上 下
22 / 31
楂古聿

楂古聿5

しおりを挟む
***

ーーー紛らわしいっ!!

わたしは恥ずかしさを誤魔化すように怒っていた。
映画のシーンとつい重ねてしまい、きっ…キスされると思ったじゃないか!耳打ちするならはじめからそう言ってくれ。タイミングを考えろって言うんだ

心の中の叫びは動揺の為、支離滅裂だ。
勘違いした心臓はそう簡単には元には戻らず、バクバクとしたままだった。わたしは膝で寛いでいた狐仙こせんの尻尾をむぎゅっと掴んでしまう。

『ぎゃふん!』

寝ていた狐仙こせんが、悲鳴をあげて飛び上がった。

『何をするんだっ』

(ご、ごめんっ)

わたしは声を出すわけにいかず、目を左右にキョロキョロとさせながら手を立てて謝った。磨百瑠まもるはそのままわたしの肩に額を埋めてしまう。

(ぎゃーーーー!)

顔が近いんだって!
どかそうと思って押してみたが、以外と頭は重くしかも磨百瑠は離れるのを抵抗しているように、ぐいぐいと頭を押し付けてきた。
握る手も力が強い。抱きついているみたいになっている。
朝井君も磨百瑠の様子がおかしい事に気がついたようで、こちらに顔を向けて首を傾げた。

『何やってんだこの馬鹿は』

狐仙こせんが呆れた声を出した。

「か、カサカサ……、虫……!!」

さっきから何を言っているのだ。
顔の周りで虫でも飛んでいたのだろうか。

磨百瑠まもるの椅子付近を探ってみても虫は見つけられない。っていうか暗くて見えない。

『虫…?』

ピクリと髭を動かし、狐仙こせんは周囲を探る。夜目がきくから、何か見えるかもしれない。

『空気がおかしいな……』

(ーーーえ?)

『淀みか?僅かだが、空気の流れが変だぞ。わからないか』

わたしは何も感じなかった。
映画館という場所のせいもあるかもしれない。音と映像で色々な現象がかき消されてしまう。呼吸を整え感覚を研ぎ澄まし、神通力を全身に漲らせる。集中して、周囲に神経を張り巡らせた。
映画を盛り上げる音楽と、主役達の会話に混ざり、微かに異音が紛れ込んでいる。

ーーーカサカサ……カサカサ……

「!!」

(ーーー音!どこから)

なるほど、虫が這うような音だ。磨百瑠まもるはこれの事を言っていたのか。
耳で聞こえる音じゃない。力に作用して聞こえる音だ。
だから磨百瑠に先に聞こえた・・・・・・のか。
わたしでは集中しないとわからないくらいの負の人外の気配を、磨百瑠は普通にしてても察知出来るということだ。
いったい磨百瑠の力はどれ程のものなのか。
ちょっとだけ悔しかったりする。

普通に"見る"んじゃなくて、力を使って見るようにすると、同じ列の端に座る人あたりに、ぼんやりと淀みが集まっているのが見えた。

男の人かな。
一人だ。
あの人に人外が呼び寄せられている……?

しっかりしろと磨百瑠まもるの腕を叩いた。別に虫にたかられてる訳でもないのに、なにをそんなに怖がっているのだ。
今はまだ、音が聞こえるだけだ。

(剥がれろ!)

肩を押し返すと必死の形相で訴えてきた。
そんなに一生懸命首を振られても、何が言いたいのかわからないぞ。

狐仙こせん

狐仙の背中を叩き、同じ席の列の端を指差す。

『あそこだ。吹き溜まりにいた負の人外が、美味しそうなカモを見つけて寄ってきたってところだな』

直ぐに駆除にとりかかりたいが、映画館というのもありどうしたものか。

『まだ憑き始めで弱そうだ。映画が終わるのを待つくらいの余裕はある。下手に今手をだして刺激するより、人が捌けてから仕掛けた方がいい』

狐仙こせんの案に頷くと、時計を確かめた。あと5分程で上映が終わる。
それまで、何事もありませんように……
ごくりと唾をのみ、緊張しながら時が過ぎるのを待った。
エンディングもおわり、明るくなった館内に残るのは、人外に捕まっているおじさんと、わたしたち四人だけだった。

