旦那様は私の親友が好きなようです

葛葉

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「……っ」

リリアンヌは弾かれたようにエドワードの胸から離れると、震える手で外されたボタンを留め直した。乱れた髪を整え、伏目がちにロベルトを見やる。その瞳には、かつての畏怖ではなく、酷く冷めた色が宿っていた。

エドワードは守るように彼女の前に立ち、鋭い眼光でロベルトを射抜いた。その背中は広く、温かい。

「……何をしに来たんですか、侯爵閣下。ここはもう閉まった店だ。不法侵入ですよ」

エドワードの声は低く、警告を含んでいた。しかし、かつて「鉄の宰相」と呼ばれた男には、その脅しすら届いていないようだった。ロベルトは血の気の失せた顔で、床に砕け散ったアイシングクッキーを見つめ、力なく唇を震わせる。

「……妻を……リリアンヌを、取り戻しに来た……」

その声には覇気がなく、今にも消えてしまいそうだった。ロベルトはふらりと一歩踏み出し、縋るような目で彼女を探す。

「なぜ……なぜ黙って消えたんだ。リリアンヌ、俺の何がいけなかった? 何が不足だった? 望むものはすべて与えたはずだ……。それなのに、なぜ、よりによってこんな男と……!」

「……」

リリアンヌはエドワードの肩越しに、一歩前へ出た。彼女はもう逃げなかった。まっすぐに、かつての夫の瞳を見つめ返す。

「ロベルト様。あなたは……私自身を見てはくれませんでした」

「な……何を。私はいつだって君を……」

「いいえ。私が今日あった出来事を話しても、あなたは上の空でした。私の趣味も、私の悩みも、あなたは私自身の口から聞こうとはしなかった。……あなたは私と一緒にいても、一度だって笑ってくれませんでしたわ」

リリアンヌの言葉は、鋭い刃となってロベルトの胸を抉る。

「けれど、あの日……離れの塔で、あなたはマリベルと楽しそうに笑い合っていた。私が知らない、誰よりも柔らかな顔をして。……旦那様はマリベルのことがお好きなのだと、私は確信しました。だから身を引いただけです。それの何がいけないのですか?」

「違う……! 違んだ、リリアンヌ!」

ロベルトは狂ったように首を振った。その顔には焦燥と、今更ながらの恐怖が張り付いている。

「あれは……君を理解するためだったんだ! 私は、君が何を考えているのか分からなくて怖かった。君に嫌われるのが恐ろしくて、まともに顔も見られなかった……! だから、君のことを一番よく知っているという彼女に、君の好みを、君の機嫌を直す方法を……君を愛するための手掛かりを、聞き出していただけなんだ!」

悲痛な叫びだった。彼は、リリアンヌという名の「正解」を知るために、マリベルという毒を含んだ辞書を引いていたのだ。

しかし、リリアンヌは悲しげに首を振った。

「……たとえそうだとしても、一番大切なことをあなたは忘れています。……あなたは、私という『人間』ではなく、マリベルの語る『私の情報』を愛していただけです。私と直接向き合い、ぶつかり、対話することを怠った。それが、すべてです」

「リリアンヌ……」

「私はもう、あなたの所有物という名の『お人形』に戻るつもりはありません。エドワードさんとお菓子を作っている時の私は、誰の解説もいらない、私自身の足で立っているリリアンヌです」

リリアンヌは深く息を吸い、はっきりと、最後通告を突きつけた。

「ロベルト様。私は、あなたとの離縁を強く望みます。もう二度と、私の前に現れないでください」

その言葉が落ちた瞬間、ロベルトの膝から力が抜けた。
豪華な装飾を施した服を纏いながら、彼は冷たい床の上で、砕けたクッキーのように無残に崩れ落ちた。

背後でエドワードがそっとリリアンヌの肩を抱く。
その手の熱だけが、今の彼女にとっての唯一の真実だった。
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