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秋風に吹かれて
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*彩矢*
ロサンゼルスに帰った潤一から、久々のLINEメッセージ。
九月末、ジェニファーが元気な男の子を出産したという。
離婚した元妻に、わざわざそんなことを報告して来ないでしょう、普通。
よほど嬉しかったのか、生後間もない赤ちゃんとジェニファーの動画まで送りつけてきた。
産みたての赤ちゃんの隣で、疲れをにじませたジェニファーがやさしく微笑んでいた。
美しさの中に、なんとも言えない誇らしさと幸福感をただよわせて。
以前会った時よりも、尚一層美しくみえたジェニファーに、少し嫉妬の感情が芽生えた。
潤一に未練などもう無いはずなのに……
それにしても、わざわざこんな動画を送りつけるなんて。
私たちはこれから、親権のことで争おうとしているのよ。
潤一の図々しさなど、今さら驚きもしないけれど。
一応、DNA鑑定をしたようで、間違いなく自分の子だという。
『見ろよ、こいつは多分悠李よりもイケメンになるな。なんといってもハーフだからな』
負けず嫌いの潤一は、赤ちゃんに向かってそんなことを得意げに語りかけている。
確かに金色の髪をした赤ちゃんは、アジアの血など入ってないかのように見える。
ジェニファーに似たら、かなりのイケメンになれるはずだ。
『おめでとうございます。三人で末永くお幸せに』
無視してやりたかったけれど、大人気なく思われるのも癪で、一言だけお祝いの言葉を添えて送信した。
もう雪花に執着などせずに、三人で仲良く暮らしたらいい。
新しい家族が出来たんだからもういいでしょ。
弁護士に会うのはなんとなく気が重く、先延ばしをしていた。
不貞を働いていたわけじゃないけれど、弁護士にさえ、信じてもらえる自信がなくて……
だけど、いつまでもグズグズしているわけにもいかず無料相談してくれると言うので、仕事帰り法律事務所へ寄ってみた。
弁護士の見解では、すでに親権は私にあり、離婚も成立している今、よほどの理由がない限り、潤一に親権が渡るはずはないとのこと。
たとえ、私が不貞を働いていたとしても、子供の環境を重要視する家庭裁判所は、アメリカに住む潤一に親権を渡すなどあり得ないと言われた。
住み慣れた日本で、今までどおり母親の元で暮らす方が、子供の成長には適切である。
そう考えるのが普通であると。
ましてや私には、サポートしてくれる祖父母がいて、看護師という安定した仕事にもついているのだ。
裁判に負けるなど、ありえないとのこと。
潤一の根拠のないハッタリなどにおびえて、
むだなストレスを抱えて損をした。
とにかく親権の心配はないと言われて、ホッとする。
久しぶりに解放された気分になり、遼くんへの怒りも遠のいた。
今頃、ひとり寂しくアパートでコンビニ弁当を食べているのかな?
急に逢いたくなって、思わずLINEにメッセージを送信した。
『今、忙しいですか? 相談したいことがあるのですが、これから会えませんか?』
ずっとケンカ別れしたまま、仲直りが出来てなかったので、いきなり電話は掛けられなかった。
まだ私と潤一の仲を疑っているのだろうか?
