婚約破棄?結構ですが、その前に殿下の隣を片付けても?

夏乃みのり

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王立学院の瑞々しい緑に囲まれたテラス。


そこで行われているのは、この国の第一王子エドワード様と、私、カタリナ・フォン・公爵令嬢による、週に一度の定期茶会ですわ。


以前までの私であれば、殿下の隣で鼻を赤くして「あーん」などと強請る可憐な少女を、扇子をバシバシ鳴らしながら睨みつけていたことでしょう。


けれど、今の私にそんな余裕はございません。


嫉妬? いいえ、違いますわ。もっとこう、国家存亡の危機レベルの「寒気」が背筋を通り抜けているのです。


「……ねえ、エドワード様。そのお手に持っていらっしゃるハンカチ、随分と可愛らしい刺繍ですわね」


私は、なるべく優雅に、かつ喉元まで出かかった毒を飲み込んで問いかけました。


エドワード様は、私の視線に気づくと、デレデレと締まりのない顔でそのピンク色の布を広げました。


「ああ、これかい? 先程、ミーナ嬢が落としたものを拾ってあげたんだ。彼女、慌てていたようだから後で届けてあげようと思ってね」


「まあ、ミーナ様が。……少し拝見しても?」


「構わないよ。君も彼女の繊細な手仕事を見れば、少しは彼女に対する態度も軟化するだろう?」


王子は無防備にも、そのハンカチを私に手渡しました。


私はそれを受け取った瞬間、指先に集中します。


表向きは可憐な花々の刺繍。しかし、その縁取りのステッチ……これ、どう見ても隣国ボルジアの軍用暗号「変則クロスステッチ」ではありませんか。


(……あら、やだ。私ったら、婚約者に浮気された可哀想な婚約者かと思っていたけれど、これ、もっと面倒な事態に巻き込まれているわね?)


私は、扇子で口元を隠しながら、ハンカチの裏側を光に透かしました。


そこには、ご丁寧に今日の夜会の警備配置を示唆するドットが紛れ込んでいます。


「カタリナ? どうかしたかい? そんなに熱心に見つめて。やはり彼女の素晴らしさに気づいたかな」


「ええ、ええ。本当に素晴らしいですわ。これほどまでに『手が込んだ』ものを日常使いなさるなんて、彼女は相当な『努力家』でいらっしゃるのね」


私は引きつりそうな頬を無理やり持ち上げて、微笑みを返しました。


この男……いえ、エドワード様は、本当に何も分かっていらっしゃらない。


彼女が自分に懐いているのは、愛ゆえではなく、機密情報ゆえだということに。


「エドワード様、一つ伺ってもよろしいかしら?」


「なんだい? 怖い顔をして」


「最近、お父様……公爵家の執務室に、ミーナ様を案内なさったりはしていませんわよね?」


「……! な、なぜそれを。いや、彼女がどうしても古い蔵書に興味があると言うから、一度だけ、少しだけだよ?」


王子の視線が泳ぎました。


(……はい、アウト。王国の守護と言われる公爵家に、スパイを招き入れたわね、このバカ王子は)


私は、持っていたティーカップをソーサーに置きました。カチャリ、と硬い音が響きます。


このまま放置すれば、私は「無能な王子を唆して国を売った悪役令嬢」として、断罪される未来が待っていることでしょう。


いいえ、断罪されるだけならまだしも、国外追放になった瞬間に隣国の刺客に消されるのがオチですわ。


冗談ではありません。私はまだ、最高の贅沢を満喫し尽くしておりませんもの。


「エドワード様」


「な、なんだい。その、冷やし中華でも始めたかのような涼しげな、けれど絶対零度の瞳は」


「いいえ。ミーナ様があまりに可愛らしいので、私、彼女ともっと仲良くなりたいと思っただけですわ」


私は立ち上がり、深々とカーテシーをしました。


「今夜の夜会、楽しみにしておりますわね。……ふふ。ええ、本当に。色々と、『片付け』なければならないことが見えてきましたわ」


「そ、そうか。君が彼女を受け入れてくれるなら、僕も嬉しいよ」


安堵の息を漏らす王子の背中を見送りながら、私は背後に控えていた執事のセバスチャンに合図を送りました。


「セバスチャン。聞いたかしら?」


影の中から音もなく現れた老執事は、眼鏡の奥の瞳を鋭く光らせました。


「お嬢様。……三流の喜劇よりもお粗末な状況でございますな」


「全くだわ。あんな見え透いたスパイを聖女扱いして、挙句の果てには公爵家の機密までチラ見せするなんて。我が婚約者ながら、脳みその代わりにマシュマロでも詰まっているのかしら」


「マシュマロに失礼かと」


「それもそうですわね。……いい、セバスチャン。作戦変更よ」


私は、先程のハンカチを自分の懐に収めました。もちろん、返してくれと言われても「洗濯中に紛失した」と言い張るつもりです。


「作戦変更、と言いますと?」


「婚約破棄を待って泣き寝入りなんて、私の辞書にはございません。彼女の本性を完膚なきまでに暴き、王子を私の掌の上で踊る立派な王に叩き直す……名付けて『ハッピーエンド強奪作戦』を敢行いたしますわ!」


「……承知いたしました。では、毒消しと拘束用の魔道具を多めに準備しておきましょう」


セバスチャンの頼もしい言葉に、私はようやく心からの笑みを浮かべました。


前世がどうとか、運命がどうとか、そんなの関係ありませんわ。


私は今、この瞬間を、私らしく、最高に不敵に生き抜いてみせます。


「さあ、まずは夜会用のドレスを、戦闘服並みの機動力に作り直させなさい。あの女の首根っこを掴むのに、タイトなスカートは邪魔ですもの」


私は高らかに笑いながら、テラスを後にしました。


カタリナ・フォン・公爵令嬢。


本日、悪役令嬢を休業し、スパイハンターとしての第一歩を歩み始めることになりましたの。
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