドヴィークは一瞬、言葉を失った。
そして、すぐに、すべてを悟った。
娘は、もう、自分の保護を必要とする、か弱い雛鳥ではない。
自分の意志で、未来を切り拓く力を持った、誇り高き白鳥へと成長したのだ。

「…分かった」

ルドヴィークは、深く頷いた。

「だが、決して無理はするな。忘れるでないぞ、サーシャ。お前の後ろには、いつでもこの私と、シュヴァルツ家のすべてがついているということをな」

「はい、お父様」

翌日の午後。
サーシャは、クローゼットの奥から、一着のドレスを選び出した。
それは、かつて「悪役令嬢」と呼ばれていた頃に好んで着ていた、見る者を威圧するような、黒に近い、深い紫色のドレス。
しかし、今の彼女がそのドレスに袖を通すと、もはや悪役などではない。
すべてを統べる、孤高の女王のような、圧倒的な気品と威厳を放っていた。

王宮へと向かう馬車の中、サーシャの心は、驚くほど穏やかだった。
エドワード王子への未練や憎しみなど、もはや欠片も残っていない。
彼女の心を占めているのは、リアムへの温かい想いと、そして、これから始まる「交渉」への、静かな闘志だけだった。

やがて、馬車が王宮の正門をくぐる。
久しぶりに見る王宮は、どこか活気がなく、重く淀んだ空気に包まれているように感じられた。

(さあ、始めましょうか、殿下)

サーシャは、ゆっくりと馬車を降りる。

(わたくしとの、本当の交渉の時間を)

王宮の巨大な扉が、彼女のために開かれていく。
その向こうに待つものを、サーシャは、もう何も恐れてはいなかった。
一人の自立した女性として、そして、愛する人を得た人間として。
彼女は、堂々と、その一歩を踏み出した。
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