悪役令嬢の愛は重すぎる!

夏乃みのり

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ブルドーザー公爵邸、ヘンドリックの寝室。

天蓋付きの巨大なベッド(特注の強化フレーム製)に、ヘンドリックが横たわっている。

その顔はリンゴのように赤く、荒い息を吐いていた。

「はぁ……はぁ……エリオット様……」

枕元には、見舞いに駆けつけた(呼び出された)エリオット王太子と、付き添いのリリィ、そして青ざめた表情の主治医がいた。

「おい、医者。容態はどうなんだ?」

エリオットが尋ねる。

主治医は震える手で、半分に折れた体温計を差し出した。

「殿下……計測不能です」

「は?」

「体温計を脇に挟んだ瞬間、お嬢様の熱量と筋収縮に耐えきれず、粉砕されました。手で触れた感触では、おそらく四十度は超えているかと」

「四十度!? 人間なら死んでいるぞ!」

「ええ。ですが、お嬢様の細胞は『死滅』するよりも『戦闘』を選んでいるようです。体内で免疫細胞がウイルスとプロレスをしている音が聞こえます」

「どんな聴診器だ!」

エリオットは頭を抱えた。

昨日、ヘンドリックは「冷水摩擦こそが花嫁修業の基本」と言って、真冬の滝に打たれに行っていたらしい。

さすがの鋼鉄令嬢も、自然の猛威(寒波)には勝てなかったようだ。

「ゴホッ! ゴホッ!」

ヘンドリックが激しく咳き込んだ。

**ドォン! ドォン!**

咳をするたびに、部屋の窓ガラスがビリビリと震え、衝撃波がカーテンを揺らす。

「ひぃっ! 咳が重い!」

リリィがエリオットの後ろに隠れる。

「リリィちゃん……エリオット様……」

ヘンドリックが潤んだ瞳で二人を見る。

普段の覇気がない分、その表情は儚げで、不覚にも可愛らしく見えた。

「ごめんなさい……私としたことが、ウイルスごときに隙を見せるなんて……」

「いいから寝てろ。喋ると体力を消耗する」

エリオットがおずおずと声をかけると、ヘンドリックはふにゃりと笑った。

「嬉しい……。エリオット様が看病してくださるなんて……。これが『恋の病』というやつですね?」

「違います。インフルエンザです」

「寒気がします……。エリオット様、温めてください……」

ヘンドリックが布団から手を伸ばす。

その手は高熱を発している。

「わ、わかった。毛布を追加しよう。セバスチャン!」

「はい」

執事のセバスチャンが、山のような毛布を運んでくる。

「最高級の羊毛布団を十枚ご用意しました」

「よし、全部かけろ!」

ドサッ。ドサッ。ドサッ。

ヘンドリックの上に、布団の塔が築かれる。

総重量はかなりのものだが、彼女は満足そうに埋もれた。

「……暖かいですわ。まるでエリオット様の愛の重み……」

「物理的な重みだ。大人しく寝てろよ」

エリオットが安堵したのも束の間。

「……お腹が、空きました」

「そうか。病人食ならリリィが作ってくれたぞ」

リリィがトレイを持って進み出る。

「はい、ヘンドリック様。特製のお粥です。消化に良いように、クタクタに煮込んであります」

「まぁ、リリィちゃんの手料理……!」

ヘンドリックは布団から上半身を起こした(布団十枚を跳ね除けて)。

「いただきます……あ、手が震えて……」

彼女はスプーンを持とうとするが、高熱による震えが止まらない。

カチャカチャカチャカチャ!

