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王立学院の教室。午後の陽光が差し込む中、歴史学の講義が行われていました。
教壇に立つのは、偏屈で有名なオールドマン教授。今日の議題は、我が国と隣国ボルジアとの複雑な国境紛争史についてですわ。
以前の私なら、殿下とミーナ様が隣同士で座っているのを見て「席を離しなさい!」とヒステリックに叫んでいたことでしょうけれど。
今の私は、殿下のすぐ後ろの席で、慈母のような……あるいは獲物を狙う鷹のような鋭い視線で二人を見守っておりますの。
「……では、この時代のボルジア王国の内情について、誰か補足できる者はいるかな?」
オールドマン教授が眼鏡を光らせて教室内を見渡しました。
教科書には数行しか書かれていない難問。生徒たちが一様に目を逸らす中、ミーナ様がここぞとばかりに手を挙げました。
「はい、教授! 当時のボルジアでは、表向きの和平交渉の裏で、特殊な印章を用いた秘密通信が行われていたと聞いたことがありますわ」
「ほう、ミーナ君。それは興味深い。詳しく説明できるかね?」
「ええ。その印章は三つのパーツに分かれていて、特定の角度で重ねないと読めない仕組みになっていて……」
ミーナ様は、うっかり饒舌に語り始めました。
(……あら。ボロが出ましたわね、ミーナ様)
私は扇子を「パチン」と小気味よい音を立てて閉じ、優雅に挙手をいたしました。
「教授、よろしいかしら? ミーナ様のお話に、少し付け加えたいことがございますの」
「おお、カタリナ君。公爵令嬢の知見を聞かせてもらおう」
私は椅子から立ち上がり、困った子供を見るような、とても「深い」慈しみの笑みをミーナ様に向けました。
「ミーナ様、今の素晴らしい解説……驚きましたわ。だって、その印章の仕組みはボルジアの『最高級軍事機密』。我が国のスパイ組織ですら、つい先月ようやく全容を掴んだばかりのものですもの」
教室内の空気が、一瞬で凍りつきました。
ミーナ様の顔が、みるみるうちに土気色に変わっていくのが背中越しでも分かりますわ。
「……え? あ、あの、それは……その、古本屋で読んだような気がして……」
「あら、そんな物騒な内容が書かれた本が市井に出回っているなんて、大変なことですわ! どこのお店かしら? すぐに騎士団を向かわせて、国家安全保障の観点から調査させなくては!」
私はわざとらしく頬に手を当て、エドワード様を振り返りました。
「エドワード様、お聞きになりました? ミーナ様は、そんな貴重な情報をたった一人で入手なさるほどの『特別な才能』をお持ちなんですのよ。……ねえ、殿下。不思議だと思われません?」
エドワード様は、ポカンと口を開けて私とミーナ様を交互に見ています。
「あ、ああ……。確かに、ミーナがそんな専門的なことを知っているなんて凄いな。カタリナ、君は彼女を疑っているのかい?」
「まさか! 疑うなんて失礼な。私はただ……ミーナ様が『どこの国の』古本屋でそれを学ばれたのか、とっても興味があるだけですわ」
私は一歩、ミーナ様に歩み寄りました。
「もし、万が一。彼女が隣国の回し者だったとしたら……殿下に近づいたのも、我が国の軍事配置を探るためだったとしたら。……いえ、そんな不吉なこと、考えたくもございませんわね? おーっほっほっほ!」
笑い声を響かせながら、私はミーナ様の耳元に顔を寄せ、囁きました。
「……詰めが甘いですわよ、スパイさん。知識を披露して殿下の関心を引くのは、もっと『無害な分野』になさることね。例えば、刺繍とか」
ミーナ様はガタガタと膝を震わせ、今にも泣き出しそうな声で絞り出しました。
「……カタリナ様、ひどいですぅ。私を……私をスパイだなんて……。エドワード様ぁ!」
いつもの「泣き落とし」作戦。けれど、今日の私はその先を読んでおります。
「まあ、泣かないで! セバスチャン、ミーナ様に特製の『真実の……ではなく、精神を落ち着かせるハーブの』ハンカチを差し上げて!」
影から現れたセバスチャンが、昨日私が没収したあの暗号入りのハンカチを、わざとらしく広げて彼女に差し出しました。
「ミーナ様、こちらをお使いください。お嬢様が真心込めて『解読』……失礼、洗濯なさったものです」
それを見た瞬間、ミーナ様は悲鳴を飲み込み、ハンカチを奪い取るようにして顔を覆いました。
「そ、それじゃあ、私……気分が悪いので失礼しますっ!」
ミーナ様は脱兎のごとく教室を飛び出していきました。
残されたエドワード様は、慌てて後を追おうとしましたが、私はその腕を優しく、かつ鉄の万力のような力強さで掴みました。
「エドワード様。追いかけるのは、彼女が『どこの誰に』報告しに行くかを見極めてからの方がよろしいのではなくて?」
「カタリナ、君……さっきから何を……。僕には君が怖く見えるよ」
「あら、心外ですわ。私はただ、殿下との『ハッピーエンド』を邪魔するネズミを、一匹残らず駆除したいだけなんですもの」
私は殿下の腕を離し、乱れた髪を指先で整えて差し上げました。
「殿下は、何も心配なさらず、私に守られていればよろしいのですわ。……ふふ。さて、オールドマン教授。講義を続けてくださるかしら? 私、ボルジアの『滅びの歴史』には、とても興味があるのですの」
私は優雅に席に戻り、ノートを開きました。
そこには、ミーナ様の動線を予測した、緻密な「網」の図が書き込まれています。
さあ、ミーナ様。貴女が逃げれば逃げるほど、その足跡は私の証拠品リストに加わっていくのですわ。
