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第4章 煙の彼方に忍ぶ影

第16話 ハニカの秘密とキールの推理

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 「こちらがハニカ・ジュバさんの客室になります」

 女将カレンに付いて宿の2階に向かった僕らは、遂にその扉の前に立った。扉はぴったりと閉じられ、中からは物音ひとつ聞こえない。

 こんこん。

 「ハニカ様?ハニカ・ジュバ様、いらっしゃいませんか?申し訳ございません、緊急事態につき中を確かめさせていただきます。ご了承くださいませ」

 カレンは簡単に口上を述べると、マスターキーを鍵穴に差し込んだ。

 「女将さん、行きましょう。これはお客さんの無事を確認するためです」

 アデルが彼女の背中に声を掛ける。彼女は頷き、そっと扉を開けた。アデルは言葉とは裏腹に最大の警戒をもって身構える。

 ハニカ――赤紫の髪の女が犯人である場合、被害者である場合、単に間が悪かっただけの一般人だった場合……。彼があらゆる事態を想定していることが窺える。

 「誰も、出てくる気配はないわね……?」

 レナが呟く。その言葉を皮切りにキールが中へと踏み込んでいく。

 「おーい、誰もいねえのか?」

 部屋は洗面、トイレ、和室だけ。隠れられる場所などほとんどない。ざっと見通せる限り、部屋の中はもぬけの殻だった。

 「一応、押し入れの中なんかも確認していきましょう」

 レナがふすまを開けて隅々まで確かめていく。アデルも反対側から確認していく。

 「あら、これは……?」

 レナが目を止めたのは、部屋の隅に畳まれた衣服だった。

 「女将さん、この部屋にはカレンさんお一人で泊まっていたんですよね?」

 「え、ええ。そのはずです」

 「ならどうして、男物の服があるのかしら」

 彼女は畳まれた服を広げながら首を傾げる。それは青の旅人服に薄汚れたカーキのコート、明らかに男物と分かる代物だった。何より、僕が着てもかなりぶかぶかになるほど大きかった。

 「まあ女性が着て悪いことはないけれど、サイズが問題ね。ハニカさんは相当な大柄だったのかしら?」

 「いいえ、レナさんと同じくらいの体型でした。強いて言えばレナさんより少しお胸が大きゅう御座いました」

 「何ですって?」

 レナがカレンに突っかかる。

 「いや、今はそんなこと言っている場合じゃないでしょ?つまりこの服はハニカさんのものではなく、誰か別の……恐らく男性のものということですね?」

 「え、ええ……」

 「なあテオン、それはつまりどういうことだ?この部屋に訪ねてきた男がいたってことか?」

 キールが尋ねる。

 「うん、どうやらこの部屋に来客があったのは間違いないだろう。ほら」

 アデルが声を掛ける。和室の奥、軽く腰かけられる椅子と小さな机があり、窓から外を眺められる。その机の上には、2つのワイングラスが乗っていた。

 「和風の雰囲気ぶち壊しなもん飲んでんな。ここで来客と酒を嗜んだってことか」

 ワイングラスには僅かに赤い液体が残っている。鼻を近付けると微かに華やかな香りがした。

 「ふーん、なかなかいい香りのお酒だね。お花の香りみたいだけど、こんなにいい匂いにはそうそう出会えない」

 アデルも鼻をひくひくさせながら、空になったお酒に思いを巡らせる。

 「あれ、だけどただ訪ねてきただけなら何でここに服があるんだ?」

 僕は当然のようにそう疑問を口にする。

 「は?」「え?」

 キールとアデルが揃って声を上げる。おかしなことを言っただろうかとレナの方を振り返ると。

 「テオン君……本気?」

 レナにも呆れたような顔をされてしまった。

 「お前、ここ旅館だぜ?その女の部屋に男が訪ねてきたんだ。百歩譲ってそれだけでは判断がつかなくても、着替えが残されていたんなら想像つくだろ?」

 キールが勿体ぶったように解説をする。口許がにやにやと歪んでいるのは気のせいだろうか。

 「つまりな?その男はハニカと寝に来たんだよ。分かるだろ?」

 寝に……?寝、、寝に!!

 そこで漸く僕にもぴんと来る。前世では戦士として忙しくしていたし、現世でも小さな村で真面目に鍛練に励んできた。いやハナとそういうことはあったけど、最近は色々あって何となく頭から抜け落ちていた。

 「それも旅先での恋とかそういうんじゃねえ。俺はハニカがそういう商売をしていたんじゃねえかと見たな」

 キールは尚も話を進めていく。

 「へえ、それはどうしてだい?」

 「俺らが宿に戻ったとき、喧嘩してたフバが言ってたろ?フバはハニカを見たことがないってよ。普通旅行に来たら昼間に温泉入るだろ?赤紫なんて珍しい髪色だ。一度入れば印象に残る。つまりハニカは、ここに来たときには既に温泉以外の目的があったんだ」

