【完結】記憶にありませんが、責任は取りましょう

楽歩

文字の大きさ
2 / 49

2.夫ではないの?

「じ、自己紹介……?」


 夫が呆然と私を見つめる。……夫。名前を知らない人をそう呼ぶことに違和感があるのだから、自己紹介くらい当然のことではなくて?



「まかせて、お母様!」


 声を張り上げて小さな少年が胸を張った。その姿が可愛らしくて、思わず視線が柔らかくなる。


「ぼく、じゃなくて、私は、ラファエル・ラングフォード。まだまだ未熟者ではございますが、皆さま、どうぞよろしくお願いいたします!」


 お辞儀までしっかりと。

 お誕生日のお披露目か何かのために、練習していたのかしら。

 後ろに控える侍女たちも、小さく拍手をしている。褒められたくて仕方ないという顔で、きらきらと私を見上げる。



「とてもよくできたわ。偉いわね」

 頭を撫でると、花が咲いたように笑った。



「お母様は、ぼくのことラルって呼んでたよ」

「そうなの。教えてくれてありがとう、ラル。これからもそう呼んでいい?」


 こくこくと何度も頷く。ああ、本当に愛らしい子。

 でも、ラングフォード?


「ララ。私は、レオナール・ウェストレイ。君は私のことを、レオと呼んでいた」

「ウェストレイ、というと伯爵家でしたわよね。そして、私のことはアイラとお呼びください、とお願いしたはずですが」

「ラ、アイラ。すまない。伯爵、ああ、その通りだ。私は今、爵位を継いで伯爵となっている」

「そうですか。ウェストレイ伯爵」


 呼称は、きちんとしないと。


「ひとつ伺いますが、なぜ、私の息子はウェストレイの名を持たないのです? あなたとは血が繋がっていないのでしょうか」

「そ、そんなことはない! 見てくれ、こんなに私にそっくりだろう!」

 確かに、よく似ている。ラルは髪も瞳も私そっくりだが、顔つきはウェストレイ伯爵にそっくりだ。やはり私たちの息子ということで間違いなさそうね。

 私が眉をかすかに寄せると、伯爵は居心地悪そうに侍女へ視線を逃がした。


「ラルを別室に。私はアイラと二人だけで話がしたい」

「かしこまりました、旦那様」


 侍女に手を引かれながら、ラルがこちらを振り返る。不安そうに、でも頑張って笑おうとして、小さく手を振った。私は穏やかに微笑み返し手を振る。

 扉が閉まり、部屋に静寂が訪れた。

 伯爵は疲れ果てたように、ベッド横の椅子へと崩れるように腰を下ろす。



「どこから、いや、何から話せばいいのか」

「概要で結構ですわ」


 十年分など、一気にすべて聞けば頭がおかしくなりかねない。

 伯爵は喉を詰まらせたが、やがて決心したように口を開いた。



「概要、か……。私は学院で君と出会い、運命だと思った。しかし運命は私とすれ違い、私は卒業後、婚約者と結婚した」


 ああ、嫌な予感しかしない。



「誤解しないでほしい。私と婚約者だったマリセラには、愛などなかった。私の心には君が、彼女の心には幼い頃から想い続ける幼なじみがいた。だから、私たちは清い関係のまま……白い結婚を通し、三年後に離婚するつもりだったんだ」

「結婚なさらないという選択肢は、存在しなかったのですか?」


 ウェストレイ伯爵は、困ったように笑うだけだった。


「マリセラの父、ドロセル子爵はしたたかな人物でね。私の父に恩を売り、婚約を取りつけたのも彼だ。伯爵家との繋がりを望んだだけでなく領地の運営にも口を出そうとしていた。会うたび“早く子を”と急かされたほどだ」


 よくある政略結婚だわ。


「しかし、あとわずかで三年、自由になれる。そんな時に、私たちの企てが何故か子爵に知られたらしい。子爵家に招かれた時、二人揃って媚薬を盛られた」

 ……強硬手段ね。媚薬なんてもの、本当にあるのね。


「っ! 本意じゃなかったんだ。信じてくれ」

「進めていただけます?」


「そ、それからのマリセラは泣いてばかりで、部屋から一歩も出なくなって……。そしてある日、庭師と駆け落ちをした」

「その庭師、まさか」

「ああ。マリセラが、実家から連れてきていた幼馴染だ」

 あらまあ。



「妻が失踪すると、さらに三年待たねば離縁できない。やっと三日前、正式に離縁が成立した。なのに、ララが記憶喪失だなんて、これからやっと幸せに――」

 こちらを伺ってくる瞳が潤んでいる。


「アイラ、と呼んでいただけます? ウェストレイ伯爵」

 ピタリと伯爵が固まる。


「途中から私が全く登場しませんでしたが、どのような経緯で六歳になる、あなたと私の息子がいるのです? そして、先ほどのお話からすると正確には、あなたは私の夫ではございませんね? 私は愛人という立場でよろしいのかしら」

「愛人、確かに、世間的にはそうだ。しかし私は君だけを愛している! 再会したとき、私の状況を話すと、君は、私をずっと想っていたと言ってくれて」


 ……聞き捨てならない言葉が多すぎますわね。


「三年後、君を正式に妻にする、君もそれを信じてくれた。長引いてしまったが離縁は成立した。あとは書類に君の署名があれば、ようやく君は私の妻に! 二人で夢見ていた未来が!」

 そうなのですね。そんな未来が。



「ですが、今すぐは無理ですわ。お話の概略は分かりましたが、分かっていないことが多すぎます」

「そ、そうだな。自分のことばかりで、すまない。それならば、せめてウェストレイ伯爵はやめてくれないか? 愛称が無理なら、レオナールと」

「分かりました。レオナール様。まずは父母に会わせてくださいませ」

 まさか亡くなってはいないでしょうね?


