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スタバで
しおりを挟む遼介
1月6日
年末は有紀が休みを取れたので、苫小牧の実家に泊まり、有紀の実家には年が明けてから挨拶に行った。
心配をかけたくないので、俺が失業したことは両家には黙っていようということになったけれど、嘘をつかなければどうしても話の辻褄が合わなくなるので、居心地が悪かった。
今日もハローワークへ行ってみたけれど、レントゲン技師を募集している病院は中々見つからない。
しばらくは失業保険をもらったほうがいいのだろうか。だけど、家にいて何もすることがないというのが一番つらい。
暇なのでつい彩矢ちゃんの実家まで車を走らせてみたくなる。
天気のいい日はゆうりが外で遊んでいるかも知れない気がして。
平日だと彩矢ちゃんは仕事で家にはいないと思うけれど、グレーのプリウスだと、すぐに気づかれそうで、落ち着かない気分になる。
仕事が見つかったら、早く車を買い替えよう。
今日は天気がいいせいか、彩矢ちゃんの家のそばの公園で雪遊びをしている子供たちが見えた。だけど、近づいてみると小学生のようだった。今はまだ冬休みなのだろう。
今日のベタッとした湿った雪は、サラサラのパウダースノーよりも、雪遊びには適している。
公園のわきに車を停めて、外に出てみた。
北海道の冬は気温が2℃でも、マイナスでなければ意外と暖かく感じられる。
コートのフードを目深に被り、彩矢ちゃんの家まで行ってみる。
家の前まで行くと、ゆうりが自宅前の庭で、彩矢ちゃんのお母さんと雪遊びをしているのが見えた。
おじいちゃんが作ってくれたのだろうか、除雪で積まれた雪をすべり台にしていた。
雪の階段まで作られていて、ゆうりがそこをよじ登っている。
「悠ちゃん、落ちないでね~、」
彩矢ちゃんのお母さんが心配そうに見あげている。彩矢ちゃんはお母さん似だと思った。まだ五十歳にもなっていなさそうで、とてもおばあちゃんという感じではない。
青い帽子をかぶり、つなぎジャンパーを着せられたゆうりが高いところまで登り着き、すべり降りた。
ケタケタと笑ったゆうりは、どこまでも子供の頃の自分に似ていた。
ずっと見ていたかったけれど、不審者と思われそうな気がして、そそくさと家の前を通りすぎた。
ゆうりをひと目でも見られたことに、ひどく満足して車に戻った。
有紀
1月6日
バカなことを言って、谷さんを傷つけてしまい、もう、お友達にさえなれない気がして悲しくなる。
以前なら用事がなくても、ふらりと薬局に立ち寄れたけれど、それはもう出来そうにない。
病棟の廊下を歩いていたら、向こうから谷さんが歩いて来て、どんな顔をしたらいいのかわからなくなる。
「あ、谷さん、明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします」
まだ新年の挨拶をしていなかったことを思い出し、こわばった顔で挨拶した。
「おめでとう。……有紀ちゃん、今日、一緒に帰れないかな。ちょっとでいいから、話がしたいんだけど」
「えっ、……」
人妻はこんな誘いにはどう対処すべきなのだろう。
一対一で食事に行こうという誘いなら、私の場合は断る。だけど、ちょっとでいいから話がしたいと言われると、なんとなく断りにくい。
婚約解消の原因を作ってしまったこともあり、話ぐらいは聞かなければいけないような気がした。
「ちょっとの時間ならいいけど……」
「ありがとう。じゃあ、6時でいいかな? 車の中で待ってるよ」
そう言って、谷さんは一階へ降りていった。
……断った方がよかっただろうか。もっと泥沼に陥りそうな気がして怖くなる。
だけど、……もしかしたら私は谷さんと結婚していた方がよかったのかも、という気もしている。
そうすれば彩矢は遼介のところへ戻って来られた。私があの親子の仲を引き裂いてしまったのだ。
彩矢にあんなLINE、送らなければ良かった。
そんな思いもあってつい、酔った勢いにまかせて、” どうしてあの時、別れようなんて言ったのか,, と、谷さんを問い詰めてしまったような気がする。
あの時、谷さんと別れていなかったらどうなっていたのだろう。
遼介は本当に私でいいのだろうか? 彩矢と子どもに未練はないのだろうか?
