六華 snow crystal 6

なごみ

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明かされた真実

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「航太って誰?」


「あ、いや、、別に……」


ーー錯覚だ。


なぜ航太に似ているなどと思ったのだろう。



航太はまだ三歳にもなっていなかった。


いつも機嫌よく、おどけてばかりいた航太と、美穂の息子の笑顔がなんとなく重なって見えた。


いつのまにか美穂は、ダウンコートのフードを目深にかぶって、マスクとメガネをかけていた。


「夫と息子には今日わたしがここに来ていることは内緒なの」


美穂は俺の耳元で声をひそめながら、遠まきに彼らを見つめた。


遠くてよく見えないが、美穂の亭主にはどこかで会ったことがあるような気がした。



「それはそうだろうな。昔関係があった教え子と十五年ぶりに再会するなんて、亭主にバレたら大変なことだ」



俺を裏切った美穂が急に憎らしくなり、思わず嫌味を言った。


「あら、相変わらず口が減らないのね。別に主人にはバレてもいいわ。私たちに隠し事なんてないもの。でも息子はまだ多感な14歳だから」


美穂は慈しむような目で遠くにいる息子をみつめた。


「俺も昔は多感な17歳の少年だった」


当時の傷ついた自分を思い出し、マジメに言ったのに、


「ぶっ、、うははは~~~~っ!! 」


美穂は吹き出すと、体をよじって笑いだした。


少しの反省もなく、バカうけしている美穂に心底怒りがわいた。


「笑うなっ!  米山なんかと結婚して、結局すぐに別れて、バカか」


一体この俺がどれだけ苦しんだと思ってるんだ。



「そうなの……米山先生には本当に悪いことしちゃった。迷惑ばかりかけちゃって、申し訳ない気持ちで一杯よ」


美穂はしんみりと思いつめたように言ってうつむいた。


「はぁ?  謝る相手を間違ってないか?  俺のことはどうなんだよ。あんなひどい裏切り方をして、すまないという気持ちは少しもないのか?」


今日は美穂から弁解と謝罪を聞かされるのだと思っていた。


なのに俺のことなどどうでもいいかのように、未だに米山の心配ばかりしている。


「仕方がなかったのよ。大変だったのはあなただけじゃないわ」



ーー仕方がなかった?


「どういう意味だよ?  なにが大変だったって言うんだ?  俺に対して良心の呵責は少しもないのか?」


今さら恨みごとなど言うつもりはなかった。


だけど美穂の態度は、あまりにも当時の俺の感情を無視していた。



「あなたお腹はすいてない?  やっぱり人混みでは話せないわね。それにその格好じゃ風邪を引いてしまうわ。レストランで話しましょう」


雪がチラチラと降ってきたうえに風も吹いて来て、美穂が言ったとおり、かなり寒くなって来た。


美穂の後についてジャンプ競技場の目の前にあるレストランへ向かった。


展望台大倉山クリスタルハウスは、一階がオリジナルグッズや北海道みやげコーナーになっている。全面ガラス張りなので、食事を楽しみながらジャンプ競技の観戦ができる。


まだ時間が早いせいか、店内は空いていた。


窓際の席へ案内される。


札幌市街も一望できる抜群のロケーション。


ジンギスカンを食べさせる焼肉店とは思えない、シンプルで落ち着いた内装だ。


メニューは常連の美穂に任せた。



北の大地セットという、生ラムショルダー・焼き野菜、贅沢な海鮮盛り合わせのついたコースを選んだ。


「こんな歳になってから、二人でジンギスカンを食べることになるとは思わなかったな」


向こうのテープルから、ジュージューと焼けるジンギスカンの音と匂いが漂う。


ドーム型の鍋に、運ばれてきたラム肉やもやし、ピーマン、茄子、薄切りのかぼちゃなどをのせた。


ロスで研修を受けていたこともあって、ジンギスカンを食べるのは久しぶりだ。


道産子にとってはソウルフードとも言える。


焼けた肉をもやしと一緒にタレにつけて食べた。


ラムはロース部分を使用しており、肉厚で柔らかい。


「たまに食べると、やっぱり美味いな」


「ラム肉とお野菜って相性が抜群だと思わない?  茄子に味がしみてて美味しい~」


あまりにジンギスカンが美味いので、深刻めいた話しは取りあえず先送りした。



三種類のラム肉を味わったところで本題に入った。


「それで?  米山とは結局なんで別れたんだ?  そもそもあいつのどこがよくて結婚したんだよ」



「米山先生と結婚したのは、みんなあなたのためよ」


美穂は少しも悪びれたようすを見せず、平然と言ってのけた。



は?


「なにを言ってるんだ?  どうして俺が関係あるんだよ」


「私たちの関係、米山先生にバレてたの。だってあなたって、平気な顔で○○高の指定ジャージを着てアパートへ来ていたでしょう」


バレてた?  米山に……



「マジか?  それで、、それで米山に脅されて、無理やり結婚させられたのか ⁉︎ 」


俺のせいで好きでもない米山と結婚するハメになったというのか?


