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一線を越える?
しおりを挟む翌朝、美穂先生からメールが来ていた。
『昨日はみっともないところを見せてしまって、ごめんなさい。ひどく飲みすぎてしまって、醜態を晒したわね。だけど、あなたが言ってくれたことはちゃんと覚えているわ。確かにそうね、私は捨てられたんだわ。プライドが邪魔をして、その事実を直視できなかったの。松田くんがはっきり言ってくれたおかげで、早く立ち直れた気がするわ。もう、大丈夫よ、ありがとう』
俺は返信もせずに朝飯を食ってから、美穂先生のアパートを訪ねることにした。
玄関で靴を履いていると、お袋がやって来て、また余計なことを言った。
「朝の早くからどこへ行くのっ! あなたは毎日毎日勉強もしないで、鉄砲玉みたいに。冬休みの宿題はちゃんとしてるんでしょうね?」
「いい加減にやめろよな、そういう会話。宿題はとか、何時に帰ってくるのとか、小学生じゃないんだぞ」
「あなたのやる事は、いつまでたっても子供じゃないの。何かあったら親の責任なんですからね。勝手なマネは許しませんよ。どこで誰と会って何時に帰ってくるのか、ちゃんと言ってから出かけなさいっていつも言ってるでしょう!」
「あー、うるさいな、わかったよ。祐也の家に行ってくる。晩飯までには戻る。もしかしたら島村か井上の家になるかもしれない。じゃあな」
半信半疑な様子のお袋から目をそらし、素早く玄関を出た。
今日は一月の九日で、三学期まであと一週間ほどある。
北海道は夏休みが短い分、冬休みは他県などと比べると長い。
正月気分はもう抜けてしまったけれど、どこの家にも飾られている玄関のしめ飾りが、年明けの新鮮さを醸し出していた。
昨夜降った雪が歩道にうっすらと降りかかっていた。
凍った路面に雪が降りかかった道路というのは、一番滑りやすくて危険だ。
子供の頃は雪道でも全速力で走りまわって、よく転んだものだった。
排雪して出来た高い雪山から転落して、腕を骨折したこともある。
スノボに夢中になってスピードを出しすぎ、曲がりきれずに木に激突したときは、脳外科に搬送されて、二週間ほど入院もした。
小さな怪我は数えたらキリがない。
生きているのが不思議に感じるほどだ。
晴れ着を着ている二人組の女子とすれ違う。
そういえば、明後日の日曜は成人式だったな。
美穂先生も二十歳のときには着物を着たのかな?
和装の美穂先生も見てみたい気がする。
アパートに着き、ブザーを鳴らす。
すぐにドアを開けてくれたけれど、ひどく不機嫌だった。
「まだ、朝の九時よ、早すぎでしょう」
俺は気にもせず、我が物顔で靴を脱いだ。
無造作に束ねた髪にルームウェア。
泣きすぎたのと二日酔いのせいで、顔はむくんで見えた。
確かに女はこんな姿をあまり見られたくないだろうな。
「来るなら来るって知らせてから来てほしいのよね。私にだって予定というものがあるのよ」
今、起きたばかりなのだろう。
二日酔いだから、機嫌がよくないのも無理もない。
「出かけるのか? 用事があるなら帰るよ。まだピーピー泣いてるのかと思って心配だったんだ」
「こんな顔じゃ何処にも行けないわよ。あなたにだって、これ以上みっともないところは見せたくないわ」
そう言いながらも口に手を当てて、大きなあくびをした。
「いいじゃないか、別に。俺は見たいな、美穂先生のみっともないところ」
「誰にも知られてないでしょうね? 本当に気をつけて来てよ。こんなことが知れたら大変だわ」
「ちゃんとマスクと帽子をつけてるから大丈夫だろ。俺の他にもこの部屋に誰か来ることってあるのか?」
「……な、ないわよ。もうないわ」
美穂先生は寂しげにうつむくと、後ろを向いて冷蔵庫をあけた。
そうか、婚約までしていたくらいだから、医者の卵はこのアパートに、頻繁に出入りしていたんだな。
「朝ごはんは食べてきたの? 私はこれからなの。一緒に食べる?」
「俺は食べてきたよ。そうか、朝飯が食べられるくらいなら、もう大丈夫だな」
「失恋して生徒に心配されるなんて情けないわね。あなたのほうはどう? ご両親は相変わらずなの?」
美穂先生は、冷凍庫から出したクロワッサンをレンジにかけ、イチゴのヘタを取ってヨーグルトに入れた。
「まあな、顔を合わせないようにしているからな。前ほど酷いことにはなってないよ」
「二人分用意したから、一緒に食べましょう。
美穂先生はコーヒーと二人分のクロワッサン、苺のヨーグルトをテーブルに置いた。
「あなたに比べたら、私の悩みなんて大したことでもないわね。考えてみたら失恋なんて贅沢な悩みだわ」
