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楽歩

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33.崩れゆく王座の前で

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「忘れているようですので、もう一度教えて差し上げますわ」


 私は、ゆっくりと手元の書状を掲げた。


「前国王陛下が崩御なさる直前に署名された証文。『アイゼンベルクの姓を持つ者が、国の行く末についていかなる選択をしようと罪に問わぬ』その“現物”が、こちらです」


 ざわめきの中、私は朗々と宣言した。


「私は、この国全土の領地を、新たな国として再構築いたします。罪には問われません。そして国を憂う心もない方々に、政治へ関わっていただく必要はございません」


 扇の縁を軽く叩き、告げる。



「というわけで、重臣の皆様にはご退場願いますわ」

「なっ……!」
「陛下、お助けください!!」
「国のために仕えてきた者を、何と心得る!」

「――黙れ」

 ガレスが一歩、前へ。その一言が、空気を凍らせた。冷え切った声が、全ての言葉を断ち切る。

 重い軍靴が床を打つ度、断罪の鐘が鳴るようだった。

 ガレスたちが容赦なく彼らの腕を掴み、ずるずると引きずってゆく。年老いた家臣が必死に足を踏ん張り、白髪を振り乱して叫んだ。



「お待ちください! 私は神殿になど行きとうはありませぬ!」
「女神に誓って、我らはルシアーナ様に忠義を――!」

 忠義など、いりませんわ。

 悲鳴は、扉が閉まる鈍い音に飲み込まれ、やがて、静寂。

 残された王と王太子は、ただ呆然と立ち尽くしている。



 静けさが降りる。

 冷たい沈黙が玉座の間を満たし、その均衡を断ち切るように、低く重い声が響いた。



「残るは、ルシアーナ、大公、私、王太子。奇しくも、血族だけだな」

 王は視線を細め、続けた。


「何、腹を割って話そうじゃないか。結局、お前が欲しいのは何だ。王座か? それとも……私の命か?」

「何度も申し上げております。私が求めるのは、新しい国を創る許可。それだけです。もっとも、もはや許可など不要になりましたけれど」

 証文を軽く持ち上げ、静かに告げる。


「前国王の証文。そして女神の使徒が二人。あなた方には、民はおろか家臣すら残っていません。この状況で、まだ抵抗なさいますか?」

 王の瞳がわずかに震えた。ほんの一瞬だが、その迷いがはっきりと見えた。


「……私の、王の許可など、もはや要らない、か」

 低く漏れた呟きに、空気がまた凍りつく。

 私はゆるやかに微笑む。


「おっしゃる通りですわ。『女神の名の下に、隠し事はしないで』この際、腹を割ってお話ししましょう」

 ぴんと張り詰めた空気の中、王の唇がかすかに歪む。


「……ふん。小娘が」

 侮蔑混じりの一言が静寂を裂く。しかし、その程度では怯まない。

 ――聞かなければならないことがある。

 その時だった。空気を読まない声が、唐突に割り込む。



「ルシアーナ、私を王配に! 新しい国の王である君を支えよう!」

 王太子の震えた叫びが、室内に不協和音を生む。

 一瞬、空気が凍りつく。

 呆れ。それ以外に言葉はない。



「……黙れ。この期に及んで、恥をさらすな」

 王の声は鋼より冷たく硬い。そして、お祖父様へと視線をゆっくり向けた。



「大公。貴様だ。黒幕はお前であろう。こそこそと私を王から引きずりおろすなど、昔から企んでいたのだろう」

 その声音には、年輪のように積もった猜疑と怨嗟が滲む。視線が交錯するたび、見えない火花が散った。



「いつからだ? 父上が亡くなったあの日からか……いや、その前からか?」

 問いは、怒りを隠し切れていない。



「正直に言えば、考えたこともある」