スプーンが食器に当たる音が、マシンガンのように響く。

「すごいバイブレーションだ……」

「エリオット様……」

ヘンドリックが上目遣いで訴える。

「手が言うことを聞きません。……あーん、してくださいますか?」

「断る!」

「殿下、やってあげてください。このままだと、震動でお粥が遠心分離されてしまいます!」

リリィに促され、エリオットは渋々スプーンを手に取った。

「……今回だけだぞ。ほら、口を開けろ」

「あーん」

ヘンドリックが桃色の唇を開く。

エリオットはお粥をすくい、彼女の口へと運んだ。

その瞬間。

パクッ。

ヘンドリックが口を閉じた。

ガリッ。

嫌な音がした。

「……ん?」

エリオットがスプーンを引き抜こうとするが、抜けない。

「おい、ヘンドリック。口を開けてくれ」

「んぐ、んぐ……(美味しいです)」

「噛むな! スプーンごと噛むな!」

ヘンドリックは恍惚の表情で咀嚼し、ゴクリと飲み込んだ。

そして、口から出てきたのは――グニャグニャに曲がり、歯型がついたスプーンの柄だけだった。

「スプーンが……! ステンレス製のスプーンが!」

「鉄分補給完了ですわ」

「お前はヤギか!」

「エリオット様が食べさせてくださったので、スプーンまで甘かったです」

ヘンドリックは熱に浮かされた目で、うっとりとエリオットを見つめる。

その視線が、だんだんと据わってきた。

「……エリオット様」

「な、なんだ」

「私、夢を見ていましたの」

「夢?」

「貴方様が、巨大な氷枕になって私を冷やしてくれる夢を……」

ヘンドリックの手が、ゆらりと伸びる。

「冷たくて、気持ちよさそう……」

「ひっ! 待て! 私は人間だ! 体温は三十六度ある!」

「いいえ、今の私にとっては極寒の地です……抱っこさせて……」

「逃げろリリィ! 捕まったら体温を吸い尽くされる!」

エリオットが背を向けて逃げようとした時だ。

ガシッ。

足首を掴まれた。

「行かないで……」

「うわあああああ!」

エリオットがベッドに引きずり込まれる。

「離せ! 熱い! お前、全身が燃えてるぞ!」

「エリオット様ぁ……んちゅ……」

ヘンドリックはエリオットを抱き枕のように抱きしめ、その胸に顔を埋めた。

ジュウウウウウ……。

「熱い熱い熱い! 服が焦げてる! 低温火傷する!」

「落ち着いてください、ヘンドリック様! 殿下がウェルダンになってしまいます!」

リリィが必死に止めようとするが、病人の馬鹿力(火事場のなんとやら)は凄まじい。

「私の体内のウイルスが……貴方様の愛で浄化されていきます……」

「移してるだけだろ! 感染(パンデミック)だ!」

エリオットの意識が遠のきかけた、その時。

ヘンドリックの体が、カッと赤く発光した。

「……!? なんだ!?」

「あ、熱が……限界突破します!」

ボシュウウウウウウウウッ!!

まるで蒸気機関車が蒸気を吹くように、ヘンドリックの全身から大量の汗と蒸気が噴き出した。

部屋中が真っ白な蒸気に包まれる。

「見えない! 何も見えない!」

「サウナだ! 湿度100%だ!」

視界ゼロの中、エリオットは必死にベッドから這い出した。

数分後。

蒸気が晴れると、そこには。

「おはようございます、皆様!」

肌がツヤツヤになり、完全にリフレッシュしたヘンドリックが、ベッドの上で仁王立ちしていた。

「……へ?」

「熱が下がりましたわ! 悪いものが全部出た気分です!」

彼女は両腕でガッツポーズをする。

「見てください、この溢れ出るパワー! 風邪をひく前より強くなった気がします!」

「……一瞬で治った……」

主治医が眼鏡をずり落とす。

「超高熱でウイルスを焼き尽くし、代謝を一気に高めて即時回復……。生物として進化しています……」

「ご心配をおかけしました、エリオット様!」

ヘンドリックはベッドから飛び降りる(着地で床が抜けた)。

そして、床にへたり込んでいるエリオットを軽々と抱き上げた。

「看病のお礼に、今度は私がエリオット様を温めて差し上げますわ!」

「やめろ……もういい……」

エリオットの顔は土気色だった。

高熱のヘンドリックに抱きしめられたせいで脱水症状を起こし、さらに精神的疲労で限界を迎えていたのだ。

「あら? エリオット様、お顔色が……」

エリオットがガクッと首を垂れる。

「殿下ーッ! 殿下が気絶しました!」

リリィが叫ぶ。

「まぁ大変! エリオット様に私の風邪が移ってしまったのかしら?」

ヘンドリックは心配そうに、しかしどこか嬉しそうに言った。

「でも、安心してください。私がつきっきりで看病しますから」

彼女の背後に、不吉なオーラ(やる気)が立ち上る。

「ネギを首に巻いて、生姜を丸かじりさせて、乾布摩擦で皮膚を鍛え直しますわ!」

「やめてあげて! 殿下が死んじゃう!」

リリィの悲鳴は届かない。

こうして、エリオット王太子は「風邪」よりも恐ろしい「ヘンドリック式治療」の実験台となることが決定した。

翌日、王城から「王太子、体調不良により公務を数日休む」という発表がなされたが、その病因が「公爵令嬢による物理的介護疲れ」であることを知る者は少ない。
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