「ああ、君が意識を失ったときにすでに使いを出してある。領地にいたそうでね。明日到着する」

 胸に溜めていた息が、静かに抜けた。よかった、生きていて。10年、油断はできないわ。


「少し疲れましたわ。横になってもいいですか?」

「ああ、そうだね。ゆっくり休んでくれ。……あっ、思い出した。君は学院の頃から日記をつけていたんだよ。あのクローゼットの奥にある、鍵付きの箱に入れてある。君がそう教えてくれた」


 日記、心の深いところに、かすかに引っかかる響き。



「日記ですか。その鍵はどこに?」

「君が今、身につけているネックレスに付いている」

 半信半疑のまま揺れるペンダントトップを指先でつまみ上げると、小さな鍵が絡むように下がっていた。



「……肌身離さず持っていたのですね」

「読まれるのは恥ずかしいって、いつも言っていた。もしかしたら私への気持ちを綴ってくれていたのかもしれない」

 言いよどみ、こちらの反応を伺うように視線が揺れる。



「いや、もちろん! 君が眠っている間に勝手に読んだりなんてしない。卑怯な真似はしていない。そ、そこは信じてほしい」

 慌てふためく様子が、逆に嘘をついていない証拠だと思えてしまうのが不思議。



「わかりました。意識がはっきりしている時に読んでみますわ。記憶が戻る、手がかりになるかもしれませんもの」

「ぜひ、ぜひ頼む。何か思い出せるといい」


 どこか縋るような声。

 日記、そこには何が書かれているのだろう。

 知らない自分が、息づいているのだろうか。

 一度まぶたを閉じると、意識が、まどろみへと吸い込まれていく。

あなたにおすすめの小説

【本編完結】初恋のその先で、私は母になる

妄夢【ピッコマノベルズ連載中】
恋愛
第19回恋愛小説大賞にて、奨励賞を受賞いたしました。読者の皆様のおかげです!本当ありがとうございます。 王宮で12年働き、気づけば28歳。 恋も結婚も遠いものだと思っていたオリビアの人生は、憧れの年下公爵と一夜を共にしたことで大きく動き出す。 優しく守ろうとする彼。 けれどオリビアは、誰かに選ばれるだけの人生を終わらせたいと思っていた。 揺れる想いの中で、彼女が選んだのは―― 自分の足で立ち、自分の未来を選ぶこと。 これは、一人の女性が恋を通して自分を取り戻し、母として、そして一人の人間として強くなっていく物語。 ※表紙画像はAI生成イラストをつかっています。

「私に愛まで望むとは、強欲な女め」と罵られたレオノール妃の白い結婚

きぬがやあきら
恋愛
「私に愛まで望むな。褒賞に王子を求めておいて、強欲が過ぎると言っている」 新婚初夜に訪れた寝室で、レオノールはクラウディオ王子に白い結婚を宣言される。 それもそのはず。 2人の間に愛はないーーどころか、この結婚はレオノールが魔王討伐の褒美にと国王に要求したものだった。 でも、王子を望んだレオノールにもそれなりの理由がある。 美しく気高いクラウディオ王子を欲しいと願った気持ちは本物だ。 だからいくら冷遇されようが、嫌がらせを受けようが心は揺るがない。 どこまでも逞しく、軽薄そうでいて賢い。どこか憎めない魅力を持ったレオノールに、やがてクラウディオの心は……。 すれ違い、拗れる2人に愛は生まれるのか?  焦ったい恋と陰謀+バトルのラブファンタジー。

君は妾の子だから、次男がちょうどいい〜long version

月山 歩
恋愛
侯爵家のマリアは婚約中だが、彼は王都に住み、彼女は片田舎で遠いため会ったことはなかった。でもある時、マリアは妾の子であると知られる。そんな娘は大事な子息とは結婚させられないと、病気療養中の次男との婚約に一方的に変えさせられる。そして次の日には、迎えの馬車がやって来た。 *こちらは元の小説の途中に、エピソードを追加したものです。 文字数が倍になっています。

