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春を迎えて
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遼介
3月25日
この宅配の仕事を始めて、早いものでもう、一年になろうとしている。
放射線技師の求人を探していなかったわけではなかったが、この仕事をしていながら、そんな暇を見つけることは容易ではない。
とにかく再配達が多くて、うんざりする。なので朝の早くから仕事をしても結局、皆が帰宅するような時間帯の配達が残ってしまう。
客というものは我儘だ。平気で再配達をさせるくせに、こちらが指定時間に少しでも遅れると、すごい剣幕で怒鳴りつける。
「朝から、ずっと待ってたんだぞ。お前のせいで、今日の予定が台無しだ。どうしてくれるんだ!」などと、散々な悪態をつかれる。
荷物よりも、人をいたぶるために待っていたのではないかと思われるほどだ。
平謝りで、早くクレームが終わってくれるのを祈りながら、次の配達までも間に合わなくなりそうで、気が気でなくなる。
こういうクレーマーという輩に比べたら、あの陰険だった医師でさえも、懐かしく感じられるほどだ。
肉体的にもつらい上に、そんなクレーマーからの苦情対応で、精神的にも追い詰められる。
伝票の整理などをすませて、疲れきって家に帰ったら、有紀が四月から主任に昇進したと自慢した。
有紀の昇進を素直に喜んであげられない自分が情けなく、悲しい。
有紀
4月2日
代休の日、久しぶりに東区にある実家へ行った。
春休みなので、両親も遥香も駿太も家にいた。
「シュークリーム買ってきたよ~。このお店のシュークリームとっても美味しいの~!」
本当はショートケーキを買いたかったけれど、あまりに高いので節約したのだった。
それでも、妹の遥香が「わーい!」と言って喜んでくれた。
遼介と二人で働いていても、なぜだか不安で、節約グセが抜けない。
「ねぇ、赤ちゃんまだなの?」
早く孫の顔が見たい母は、言ってはいけないセリフを、遠慮もせずに平気で口にする。
「そういうプレッシャーを与えちゃいけないって、いつも言ってるでしょ!」
実家に帰ってきた早々に、不快な気分にさせられる。
「だって、もう結婚してから一年半も過ぎてるでしょ。一度、婦人科へ行ってみたらどう?」
「そんなに慌てることないでしょ。私だって遼介だって、まだ若いんだから。余計なお世話なんだってば!」
「いつまで若い気でいるんだか。遼介さんだって、今年は三十でしょう?」
「男なんて六十過ぎてもパパになってるじゃないの。三十なんてまだ若いわよ」
買ってきたシュークリームをムシャムシャと食べる。
「美味しい~!」
しばらくダイエットをサボっていたら、やはり太ってきて、このままだともうすぐに60㎏の大台に乗りそう。
遥香も大学を卒業して、今は市内の銀行に勤めている。
未だに合コンが趣味なのに、彼氏はいなさそう。遥香は条件高過ぎなんだって!
弟の健太は大学の二年生だったかな?
一応、彼女が出来たらしい。中々、可愛らしい子で家にも連れて来るのだそうだが、私はまだ会ったことがない。
実家でくつろぎ、家族と夕食まで食べてから、発寒のアパートへ帰ったけれど、遼介はまだ帰宅していなかった。
大体いつでも10時過ぎでなければ帰らない。
こんなハードな仕事など、辞めたらいいのにと思ってしまうけれど、失業して家でブラブラされるのも嫌で、なんとも言えずにいる。
疲れて帰ってきている遼介に、早く子供を作りたいなんて言えるわけないでしょ。
遼介
4月5日
こんなウンザリな宅配の仕事から、早く撤退しようと考えていた矢先、思わぬ人と再会することになった。
俺の管轄するエリアは、西区の琴似周辺だ。
琴似駅に近い、このマンションへの配達はいつも荷物が多いのだが、その中に松田彩矢という宛名の物があった。
同姓同名の人かな?