明るくなったということは、磨百瑠まもるとわたしがよく見えるということだ。
わたしたちの体勢に、夜子ちゃんと朝井君は微妙な視線を向けてきた。
磨百瑠まもるはわたしにしがみついたままだ。手も握りっぱなしだし、ハタからみたら抱きついているようにしか見えないだろう。

「何してるの…?」

「あ、あの、なんかお腹が痛くて動けないんだって……」

速水はやみはお腹が痛いと女子に抱きつくのか…」

「ええと、この体勢が楽だとかどうとか……」

言い訳が苦し過ぎて、二人の目を真っ直ぐ見れない。そんなわけ無いだろうと自分で突っ込みたくなった。
周囲が静まると、カサカサの音は大きく聞こえるようになった。まるで頭の中でそれが這っているかのように響いている。
磨百瑠まもるの顔は真っ青だった。そして目が死んでいる。汗もだらだらとかいているし、そのうち泡でも吹いて卒倒するんじゃないだろうか。

狐仙は『なんて残念なやつなんだ……』と呟いた。
情けないが、お陰で"お腹が痛い"に信憑性がでる。

「食べ過ぎじゃないの」

磨百瑠まもるは特大サイズのポップコーンまで完食していた。

「顔色がめちゃくちゃ悪いな」と、朝井君も心配そうにした。

『虫の形態が出る度にこれじゃあ困るんだがな。おい、起きろ小僧』

狐仙の猫パンチ…もとい狐パンチも、抵抗もせずに殴られっぱなしである。

(だめだこりゃ…)

確かにこれは気持ちのよい音ではない。羽音と同じくらいに背筋がぞわぞわっとして、虫嫌いじゃなくても辛いものがあった。

少し休んでから帰ると、なんとか理由をつけて、夜子ちゃんと朝井君には先に帰ってもらい、劇場内に残るのは三人と神使様二人になった。
夜子ちゃんはいやらしい目をして、「ふーん、ほおお、へええ」と変な声をしきりにあげていたが、絶対に何か勘違いしている。
また後でゆっくり釈明をしなくてはならない。

『さて……』

狐仙こせんが舌舐りをする。

磨百瑠まもる!そろそろ離れてよ!動けないじゃん」

「無理!何この音、何がいんの?!キモイ!」

『大した力の奴じゃない。練習だお前が施しをしてみろ。おい、こいを叩き起こせ!ったく、じいさんは昼寝ばかりして、気配にも気がつかないのか!』

狐仙だって気がつかなかったくせに、と思いながら磨百瑠まもるを「ねぇ」と揺さぶる。
動こうとしないので、ポケットに手を突っ込み鯉を取り出すと、鼻ちょうちんを出して寝ていた。
熟睡じゃないか。それだけ磨百瑠まもるの力が心地よいのだろう。
ちょっと可愛くて起こすのが申し訳ないが、親指で鯉のお腹をプニプニと押して起こした。

「鯉様、起きてください。人外が現れましたよ!」

『んん…?なんじゃ…』

「人外です。お食事ですよ!」

『なにぃっ』

はっと目を覚ました鯉は、ぼふんと人の頭の3つ分くらいの大きさになり、尾びれを一生懸命動かした。

『ん?こやつは何をやっておるのじゃ』

背中に着地した鯉は、磨百瑠まもるを見下ろしヒレで叩いた。

「今日は磨百瑠まもるが施しをしますから」

「勝手に決めるなって!」

『おいチチクリ合うのは後にしろ。わしは腹が減ったぞ!』

「ちちくりあってません!ほら磨百瑠、とにかく一旦離れてよ!」

思い切り力を入れ、強引にべりっと剥がすと磨百瑠は涙目だった。なんならちょっと鼻水も出ている。

『早くしろ小僧』

「ねぇ、これ絶対虫の音だよね?!俺、虫は嫌だって言ってるじゃん!兎杜ともりがやればいいじゃん」

「せっかく弱めの人外なんだから練習しなよ!ほら早く!早くやっつけないと、どんどん成長しちゃうでしょ」

「嫌だってば!」

『これしきで泣くな!』 

「あ、あのう…」

ワイワイやっていると、椅子から動けないおじさんが苦しそうな声をだした。

「す、すみません。楽しそうなところ大変恐縮ですが助けていただけませんか。体が動かないんです」





しおりを挟む

処理中です...