「無理やりではないわ。脅されてはいたけど、結婚を迫ったのはむしろ私のほうよ」


「なんだよ、じゃあ、やっばり好きだったんだろ? 米山ことが」 


俺たちはジャンプを観に来たことなどすっかり忘れて、話に没頭していた。



「……私は米山先生を利用していただけなの」



「さっきから一体なにが言いたいんだよっ!」


もったいぶった言い方ばかりする美穂にイライラしてきた。



「じゃあ、驚かないでね。…….あの子、、あの子はあなたの子よ」


美穂は目をそらし、ぼんやりと窓の外に目をやって意味のわからないことを言った。


「なに言ってるんだよ、、バカなことを言うな!」



ーーまさかだろ!


こんなところへ呼び出して、美穂はなにを言おうとしているのか。



「柊《しゅう》はね、柊はあなたの子なの」


今度は俺の目をジッと見つめて言った。


「…….嘘だろ?」


「本当よ。気づかなかったの?  あなたに似てたでしょう?」


だから、航太と似ていたというわけか。


「……それで俺にどうしろと言うんだ?」


「別になにもしなくていいわ。ただ見てもらいたかったの」


「じゃあ、なんで俺の子を妊娠していたのに、米山なんかと結婚したんだよ!」



「だって米山先生には秘密を握られてしまったのよ。二人の関係を密告なんてされたら、私は単なるクビでは済まなくなるし、あなただって退学になってたかも知れないわ。だから米山先生には逆らえなかったの」


「………それで無理やり結婚させられたのか 」


すべて自分のせいだと知り、暗澹とした気持ちにさせられる。


俺の不注意が、とんでもなく美穂を追い込んでしまっていたなんて。


「無理やり結婚させられたわけじゃないの。あの時、妊娠していることに気づいて、私ずいぶん悩んでたわ。産もうかどうかを」


「ごめん……。俺のせいで、そんなに困らせていたなんてな」



「私ひとりで子供を産み育てるくらいのこと、出来ないわけじゃなかったわ。だけど、誰の子か言えないような子を産むっていうのはね、職業柄、生徒にも示しがつかないでしょう」


「それで米山と結婚したっていうのか?」


「そう。好都合だと思ったの。口封じにもなるし、誰に咎められることもなく、安心して子供が産めるでしょう。だけど、産んでからあなたの子だってことがバレてしまって。結局すぐに離婚したわ。私はそれで良かったんだけど、米山先生には本当に申し訳ないことをしてしまって…… 」




あの頃、自分はもう立派な大人だと思っていた。だけど、美穂に相談されたところで、17歳の若造だった自分には、なんの責任も果たすことなど出来なかっただろう。


「じゃあ、米山と別れたあとは、ずっとシングルマザーだったのか?」


「今の主人はあなたも覚えていると思うけど、七年間付き合っていた元カレよ。彼は責任を取って同じ病院のナースと結婚したんだけど、彼のほうも三年ほどで破綻してしまったみたいで」



「元カレってことは、医者の卵か?」


「あら、失礼ね。あなたの先輩でしょう。同じ大学病院で働いてるのよ」


「なんて名前だ?」


「内科医だからわからないかも知れないわね。桐島進一《きりしま しんいち》よ」


桐島?


