六華 snow crystal 2

なごみ

文字の大きさ
上 下
35 / 59

告白をしてしまって

しおりを挟む
有紀
11月26日

夜の12時近くになってから、スマホが鳴った。


こんな時間に電話って誰かな?  開くと佐野さんだった。


「佐野さん?  どうしたの、こんなに遅く?」


「おー、有紀かぁ、おまえ、男ができた途端に冷たくなったよなぁ」


 酔っているとすぐにわかった。


「佐野さん、大丈夫? 飲みすぎじゃない?」


「大丈夫?って、おまえ俺のことなんか全然心配してないだろう。 なにが友達だよっ、冷たいな、俺がなにしたって言うんだよ」


クダを巻いて客の誰かともめているような声がしている。


「佐野さん?  今どこ? 誰といるの?」


「あのう、ご家族の方?」


 突然、中年のおばさんの声に切り替わった。


「い、いえ。友人です」


「この人、飲みすぎちゃったみたいなの。家はすぐそこっていうんだけど、一人で帰れるか心配だし、ここで寝られても困るのよ。悪いけど迎えに来てあげてくれないかしら。いつもはそんなに飲む人じゃないんだけど、なにかあったのかしらね」


店主にお店の場所を聞き、パジャマを脱いで洋服に着替えた。


静かに階段を降りると、母がまだリビングでテストの採点をしていた。


「お母さん、ちょっとお友達が飲みすぎて具合が悪くなっちゃったみたいなの。助けに行ってあげてもいいかな?」


「あら、酔っ払いの介抱は大変よ。お母さんもついて行ってあげようか?」


「ううん、一人で大丈夫だと思う。家のすぐそばで飲んでるらしいの。もしダメそうなら電話する」


「そう、じゃあ、気をつけてね。何かあったら遅くてもいいから電話して」


「うん、わかった。じゃあ、ちょっと行ってくる。車借りるね」


 妹の遥香よりは信頼があるから、母もクドクドと干渉はしないけれど、きっと女友達だと思っているだろうな。少しだけ気が咎めた。




 ナビを使ったので、目的地には10分で到着した。


お店の暖簾をくぐり、戸を開けた。


五人ほど客がいて、テーブル席がふたつとカウンターだけの小さなお店だった。


カウンターの一番端で佐野さんがうつ伏せに突っ伏していた。


「あら、お客さん、もうすぐ閉めますけど」


 電話で話したと思われる、60過ぎに見えるおばさんが顔を上げた。


「あ、あの、さっき電話で話した者です」


 おでんのような煮物や、焼き魚などの匂いが染みついた庶民的な小料理屋だ。


手書きで貼られている短冊のメニューも、昔懐かしい感じがする。


「あらあら、すみませんねぇ、ほら佐野さん、可愛い彼女が迎えに来てくれたわよ。起きて、ほら起きなさいよ!」


 ママが突っ伏している佐野さんの肩を揺さぶった。


「佐野さん、帰ろう。送ってあげるから、ねっ、ねぇってば!」


 佐野さんの腕を引っ張ってみる。


「おおっ、有紀かぁ、遅いなおまえ。ここに座れよ。ママ、ビール!」


 とろんとした目で顔を上げた。


「もう、飲み過ぎだって、帰るよ!」


「谷さんはどうした?  今日は一緒じゃなかったのか?」


「今何時だと思ってるの? 帰るよ、早く立って!」


 脇に手を入れて体を持ち上げる。


入院患者の介護で慣れているけれど、長身の佐野さんはかなり重い。


「わかったよ、帰るよ、帰ればいいんだろ」


フラフラしながら歩く佐野さんの腕を掴んで支えた。


支払いを済ませて、店を出ると雪が降って来そうなほど寒く、キーンと澄みきった空の向こうにオリオン座が輝いていた。


 佐野さんの腕をつかんで、母に借りたセレナの助手席に乗せ、アパートへ向かう。


「アパートはすぐそこなんだぞぉ。歩いたほうが早いだろう」


 ブツブツ言っている佐野さんを無視してアパートを探した。


昼と違って暗いので、道に迷いそうだった。


「ごめん、有紀・・・」


酔っ払っていたのが嘘だったみたいに、急に真面目な顔で佐野さんがうなだれた。


「佐野さん・・・」


「おまえには迷惑かけてばっかりだな」