〘完〙前世を思い出したら悪役皇太子妃に転生してました!皇太子妃なんて罰ゲームでしかないので円満離婚をご所望です

hanakuro
恋愛
物語の始まりは、ガイアール帝国の皇太子と隣国カラマノ王国の王女との結婚式が行われためでたい日。 夫婦となった皇太子マリオンと皇太子妃エルメが初夜を迎えた時、エルメは前世を思い出す。 自著小説『悪役皇太子妃はただ皇太子の愛が欲しかっただけ・・』の悪役皇太子妃エルメに転生していることに気付く。何とか初夜から逃げ出し、混乱する頭を整理するエルメ。 すると皇太子の愛をいずれ現れる癒やしの乙女に奪われた自分が乙女に嫌がらせをして、それを知った皇太子に離婚され、追放されるというバッドエンドが待ち受けていることに気付く。 訪れる自分の未来を悟ったエルメの中にある想いが芽生える。 円満離婚して、示談金いっぱい貰って、市井でのんびり悠々自適に暮らそうと・・ しかし、エルメの思惑とは違い皇太子からは溺愛され、やがて現れた癒やしの乙女からは・・・ はたしてエルメは円満離婚して、のんびりハッピースローライフを送ることができるのか!?

公爵家の養女は静かに爪を研ぐ 〜元々私のものですので、全て返していただきます〜

しましまにゃんこ
恋愛
リヴィエール公爵家に養女として引き取られた少女、アリサ・リヴィエール。 彼女は華やかな公爵家の嫡子マリアとは対照的に、家でも学園でもひっそりと息を潜めて生きていた。 養女とは言っても、成人と同時に修道院へ入ることが決まっており、アリサに残された時間は僅かだった。 アリサはただ静かに耐えていた。 ——すべてを取り戻す、その時まで。 実は彼女こそが、前公爵が遺した真の娘であり、水の加護を持つリヴィエール公爵家の正統なる後継者だった。不当に奪い取られた地位と立場。 アリサは静かに時を待つ。 一方、王太子リュシアン・ルミエールは、傲慢な婚約者マリアに違和感を抱きつつ、公爵家に隠された不正の匂いを嗅ぎ取っていく。 やがて二人の思惑は重なり、運命の卒業パーティーが幕を開ける。 奪われた名前も、地位も、誇りも—— 元々、私のものなので。まとめて返してもらいます。 静かに爪を研いできた養女の、逆転ざまぁと溺愛ロマンス。 完結保証&毎日2話もしくは3話更新。 最終話まで予約投稿済み。

私が生きていたことは秘密にしてください

月山 歩
恋愛
メイベルは婚約者と妹によって、崖に突き落とされ、公爵家の領地に倒れていた。 見つけてくれた彼は一見優しそうだが、行方不明のまま隠れて生きて行こうとする私に驚くような提案をする。 「少年の世話係になってくれ。けれど人に話したら消す。」

死にたくないので、今世は「悪女」の看板を下ろして「聖女」の利権を奪い尽くします

あめとおと
恋愛
「死に様なら、もう八通りも見てきたわ」 公爵令嬢レオノーラは、義妹ミアを「聖女」として引き立てるための「悪役」として、九回の人生をループしてきた。 どれほど善人に振る舞おうと、どれほど婚約者の王太子に縋ろうと、最後は常に処刑台か追放。 すべては、周囲の好感度を強制的に書き換えるミアの「偽りの奇跡」のせいだった。 十度目の十六歳。 累計八十年の人生を経験し、精神年齢も魔導知識も「枯れた」域に達したレオノーラは、ついに決意する。 「いい子を演じるのは、もう飽きたわ。今世は悪役令嬢らしく、あなたの『幸運』をすべて奪い尽くしてあげる」 ミアが手に入れるはずだった【癒やしの聖杯】を先回りして献上し、 ミアの信奉者になるはずだった【最強の騎士団長】を魔導の力で救済して味方につけ、 王太子との「思い出の場所」を物理的に整地してバラ園に変える。 「あら、殿下。ゴミ(思い出)を片付けて何が悪いのかしら?」 冷徹に、そして優雅に「ざまぁ」を完遂していくレオノーラ。 そんな彼女の前に、前世では「死神」と恐れられた隣国の皇帝ギルバートが現れる。 彼は、聖女の補正が効かない唯一の男。そして、誰よりも重すぎる独占欲を抱えた男だった――。 「君は世界を奪え。私は、そんな君を奪うとしよう」 これは、九回殺された悪役令嬢が、十回目で「真の幸福」と「最強の地位」を力ずくでもぎ取る、逆転無双の物語。 【全10話+後日談 完結まで投稿済 最終投稿は3/27】

悪女と呼ばれた死に戻り令嬢、二度目の人生は婚約破棄から始まる

冬野月子
恋愛
「私は確かに19歳で死んだの」 謎の声に導かれ馬車の事故から兄弟を守った10歳のヴェロニカは、その時に負った傷痕を理由に王太子から婚約破棄される。 けれど彼女には嫉妬から破滅し短い生涯を終えた前世の記憶があった。 なぜか死に戻ったヴェロニカは前世での過ちを繰り返さないことを望むが、婚約破棄したはずの王太子が積極的に親しくなろうとしてくる。 そして学校で再会した、馬車の事故で助けた少年は、前世で不幸な死に方をした青年だった。 恋や友情すら知らなかったヴェロニカが、前世では関わることのなかった人々との出会いや関わりの中で新たな道を進んでいく中、前世に嫉妬で殺そうとまでしたアリサが入学してきた。