遼介にちょっと帰りが遅くなるとLINEを入れて、駐車場へ向かった。
谷さんが優しく微笑んで、助手席のドアを開けてくれた。
久しぶりに乗った谷さんのミニ・クーパー。
他の職員の目が気になったけれど、コソコソ隠れて会ったりする方がやましい気がして、気にせずに堂々と乗った。
車が走り出し、いつもの見馴れた夜の街が流れていく。
「おなか空いてるだろう。なにか食べながら話そうか」
谷さんのよく通る穏やかな声。
こうしていると、一緒によくドライブしていた一年ほど前に戻ったかのような気分になる。
なつかしい気分にひたっていたら、人妻であるという自覚さえも忘れてしまいそう。
「谷さん、お話ってなに? 私、今日はお食事まではちょっと出来なくて、、ごめんなさい」
「そうかぁ、ごめん。気軽に異性と食事なんて出来ないよね。なんの話ってことはないんだ。ただ本当に、ただ話がしたかっただけで。ずっと有紀ちゃんに無視されていたから、寂しくてさ」
「無視なんてしてないよ。ただ、私が余計なこと言って、婚約までダメにしちゃったみたいで、申し訳なくて……」
「婚約のことは気にしないで。押し切られるみたいにしちゃったから解消できてよかったんだ。亜美にはちょっと可哀想なことしたけど、僕とはやっぱり合わないと思うな。だから亜美にとっても結果的によかったんだよ」
「そうかな、亜美さん本当に谷さんのことが好きみたいだけど……」
「忘年会の日は何かあったのかい? あんなに荒れてる有紀ちゃんを見たの初めてだな。佐野と喧嘩でもした?」
「うん、ちょっと……。遼介、病院を辞めることになっちゃって、今失業中なの。なのに新しい車が買いたいなんて言い出して」
「ハハハッ、笑っちゃいけないけど、結婚ってやっぱり現実的だな。有紀ちゃんみたいなしっかりした奥さんがついてたら、僕でもヒモになっちゃうかも知れないな」
「……それだけじゃないんだよね」
遼介にも誰にも相談できないことを、谷さんに聞いてもらいたい気持ちになった。
谷さんは人のうわさ話をしたりする人ではないし、谷さんとのおしゃべりは本当に癒されたような気持ちになるから。
「有紀ちゃん、行ってみたいところってあるかい? 」
運転している谷さんが、聞いた。
悩みは聞いて欲しいけれど、二人でドライブなど楽しんでいる場合ではない。後ろめたく感じることは避けたい。
「ごめんなさい。谷さん、あまり遠くまでは行けなくて、うちのマンションの近くでいい?」
「さすがに隙がないなぁ、有紀ちゃんは。じゃあ、今日はマンションまで送るだけにしておくよ。おかしなことすると、もう会ってくれそうにないからな」
マンションのそばまで来てからふと、谷さんに送られたところを遼介に見られたりしたら、さすがにまずい気がして来た。
いくらコソコソしたくないにしても。
「……谷さん、やっぱりそこのスタバにちょっと寄ってもいいかな? もう少し、話聞いてもらいたくて」
「え、いいのかい?」
谷さんは前方に看板が見えたスターバックスの駐車場に左折して、車を停めた。
スタバのようなオープンなカフェなら、二人でいてもあまり罪悪感を感じなくてすみそうだった。
店内はいつものようにほどよく混んでいた。
ダイエットをしていたので、クリームの入った飲み物はここ数年ずっと飲んでいなかった。でも、最近は痩せこけたと言われるようになったので、今日は茶葉にフルーツを混ぜたピンク色のラテにしてみた。
谷さんはいつもそうなのか、エスプレッソを頼んでいた。
「谷さん、平川彩矢っていう子覚えてる? 二年くらい前にうちの病院で働いていたナースなんだけど」
「あぁ、覚えてるよ。松田先生と色々あった看護師さんだろう? 大人しい子だったよね。僕はあまり話したことはないけど」
