【最優秀賞受賞】傘の唄

牧田紗矢乃

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傘の唄

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 新品の傘はいい音がする。
 ピンと張られた真新しい生地に水滴が跳ねて、まるで心地よい音楽を奏でているようだ。

 とんとん、ぴちゃん。
 とん、ぴちゃん。

 木の下を通ると葉っぱを伝って大きくなった雫がぱん、と大きな音を弾ませる。
 雨の日だって捨てたもんじゃないな。
 私は嬉しくなって傘をくるくる回しながら歩いた。

「……あ、ねこちゃん!」

 ずぶ濡れのダンボール箱の中。
 一匹の白い子猫が捨てられていた。

【女の子です。可愛がってあげてください】

 箱に書かれた滲んだ文字。
 子猫は寒さに震えていた。

「可哀想……」

 傘を子猫がいたダンボールを守るように置いて、温めてあげようと手を伸ばす。

「っ! いたっ」

 引っかかれたのだと気付いたのは、痛みが走った指先に血が滲んできたからだった。
 溢れ出した血と雨が混じりあいながら流れ落ちる。

 子猫は困ったような、怯えたような目で私を見ていた。

「なにやってんだ? 遅刻するぞ」

 不意に声が聞こえて、私に降り掛かっていた雨がやんだ。

「シュウくん?」

 同じ学校の制服を着た大人しそうな男の子がそこにいた。
 隣の家のシュウくん。
 生まれた時からお隣さんで保育園も小学校も中学校も、高校まで一緒の腐れ縁。

「猫か……」
「うん。捨てられてたみたいで、震えてたから」
「でも学校には連れて行けない」
「うん……くしゅん」

 シュウくんが言うことは正しい。
 この子のことは見なかったことにして学校に行くべきなんだろう。
 雨で冷えちゃったみたいでくしゃみも出るし。
 でも……――。

「寒くてお腹すいて、死んじゃうかも……。ぐすっ」
「えっ、ええと……」

 シュウくんは子猫と同じ、困ったような顔をしていた。
 ちょっと雨に当たっただけでこんなに寒いんだから、雨の中ずっと放り出されていた子猫はもっとつらいだろう。
 それにご飯だって……。

「ごはん……ねこちゃんの、ぐすっ、ごはん……」

 私はカバンからお弁当箱を出して子猫が食べられそうなものがないか探した。
 おにぎりを割って、具のかつお節を引っ張り出す。

「ダメだよ。猫には味が濃すぎる」

 ちょっと待ってて。
 そう言うとシュウくんは傘を私に押し付けてどこかへ走って行ってしまった。

 しとしと、ぴちゃん。
 しと、ぴちゃん。

  シュウくんの傘は優しい音がする。
 子猫は傘が奏でる音楽が気になるようでしきりに頭上を見上げている。

「くしゅん」
「にゃん」

 私のくしゃみに子猫が返事をしてくれた。
 それだけで心が暖かくなる。

「おまたせー!」

 シュウくんが走って戻ってきた。
 手にはコンビニの袋。

「おかえり」
「にゃー」

 子猫も返事をする。
 この子すごく頭がいいのかな?

 シュウくんが袋から取り出したのは給食で出るサイズのパック牛乳だった。
 それを自分のカバンから出した弁当箱のフタに注いで子猫がいるダンボール箱の中に置いた。

「さすがシュウくん! あったまいい~!」
「だろ? やべ、弁当濡れるっ」

 子猫は吸い寄せられるように牛乳をひとなめする。
 ぺろり。
 ぺろぺろ、ぺろん。

 よほどお腹がすいていたのか、ひとなめした子猫の舌が止まらなくなった。
 シュウくんもお弁当の中身が濡れてダメになる前にと慌てて食べている。
 私は夢中で牛乳を舐める子猫とシュウくんを交互に見る。

「ふふふっ。そっくり。
 ……って、シュウくん学校は!?」
「お前もだろ」

 素っ気なく言って再び弁当に箸をつけるシュウくん。
 スマホの時計はもう八時半を過ぎている。
 完っっっ全に遅刻です。

「わ、私はいいけどさ? シュウくんは学級委員長だよ!? サボったなんてバレたら内申点だって……っくしゅん」
「わかったよ」

 シュウくんはムスッとして立ち上がる。
 そして、子猫がいるダンボールを見下ろした。

「お前、この猫飼うのか?」
「うーん……、うちじゃ厳しいと思うんだよねぇ」
「おばさん猫嫌いなんだっけ?」
「いや、うちお父さんとお兄ちゃんと私が猫アレルギーで……っくしゅん」

 くしゃみ止まらないなぁ。
 おまけに目まで痒くなってきた気がする。

「……花粉症?」
「バカ。自分で猫アレルギーって言っただろ」
「あ」

 さっきからくしゃみが続くのも鼻がぐずぐずするのも目が痒いのもこの子といるからか。
 でも見捨てるわけにはいかない。

「いいや。今日はサボる。で、こいつうち連れてくわ」

 シュウくんはびしょ濡れのダンボールをひょいと小脇に抱えて歩き出す。
 その後ろを二本の傘を持った私が追いかけた。

 しとしと、ぴちゃん。
 しと、ぴちゃん。



「……へぇ~。それでシロマルがうちの子になったんだ」
「にゃ」

 私の代わりにシロマルが返事をする。
 初めて会った時に感じた通り、シロマルは賢い子だ。

 目をくりくりさせながらシロマルを撫でる息子を見ていると自然に顔がほころぶ。
 小さい頃のシュウくんそっくり。

 相変わらずアレルギーの症状はあって年中花粉症みたいな状態だけど、後悔したことはない。
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