「そんなこといいけど・・・彩矢からはまだ何も言ってこない?」


「だから松田先生の子だったんだろう。良かったよ、それで。彩矢ちゃんだって安心しただろう」


「・・・」


「もう、やめた。もう、いい。本当にうんざりする。女なんかもう懲り懲りだ。ずっとそうだったのに、バカだな、俺。ほんとにバカだ・・・」


 佐野さん・・・。


まだ、全然立ち直れてなかったんだ。


助手席のシートにもたれて目を閉じている佐野さんの目に涙が光っていた。


もう、とっくにアパートの前に着いていたけれど、ひとりアパートに帰すのがかわいそうに思えて何も言えなくなる。


「あっ、もう着いてたんだな。じゃあ、帰るよ、帰る。悪かったな、こんな遅くに。本当にごめんな、有紀」


 助手席のドアを開けて降りたので、一緒に降りてついていった。


頭はしっかりとしているようでも、千鳥足だ。階段でも踏み外したら大変なことになる。


「佐野さん、危ないよ。ちゃんと手すりにつかまって登らないと」


出入り口の引き戸を閉めて、階段を登る佐野さんの後ろをついていった。


「そんなに酔ってねぇよ。酔えないんだよ、どんなに飲んだって。バカヤロー!」


 突然、大きな声で怒鳴った。


「やめてよ! 夜中なんだよ。みんな起きちゃうじゃないの」


 小声で注意したけれど、益々調子にのって、わめき始めた。


「チクショー! 女なんかいらないよ。もう、たくさんだ、バカヤロー!!」


「やめてってば、お願いだから。鍵は? 鍵貸してよ、早く!」


 ポケットから出した鍵ですぐにドアを開け、佐野さんの背中を押した。


「ほら、早く入って!」


「嫌なんだよ、このアパートは。もう忘れたいんだよ。助けてくれ、助けてくれよぉ!」


小学生みたいにすすり泣いていている佐野さんを見て、彩矢に対する怒りが湧いてくる。


 佐野さんを思っての怒りなのか、嫉妬から来るものなのかがよくわからない。


 玄関口で座り込んでいる佐野さんの靴を脱がせ、なんとかベッドまで連れて行った。


部屋の電気とストーブをつける。


掛け布団の上に倒れ込んでいる佐野さんをどうしたらよいものか。


いくらアルコールが入っていても、このまま寝ちゃったら、風邪を引くだろうな。


「佐野さん、お布団かけて寝ないと、風邪ひくよ。佐野さんってば!」


「わかってるよ、ちゃんとやるよ」


 うつ伏せのままグズグズして全く動こうとしない。


「ダメダメ、すぐにやらないと寝ちゃうんだから。ほら、ちゃんと掛けなきゃダメだって」


「わかったよ、有紀、もう帰っていいぞ。ほんと悪かった、じゃあな」


 突っ伏したまま、顔もあげずにそう言った。


 今は一人で泣きたい気分なのかな。一人にしてあげたほうがいいのかも知れない。



8ヶ月前とほとんど変わりのないこの部屋。


彩矢に去られ、マイコプラズマ性肺炎に感染して、どん底だった佐野さんの介護をしていた頃が、私にとっては一番幸せなときだった。


使われてなさそうなキッチンを見て、なつかしさで涙が出る。


「帰らないのか?」


佐野さんがうつ伏せのまま呟いた。


「あ、今、帰る。ちゃんとお布団被ってよ。じゃあね」


「有紀、おまえ綺麗になったな。谷さんが羨ましいよ、そんなにまで想われて」


 そう言うと、顔をあげて見つめた。


「どうして・・・どうしてそんなこと言うの?  谷さんのためじゃない・・・佐野さんが、・・・ずっと佐野さんが好きだった!  佐野さんだって私に忘れさせてくれないじゃないの!」


 バッグをつかんで、部屋を飛び出した。


「有紀!」


泣きながら階段を駆け降り、すぐに車を走らせた。


しばらく車道を走って、やっと気持ちが落ちついた。


とうとう言ってしまった・・・。


 あんなこと言うつもりなかったのに。


だけど、傷ついてるのは佐野さんだけじゃないって知って欲しかった。


私だって、私だって、ずっと、ずっと苦しかったんだよ。















しおりを挟む

処理中です...