食事を取れるようになっただけでも、立ち直りは早いほうなのかも知れないが、さすがに元気には見えなかった。
時々なにか思い出したかのように、うつろな目をして、ちぎったクロワッサンを口に運んでいた。
七年も付き合っていたらな。
そりゃ、すぐに立ち直れるわけもないか。
キッチンで洗い物をしている美穂先生の後ろ姿を見つめる。
なんてスタイル抜群なんだろう。
ルーズなルームウェア姿なのに、美穂先生が着るとどんなものでもステキに見えてしまう。
背後に忍びよって抱きしめたい衝動にかられた。
抱きしめることはできないけれど、そばに行き、並んで立った。
「写真見せてくれないかな? 子供の頃のとか見せてくれよ」
「最近のものしかないわ。子供の頃のは実家に置いてあるから」
「なんだ。じゃあ、成人式のはないのか? 着物を着て撮ったんだろう?」
「それも実家よ。大学時代の写真ならあるけど、今とあまり変わってないわね」
医者の卵の写真も沢山あるんだろうな。
それはいつか捨てるのだろうか。
洗い物を終えて寝室のクローゼットから、封筒に入れられたままの写真を十枚ほど持ってきてくれた。
ラグにあぐらをかき、渡された写真をみつめた。
元カレがどんな奴か見たい気もしたが、男が一緒の写真はなかった。
「これくれよ」
一番きれいに写っている一枚を見つめる。
写真を見ていた俺の隣に、美穂先生も来て座った。
「あ、それは夏休みに摩周湖に行ったときのだわ」
確かにバックには、真っ青な湖らしきものが写っていた。
「医者の卵と行ったのか?」
「違うわよ。職場の同僚五人でよ。米山先生が運転してくれたの」
やきもちでも焼かせるつもりで米山の名前を出したのか?
「ふん、あんなつまらない男のことなんか、どうでもいい」
「あなたはちゃんと年相応の彼女を見つけなさい。クラスに可愛い子が沢山いるじゃないの。そのほうが絶対にいい思い出ができるわよ。あーあ、わたしも戻りたいな、あの頃に」
また、元カレを思い出しているのか。
「医者の卵のどこが良かった?」
「なによ、いきなり。そんなこと簡単に説明できるものじゃないでしょう。やめてよ、そんな話」
不機嫌に動揺して視線を泳がせた。
「俺も医者になろうかな。俺が医者になったら、付き合ってくれるか?」
「別に彼が医者だから好きになったわけじゃないわ。やっぱり、人柄とか相性の問題でしょう。もちろん、ちゃんとした職業についてることは大切だけど」
「俺じゃ、ダメか? 俺たちは相性がいいだろう? 俺がもっと大きくなったら、、」
「フフッ、松田くんの言葉を信じて気長に待ってたら、それこそ飽きられて捨てられてよ。正直言って、あなたは若いけれどとても魅力的よ。モテると思うわ」
美穂先生のまなざしになんとなく熱っぽさを感じて、胸が締めつけられた。
「別にモテなくていいよ。美穂先生が俺を好きになってくれるなら」
「あら、わたしは前からずっとあなたのことが好きよ。知らなかったの?」
「……嘘だろ?」
そんなことを言われたのは初めてだから、ガラにもなく少し照れた。
「本当に、本当に俺が好き ⁉︎ 」
ドキドキしながら期待して聞いたのに、
「フフフッ、だから、好きって言ってるじゃない。わたしの可愛い教え子ちゃん!」
まるで子犬にでもするかのように、俺の頭をなでた。
先生が言った好きは、恋愛ではなく師弟に対する感情と知ってムカついた。
「子供あつかいするなよ!!」
頭をなでた先生の手をつかみ、ラグに押し倒した。
合気道二段の腕前と言っていたから、すぐに反撃されるかと思ったが、先生はなんの抵抗もなく目を閉じた。
情けないことに、俺はどうしていいのか分からなかった。
これが同年代の女だったら、間違いなく事におよんでいただろう。
ませていた俺はすでに童貞ではなかったが、抵抗しない美穂先生を前にして少し怖気づいていた。
なぜか、先生と生徒の一線を越えてしまうことに不安を感じた。
その一線を越えるのが、俺の夢だったけれど。
「どうしたの? 何にもしないの?」
不敵な笑みを浮かべて先生は目をあけた。
「失恋したばかりの女を襲う気にはならないからな」
ビビっていたことを悟られないように、強がって見せたけれど、顔が引きつっていたかも知れない。
「フフフッ、意外と紳士なのね。見直したわ。わたし本当にあなたを好きになってしまってよ」
明るい口調で言われても、真意がわからない。
「……俺が襲ってたらどうするつもりだった? やっぱり抵抗したんだろ?」
少し後悔の気持ちが芽生えた。
千載一遇のチャンスを逃してしまったのか?
