婚約破棄?結構ですが、その前に殿下の隣を片付けても?

夏乃みのり

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「……あ、あがが……。カタリナ様、もう無理ですわ……。指先が、指先が死んでしまいます……!」


公爵邸の地下にある、最新鋭の魔導設備が整った「特別教室」。


そこでは、かつて「聖女」として王宮を騒がせたミーナ様が、涙と鼻水でぐちゃぐちゃになりながら、一本の細い針と格闘しておりました。


彼女の周囲を取り囲むのは、公爵家が誇る「マナー(物理)教育班」の侍女たち。彼女たちは一様に無表情で、ミーナ様が少しでも姿勢を崩すと、手にした定規でピシャリと床を叩きます。


「甘いですわよ、ミーナ様。貴女が隣国で学んだ暗殺術が『静』なら、我が公爵家の淑女教育は『剛』。……ほら、その刺繍を百枚完成させるまで、夕食は抜きですわ」


私は優雅に椅子に座り、彼女の苦悶の表情を眺めながら、最高級のモンブランを口に運びました。


「ひ、ひどいですわ……! こんなの、ただの強制労働じゃないですか! エドワード様ぁ、助けてくださいまし……!」


ミーナ様が、部屋の隅で同じく書類の山に埋もれているエドワード様に助けを求めました。


しかし、エドワード様は、眼鏡をずり上げながら死んだ魚のような目でこちらを振り返りました。


「……諦めるんだ、ミーナ。僕も今、この『ベルフェルド王国経済統計・過去百年分』を暗記しないと、今日の夜食を『高タンパクな虫』に変えると脅されているんだ……」


「あら、殿下。虫ではなく『栄養豊富なプロテイン・ゼリー(味なし)』と言ってちょうだい。……セバスチャン、殿下の集中力が切れたようですわよ。少し『刺激』を差し上げて」


「承知いたしました。……殿下、少々失礼します」


セバスチャンが王子の背後に立つと、おもむろに氷水が入ったバケツを取り出し、彼の襟足に一滴、極寒の滴を落としました。


「ひゃああああっっ!? つ、冷たい! 目が覚めた、目が覚めたよカタリナ!」


エドワード様は跳ね上がるようにしてペンを握り直し、猛烈な勢いで書類を捲り始めました。


(おーっほっほ! 実に効率的。恐怖と報酬の使い分けこそ、経営の基本ですわね)


私は、泣きながら刺繍を続けるミーナ様に歩み寄りました。


「ミーナ様。貴女は隣国で『奪うための技術』を学んできた。でも、私のプログラムで教えるのは『守るための忍耐』ですわ」


「忍耐……? これが……?」


「ええ。貴女が次に隣国へ戻る時、貴女はもはやスパイではなく、我が公爵家の息がかかった『完璧すぎて隙のない、恐ろしいほど有能な淑女』になっているはず。……そうなれば、貴国の王室も貴女を無下には扱えませんわ」


私は、彼女の顎を扇子でクイと持ち上げました。


「貴女をただ処刑するのは簡単ですわ。でも、それでは『資源の無駄』でしょう? 私は貴女を、隣国を内側からコントロールするための『最高級の輸出製品』に作り替えて差し上げますの」


「……貴女、本当に……人間じゃないわ……。悪魔よ、公爵令嬢の皮を被った、どケチな悪魔だわ……!」


「あら、最高の褒め言葉ですわね。……セバスチャン、ミーナ様の口がまだ動くようですから、追加で『隣国の関税法・全巻音読』もメニューに加えなさい」


「畏まりました。……さあ、ミーナ様。腹式呼吸を意識して、朗々と読み上げてください」


ミーナ様の絶望の叫びが地下室に響き渡りましたが、私はそれを心地よいBGMとして聞き流しました。


「さて、エドワード様。……その統計、終わりましたかしら? 終わったら次は、私と『緊急時における即断即決シミュレーション』の対戦ですわよ。……負けたら、明日の朝食はサウナの中で摂っていただきますわ」


「……カタリナ。君のハッピーエンドって、もしかして僕の死体の山の上に築かれるんじゃないかな……?」


「失礼な。貴方が生き残ってこそのハッピーエンドですわ。……さあ、ペンを動かしなさいな!」


私は、さらに高く、不敵に笑いました。


国を救い、利権を奪い、敵を教育し、婚約者を調教する。


私の描く未来予想図に、妥協の二文字は存在しませんの。


「おーっほっほっほっほ!!」


公爵邸の地下からは、今日も夜通し、ペンが走る音と、淑女たちの厳しい指導の声が漏れ聞こえてくるのでした。
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