だって、まさか運動会に来ていたなんて、知らなかったもの。
すぐに返信が届いた。
『今どこ? 迎えに行く』
『じゃあ、○○駅そばのファミマで待ってる』
法律事務所から少し歩き、車が停めやすいコンビニへと移動した。
とりあえずコンビニに入り、店内を見まわす。
悠李の好きなグレープ味のメントスと、雪花に桃のグミを買って店を出た。
スマホを見ながら五分ほど待っていたら、ウインカーを点滅させた遼くんの車が、駐車場に入ってきた。
少しいたずらな気持ちが働き、元気のないそぶりで車に乗り込んだ。
「あ、、久しぶりだね。突然だったから驚いたな、、」
遼くんは曇ったわたしの表情から、良くない状況を察したのか顔をこわばらせた。
「今、法律事務所へ寄って来たの……」
悲しげにポツリと呟く。
「そ、そうか、それで、……それでどうだったんだい? 」
顔が引きつって、判決を言い渡される被告のようにみえた。
「あとで話すね」
「…わかった。おなか空いてるだろう。なにが食べたい?」
そわそわと落ち着きなく、気弱なそぶりに少し気が咎めた。
「遼くんは夕食すませたんでしょう? わたし食欲がないから食べなくていい」
「で、でも、、じゃあ、どこで話を聞いたらいいかな? ファミレスなんかでもいい?」
「静かなところがいいわ。遼くんのアパートでもいい?」
「……わかった」
アパートへ行くのは本当に久しぶり。
沙織さんが自殺未遂をして以来だから、もう三ヶ月はたっている。
母には仕事帰り、法律事務所に寄ってくるので遅れると連絡を入れておいた。
重苦しい空気をただよわせたまま、車はアパートへと向かった。
言葉なく、沈鬱なようすで運転している遼くんを見ていたら、少し笑い出したくなった。
つい微笑んでしまいそうになり、慌てて外の景色に目をやった。
色んなことがあったけど、今年もあっという間に終わりそう。
もう十月だなんて、本当に早い……。
オレンジ色の実をつけた、街路樹のナナカマドの葉が赤みを帯びていた。
道行く人たちもトレンチコートや、厚手のジャケットなどを着込んで、すっかり秋色のファッションに染まっている。
十月は私にとって哀しい思い出の月だ。
もうすぐ、花蓮さんと航太くんの命日だから。
この日だけは忘れられない。
決して、忘れてはいけない日。
あれからもう五年も経つんだ。
当時の状況を思い出し、すこし涙ぐんでいるうちにアパートに着いた。
「彩矢ちゃん、大丈夫?」
痛々しく私を見つめた遼くんには、かなり誤解をさせてしまったみたい。
アパートの階段を力なくのぼる足音が、カンカンと寂しく響いた。
クスッと笑って後ろをついて行った。
「おなか空いてるだろう? たいしたものはないけど、なにか食べたほうがいいよ」
冷凍庫を開けて、遼くんがガサゴソなにかを探していた。
やっぱり優しいな、遼くんは。
早く一緒に暮らしたい。
「ほら、彩矢ちゃんの好きな蟹クリームのパスタがあったよ」
冷凍庫からパスタを取り出して振り向いた。
「ありがとう。じゃあ、やっぱりそれ頂くわ。自分でやるから」
冷凍パスタを受け取り、お皿に盛り付け、レンジに入れた。
「そ、それで、、弁護士さんからはなんて?」
洗面所で手を洗っていた私に、恐る恐る訊ねる。
「……わたしのほうが負けるって」
「マジで?……そ、そんな、、」
絶句している遼くんに、さらなる追い討ちをかけた。
「雪花がプールで溺れたとき、密会していたと思われてるの。その疑いを晴らせないと無理みたいで……」
「ごめん、俺のせいだな。それじゃあ、やっぱり……やっぱりまた松田先生とよりを戻すの?」
「そうよ、そういうことになるわ。みんな、みーんな、遼くんのせいよ」
ひどくショックを受けたようで、顔が青ざめてみえた。
「プッ、クスクスッ」
「え、、あ、彩矢ちゃん?」
吹き出したわたしを見て、キョトンといぶかしげな顔をした。
「うそよ、全部うそ。親権は間違いなくわたしのものですって。フフフッ、心配しすぎて損しちゃった」
「本当に? 」
信じられないのか、まだ硬い表情をしている。
「ごめんなさい、嘘ついて。でも、潤一さんに弱みを握られたのは、遼くんのせいでしょう。そのせいで私、夜も眠れなかったんだから」
「彩矢ちゃん、本当に? 本当に大丈夫なのかい? 悠李と雪花ちゃんの親権は……」
「弁護士さんが大丈夫って言ってたもの。それに潤一さんにはこの間、アメリカ人女性との間に赤ちゃんが産まれたのよ。悠李と雪花の親権なんてますます無理な話だわ」
「それじゃあ、俺たち結婚できるの?」
やっと信じてくれたのか、遼くんの目に明るい光が灯った。
「……うん、早く一緒に暮らしたい」
幸せな感情が押し寄せてきて、思わず涙ぐむ。
「彩矢ちゃん、信じていいんだね? 本当に、今度こそ本当に結婚できるんだね?」
