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霧雨の中で
しおりを挟む遼介の日記から
8月16日 曇りのち雨
今日の午後、AG(脳血管造影検査)があり、松田先生の介助には彩矢ちゃんがついていた。
彩矢ちゃんが申し訳なさそうにうつむいて、俺とは目も合わせてくれないことに、寂しさを感じた。
もう気にしていないとは言えないけれど、以前のように明るく接してくれた方がこちらとしては嬉しい。
でも、当分は無理なんだろうな。
松田先生はいつもナースたちを苗字で呼ぶ。
自分では気づいていないのか、親密な関係になったナースは姓でなく、名前で呼ぶようになるのがクセだ。
操作室で松田先生が彩矢ちゃんのことを、親しげに 「あ~や」と呼んで肩に腕をまわした。
動揺し、無言で松田先生の手を払った彩矢ちゃんを見て、なぜ俺と別れなければいけなくなったのかを悟った。
彩矢ちゃん、どうして松田先生……。
いてもたってもいられず、仕事帰りに彩矢ちゃんの家まで行った。
俺よりは先に帰ってはいないから、家の前で待っていたら必ず会えるはずだ。夕方の6時から待っていたら、10時少し前に松田先生のBMWが彩矢ちゃんの家よりかなり手前で停まった。
予想どおりの展開にひどくショックを受ける。
横道にバックして、切り替えしたBMWのテールランプが遠ざかっていく。
車を見送った彩矢ちゃんが、霧雨の中をトボトボとこっちに向かって歩いてくる。
外灯のあかりで、寂しそうな憂いを感じる彩矢ちゃんの顔が見えてせつなくなる。
家のそばまで来たところで、俺の車が停まっていることに気づいたようだ。
ストーカーじみたことをしている自分を、恥ずかしく思いながらも車を降りた。
「佐野さん!」
驚いた彩矢ちゃんの顔が、サッと怯えたように変わってうなだれた。
その後、自分でも何をどう言ったのか、はっきりとは覚えていない。でも真意だけは十分に伝わったはずだ。
だけど、どんな言葉で伝えたところで彩矢ちゃんの気持ちを変えることは出来なかったと思う。
「佐野さんに助けて欲しかったの。……忘れるために佐野さんのことを利用しようとしてたの。ごめんなさい」
泣きながらそう言った彩矢ちゃんに、もう何も言えなかった。
彩矢ちゃんが家に入ってしまった後も、霧雨に濡れながらしばらくの間、呆然と立ちすくんでいた。
俺に助けを求めていた彩矢ちゃんに、なにもしてあげられなかった自分の無力さ、ふがいなさを情けなく思う。
完全に失恋しているにも関わらず、尚一層彩矢ちゃんに惹かれている自分がいた。
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