追放先の厨房は幸せでした〜婚約破棄された食いしん坊悪役令嬢

夏乃みのり

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王家の紋章が入った馬車ではなく、アルベール公爵家の馬車に揺られ、私は久しぶりに我が家への帰路についていた。

パーティー会場から半ばつまみ出されるように退出し、公爵家からの迎えを待つ間、私は少しだけ残っていたサンドイッチを侍女に確保してもらっていた。

今はそれを頬張りながら、窓の外を流れる夜景を眺めている。

「…ニナ」

向かいの席に座るお父様が、絞り出すような声で私の名を呼んだ。

その顔は、普段の温厚な公爵のそれではなかった。

大地が揺れるほどの怒りを内に秘め、今にも火山が噴火しそうな気配を漂わせている。

隣に座るお母様が、心配そうにお父様の腕に手を置いた。

「あなた、落ち着いて。今はニナと話すのが先ですわ」

「落ち着いていられるか!我らが愛娘が、あのような衆人環視の中で…あのような屈辱を…!エドワードの奴、ただではおかんぞ!」

お父様はギリギリと歯ぎしりし、その手の中にある扇が哀れな音を立てていた。

「王家だろうが関係ない!明日にも我が騎士団を率いて…!」

「まあ、お父様。戦争はいけませんわ。お腹が空いてしまいますもの」

私がもぐもぐとサンドイッチを咀嚼しながら言うと、お父様は目を丸くしてこちらを見た。

「ニナ…お前、自分が何をされたのかわかっているのか?婚約を破棄され、王都から追放されるのだぞ!北の辺境の、あの厳しい修道院に…!」

「ええ、存じておりますわ。ですから、その準備をしなければと思いまして」

「準備だと?…そうか、わかった。すぐに国内最高の弁護士団を組織しよう。王家に正式に抗議し、今回の決定を覆させてやる!」

力強く宣言するお父様に、私はかぶりを振った。

「いいえ、お父様。そういうことではなくて」

私は最後の一口を飲み込むと、期待に胸を膨らませて両親に問いかけた。

「北の辺境では、どのような食材が手に入りますの?」

「…しょくざい?」

私の突拍子もない質問に、お父様だけでなく、お母様までぽかんとした顔になった。

「ええ!確か、あそこの森でしか採れない幻のキノコがあったはずですわ。それに、厳しい冬を越した猪のお肉は、それはもう絶品だと聞きますし…ああ、冷たい川で獲れるというお魚も!考えただけで、お腹が鳴ってしまいますわ!」

私の頭の中は、すでに未知なる美食のことでいっぱいだった。

私のあまりにも楽しそうな様子に、あれほど激怒していたお父様の肩から、すーっと力が抜けていくのがわかった。

屋敷に戻り、自室に入るやいなや、私は侍女たちを集めて大号令を発した。

「皆さん、旅の支度をしますわよ!」

侍女たちが用意したのは、豪華なドレスや宝石が詰まったジュエルケースだ。

「ニナお嬢様、辺境は寒いと聞きます。こちらの毛皮のコートをお持ちになっては」

「まあ、ありがとう。でも、それは必要ありませんわ」

私は侍女たちが差し出すドレスには目もくれず、部屋の奥にある巨大なウォーキングクローゼットの、さらに奥の扉を開けた。

そこは、私の秘密の宝物庫。

つまり、私専用のパントリー兼厨房道具置き場だ。

「まず、この大きなトランクに、スパイス類を全て詰めてちょうだい。乾燥ハーブも忘れないように。それから、私が樽で仕込んでいる秘伝のブイヨンもいくつか」

「お、お嬢様…?」

侍女たちは戸惑いの表情を浮かべている。

私は構わず指示を続けた。

「東の国から取り寄せた『ソイソース』と『ミソ』も必須ですわ。それから、こちらの岩塩と、あちらの香りが良い方のオリーブオイルも」

私の指示は、衣類や装飾品には一切及ばない。

「それから、調理器具ですわね。私の手に馴染んだこの包丁セットは必ず持っていきます。あと、この銅鍋は熱伝導が良いから、煮込み料理には欠かせませんわ」

次から次へと持ち出すものを指定する私に、侍女長が恐る恐る口を挟んだ。

「あの、お嬢様…ドレスは、どちらを…?」

「ドレス?そうね、動きやすいものを一着だけ入れておいてくだされば結構よ。それよりも、このパスタマシンをどうにかして詰められないかしら?」

「パ、パスタマシン!?」

侍女たちの悲鳴に近い声が部屋に響く。

しばらくして、私の旅支度の様子を心配したお母様が部屋を訪れた。

そして、トランクの中身を見て、静かに額に手を当てた。

トランクの中は、色とりどりのドレスではなく、茶色や緑の瓶や袋、そして銀色に輝く調理器具で埋め尽くされていたのだ。

「…ニナ。あなたは、修道院に行くのですよ?ピクニックに行くのではありませんわ」

「分かっておりますわ、お母様。ですが、辺境では、これらの調味料が手に入らないかもしれませんもの。食は、生活の基本ですわ。神に祈りを捧げるにも、まずは腹ごしらえをしませんと」

私が真剣な顔でそう言うと、お母様は深いため息をついた。

「…あなたのお父様が、最高の護衛と、一番大きくて頑丈な馬車を用意すると張り切っていましたわ。その理由が、今わかった気がします」

お母様は呆れたように言いながらも、その目には優しい笑みが浮かんでいた。

「まあ、素敵!それなら、この石窯も運べるかもしれませんわね!」

「それは、さすがに諦めなさい」

こうして、私の辺境への旅支度は、着々と、しかしどこか奇妙な方向へと進んでいった。

そして出発の朝。

公爵家の前には、私の大量の荷物――その九割が食料と調理器具――を積んだ、巨大な荷馬車が何台も連なっていた。

それを見送るお父様は、涙ながらに「何かあればすぐに飛んでいくからな!」と叫んでいる。

私は豪華な馬車の窓から顔を出し、両親に笑顔で手を振った。

(お父様、お母様、ごきげんよう。ニナは、美味しいものを探しに行ってまいりますわ!)

これから始まる新しい生活。

そこには、王子様も、窮屈な作法もない。

あるのは、広大な自然と未知なる食材たち。

私の胸は希望と、そして食欲ではちきれんばかりに膨らんでいた。
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