まだ半信半疑なのか、用心深く念を押すように聞いた。
「……うん、雪花のことも可愛がってくれるでしょう?」
「当たり前だろ。本当に悠李と雪花ちゃんと四人で暮らせるんだね? 一緒になれるんだね」
ひどく感激したように、私の手を両手で握りしめた。
「これからは子供たちにも会ってね。遼くんならすぐに懐いてくれるはずよ。悠李とは元々仲がいいし、なにも心配いらないわね」
「年内にでも結婚できるかな? 彩矢ちゃんはどうしたいんだい?」
「まだ離婚して間もないから、派手なことはしたくないけど、私も一度でいいからウエディングドレスが着てみたいな」
「そうだね。そうしよう。どこか南の島にでも行って、挙式しよう」
そう言ってきつく抱きしめた。
「嬉しい。……私、とっても幸せ」
「彩矢ちゃん……」
胸に顔をうずめて涙ぐむと、顎を持ちあげられてキスされた。
私たち、やっと夫婦になれるのね。
優しい遼くんとこれからは、ずっと一緒にいられるのね。
年内に再婚するつもりなら、早めに両家の両親と顔合わせしたほうがいい。
善は急げで日曜日、遼くんが先に我が家を訪問することになった。
事前に両親には簡単な説明はしておいた。
遼くんは悠李の実の父親で、彼も二年前有紀と離婚しているということ。
潤一とまたよりを戻してもらいたかった母は、この再婚に難色を示した。
「いくらその人が悠ちゃんの実の父親だからって、、雪ちゃんだって潤一さんの子供じゃないの。あなたのすることはいつも無茶苦茶よ。別れたのかと思ったら、また戻ってみたり。気分がコロコロ変わるたびに振りまわされていたら、体がいくつあったって足りないわよ!」
母の言い分はわからないではない。
散々振りまわし、苦労をかけてきたことは事実だから。
だけど……
「この動画、潤一さんから送られてきたの」
LINE動画が見えるように母にスマホを向けた。
ジェニファーとの間に産まれた赤ちゃんに、嬉々としている潤一が撮影した動画。
このLINE動画は両親には刺激が強すぎると思ったので、知らせずにおきたかった。でも潤一を悪者にしなければ、遼くんは受け入れてもらえそうになかった。
効果はてきめんで、動画を見た母は、憤懣やる方ないようすでまくし立てた。
「よく恥ずかしげもなく、こんなものを送れるわね! 一体どんな神経をしているのかしら。あんな母親が育てた息子なことだけあるわ。憎らしいったらありゃしない!」
母の憤りをせせら笑うかのように、スマホから潤一の得意げな声が響いた。
『見ろよ、こいつは悠李よりもイケメンになるな。なんといってもハーフだからな』
「……わかったわ。こんな無神経な人じゃ、いずれ破綻するわ。別れて正解よ。じゃあ、その佐野さんっていう人に会ってみるわよ。悠ちゃんの本当のお父さんなら、可愛がってくれるでしょうし」
もくろみは成功したものの、母はすっかり機嫌をそこねてしまい、しばらく元には戻りそうになかった。
「じゃあ、今度の日曜日に連れてくるから、お父さんにも伝えておいてね」
佐野さんに会えば、父も母もきっと納得してくれるはずだ。
今度こそ幸せになるわ。
もう、心配かけたりしないから……
土曜の午後、明日の佐野さんの訪問に備えて、母とスーパーへ買い出しに行った。
「なにを作ったらいいのかしら? 佐野さんはなにが好きなの?」
お魚コーナーでお刺身を物色しながら、母が聞いた。
「そんなに頑張らなくてもいいわ。いつもの食事で大丈夫よ」
「そんなわけにはいかないでしょ。初めての顔合わせだって言うのに。お寿司を出前してもらうから、お刺身はいらないわね。じゃあ、あとは揚げ物と煮物があればいいかしら」
「うん、それでいいよ。佐野さんは好き嫌いなんかないから、なんだって喜んで食べてくれるわよ」
野菜とくだものの他、海老やイカ、唐揚げ用の鶏肉などを買い込んだ。
スーパーの帰りに保育所に寄って、悠李と雪花を迎えに行った。
「あ、悠くんママ、こんばんは~~」
園の入り口で、隼人くんママがにこやかに手をあげた。
「こんばんは~ 隼人くん、いつも悠李と遊んでくれてありがとうね」
ママと手をつないだ隼人くんに話しかけた。
「今日ね、悠くんとじゃんけん列車した」
少し人見知りの隼人くんは、小さな声でたどたどしく教えてくれた。
「そう、楽しかった? 悠李、隼人くんと遊ぶのいつも楽しみにしてるのよ」
恥ずかしそうに微笑んで、ママの後ろに隠れた隼人くんが可愛らしかった。
「松田さん、悠くんのパパが迎えに来ていたけど、知っているのよね?」
隼人くんママが少し声のトーンを落として言った。
「えっ、、う、うそ!」
園の中を見ると、玄関で靴をはいているよその子とお母さんが立っていて、少し離れたその隣に間違いなく潤一が立っていた。
ど、どうして ⁉︎
ロスにいるんじゃなかったの?