悪役令嬢としての「挨拶」は、これで十分かしらね。
教壇に立つのは、偏屈で有名なオールドマン教授。今日の議題は、我が国と隣国ボルジアとの複雑な国境紛争史についてですわ。
以前の私なら、殿下とミーナ様が隣同士で座っているのを見て「席を離しなさい!」とヒステリックに叫んでいたことでしょうけれど。
今の私は、殿下のすぐ後ろの席で、慈母のような……あるいは獲物を狙う鷹のような鋭い視線で二人を見守っておりますの。
「……では、この時代のボルジア王国の内情について、誰か補足できる者はいるかな?」
オールドマン教授が眼鏡を光らせて教室内を見渡しました。
教科書には数行しか書かれていない難問。生徒たちが一様に目を逸らす中、ミーナ様がここぞとばかりに手を挙げました。
「はい、教授! 当時のボルジアでは、表向きの和平交渉の裏で、特殊な印章を用いた秘密通信が行われていたと聞いたことがありますわ」
「ほう、ミーナ君。それは興味深い。詳しく説明できるかね?」
「ええ。その印章は三つのパーツに分かれていて、特定の角度で重ねないと読めない仕組みになっていて……」
ミーナ様は、うっかり饒舌に語り始めました。
(……あら。ボロが出ましたわね、ミーナ様)
私は扇子を「パチン」と小気味よい音を立てて閉じ、優雅に挙手をいたしました。
「教授、よろしいかしら? ミーナ様のお話に、少し付け加えたいことがございますの」
「おお、カタリナ君。公爵令嬢の知見を聞かせてもらおう」
私は椅子から立ち上がり、困った子供を見るような、とても「深い」慈しみの笑みをミーナ様に向けました。
「ミーナ様、今の素晴らしい解説……驚きましたわ。だって、その印章の仕組みはボルジアの『最高級軍事機密』。我が国のスパイ組織ですら、つい先月ようやく全容を掴んだばかりのものですもの」
教室内の空気が、一瞬で凍りつきました。
ミーナ様の顔が、みるみるうちに土気色に変わっていくのが背中越しでも分かりますわ。
「……え? あ、あの、それは……その、古本屋で読んだような気がして……」
「あら、そんな物騒な内容が書かれた本が市井に出回っているなんて、大変なことですわ! どこのお店かしら? すぐに騎士団を向かわせて、国家安全保障の観点から調査させなくては!」
私はわざとらしく頬に手を当て、エドワード様を振り返りました。
「エドワード様、お聞きになりました? ミーナ様は、そんな貴重な情報をたった一人で入手なさるほどの『特別な才能』をお持ちなんですのよ。……ねえ、殿下。不思議だと思われません?」
エドワード様は、ポカンと口を開けて私とミーナ様を交互に見ています。
「あ、ああ……。確かに、ミーナがそんな専門的なことを知っているなんて凄いな。カタリナ、君は彼女を疑っているのかい?」
「まさか! 疑うなんて失礼な。私はただ……ミーナ様が『どこの国の』古本屋でそれを学ばれたのか、とっても興味があるだけですわ」
私は一歩、ミーナ様に歩み寄りました。
「もし、万が一。彼女が隣国の回し者だったとしたら……殿下に近づいたのも、我が国の軍事配置を探るためだったとしたら。……いえ、そんな不吉なこと、考えたくもございませんわね? おーっほっほっほ!」
笑い声を響かせながら、私はミーナ様の耳元に顔を寄せ、囁きました。
「……詰めが甘いですわよ、スパイさん。知識を披露して殿下の関心を引くのは、もっと『無害な分野』になさることね。例えば、刺繍とか」
ミーナ様はガタガタと膝を震わせ、今にも泣き出しそうな声で絞り出しました。
「……カタリナ様、ひどいですぅ。私を……私をスパイだなんて……。エドワード様ぁ!」
いつもの「泣き落とし」作戦。けれど、今日の私はその先を読んでおります。
「まあ、泣かないで! セバスチャン、ミーナ様に特製の『真実の……ではなく、精神を落ち着かせるハーブの』ハンカチを差し上げて!」
影から現れたセバスチャンが、昨日私が没収したあの暗号入りのハンカチを、わざとらしく広げて彼女に差し出しました。
「ミーナ様、こちらをお使いください。お嬢様が真心込めて『解読』……失礼、洗濯なさったものです」
それを見た瞬間、ミーナ様は悲鳴を飲み込み、ハンカチを奪い取るようにして顔を覆いました。
「そ、それじゃあ、私……気分が悪いので失礼しますっ!」
ミーナ様は脱兎のごとく教室を飛び出していきました。
残されたエドワード様は、慌てて後を追おうとしましたが、私はその腕を優しく、かつ鉄の万力のような力強さで掴みました。
「エドワード様。追いかけるのは、彼女が『どこの誰に』報告しに行くかを見極めてからの方がよろしいのではなくて?」
「カタリナ、君……さっきから何を……。僕には君が怖く見えるよ」
「あら、心外ですわ。私はただ、殿下との『ハッピーエンド』を邪魔するネズミを、一匹残らず駆除したいだけなんですもの」
私は殿下の腕を離し、乱れた髪を指先で整えて差し上げました。
「殿下は、何も心配なさらず、私に守られていればよろしいのですわ。……ふふ。さて、オールドマン教授。講義を続けてくださるかしら? 私、ボルジアの『滅びの歴史』には、とても興味があるのですの」
私は優雅に席に戻り、ノートを開きました。
そこには、ミーナ様の動線を予測した、緻密な「網」の図が書き込まれています。
さあ、ミーナ様。貴女が逃げれば逃げるほど、その足跡は私の証拠品リストに加わっていくのですわ。
悪役令嬢としての「挨拶」は、これで十分かしらね。
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