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第2章
美波さんの罠
しおりを挟む**慎也**
上がりかまちで酔いつぶれている美波さんを、やっとの事でベッドまで運んだ。
「帰れったら、帰りなさいよ~ ……死ぬんだから、、死んでやるんだから!」
ベッドに横たわり、ムニャムニャと脅し文句を吐き続けている美波さんに嫌気がさす。
ーーだけど、やっぱり僕が身勝手だったのか。
考えが甘かったことは認める。
単なる一時的な同居と思っていたけれど、男と女では考え方が違って当然だ。
35才を過ぎた美波さんは、結婚を焦っていたのかもしれない。
美波さんより年上の男性職員はみんな既婚者だし、この際、10歳年下の僕でも良いと思っていたのだろう。
結婚対象にされていたなんて、思いもしなかった。
僕にとって結婚は、まだまだずっと先のことだったから。
高嶺の花だった沙織さんと付き合うことが出来て、はじめて自分だけのものにしたいと思った。
みんなが悪く言うほど、僕は沙織さんの欠点は気にならない。
確かに辛辣な嫌味を言うこともあるけれど、僕にとっては沙織さんのそんな正直なところさえも可愛いと思えてしまう。
こんなに綺麗な人が僕と結婚してくれるなんて、本当に夢のような気分だった。
このまま放って帰っても、美波さんは絶対に自殺なんてするはずない。
そうとは分かっていても、死んでやる! と脅す人を残して帰るわけにはいかなかった。
この先、どんな報復をされるか分かったものではない。
ベッドに横たわったまましばらくの間、ブツブツと不満を口にしていた美波さんだったけれど、10分ほどすると寝息を立てて眠ってしまった。
リビングのソファーに横になり、ため息をつく。
ローンで借りた100万円の言い訳を考えてみたけれど、ひとつとして説得力のある嘘は思いつかなかった。
ソファに寝ころび、先行きを考えると不安が増し、目が冴えて眠れなくなる。
悶々としながら今後のことに悩み、3時を過ぎた頃になって、やっと少しウトウトしていた。
何か気配を感じて目を覚ますと、目の前に美波さんが立っていたので、思わずのけぞった。
「うわぁーっ! な、なんだよ、、」
ガバッと飛び起きて、美波さんをはねのけた。
「なによ、失礼ね! 強姦されるとでも思ったわけ? 」
僕は寝ぼけていたけれど、憮然とした美波さんが、右手に持っていた小さなハサミをサッと後ろへ隠すのを見逃さなかった。
腹いせに僕の髪の毛でも切ろうとしていたのか?
それとも、、もっと怖ろしいことを……
以前みたホラー映画を思い出し、ゾッとする。
「も、、もう、酔いは醒めたんだろう? じゃあ、僕は帰るから」
慌てふためいて立ちあがる。
「面倒をかけて悪かったわね。気をつけて帰って」
引き止められるのかと思ったら、意外とあっさりした返事で拍子抜けする。
遮光カーテンの隙間から明るい日差しがもれていた。時計を見ると午前5時を過ぎていた。
とにかく、こんな怖ろしい場所からは、一刻も早く退散したほうが身のためだ。
車のキーをつかみ、逃げるようにアパートをあとにした。
外は快晴の気持ちのいい朝。
だけど、車の中は最悪だった。
ゲロの匂いが充満していて、運転しながら何度も吐き気をもよおした。
交通量の少ない早朝の国道。
あっという間に自宅マンションへ着いてしまいそうだけれど。
5階にあるマンションに戻るより、ガソリンスタンドのほうが掃除がしやすいような気がして、途中コンビニに寄り、タオルや洗剤、消臭剤などを購入した。
洗車コーナーに車を停め、濡らしたタオルでゲロを丁寧に拭き取ってみたけれど、すっかり染み込んでしまっていた。
ファブリーズもめちゃくちゃにスプレーしてみたけれど、効果は期待できそうになかった。
ただ、自分の鼻だけが匂いになれたのか、吐き気を催すことはなくなった。
それでも昨夜、砂肝一本しか食べていないのに朝食を摂る気分にはとてもなれなかった。
ついでに洗車もしたけれど、まだ7時前。
これから自宅マンションへ帰ったところで、30分ほどしか休めない。
病院のロッカーには歯ブラシも置いてあるし、リネン室からバスタオルを借りれば、シャワーだって使える。
服は匂うかも知れないけれど、車内の臭いが解消されないうちは、着替えたところで意味がないだろう。
眠い目をこすり、まっすぐに職場へ向かった。
シャワーを浴び、やっと身体に染み込んだ匂いから解放された。
レントゲン操作室へ入り、イスにどさりと腰をおろしてひと休みする。
疲れと眠気がどっと押し寄せて来たけれど、うたた寝するほどの時間は残っていなかった。
あと10分もすれば、佐野さんも来るだろう。
夜勤明けの沙織は、日勤者に申し送りでもしている頃かも知れない。
あのゲロの匂いが充満している車のことは、どう言い訳すればいいだろう。
久しぶりに会った大学時代の友人が、飲み過ぎて吐いたということにしておこうか。
昨夜は、その友人のアパートへ泊まったことにでもしておこう。
それにしても、もうあの車には乗りたくない。
沙織さんとドライブしているうちに、カッコいい車が欲しくなり、お金もないのに無理をして購入した車だったけれど。
かなり気に入って買ったブルーのCR-Z。
だけど、ゲロの匂いを嗅ぐたびに美波さんのことを思い出して、不快な気分になりそうだ。
そうか! 車を買い換えればいいんだ。
借りた100万円の口実にも出来るし。
やっぱり結婚したら、2ドアのスポーツカーより、4ドアのほうが便利だろう。
そのうち子供だって生まれるだろうし、低燃費のミニバンみたいなほうがいいに決まってる。
購入して、まだ3ヶ月しか経っていない車だから、沙織さんは怒ると思うけど、ミニバンに変えることには反対しないと思う。
いずれ変えてしまうなら、今のほうがいい。
今日の帰り、早速探しにいってみよう。
応援ありがとうございます!
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