 そういえばそんなことを言っていたような……。キール、こんなに記憶力良かったのか。

 「ハニカは夜にしか風呂に入らない。それも掃除が終わる明け方頃だ。何故か?昼間は寝ていて、夜仕事後に風呂に入ってたから……そう考えればすっきりしねえか?」

 「なるほど。その仕事というのがつまり?」

 「売春ってことね……。悪くない推理だわ。やるじゃない、キール」

 いつの間にかレナがすぐ後ろに立っていた。

 「でも、うちのテオン君に変なこと教えないでくれる?ダメよ、そういうのに手を出しちゃ。ララちゃんが泣いちゃうんだから」

 彼女は僕の手を引くと、キールから引き離すように抱き締めてきた。

 「何堅いこと言ってんだよ。過保護か!!」

 キールとレナが睨み合う。

 「まあまあ二人とも。他人の部屋で何やってんの。調査を続けるよ」

 アデルは笑いながら再び部屋の中を見て回る。

 「女将さん、ハニカさんはそろそろ宿を出られる予定だったんですか?」

 「え?さあ、無期限で連泊されていらっしゃいましたから。うちは当日でもチェックアウト出来るので、予めご予定を伺うこともありませんでした」

 「そうですか。いえ、衣服以外の荷物はほとんど纏められてるなと思いまして」

 言われてみれば確かに、部屋にあるものは先程の男物の服、机の上のワイングラス、そして既に粗方の荷物の入った旅行鞄だけだった。

 「鞄の中身はさっき確認したわ。冒険者らしい簡素なものだったわよ。着替えと食料が少し、お金の入った袋に、化粧道具があったくらいね」

 「冒険者に化粧道具はいらねえだろ」

 「あら、最近は冒険者でも身だしなみに気を使う人が増えているのよ?あなたも使ってみる?少しは綺麗になるかも」

 「誰が化粧なんかするかよ!!」

 結局僕らがハニカの部屋で見つけられたのはそれだけだった。本人の姿はどこにもなく、男が訪ねた形跡があるとだけ分かったのだった。

 「問題はその男が誰だったのかってことよね。被害者だったら一気にハニカさんが怪しくなるんだけど」

 「痴情のもつれってやつか?仕事が終わって温泉に入っていたハニカを、その男がこっそり追いかけて、風呂でもやろうとしたところを返り討ち!」

 キールがにやにやしながらそんなことを口走る。すぐさまレナが彼の頭をひっぱたく。

 「そんなことばかり考えてないで、真面目に推理しなさい!」

 「何言ってんだ。可能性としては十分考えられることだろ?きっとそのハニカって奴、相当良かったに違いないぜ」

 「ほら!また関係ないこと考えてるでしょ!」

 「うるせえ、男は事件も下半身で考えんだよ!!」

 キールの言葉に思わず吹き出す。アデルもくすくすと笑っている。

 「そんなんで解決するわけないでしょ、馬鹿!!」

 レナの拳骨がキールだけでなく僕とアデルにまで降り注ぐ。とんだとばっちりだと思うのだが、キールの推理を聞きながら僕も思わず妄想してしまった。ここは大人しくこの痛みも受け入れよう。




 広間に戻ると、皆落ち着かない顔で僕らを待っていた。

 「あ、やっと戻ってきたわね。大変なことが分かったわよ」

 ユカリが疲れた顔で振り返る。その後ろにはさっきまで現場の女湯で捜査をしていたオルガノが戻ってきていた。

 「やあ、アデル君。こっちの指揮を任せきりにしてしまってすまないね」

 「いや、乗りかかった船だ。これくらい何ともないさ。それより、何か分かったのかい?」

 「ああ、ひとまず一通りの初動捜査は終えたよ。次は皆のアリバイを確かめようと思ったんだけれど、どうやらそれ以上の問題が発生したみたいでね。頭を抱えているところだよ」

 アリバイ……。推理小説でお馴染みらしい、現場不在証明とかいうやつだ。それには事件が起こった時間が必要なのだが、それが分かったということだろうか。

 「えーと、まず分かったことを教えてくれるかい?勿論、皆に聞かせられることだけでいいんだけど」

 「そうだね。まず被害者は確かに男性だった。死因は窒息。温泉に浮いていたから確かなことは言えないんだけど、少なくとも今日の明け方には既に死亡していただろうと結論できる。もし遺体が温泉より寒いところに暫く放置されていたとしたら、昨日の夜のうちに亡くなった可能性もあるのだけど」

 「なるほど。他には?」

 「被害者が女湯に入った手段について、湯殿には他の入り口から入れないよう魔法障壁が展開されていた。それが破られてもいないことから考えて、番頭に気付かれずに正面から入る方法があったと考えるのが妥当だろうね」

 「透明化……とかか?」

 キールが口を挟む。

 「そうだね、そんなスキルがあるなら可能だ。そして現場から立ち去った謎の女がいたことも確認がとれた」

 「ああ、それは今僕らも調べていた。ハニカ・ジュバ。2階の客室に泊まっていた赤紫の髪の女性で、男性と部屋で会っていた形跡があった」

 「ほう、それは興味深いね」

 「ところで……どうして被害者の身元が分かったことを言わないんだい?」

 アデルはふとそんなことを尋ねる。

 「おや、気付きましたか」

 「さっき遺体と言ったろう?刑事が死体のことを遺体と呼ぶのは、その身元が分かったとき。そうだろう?」

 「ご明察。そして、それが今一番の問題なんだ。アデル君は驚かないかもしれないけど、他の人は皆耳を疑うそうだよ」

 「へえ。一体、誰だったんだい?」

 空気が張り詰める。勿体ぶったオルガノの口がようやく開く。

 「ブラコ・ピンクニー。キール君の財布を盗った窃盗犯だそうだ」
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