「彩矢はね、看護学生の頃からの友人だったからよく知ってるんだけど、本当にすごく真面目な子でね、あんな事件を起こすようなタイプの子じゃなかったの」
「真面目な子のほうが危険なのかも知れないな。一途にのめり込んでしまうから。男の僕からみても松田先生は魅力的だと思うよ。ああいいうタイプに女性は弱いからなぁ。それで? その平川彩矢さんはその後どうなったんだい? 噂だと松田先生と結婚して、小樽で暮らしているって聞いたけど」
「うん、そうなんだけど……でも彩矢は松田先生と結婚する前に、遼介とも少しの間付き合ってて、それで、……それで彩矢、一昨年の秋に男の子を産んだんだけど、その子、、、遼介の子だったの」
「……有紀ちゃん、それって結婚してから気づいたことなのかい?」
「うん、、去年の秋に偶然ショッピングモールで彩矢に会ったんだけど、その時、遼介にそっくりな男の子を見てしまって……」
「なんて言ったらいいのかな、、そうかぁ、」
誰が考えてみたって、よい解決法などある訳もなく、さすがの谷さんも黙り込んだ。
「松田先生と一緒に小樽の病院へ行った莉子先輩っていたでしょ?」
「あぁ、田中莉子ならよく知ってるな。恐ろしく気の強い子だったから」
「その莉子先輩が松田先生の子を妊娠したらしくて、彩矢、去年の夏、離婚して今は実家に戻っているらしいの。きっと遼介のところへ戻って来たかっただろうなって思って。私が邪魔をしてしまったから……。」
「有紀ちゃんは後悔してるのかい? 佐野と結婚したことを」
よく考えたこともないけれど、遼介の恋人になれたときの喜びと感動は未だに忘れられない。
その後の結婚までの道のりと、結婚してからの蜜月。私は人生の大半の幸せを、あの時期にすべて使い果たしてしまったのだろうか。
「後悔はしてない。すごく幸せだったから。だけど、元気のない遼介を見てたら、悲しくて。私と結婚したことを後悔してるんじゃないのかなって思うと辛くて……」
シリアスな話をするにはスタバは少し明るすぎた。
「だけど、いい恋愛なんてそう簡単に出来るものじゃないだろう。僕は羨ましいな、結果的に今が辛くても」
エスプレッソを飲みながら、谷さんはそう言って微笑んだ。
「谷さんが話がしたいって言ってたのに、私の話ばかりでごめんなさい。でも、聞いてもらえて嬉しかった。こんなこと、誰にも相談なんてできなくて」
「そんな風に言ってもらえて、僕のほうが嬉しいよ。気楽な話だって中々誘ったり出来ないからなぁ」
「病院の食堂だったら、いつでも誘って!」
「まぁ、そんなとこくらいしかないよなぁ、有紀ちゃんと堂々とデートできる場所は。だけど、よかったよ。また有紀ちゃんとこうして話ができるようになって」
「うん、私もまた、薬局に遊びに行くね」
その後も少し話がはずんで、いつの間にか夜の八時も過ぎたので、あわてて席を立った。
スタバからはマンションまで歩いて3分ほどなので、車ではなく歩いて帰ることを告げた。
「じゃあ、途中まで歩いて送るよ。マンションまではついていかないからさ」
日中は晴れて暖かかったのに、融けかかっていた舗道の雪は夜になって急速に冷えて、テカテカになっている。
うっすらと降りかかった雪で滑り、転びそうになった。
「うわ~~っ!」
「はははっ、大丈夫かい? 有紀ちゃん、つかまって」
谷さんが手を差し伸べてきたので、なんとなく断りにくくて素直に腕につかまって歩いた。
このことが後で大変な誤解を生むことになるとは、この時は思いもしなかった。
マンションの手前で、「じゃあ、またね!」と明るく言って別れた。
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