 お祖父様は苦しげに低く、押し殺した声で答えた。

「やはりそうか!」

 王が叫ぶ。

「そうだと思っていた!お前の目だ、お前の目が私を無能と笑っていた!」

「そんなことはない。だが息子を失い、気力を失った。ルシアーナが王太子を支え、この国を背負うことで立ち直るのなら、それでいいと」

「はは、きれい事を。しかし、そうか。息子の死か。そうだろう」

 王の笑い声は、金属が擦れるように耳障りだ。



「お前の息子は、あの雨の日、車輪が外れ、崖へ落ちた。あっけなく、な」

「……まるで見てきたかのように語るな」

 お祖父様の眉がピクリと動く。



「はは、見ていたのだ」

 淡々として、恐ろしく静かな声。

「自分の目で、丘の上から。雨の中、あわよくば事故に遭わぬかと、じっと見ていた。車輪に細工したのも私だ。まさか、あっけなく死ぬとは思わなかったがな」

 空気が、崩れ落ちるように沈んだ。心臓の鼓動が耳に響く。



「なぜ、そのような真似を」

「なぜか? 決まっている」

 王の笑みは、凍てつくほどに冷たい。



「私の地位を狙っていたからだ。お前も、お前の息子も。優秀な従兄弟など要らぬ。脅かす者は排す――ただ、それだけのことだ」

 王の声だけが支配する。


「お前たちが生きている限り、私は眠れぬ。いつ寝首をかかれるか分からぬ。ルシアーナ、お前が王宮にいた時も、私は生きた心地がしなかった」

「ち、父上……今の話は……」

 王太子の声は掠れ、震える。



「お前に黙っていたのは、お前のためでもある。脅かす者を排さねば、いずれ王座は奪われる。――優秀な者たちにな」

 その言葉に、父の情の欠片はなかった。あるのはただ、恐れと権力の亡霊。


「なるほど、いくら調べても分からぬはずだ。誰にも指示せず、一人でやったのだからな」

 お祖父様は天を仰ぐ。



「では……父上は本当に、人を――」


 信じられぬ表情の王太子。返されたのは乾いた嗤い。

「ああ、そうだ。……? ……はは」

 王はふと、こちらを睨みつけた。



「ルシアーナ、貴様、女神の力を使ったな!」

 静かに顔を上げる。

『女神の名の下に、隠し事はしないで』



「やはり、そうなのね。私の両親を殺したのはあなた。思っていた。けれど、信じたくなかった」

「お前もきれいごとを言うのか。教えてやろう、王の座とはな、そうやって守っていくものなのだ」

 そんなわけがないわ。


「お前が悪い。大公が悪い。私を見下すお前の一族すべてが悪い!」


 お祖父様が諭すように話し出す。

「見下してなどおらん。王の器ではないのだ。お前も、私も。さらに言えば……私の息子も。なんと愚かな真似をしてしまったものだ」


 長い沈黙が降りた。


 灯火が、ぱちり、と弾ける。その音だけが、崩れゆく王国の鼓動のように響いた。

 

「私は、どうなる」

 俯いたまま、王は絞り出す。


「最愛の兄の息子とはいえ、私はこの手で処することも厭わぬ。しかし、ルシアーナの国の新しい初まりを血で穢すわけにはいかぬ」


お祖父様……。


「それに、息子夫婦は熱心な女神の信徒だった。復讐など、たとえ正義のためであっても許さぬだろう。処刑はしない。ただ千の悔いと共に生きよ。これまでの罪を、死ぬまで家臣と共に祈ることで償い続けるがいい」

「……王妃には、私の口から言わせてくれ」

 立ち上がる王へ、王太子が手を伸ばす。


「父上、私も――」

「いや、私一人で行く。お前は来るな」

 その声は、もはや王ではなく、ただの、一人の男の声だった。

 静かに扉の向こうへと消えていく。



「……付いていかなくてよかったのでしょうか」

 お祖父様に問う。

「逃げる場所などあるまい。死ぬ勇気も、もう残ってはおるまい」


 沈黙が再び、玉座の間を支配する。揺れる灯の影が、崩れゆく王の座を照らしていた。


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