なぜ帰ってきたの?
ロサンゼルスに帰った潤一から、久々のLINEメッセージ。
九月末、ジェニファーが元気な男の子を出産したという。
離婚した元妻に、わざわざそんなことを報告して来ないでしょう、普通。
よほど嬉しかったのか、生後間もない赤ちゃんとジェニファーの動画まで送りつけてきた。
産みたての赤ちゃんの隣で、疲れをにじませたジェニファーがやさしく微笑んでいた。
美しさの中に、なんとも言えない誇らしさと幸福感をただよわせて。
以前会った時よりも、尚一層美しくみえたジェニファーに、少し嫉妬の感情が芽生えた。
潤一に未練などもう無いはずなのに……
それにしても、わざわざこんな動画を送りつけるなんて。
私たちはこれから、親権のことで争おうとしているのよ。
潤一の図々しさなど、今さら驚きもしないけれど。
一応、DNA鑑定をしたようで、間違いなく自分の子だという。
『見ろよ、こいつは多分悠李よりもイケメンになるな。なんといってもハーフだからな』
負けず嫌いの潤一は、赤ちゃんに向かってそんなことを得意げに語りかけている。
確かに金色の髪をした赤ちゃんは、アジアの血など入ってないかのように見える。
ジェニファーに似たら、かなりのイケメンになれるはずだ。
『おめでとうございます。三人で末永くお幸せに』
無視してやりたかったけれど、大人気なく思われるのも癪で、一言だけお祝いの言葉を添えて送信した。
もう雪花に執着などせずに、三人で仲良く暮らしたらいい。
新しい家族が出来たんだからもういいでしょ。
弁護士に会うのはなんとなく気が重く、先延ばしをしていた。
不貞を働いていたわけじゃないけれど、弁護士にさえ、信じてもらえる自信がなくて……
だけど、いつまでもグズグズしているわけにもいかず無料相談してくれると言うので、仕事帰り法律事務所へ寄ってみた。
弁護士の見解では、すでに親権は私にあり、離婚も成立している今、よほどの理由がない限り、潤一に親権が渡るはずはないとのこと。
たとえ、私が不貞を働いていたとしても、子供の環境を重要視する家庭裁判所は、アメリカに住む潤一に親権を渡すなどあり得ないと言われた。
住み慣れた日本で、今までどおり母親の元で暮らす方が、子供の成長には適切である。
そう考えるのが普通であると。
ましてや私には、サポートしてくれる祖父母がいて、看護師という安定した仕事にもついているのだ。
裁判に負けるなど、ありえないとのこと。
潤一の根拠のないハッタリなどにおびえて、
むだなストレスを抱えて損をした。
とにかく親権の心配はないと言われて、ホッとする。
久しぶりに解放された気分になり、遼くんへの怒りも遠のいた。
今頃、ひとり寂しくアパートでコンビニ弁当を食べているのかな?
急に逢いたくなって、思わずLINEにメッセージを送信した。
『今、忙しいですか? 相談したいことがあるのですが、これから会えませんか?』
ずっとケンカ別れしたまま、仲直りが出来てなかったので、いきなり電話は掛けられなかった。
まだ私と潤一の仲を疑っているのだろうか?
