旦那様は私の親友が好きなようです

葛葉

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ロベルトが失意のうちに去り、リリアンヌの心には確かな決着がついた。しかし、安堵したのも束の間、彼女の前には「王宮」という名の新たな巨大な壁が立ちはだかっていた。

建国記念晩餐会のデザートを任される。それは栄誉であると同時に、エドワードの婚約者候補として試されることを意味していた。

「リリアンヌ、あまり根を詰めないで。君の腕なら心配ないと言っただろう?」

朝の厨房で、エドワードがリリアンヌの腰を後ろから抱き寄せ、首筋に深く鼻先を埋める。パティシエ時代と変わらぬ彼の情熱的なスキンシップは、日々増すばかりだ。

「……エドワード、くすぐったいですわ。今は大事な試作の最中なの。……それに、周りの目も」

リリアンヌが頬を染めて視線を泳がせると、厨房の隅で控えていた料理人たちが一斉に顔を背けた。彼らにとって、他国から来た元貴族の女性が王子の寵愛を一身に受け、あまつさえ晩餐会の主役に選ばれたことは、驚きと同時に嫉妬の種でもあった。

「いいじゃないか。僕の愛を邪魔できる者など、この国にはいない」

エドワードはリリアンヌの耳たぶを甘噛みし、名残惜しそうに離れた。彼は政務のために執務室へと向かう。残されたリリアンヌは、気を取り直して再びボウルに向き合った。

今回のメインスイーツに選んだのは、エドワードの故郷で採れる最高級の蜂蜜と、隣国特産の香ばしいピスタチオをふんだんに使った**「真実の愛のミルフィーユ」**。
幾層にも重なるパイ生地は、これまでの彼女の苦難と、これからの幸せを象徴している。

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しかし、不穏な影は意外なところから現れた。

「あら。あなたが、エドワード様を誑かしたという『流れ者の侯爵夫人』ですの?」

厨房に響いたのは、鈴を転がすような、けれど氷のように冷たい声だった。
振り返ると、そこには豪奢な金の刺繍が施されたドレスを纏った美女が立っていた。エドワードの兄である第一王子の婚約者、カトリーヌ伯爵令嬢である。

「……カトリーヌ様。ご挨拶が遅れまして申し訳ございません」

リリアンヌが完璧な淑女の礼を披露すると、カトリーヌは不快そうに鼻を鳴らした。

「礼儀だけは一人前のようね。けれど、王宮の晩餐会は遊びではありませんのよ。離婚歴のある傷物(きずもの)が、我が国の神聖な記念日に泥を塗るのではないかと、皆様心配しておりますの」

カトリーヌの背後に控える侍女たちが、クスクスと意地の悪い笑い声を漏らす。かつてマリベルに向けられたような、計算高い悪意。

「……ご心配には及びません。私はエドワード様から任された職務を、誠心誠意全うするだけですわ」

「ふん、強気ですこと。……せいぜい、足元に気をつけることですわね」

カトリーヌはそれだけ言い残すと、扇子を広げて優雅に去っていった。その去り際、リリアンヌは彼女の侍女の一人が、調理台の上に置かれたリリアンヌ特製の「ピスタチオ・ペースト」をちらりと見たのを見逃さなかった。

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その夜。リリアンヌは誰もいなくなった厨房で、仕上げのアイシングの練習をしていた。
エドワードに教わった技術に、彼女自身の繊細な文字を乗せる。

(私はもう、負けない。ロベルト様にも、マリベルにも……そして、この国で私を認めない人たちにも)

熱心に作業を続けていたリリアンヌだったが、ふと、昼間にカトリーヌたちが立ち去った後の違和感を思い出した。
彼女は、厳重に保管していたはずのピスタチオ・ペーストの瓶を手に取る。蓋を開け、その香りを確かめた瞬間――リリアンヌの瞳が鋭く光った。

(……香りが違う。これはピスタチオじゃない。……毒性の強い、アオカビの抽出液を混ぜた偽物だわ!)

もしこれを使っていれば、晩餐会に出席した王族や各国の大使たちは、食中毒に陥っていただろう。その責任はすべてリリアンヌに被せられ、彼女の追放、あるいは処刑は免れなかった。

「……あまりに安直だわ、カトリーヌ様」

リリアンヌは震える手で瓶を置き、深呼吸をした。
かつての彼女なら、ただ恐怖に震えて泣き寝入りしただろう。しかし、今の彼女には守ってくれるエドワードがおり、何より、自分自身の腕という武器がある。

彼女はすぐさま、汚染されたペーストを処分した。しかし、新しく材料を発注しようにも、すでに夜は更け、業者への連絡は間に合わない。晩餐会は明日の夕刻だ。

「材料がなければ、作れないと思っているのかしら……?」

リリアンヌは唇を噛み締め、厨房の奥にある貯蔵庫へ向かった。そこにあるのは、エドワードが「もしもの時に」とリリアンヌに内緒で用意してくれていた、彼がパティシエ時代に愛用していた秘密のスパイスと、極上のチョコレートだった。

(ピスタチオが使えないなら……。味の構成をすべて変える。毒を盛られたことを逆手に取って、誰も見たことのない最高のサプライズを仕掛けてやるわ)

彼女は夜を徹して、レシピの書き換えを始めた。
それはもはや「ミルフィーユ」ではなかった。
エドワードへの溢れる想いと、自立した女性としての誇りを詰め込んだ、漆黒と黄金のコントラストが美しい「再誕のショコラ・ドーム」。

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翌日の晩餐会。
カトリーヌは、リリアンヌが顔を青ざめて失脚する瞬間を待ちわび、勝ち誇った顔で最前列に座っていた。

しかし、運ばれてきたデザートを見た瞬間、会場全体から驚嘆の溜息が漏れた。

銀のドームを被せられた一皿。
エドワードが合図を送ると、リリアンヌ自らが入場し、一人ひとりのドームに温かい「ベリーのソース」をかけていく。すると、漆黒のチョコレートが魔法のように溶け出し、中から黄金色に輝く、リリアンヌの美しい文字が刻まれた繊細なメレンゲ菓子が現れたのだ。

『愛は、困難の中でこそ輝く』

「……な、何ですって……!? ピスタチオはどうしたのよ!」

思わず声を荒らげたカトリーヌに、エドワードが氷のような視線を向けた。

「ピスタチオ? カトリーヌ、なぜ君が材料のことを知っているんだい? ……リリアンヌは、あえて材料を変更したんだ。昨夜、不純物が混入した『欠陥品』を見つけたからね」

会場がざわめき立つ。エドワードの手には、すでに調査を終えた証拠の小瓶が握られていた。

「この件については、晩餐会の後でじっくり聞かせてもらおう。……さあ、皆様。私の愛するリリアンヌが、徹夜で作り上げた『奇跡』を味わってください」

エドワードはリリアンヌの腰をぐいと引き寄せ、公衆の面前で彼女の額に熱い口づけを落とした。
その瞬間、リリアンヌを白眼視していた貴族たちからも、割れんばかりの拍手が沸き起こった。

リリアンヌは、エドワードの腕の中で、カトリーヌの青ざめた顔を静かに見つめた。
もう、誰も彼女を「流れ者の侯爵夫人」とは呼ばない。
彼女は今、この国で最も輝く、新時代の職人としての第一歩を踏み出したのだ。

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