それとも彩矢ちゃんが、松田先生と小樽からこっちへ引っ越して来たのだろうか。
期待と不安が入り混じった気持ちが交錯する。
マンション一階の出入り口で部屋番号を押し、宅配業者だと告げる。
「あ、はい。お願いします」
インターホン越しの少しの会話で、彩矢ちゃんの声だと確信した。
セキュリティーの自動ドアが開いたので中に入り、エレベーターで28階まで上がる。
宅配業などやっている俺を見てなんと思うのだろう。Amazonからの荷物を持ちながら、不安が高まる。
緊張の面持ちで、恐る恐る玄関のブザーを押した。
「はーい」と言う、インターホンからの返事が聞こえて、ガチャっと玄関ドアが開けられた。
穏やかな笑顔を見せた彩矢ちゃんの顔が、驚きに変わった。
「えっ? さ、佐野さん!」
呆然と俺を見つめている彩矢ちゃんの視線に、耐えきれなくなって、うつむいた。
(了)
長い間、お付き合いくださいまして、ありがとうございました。
『六華 snow crystal 3』 も連載中です。
引き続き、よろしくお願いします。
なごみ
3月25日
この宅配の仕事を始めて、早いものでもう、一年になろうとしている。
放射線技師の求人を探していなかったわけではなかったが、この仕事をしていながら、そんな暇を見つけることは容易ではない。
とにかく再配達が多くて、うんざりする。なので朝の早くから仕事をしても結局、皆が帰宅するような時間帯の配達が残ってしまう。
客というものは我儘だ。平気で再配達をさせるくせに、こちらが指定時間に少しでも遅れると、すごい剣幕で怒鳴りつける。
「朝から、ずっと待ってたんだぞ。お前のせいで、今日の予定が台無しだ。どうしてくれるんだ!」などと、散々な悪態をつかれる。
荷物よりも、人をいたぶるために待っていたのではないかと思われるほどだ。
平謝りで、早くクレームが終わってくれるのを祈りながら、次の配達までも間に合わなくなりそうで、気が気でなくなる。
こういうクレーマーという輩に比べたら、あの陰険だった医師でさえも、懐かしく感じられるほどだ。
肉体的にもつらい上に、そんなクレーマーからの苦情対応で、精神的にも追い詰められる。
伝票の整理などをすませて、疲れきって家に帰ったら、有紀が四月から主任に昇進したと自慢した。
有紀の昇進を素直に喜んであげられない自分が情けなく、悲しい。
有紀
4月2日
代休の日、久しぶりに東区にある実家へ行った。
春休みなので、両親も遥香も駿太も家にいた。
「シュークリーム買ってきたよ~。このお店のシュークリームとっても美味しいの~!」
本当はショートケーキを買いたかったけれど、あまりに高いので節約したのだった。
それでも、妹の遥香が「わーい!」と言って喜んでくれた。
遼介と二人で働いていても、なぜだか不安で、節約グセが抜けない。
「ねぇ、赤ちゃんまだなの?」
早く孫の顔が見たい母は、言ってはいけないセリフを、遠慮もせずに平気で口にする。
「そういうプレッシャーを与えちゃいけないって、いつも言ってるでしょ!」
実家に帰ってきた早々に、不快な気分にさせられる。
「だって、もう結婚してから一年半も過ぎてるでしょ。一度、婦人科へ行ってみたらどう?」
「そんなに慌てることないでしょ。私だって遼介だって、まだ若いんだから。余計なお世話なんだってば!」
「いつまで若い気でいるんだか。遼介さんだって、今年は三十でしょう?」
「男なんて六十過ぎてもパパになってるじゃないの。三十なんてまだ若いわよ」
買ってきたシュークリームをムシャムシャと食べる。
「美味しい~!」
しばらくダイエットをサボっていたら、やはり太ってきて、このままだともうすぐに60㎏の大台に乗りそう。
遥香も大学を卒業して、今は市内の銀行に勤めている。
未だに合コンが趣味なのに、彼氏はいなさそう。遥香は条件高過ぎなんだって!
弟の健太は大学の二年生だったかな?
一応、彼女が出来たらしい。中々、可愛らしい子で家にも連れて来るのだそうだが、私はまだ会ったことがない。
実家でくつろぎ、家族と夕食まで食べてから、発寒のアパートへ帰ったけれど、遼介はまだ帰宅していなかった。
大体いつでも10時過ぎでなければ帰らない。
こんなハードな仕事など、辞めたらいいのにと思ってしまうけれど、失業して家でブラブラされるのも嫌で、なんとも言えずにいる。
疲れて帰ってきている遼介に、早く子供を作りたいなんて言えるわけないでしょ。
遼介
4月5日
こんなウンザリな宅配の仕事から、早く撤退しようと考えていた矢先、思わぬ人と再会することになった。
俺の管轄するエリアは、西区の琴似周辺だ。
琴似駅に近い、このマンションへの配達はいつも荷物が多いのだが、その中に松田彩矢という宛名の物があった。
同姓同名の人かな?
それとも彩矢ちゃんが、松田先生と小樽からこっちへ引っ越して来たのだろうか。
期待と不安が入り混じった気持ちが交錯する。
マンション一階の出入り口で部屋番号を押し、宅配業者だと告げる。
「あ、はい。お願いします」
インターホン越しの少しの会話で、彩矢ちゃんの声だと確信した。
セキュリティーの自動ドアが開いたので中に入り、エレベーターで28階まで上がる。
宅配業などやっている俺を見てなんと思うのだろう。Amazonからの荷物を持ちながら、不安が高まる。
緊張の面持ちで、恐る恐る玄関のブザーを押した。
「はーい」と言う、インターホンからの返事が聞こえて、ガチャっと玄関ドアが開けられた。
穏やかな笑顔を見せた彩矢ちゃんの顔が、驚きに変わった。
「えっ? さ、佐野さん!」
呆然と俺を見つめている彩矢ちゃんの視線に、耐えきれなくなって、うつむいた。
(了)
長い間、お付き合いくださいまして、ありがとうございました。
『六華 snow crystal 3』 も連載中です。
引き続き、よろしくお願いします。
なごみ
応援ありがとうございます!
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