「もしかして合気道二段って言ったの信じてた?」
「嘘だったのか?」
「フフフッ、ウソよ。そんなに強く見えた?」
「見えたよ。なんだ、そうだったのか。教師が生徒に嘘なんかついていいのか?」
「うはははは~!!」
次第にイラついてきた俺とは逆に、先生は上機嫌になっていた。
失恋したばかりの先生が楽しげに笑っているのはいいことに違いないけれど。
「じゃあ、今度は遠慮なく襲う」
かなりムッとして、本気でそう言った。
「ダメよ。襲われてもわたしのほうが加害者になってしまうから。未成年者に対する犯罪よ。ましてや教え子となんてね、、前代未聞の大スキャンダルになるわ。クスクスッ」
「……教え子、教え子って言うのやめろよ。いつまでもそんな風に見ないでくれ!!」
俺をおちょくって楽しんでいる美穂先生に腹が立ち、肩をつかんでキスをした。
………!!
そんなに思いがけないことだったのか、先生はひどく動揺して見えた。
ラグに両手をついて、しばらくの間、呆然としていた。
「ご、ごめん……悪かったよ、あやまる。だけど、大人が相手だと犯罪になるって、おかしいだろ? 俺はいい加減な気持ちじゃない。本当に美穂先生が好きなんだ」
「……謝ることないわ。悪いのはわたしだもの。正直言うと、わたし、あなたのことはかなり好きよ。こんなに早く立ち直れたのは、松田くんがいてくれたからかもしれない。でも、やっぱりどう考えても無理だわ」
自分に言い聞かせるように、厳しい口調で言った。
「なにが無理なんだよ。俺が高校を卒業するまで、あと一年だろう。待っていてくれよ。大学へ行ったら、アルバイトだってなんだってやるよ」
手を握りしめたまま、俺は先生に詰め寄った。
「わたし、失恋したばかりでひどく臆病になっているの。怖いのかも知れないわ。あなたがわたしから離れていくのは時間の問題だもの」
「じゃあ、結婚しよう。俺が高校を卒業したら。それなら安心だろう?」
「フッ、せっかちね。だけど、そんな強引なところが女心をくすぐるのね。なんだか一緒に夢を見たくなってきたな。破天荒なあなたが一緒だと、怖いものなど何もないわね」
元カレのことは諦めがついたのか、サバサバしたように言ってのけた。
「本当か? 本当に俺と結婚してくれる?」
「いいわよ、あなたの気が変わらなかったらね」
俺は夢を見てるのか?
美穂先生を諦めるつもりなど、毛頭なかったけれど、俄かには信じられなかった。
「じゃあ、またキスしてもいい?」
狐につままれたような気が抜けず、美穂先生を試さずにはいられなかった。
「いいわよ~ だって結婚してくれるんでしょう? クスクスッ」
俺の肩に腕をまわして、頬にキスをした。
どこまで本気なのか?
「笑うなよっ!」
ふざけて笑う美穂先生を、またラグに押し倒した。
今度はさっきのようなフレンチキスではなく、荒々しく欲望のままにむさぼり求めた。
興奮してブレーキがきかなくなり、ブラの
中に手を入れた。
「待って、……松田くん、お願い、待って」
先生が俺を押しのけて起きあがった。
「シャワーくらい浴びましょう」
バスルームへ向かった美穂先生を信じられない気持ちで見つめた。
本気か?
美穂先生は、、本気で俺と、
本気で一線を越えるつもりか ⁉︎
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