だって、まさか運動会に来ていたなんて、知らなかったもの。
すぐに返信が届いた。
『今どこ? 迎えに行く』
『じゃあ、○○駅そばのファミマで待ってる』
法律事務所から少し歩き、車が停めやすいコンビニへと移動した。
とりあえずコンビニに入り、店内を見まわす。
悠李の好きなグレープ味のメントスと、雪花に桃のグミを買って店を出た。
スマホを見ながら五分ほど待っていたら、ウインカーを点滅させた遼くんの車が、駐車場に入ってきた。
少しいたずらな気持ちが働き、元気のないそぶりで車に乗り込んだ。
「あ、、久しぶりだね。突然だったから驚いたな、、」
遼くんは曇ったわたしの表情から、良くない状況を察したのか顔をこわばらせた。
「今、法律事務所へ寄って来たの……」
悲しげにポツリと呟く。
「そ、そうか、それで、……それでどうだったんだい? 」
顔が引きつって、判決を言い渡される被告のようにみえた。
「あとで話すね」
「…わかった。おなか空いてるだろう。なにが食べたい?」
そわそわと落ち着きなく、気弱なそぶりに少し気が咎めた。
「遼くんは夕食すませたんでしょう? わたし食欲がないから食べなくていい」
「で、でも、、じゃあ、どこで話を聞いたらいいかな? ファミレスなんかでもいい?」
「静かなところがいいわ。遼くんのアパートでもいい?」
「……わかった」
アパートへ行くのは本当に久しぶり。
沙織さんが自殺未遂をして以来だから、もう三ヶ月はたっている。
母には仕事帰り、法律事務所に寄ってくるので遅れると連絡を入れておいた。
重苦しい空気をただよわせたまま、車はアパートへと向かった。
言葉なく、沈鬱なようすで運転している遼くんを見ていたら、少し笑い出したくなった。
つい微笑んでしまいそうになり、慌てて外の景色に目をやった。
色んなことがあったけど、今年もあっという間に終わりそう。
もう十月だなんて、本当に早い……。
オレンジ色の実をつけた、街路樹のナナカマドの葉が赤みを帯びていた。
道行く人たちもトレンチコートや、厚手のジャケットなどを着込んで、すっかり秋色のファッションに染まっている。
十月は私にとって哀しい思い出の月だ。
もうすぐ、花蓮さんと航太くんの命日だから。
この日だけは忘れられない。
決して、忘れてはいけない日。
あれからもう五年も経つんだ。
当時の状況を思い出し、すこし涙ぐんでいるうちにアパートに着いた。
「彩矢ちゃん、大丈夫?」
痛々しく私を見つめた遼くんには、かなり誤解をさせてしまったみたい。
アパートの階段を力なくのぼる足音が、カンカンと寂しく響いた。
クスッと笑って後ろをついて行った。
「おなか空いてるだろう? たいしたものはないけど、なにか食べたほうがいいよ」
冷凍庫を開けて、遼くんがガサゴソなにかを探していた。
やっぱり優しいな、遼くんは。
早く一緒に暮らしたい。
「ほら、彩矢ちゃんの好きな蟹クリームのパスタがあったよ」
冷凍庫からパスタを取り出して振り向いた。
「ありがとう。じゃあ、やっぱりそれ頂くわ。自分でやるから」
冷凍パスタを受け取り、お皿に盛り付け、レンジに入れた。
「そ、それで、、弁護士さんからはなんて?」
洗面所で手を洗っていた私に、恐る恐る訊ねる。
「……わたしのほうが負けるって」
「マジで?……そ、そんな、、」
絶句している遼くんに、さらなる追い討ちをかけた。
「雪花がプールで溺れたとき、密会していたと思われてるの。その疑いを晴らせないと無理みたいで……」
「ごめん、俺のせいだな。それじゃあ、やっぱり……やっぱりまた松田先生とよりを戻すの?」
「そうよ、そういうことになるわ。みんな、みーんな、遼くんのせいよ」
ひどくショックを受けたようで、顔が青ざめてみえた。
「プッ、クスクスッ」
「え、、あ、彩矢ちゃん?」
吹き出したわたしを見て、キョトンといぶかしげな顔をした。
「うそよ、全部うそ。親権は間違いなくわたしのものですって。フフフッ、心配しすぎて損しちゃった」
「本当に? 」
信じられないのか、まだ硬い表情をしている。
「ごめんなさい、嘘ついて。でも、潤一さんに弱みを握られたのは、遼くんのせいでしょう。そのせいで私、夜も眠れなかったんだから」
「彩矢ちゃん、本当に? 本当に大丈夫なのかい? 悠李と雪花ちゃんの親権は……」
「弁護士さんが大丈夫って言ってたもの。それに潤一さんにはこの間、アメリカ人女性との間に赤ちゃんが産まれたのよ。悠李と雪花の親権なんてますます無理な話だわ」
「それじゃあ、俺たち結婚できるの?」
やっと信じてくれたのか、遼くんの目に明るい光が灯った。
「……うん、早く一緒に暮らしたい」
幸せな感情が押し寄せてきて、思わず涙ぐむ。
「彩矢ちゃん、信じていいんだね? 本当に、今度こそ本当に結婚できるんだね?」