そうだったのか、第一内科の桐島准教授。


なんとなく会ったことがあるように感じられたのは、そういうことか。


桐島准教授とは、これまで一度も話をしたことはないけれど、一目見ただけで頼もしく誠実さを感じさせる人物だ。


上司からも部下からも、そしてなにより患者から、絶大な信頼を寄せられるタイプだろう。


偏屈で癖のある上司だろうと穏便に立ちまわり、どんな人間関係においてもそつなくこなせるやり手に違いない。


大学病院はそんなタイプじゃないと、まず出世など見込めない。


いくら実績を積み上げたとしても。




「彼の子供は別れた奥さんが育てているの。私たち似たような境遇でしょ。だからお互い様ね。再婚したのは六年前よ」


「そうか、桐島先生は可愛がってくれるのか?  柊を」


「ええ、あの二人とっても仲がいいの。柊は口うるさい私より、主人のほうが好きみたい」


美穂が幸せでいてくれたのが嬉しい。


俺の子を育てている美穂が不幸だったら、やりきれない。


「米山にバレてなかったら、俺たち本当に結婚していたのかな?」


「フフフッ、どうかしら?  子供ができちゃったから、もしかしたら本当に結婚したかも知れないわね」


「俺と結婚しなくて良かったよ。俺はいい夫にはなれないタイプだから」


「そうなの?   あなたは今幸せじゃないの?」


美穂は少し心配げに俺を覗きこんだ。



「俺はいつでも幸せだよ。いつも自分の幸せを考えてるから」


「確かに、そうね。ふふっ、あなたの心配はいらないわね」


美穂と結婚していたら、その後どうなっていたのだろう。


多分、俺の浮気でいがみ合いが絶えず、結局離婚していたような気がする。


そもそも自由を愛する俺のような男は、結婚には向いてない。


だけど、そんな俺でも暖かい家庭は欲しいと思う。


それはそんなに我儘で許されないことなのか。



花蓮……。


俺は家庭を壊すつもりなど、微塵もなかった。


ただ、おまえに甘えていた。



あまりに繊細で脆すぎたおまえに……




「おれ、……五年前に妻と子供を亡くしてる。息子はまだ三歳になる前だった。航太って言うんだけど、さっき柊を見たとき、航太に似ていたから驚いたな」



「……そんな悲しいことが」


和やかだった空気が一気に重くなった。


これ以上、暗くなるのも気が引けて、彩矢と離婚したことまでは言えなくなった。


窓の外に目をやると外国人ジャンパーがK点を大きく超えて、テレマーク姿勢で着地していた。


「あら、、話に夢中になってて応援するのを忘れちゃったわね。私の教え子はもう終わってしまったみたい……」


俺の深刻すぎた打ち明け話で、美穂もどう言葉をつないでいいのか分からないようだった。


二人静かにしばらくの間、きれいな飛型で飛ぶ K点越えジャンパーの競技をみていた。



「あれ?  お母さんだ。いつ来ていたの?」


ジャンプを観戦していた俺たちに声をかけたのは、今日初めて会った息子の柊だった。


息子の背後には美穂の亭主が、穏やかな笑みをたたえて立っていた。


「あ、あら、柊、、良かったわ、あなたとお父さんをずっと探していたのよ。そ、そうしたら、偶然昔の教え子に会ったものだから、、」


しどろもどろになりながらも、美穂はうまく弁解をした。


「そうか、来られるようになって良かったね」


柊は多感な十四歳の少年とは思えないほど伸びやかで明るい。


俺が十四だったときより、ずっと大人びて見える。


「ええ、あ、松田くん、息子の柊と主人よ。松田くんは私が初めて担任を受け持ったときの教え子なの。十五年ぶりに会ったのよ、びっくりしちゃったわ」


美穂の演技は中々ではあったが、やはり嘘は苦手なのか焦りの表情が垣間みえた。



「あ、どうも、はじめまして。第一内科の桐島先生ですね。僕は同じ大学病院で今は脳外科の集中治療部で研修をしている松田潤一と申します。今日はせっかくご家族で楽しまれるところを邪魔してしまって、、」


美穂の手前、偶然を装ってはみたが、亭主はすでに気づいているかも知れない。


目の前にいる息子の柊は、幼い航太よりもむしろ俺にそっくりだった。


「そうでしたか。それは良かった。昔の教え子に十五年ぶりに会えるなんて偶然は中々ありませんからね。しかも、僕と同じ大学でしたか。それなら話もはずみそうだな」


少しも気づいていないのか、社交的なご亭主は楽しげに微笑んだ。


知性と機知に富んでいそうなこのご亭主となら、話をしてもさぞ楽しかろうと思えた。


だけど、これ以上の長居は無用だ。



「あれ?  もう食事を済ませてしまったの?」


俺たちの食べ終えたテーブルを見て、柊はつまらなそうに口を尖らせた。


「ごめんなさい。お昼を食べてなかったものだから、お腹が空いちゃって。で、でも、大丈夫よ、まだまだ食べられるから。ねぇ、松田くんもまだ食べられるでしょう?」


引きつった顔で俺をみつめた美穂をこれ以上困らせたくはない。


ましてや、多感な十四歳の息子を傷つけるようなことは、何としても避けなければいけない。


「あ、、いや、実は無理を言ってICUを抜け出して来たんですよ。そろそろ戻らないといけません。でも、美穂先生と懐かしい話ができて楽しかったな。ジンギスカンも美味かった。俺のことは気にしないで、どうぞ、楽しんでください」


「それは残念だな。やっぱり脳外科医は大変だな」


この誠実なご亭主が言うと社交辞令には聞こえない。


「じゃあ、私、ちょっと下まで送ってくるわね」


立ち上がって歩き出した俺の後ろを美穂がついてきた。


「あ、美穂先生、別にいいですよ、見送りなんて。じゃあ、また」



俺は思わず柊をみつめた。


この息子に会うのはこれが最初で最後かも知れない。


ぺこりと頭を下げ、レストランを出た。


もし航太が生きて成長していたなら、きっと今の柊のようだったのだろう。


階段を駆け下りていたら、思わず涙が滲んだ。


外へ出るとすでに二本目のジャンプが始まっていて、雪は止んで風は少し強くなっていた。



滑り降りてくるジャンパーに、いい向かい風が吹くことを祈って会場を後にした。
















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