旦那様は私の親友が好きなようです

葛葉

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閉店後の「カフェ・プランタン」の厨房は、昼間の喧騒が嘘のように静まり返っていた。
漂うのは、焼き上がったばかりのスポンジの芳香と、リリアンヌが手際よく泡立てた濃厚な生クリームの甘い香り。オレンジ色のランプが、密室となった厨房に、どこか熱を帯びた影を落としていた。

「もう少し、このベリーソースを煮詰めたほうがいいかしら……」

リリアンヌはエドワードのすぐ隣で、新しいスイーツの構想を練っていた。
二人の肩が触れ合うたびに、エドワードの体温が伝わってくる。侯爵邸では決して許されなかった、汗と甘い香りが混じり合う「仕事」の熱。リリアンヌは、自分の頬が火照っているのが分かった。

エドワードは真剣な眼差しで、リリアンヌがナッペしたばかりの真っ白なケーキを見つめている。
「いや、そのままでいい。リリアンヌの塗るクリームは、見た目以上に滑らかで……官能的だ」

不意にエドワードが顔を上げ、リリアンヌをじっと見つめた。
そして、彼は我慢しきれないといった様子で低く笑った。

「リリアンヌ、頬に白い飾りがついてるよ」

「えっ……? あ、嘘、どこ?」

リリアンヌが慌てて手を伸ばすと、エドワードの大きな手がそれを制した。
「じっとしてて」
吸い寄せられるように、彼の顔が近づく。リリアンヌが息を呑んだ瞬間、頬に柔らかく、湿った感触が走った。

「――っ!?」

エドワードが、彼女の頬についたクリームを、舌先で薄く掬い取るように舐めとったのだ。
驚きで固まるリリアンヌを余所に、彼はわざとらしく唇を舐め、熱を帯びた瞳で彼女を見下ろした。

「甘いね。……リリアンヌ、君そのものみたいだ」

「エ、エドワードさん、何を……」

心臓の鼓動が耳元まで響く。真っ赤になって俯こうとする彼女の顎を、エドワードの指が優しく持ち上げた。彼は、ボウルに残った生クリームを指先ですくい取ると、リリアンヌの薄桃色の唇に、ゆっくりと、なぞるように塗りつけた。

「ここにも、ついてるよ」

確信犯的な囁き。リリアンヌが何かを言おうと唇を開いた瞬間、エドワードの唇がそれを塞いだ。

「ん……っ」

最初は、クリームをなぞるだけの甘く、優しい口づけ。けれど、リリアンヌが彼の首に腕を回すと、エドワードの理性が弾ける音がした。
深い、深い熱を伴った接吻。
エドワードの舌がリリアンヌの口内を侵食し、甘いクリームの味を互いの体温で溶かし合っていく。リリアンヌは、かつてロベルトに抱かれた時の義務感とは全く違う、身体の芯から突き上げてくるような痺れに翻弄されていた。

「あ……エドワード、さん……」

唇が離れるわずかな隙間に、彼女は彼の名を呼んだ。その吐息さえも、エドワードは貪り食う。
エドワードの手が、リリアンヌの作業着のボタンに掛かった。
震える指先で、一つ、また一つとボタンを外していく。白い肌が露わになるたび、厨房の熱気が肌を刺す。リリアンヌは、自分を支配するこの甘美な恐怖と快感に身を委ね、彼の胸に縋り付いた。

二人の意識は、混ざり合う吐息と、互いの肌の質感だけに集中していた。
エドワードがリリアンヌの肩を抱き、調理台に彼女を預けようとした、その時――。

「リリアンヌ!! リリアンヌはそこにいるか!!」

夜の静寂を切り裂くような、獣の咆哮。
厨房の重い扉が、蹴破らんばかりの勢いで荒々しく開け放たれた。

そこには、漆黒の髪を振り乱し、眼窩を落ち込ませた、狂気すら感じさせる姿のロベルトが立っていた。
彼の視線の先には、ボタンが外され、男の腕の中で肩を露わにし、唇を赤く腫らした最愛の妻。

「……ああ、ああ……っ」

ロベルトの口から漏れたのは、怒りではなく、絶望に引き裂かれた男の悲鳴だった。
手にしていたリリアンヌのアイシングクッキーが、床に落ちて無残に砕け散った。
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