まだ半信半疑なのか、用心深く念を押すように聞いた。
「……うん、雪花のことも可愛がってくれるでしょう?」
「当たり前だろ。本当に悠李と雪花ちゃんと四人で暮らせるんだね? 一緒になれるんだね」
ひどく感激したように、私の手を両手で握りしめた。
「これからは子供たちにも会ってね。遼くんならすぐに懐いてくれるはずよ。悠李とは元々仲がいいし、なにも心配いらないわね」
「年内にでも結婚できるかな? 彩矢ちゃんはどうしたいんだい?」
「まだ離婚して間もないから、派手なことはしたくないけど、私も一度でいいからウエディングドレスが着てみたいな」
「そうだね。そうしよう。どこか南の島にでも行って、挙式しよう」
そう言ってきつく抱きしめた。
「嬉しい。……私、とっても幸せ」
「彩矢ちゃん……」
胸に顔をうずめて涙ぐむと、顎を持ちあげられてキスされた。
私たち、やっと夫婦になれるのね。
優しい遼くんとこれからは、ずっと一緒にいられるのね。
年内に再婚するつもりなら、早めに両家の両親と顔合わせしたほうがいい。
善は急げで日曜日、遼くんが先に我が家を訪問することになった。
事前に両親には簡単な説明はしておいた。
遼くんは悠李の実の父親で、彼も二年前有紀と離婚しているということ。
潤一とまたよりを戻してもらいたかった母は、この再婚に難色を示した。
「いくらその人が悠ちゃんの実の父親だからって、、雪ちゃんだって潤一さんの子供じゃないの。あなたのすることはいつも無茶苦茶よ。別れたのかと思ったら、また戻ってみたり。気分がコロコロ変わるたびに振りまわされていたら、体がいくつあったって足りないわよ!」
母の言い分はわからないではない。
散々振りまわし、苦労をかけてきたことは事実だから。
だけど……
「この動画、潤一さんから送られてきたの」
LINE動画が見えるように母にスマホを向けた。
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このLINE動画は両親には刺激が強すぎると思ったので、知らせずにおきたかった。でも潤一を悪者にしなければ、遼くんは受け入れてもらえそうになかった。
効果はてきめんで、動画を見た母は、憤懣やる方ないようすでまくし立てた。
「よく恥ずかしげもなく、こんなものを送れるわね! 一体どんな神経をしているのかしら。あんな母親が育てた息子なことだけあるわ。憎らしいったらありゃしない!」
母の憤りをせせら笑うかのように、スマホから潤一の得意げな声が響いた。
『見ろよ、こいつは悠李よりもイケメンになるな。なんといってもハーフだからな』
「……わかったわ。こんな無神経な人じゃ、いずれ破綻するわ。別れて正解よ。じゃあ、その佐野さんっていう人に会ってみるわよ。悠ちゃんの本当のお父さんなら、可愛がってくれるでしょうし」
もくろみは成功したものの、母はすっかり機嫌をそこねてしまい、しばらく元には戻りそうになかった。
「じゃあ、今度の日曜日に連れてくるから、お父さんにも伝えておいてね」
佐野さんに会えば、父も母もきっと納得してくれるはずだ。
今度こそ幸せになるわ。
もう、心配かけたりしないから……
土曜の午後、明日の佐野さんの訪問に備えて、母とスーパーへ買い出しに行った。
「なにを作ったらいいのかしら? 佐野さんはなにが好きなの?」
お魚コーナーでお刺身を物色しながら、母が聞いた。
「そんなに頑張らなくてもいいわ。いつもの食事で大丈夫よ」
「そんなわけにはいかないでしょ。初めての顔合わせだって言うのに。お寿司を出前してもらうから、お刺身はいらないわね。じゃあ、あとは揚げ物と煮物があればいいかしら」
「うん、それでいいよ。佐野さんは好き嫌いなんかないから、なんだって喜んで食べてくれるわよ」
野菜とくだものの他、海老やイカ、唐揚げ用の鶏肉などを買い込んだ。
スーパーの帰りに保育所に寄って、悠李と雪花を迎えに行った。
「あ、悠くんママ、こんばんは~~」
園の入り口で、隼人くんママがにこやかに手をあげた。
「こんばんは~ 隼人くん、いつも悠李と遊んでくれてありがとうね」
ママと手をつないだ隼人くんに話しかけた。
「今日ね、悠くんとじゃんけん列車した」
少し人見知りの隼人くんは、小さな声でたどたどしく教えてくれた。
「そう、楽しかった? 悠李、隼人くんと遊ぶのいつも楽しみにしてるのよ」
恥ずかしそうに微笑んで、ママの後ろに隠れた隼人くんが可愛らしかった。
「松田さん、悠くんのパパが迎えに来ていたけど、知っているのよね?」
隼人くんママが少し声のトーンを落として言った。
「えっ、、う、うそ!」
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